この週末、オ・ペイシ2階のアメリカ人の店が異常にうるさくて、閉口しました。なにしろ、大音量でハードロックを演奏して、エレキギターやドラムの爆音で、うちの店が揺れるほどだったのです。オ・ペイシのサンバを聴いていられる状態ではありませんでした。お食事に来ていたお客さんも、言葉少なく、さっさと帰ってしまいました。
これでは、困る! と2階へ勇気を出して上がっていき、何とかしてください、と言いに行きました。この店が空き店舗であったとき、私はカウンターバーの内側をイベントやカーニバルで使った衣装や羽根を乾かす場所として使わせてもらっていました。
その場所には、両腕にイレズミをしたごっついアメリカ人の兄ちゃんがいて、次々に入るショットやカクテルの注文をさばいていました。日本人のマネージャーを探しましたが、どうも彼自身がステージで、ギターを弾いているようです。
誰も私に気を止めてくれる人は、いません。たまたまそばを通りかかったアルバイトの女の子をつかまえて、「店長いますか?」と大声で問いかけましたが、大爆音の中で、聞こえるはずもありません。らちがあかないので、その女の子の腕をひっぱって、少しでもスピーカーから離れた店の入口へ来てもらいました。
その様子にようやく気がついたのか、アメリカ人の店長が寄って来ました。下の店で、うるさくて仕方ないから、ちょっとボリューム下げてくれませんか、と聞くと、その店長は一言、「できない」。こちらも負けずに「何で?」と尋ねると「250人のお客さんがこの音楽を聴いてるんだから」
どんなに多く数えてもお客さんは、30人ほどですが、そこを責めても仕方ありません。「少しでもいいから、音量を絞ってくださいよ」と頼み、店長もこのステージが終わったら、調整してみる、ということになりました。
これだけのことを言うのに、ノドが痛くなったほど、大声でやりとりをしていました。
冷静に考えてみると、うちのサンバの打楽器の練習も嫌いな人にとっては、騒音でしかありません。昼間とはいえ、隣のお店の人たちもよく耐えてくれています。それに、うるさくても2階のお客さんが、オ・ペイシにも来てくれるので、あまり強くも言えません。
コザの街で店をやるということは、こうした悪環境にも目をつぶらなければならない、ということでしょうか。午前3時を過ぎても、まだドラムセットをたたいている店の下で、これは、しょうがないのだろうか・・・と自問自答していました。
これでは、困る! と2階へ勇気を出して上がっていき、何とかしてください、と言いに行きました。この店が空き店舗であったとき、私はカウンターバーの内側をイベントやカーニバルで使った衣装や羽根を乾かす場所として使わせてもらっていました。
その場所には、両腕にイレズミをしたごっついアメリカ人の兄ちゃんがいて、次々に入るショットやカクテルの注文をさばいていました。日本人のマネージャーを探しましたが、どうも彼自身がステージで、ギターを弾いているようです。
誰も私に気を止めてくれる人は、いません。たまたまそばを通りかかったアルバイトの女の子をつかまえて、「店長いますか?」と大声で問いかけましたが、大爆音の中で、聞こえるはずもありません。らちがあかないので、その女の子の腕をひっぱって、少しでもスピーカーから離れた店の入口へ来てもらいました。
その様子にようやく気がついたのか、アメリカ人の店長が寄って来ました。下の店で、うるさくて仕方ないから、ちょっとボリューム下げてくれませんか、と聞くと、その店長は一言、「できない」。こちらも負けずに「何で?」と尋ねると「250人のお客さんがこの音楽を聴いてるんだから」
どんなに多く数えてもお客さんは、30人ほどですが、そこを責めても仕方ありません。「少しでもいいから、音量を絞ってくださいよ」と頼み、店長もこのステージが終わったら、調整してみる、ということになりました。
これだけのことを言うのに、ノドが痛くなったほど、大声でやりとりをしていました。
冷静に考えてみると、うちのサンバの打楽器の練習も嫌いな人にとっては、騒音でしかありません。昼間とはいえ、隣のお店の人たちもよく耐えてくれています。それに、うるさくても2階のお客さんが、オ・ペイシにも来てくれるので、あまり強くも言えません。
コザの街で店をやるということは、こうした悪環境にも目をつぶらなければならない、ということでしょうか。午前3時を過ぎても、まだドラムセットをたたいている店の下で、これは、しょうがないのだろうか・・・と自問自答していました。