現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

古田足日著・田端精一イラスト「おしいれのぼうけん」

2024-11-16 09:20:28 | 作品論

 日本の物語絵本のロングセラーです。
 初版は1974年で、私が読んだのは2001年の158刷です。
 見開きに描かれた保育園の全景に、「ここは さくらほいくえんです。さくらほいくえんには、こわいものが ふたつ あります。」という文章で、おはなしは始まります。
 次の見開きには、左に押入れの絵があって「ひとつは おしいれで、」の文章が書かれ、右には「もう ひとつは、ねずみばあさんです。」の文章とねずみばあさんの絵があります。
 ラストは、みんなが楽しく遊んでいる保育園の全景が描かれて、以下の文章が書かれています。
「さくらほいくえんには、とても たのしいものが ふたつあります。ひとつは おしいれで、もうひとつは ねずみばあさんです。」
 「こわいもの」から「とても たのしいもの」への変化が、読者が素直に実感できるところが、この絵本のもっともすぐれた点でしょう(もちろん、それが作者たちのねらいなのですが)。
 体罰として閉じ込められる真っ暗な押入れ。
 水野先生が演じる恐怖のねずみばあさん。
 それらが合体して、二人の男の子たちを冒険の世界へ誘います。
 暗闇という原初的な恐怖が生んだ意識と無意識の世界(「かいじゅうたちのいるところ」の記事を参照してください。)、現実と空想の境を超越して、二人の冒険の世界が広がります。
 男の子たちの友情、ねずみばあさんの恐怖、ネズミたちとの戦い、子どもたちの大好きなおもちゃの活躍、「子どもの論理」の「大人の論理(体罰など)」への完全勝利、楽しい思い出の反芻など、子ども読者の立場からはほぼ完ぺきな絵本だと思われます。
また、児童文学者の安藤美紀夫は、「日本語と「幼年童話」」(その記事を参照してください)という論文で、「物語絵本」の成立要件として、以下のように述べています。
「その時、まず考えられることは、長編の構想である。物語絵本は、そこに文字があろうとなかろうと、少なくとも二十場面前後の<絵になる場面>が必要なことはいうまでもない。そして、<絵になる場面>を二十近く、あるいはそれ以上用意できる物語といえば、いきおい、起承転結のはっきりした、ある種の山場を伴う物語にならざるを得ない。たとえそれが<行って帰る>といった一見単純な物語であっても、である。」
 この作品は、安藤の定義する「物語絵本」の成立要件を、完全に満たしています(もしかすると、安藤が1983年に論文を書いた時には、この作品が念頭にあったのかもしれません)。
 最後に、この作品の歴史的および現時点での価値とは無関係なのですが、「押入れに閉じ込める」という設定自体が体罰あるいは虐待と受け取られて、現在の保育園を舞台にした場合には成立しにくいかもしれません(もちろん、作者たちは体罰を明確に否定していますが)。
 古田足日先生は2014年にお亡くなりになりました。
 先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

おしいれのぼうけん (絵本ぼくたちこどもだ 1)
クリエーター情報なし
童心社

 

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石井桃子「山のトムさん」

2024-11-12 11:37:32 | 作品論

 別の記事で紹介した「児童文学の魅力 いま読む100冊 日本編」に載っている作品で一番古いのは、編集委員たちの定義による現代日本児童文学の始まりである1959年より前の1957年10月に出た石井桃子の「山のトムさん」です。
 他の記事で書いたように、私は現代日本児童文学の出発は1953年だと主張しています。
 編集委員たちがなぜこの本を取り上げたのかは不明ですが、読んでみると私の1953年説を裏づけてくれる作品でした。
 この作品が書かれていたころは、すでに1955年から「子どもと文学」のための討議が開始されていたので、彼らが目指した新しい児童文学(現代日本児童文学と置き換えてもよいと思います)を意識して、創作がなされたことと思います。
 この作品は、作者が戦争直後の食糧難の時代に、東北の村で作者の言葉を借りると素人百姓をしていた時の経験に基づいて書かれています。
 ともすれば、苦労話になりそうな題材を、トムという名の猫を通して明るい筆致で描いています。
 トムは、100パーセント愛玩のために飼われていて家の中に閉じ込められている現代の猫たちとは、まったく違います。
 もともとネズミの被害に苦しんでいた作者たちの家族が、最後の頼みとしてもらってきた猫の子なのです。
 トムは家の中だけでなく、周囲の自然や時には少し離れた集落まで遠征して自由に暮らしています。
 作者の鋭い観察眼を通して、トムの生き生きした姿、そしてそれと関連して周囲に何とか溶け込んで暮らしていこうとしている東京から来た家族(トシちゃん、おかあさん、おかあさんの友だちのハナおばさん(たぶんこれが作者)、おばさんの甥のアキラさん)の様子が明るく描かれています。
 東北の山奥の開墾地で暮らしながら、英米児童文学に造詣の深い作者ならではのモダンな様子(トム・キャット(雄猫)という名前、クリスマスのプレゼント交換など)も随所に現れます。
「児童文学の魅力 いま読む100冊 日本編」で、作家の中川李枝子はこの作品について、
「食べることが容易でなく、日本中が飢えていた戦後のこの混乱期、おばさんたちのような女・子どもだけの寄り合い所帯で、しかも全くの素人百姓が、開墾したり、牛や山羊を飼ったり、田植をしたり、薪あつめをしたりの肉体労働を、万事、村のお百姓と対等にやっていくというのは、並大抵ではなかったはずだ。が、おばさんもお母さんも弱音を吐かず、ユーモアを失わず、助け合ってやっていく。そして山の家の人たちは自然の美しさに目を見張り、感嘆し、いろいろな楽しみを発見する。トムは、その人たちの生活の中心におさまったのだった。」
と、書いていますが、私もまったく同感です。
 この作品は1959年よりも前に書かれていますが、それまでに書かれていた生活童話などとは明らかに一線を画した「現代日本児童文学」です。
 平明で読みやすい豊かな「散文性を獲得」し、戦後の混乱期を生きるために労働する「子どもたちの様子を捉えながらもユーモアを忘れずに描いて子どもの読者も獲得」し、苦しくとも明るさを失わずに新しい時代を拓いていこうという「変革の意志」を備えています。
 上記の文で「」で囲った点は、児童文学研究者の宮川健郎によってまとめられた「現代児童文学」の特徴です。
 もう70年近くも前に書かれた作品ですが、今でも古びずに読み継がれるだけの普遍的な価値を持っています。

 

山のトムさん (福音館創作童話シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店

 

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モーリス・センダック「かいじゅうたちのいるところ」

2024-11-03 07:24:59 | 作品論

 映画にもなった世界中で読まれている人気絵本です。
 1963年に出版されましたが、日本に紹介されたのは1975年です。
 私の読んだのは1998年4月28日69刷ですから、日本でもロングセラーになっています。
 主人公の少年マックスが家で大あばれして、おかあさんに怒られて部屋に閉じ込められてから、彼の不思議な大冒険が始まります。
 マックスが怪獣の王さまになるストーリー自体はそれほど波乱に富んだものではありませんが、センダックの描く怪獣たちの絵が迫力があり、画面構成の変化にも非常に工夫を凝らしてあって、主人公と読者の、意識と無意識の領域の変化を巧みに表していて、最後までページごとの主人公および読者の意識と無意識の変化を楽しめるつくりになっています。
 児童文学研究者の本田和子は、「境界にたって その3 「自己」の文学 ―― 無意識と意識のはざまに生まれるもの」(「子どもの館」18号所収、その記事を参照してください)という論文の中で、「この物語は、一人の少年の無意識への退行と、新たな統合を成就した上での意識への回帰を、あまりにも典型的に描き出していて説明の要もなく思えるほどである。」と評しています。
 この論文は1974年11月に発表されたもので、日本版が出る前なのでこの本の日本語の題名が違っていますが、すでに海外では評判になっていたようです。
 長文になるので細かい解説は引用しませんが、本田の心理学に基づいたこの絵本の解析は見事ですので、興味のある方は是非雑誌を図書館で取り寄せて読んでみてください。
 ご存知のように、この本は世界中で2000万部以上も売れたベストセラーになりました。
 本田が指摘しているように、意識と無意識が大人より不分明である子どもたちにとっては、両方の世界を象徴的に描いたこの本はすんなり受け入れられる作品なのでしょう。

かいじゅうたちのいるところ
クリエーター情報なし
冨山房
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斎藤栄美「ふたりの秘密」

2024-10-26 16:14:42 | 作品論

主人公の小学生の女の子は、同じマンションに引っ越してきた女の子が、同じクラスになることをきっかけに友だちになります。

しかし、その女の子には秘密があって、なかなかそれを打ち明けてくれません。

主人公の女の子は、その子の気持ちに寄り添って接していきます。

そして、とうとうその子は秘密を明かしてくれます。

それ以来、二人は秘密を共有することによって、ますます仲良くなっていきます。

二人の女の子の気持ちを丁寧に描いていくことによって、人の気持ちを思いやることの大切さを教えてくれます。

 

 

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中川李枝子「いやいやえん」

2024-10-23 08:44:46 | 作品論

 1962年に出版された幼年童話の古典です。
 私の読んだ本は1998年で93刷ですから、今ではゆうに100刷を超えているであろうロングセラーです。
 以下の七つの短編からできています。
「ちゅーりっぷほいくえん」約束が七十もあって、主人公のしげるはいつも約束を守らないので、物置に入れられてしまいます。
「くじらとり」積み木で作った船で海にのりだして、くじらを連れて帰ります。
「ちこちゃん」しげるは、なんでもちこちゃんのまねをしてしまい、大変な目にあいます。
「やまのこぐちゃん」山から来た小熊が保育園に入り、みんなと仲良くします。
「おおかみ」保育園をさぼったしげるは、野原でオオカミに会いますが、あまりに汚かったので食べられずに済みました。
「山のぼり」約束を守らずに果物を食べすぎたしげるは、鬼の「くいしんぼう」と友だちになりました。
「いやいやえん」しげるは、ちゅーりっぷほいくえんの代わりに、なんでもいやだと言えばやらなくて済む「いやいやえん」へ行きます。
 この作品の一番の成功は、作り物でない生身の幼児であるしげるを創造したことでしょう。
 また、大人よりも意識と無意識が不分明な幼児の特質を生かして、現実と空想の世界が入り混じった魅力ある作品世界を作り出しています。
 ただし、この作品のおもしろさは、しげるが幼児らしく約束を守らなかったりいたずらをするところなのですが、どの短編でも作者は教育的なおちをつけてしまっています。
 この本を使って、保育者や親などの大人たちは、幼児たちのしつけをしようとするかもしれません。
 しかし、子どもたちが喜んでいるのはそういった教訓的なところではなく、しげるのいたずらやわがままに素直に共感しているのでしょう。
 おそらくそれは作者たちの意図を超えたところであり、そのためにベストセラーになったのであればやや皮肉な感じもします。
 ただ、作品に出てくる体罰(物置に閉じ込めたり、無理やり女の子の服を着させます)は今の時代にそぐわないので、そろそろ賞味期限が来ているのかもしれません。

いやいやえん―童話 (福音館創作童話シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店
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安藤美紀夫「でんでんむしの競馬」でんでんむしの競馬所収

2024-10-21 09:16:54 | 作品論

 梅雨で雨が降り続くと、露地の子どもたちは遊びに行けません。
 誰も、雨傘を持っていないからです。
 雨傘は、働きに行ったり、買い物に行ったりする大人の分しかありません。
 それでも、子どもたちには、梅雨時ならではの楽しみもあります。
 雨漏りで腐った畳には、キノコが生えます。
 みんなでキノコを眺めに行って、そこの母親にどやされたりします。
 露地の隅に生えているヤツデの木には、カタツムリがきます。
 想像の中で巨大になったカタツムリにまたがって、子どもたちは表通りで買い食いする夢を見ます。
 この短編の主人公の六年生の男の子は、露地ではめずらしく成績が良く、両親は彼が海軍士官学校か陸軍士官学校へ行って出世して(当時は、貧しい家の子たちには、それぐらいしか出世する方法がありませんでした)、自分たちを露地から抜け出させてくれることを夢見ています。
 本人は、表通りの料理屋の息子が通う海軍士官学校にあこがれています。
 進学のために倹約しているので、主人公はお小遣いをぜんぜんもらえません。
 そのため、メンコやビー玉は、他の子のを借りたり、落ちているのを拾ったりして遊んでいるので、どけちだと嫌われています。
 そこで、主人公は一計を案じます。
 露地の子どもたちで彼だけが遊びに行くことを許されている、表通りの料理屋の庭で、露地のヤツデに来るのとは比べ物にならない大きなカタツムリを手に入れます。
 それを五匹並べて「でんでんむしの競馬」をして、露地の子どもたちにメンコやビー玉を賭けさせたのです。
 とうぜん、胴元の主人公の一人勝ちで、みんなのメンコやビー玉を巻き上げます。
 しかし、そんなあこぎな商売は長続きしません。
 先生にチクられて母親を呼び出された彼は、すべてのメンコやビー玉を失ったばかりでなく、もし内申書に書かれたら海軍士官学校の夢もパーになってしまうのです。
 この作品でも、現実と空想が交錯しています。
 その中で、露地の子どもたちの(いや大人たちも)夢は、一貫して露地(貧困)から抜け出すことです。
 これは、いつまでも終わらないアジア太平洋戦争(十五年戦争とも呼ばれています)の戦時中の閉塞した世の中の比喩でもあり、この作品が書かれた70年代初頭(70年安保闘争の敗北により革新勢力が停滞し、世の中には無力感が漂っていました)ころの閉塞感をも表していたように思えます。
 格差が拡大している現代においても、この作品における登場人物たち(そして作者)の願いは、共通していると思います。

でんでんむしの競馬 (1980年) (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社
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ようかいばちゃんと子ようかいすみれちゃん

2024-10-17 08:54:07 | 作品論

山の中で一人で暮らす91歳のようかいばあちゃん(不思議なことを起こすので主人公はそう呼んでいます)とひ孫のすみれちゃんとの触れ合いを描いたシリーズの六作目です。

今回も、すみれちゃんは、おとうさんの車でようかいばあちゃんの家に来て一晩だけお泊りします(おとうさんはすみれちゃんをおろすとすぐに帰ってしまい、翌日迎えに来ます)。

今回は不思議なことを起こすようかいばあちゃんに、すみれちゃんが弟子入りします。

そして、ようかいばあちゃんに代わって、八十八歳のおあささんに米寿のお祝いの習字をするための道具を届けるのです。

その途中で、すみれちゃんはピンチに陥りますが、ようかいばあちゃん譲りの不思議な力を発揮して切り抜けます。

そして、帰りに子どもの頃のようかいばあちゃんに出会うのでした。

今回も、現代では関係が薄れてきている、老人と子どもの触れ合いを鮮やかに描いています。

 

 

 

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筒井頼子「はじめてのおつかい」

2024-10-14 08:50:08 | 作品論

 1976年発行の古典的な絵本です。
 福音館の「こどものとも」シリーズの中の一冊です。
同名のテレビ番組が有名ですが、この本の方がはるか前に出ていますので、言ってみればテレビはこの本のパクリです。
 テレビのようなあざとい演出はないので、大人の読者には物足りないかもしれませんが、主人公のみいちゃんがおかあさんに頼まれてひとりで牛乳を買いに行くことになり、さまざまな小さな、だからリアリティのある障害(スピードを上げて通りかかる自転車、背後を通る自動車、お金を落としてしまう、お店で買おうとしていると割り込んでくる大人たち、おつりを忘れてしまうなど)をクリアするたびに、幼い読者はそのひとつひとつを追体験できることでしょう。
 そして、心配して外まで出てきたおかあさんに迎えられるエンディングは、まさにハッピーエンドの典型です。
 林明子による絵も、隅々まで工夫がなされていて、読むたびに新しい発見があるので、子ども読者は繰り返し楽しむことができるでしょう。
 児童文学の作者たちも読者たちも、子どもたちの「成長」を素直に信じられた古き良き時代の作品です。
 児童文学研究者の佐藤宗子は、「「成長」という名づけ」(日本児童文学1995年9月号所収)という論文で、「「初体験」も、すでに発達のものさしを持っている読者はそれにあてはめて読むことになろうが、まだそうしたものさしを持たぬ子ども読者は疑似体験として読むだろうと、子ども読者と作中人物を重ねあわせ、ひいては子ども読者の「成長」にもつなげて媒介者たるおとな読者は安心する、といった状況も想定できよう。」と、作中人物だけでなく子ども読者もこの本によって「成長」するであろうことと、幼年向けの作品における媒介者(親などの家族、幼稚園や学校の先生、図書館の司書など)の子どもたちの「成長」への信頼について述べています。
 また、児童文学研究者の宮川健郎も、「「児童文学」という概念消滅保険の売り出しについて」(「現代児童文学の語るもの」所収)において、以下のように述べています。
「子どもは、ゆるやかなスロープをあがるように成長するわけではない。成長をうながす何か、きっかけを得たときに、いわば、階段を一段のぼるように、角をまがるように、成長してしまうのである。「成長の瞬間」をつかまえ、作品として定着させるのは、現代の児童文学や絵本が熱心にとりくんできた仕事だけれど、「はじめてのおつかい」も、その典型的な例のひとつだ。」
 ここでいう「現代児童文学」とは、1950年代に近代童話を批判して始まった文学運動にのっとった作品という意味で使われていますが、その運動の特徴のひとつに「変革の意思」があり、これは社会を変革するということだけでなく個人を変革することも含まれていて、子どもの成長を描く(ひいては読者の子ともたちも成長させる)いわゆる「成長物語」が肯定的にとらえられていたという時代背景があります。
 この現代日本児童文学の「成長物語」神話は、八十年代になると大きく揺さぶられていくことになります。
 

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)
クリエーター情報なし
福音館書店
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梨木香歩「西の魔女が死んだ」

2024-10-13 09:34:47 | 作品論

 1995年に出版されて、日本児童文学者協会新人賞などのいくつかの賞を受賞し、映画化もされた作品です。
 中学三年生の主人公の女の子は、授業中に母方の祖母(イギリス人)が危篤になったとの知らせをうけます。
 母の運転する車で祖母の家へ向かう途中(六時間もかかります)、主人公は二年前のことを回想します。
 その時、中学に入ったばかりの主人公は、女の子たちの作るグループになんとなく入らなかったことをきっかけに、クラスの女の子たちにはずされて、学校へ通えなくなっていました。
 そんな主人公を受け入れてくれたのが祖母でした。
 独特の人生観と行動のために、主人公とその母親は、祖母のことを「西の魔女」と今では呼んでいます。
 祖母の家で暮らした一か月余りの間、家庭を大事にして、自然(といっても、イギリス流の人間の手の加わった自然なのですが)を愛する祖母との生活で、主人公は見事に蘇生して、新しい生活(父親の単身赴任先に引っ越して、新しい中学校に転校します)を始める力を得ます。
 そう、この作品は「癒し」の文学の代表作なのです。
 魔女修行、超能力、ダークグリーンのミニクーパー、イングリッシュ・ガーデン、サンルーム、薪が燃えるかまど、手縫いのエプロン、手作りのジャムやキッシュやサンドイッチ、ミントティー、自家栽培のハーブや野菜、野イチゴや木イチゴ、飼っているニワトリの生みたての卵、煮沸によって洗濯された布巾、足踏みで洗われたラベンダーの香りのするシーツ、自分だけのお花畑、サンクチュアリなど、女の子だけでなく若い女性(現在ではもっと年長の女性も同様ですが)の大好きなおしゃれなアイテムが満載で、新しい児童文学の読者(若い世代を中心にした女性)の獲得に大きく貢献しました。
 また、こうしたものだけでは単調になりがちな物語に、主人公の祖母との生活を脅かす(?)粗暴な隣人の男の存在が、アクセントをくわえています。
 素材面だけでなく、手法面でも、描写(情景及び心理)を重視した小説的手法を使って、作者独特の豊かな表現力で、主人公の変化(主に精神面)を的確にとらえています。
 その一方で、主人公の心の成長と言う点では、児童文学らしいいわゆる「成長物語」でもあります。
 そういった意味では、児童文学と一般文学の境界があいまいになった、1990年代の日本の児童文学の代表作と言えます(児童文学評論家や研究者は、この現象を「一般文学への越境」と呼んでいます。そのことの功罪については、別の記事を参照してください)。
 しかし、読み直してみると、いくつかの疑問があります。
 まず、これだけ主人公に精神的なインパクトを与えた「西の魔女」(主人公にとってはメンターともいえます)と、二年間没交渉だったという設定は、お話の都合としてはいいでしょうが、日本人的感覚では理解しにくいです。
 また、父親の単身赴任先へ、一時的に仕事を辞めた母親と一緒に、転居して新しい中学へ転向するという最終的な解決策も、母親の人間像(自分の仕事のキャリアを大事にしている「西の魔女」とは対照的な人物に設定されています)からすると、非常にイージーで不自然なイメージを受けます(この作品が書かれた三十年前と、女性の仕事を取り巻く環境が変わってきているせいもあります)。
 うがった見方をすると、三十年前は女性の社会進出が世の中でもっと強く言われていたので、そのアンチテーゼとして描かれたのかもしれませんが、作者のジェンダー観にやや疑問を感じます。
 ラストで、西の魔女から主人公へ死後に送られてきたとも読める下記のメッセージも、主人公の不安感のベースとして繰り返し描かれていた「死後の世界」に対する西の魔女及び作者の回答なのだと思われますが、スピリチュアル好きな若い女性はともかく一般の読者としては不可解な読後感が残ります。
「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
 オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」
 だいいち、自分のことを主人公たちが西の魔女と呼んでいることを本人は知らないはずなので、その点でも不自然な感じ(超能力だと言われればそれまでですが)です。
 最後に、これは、男性読者(あるいはたんなる私自身)と女性読者の好みの違いになってしまいますが、子どもの時に困ったら、西の魔女のようなメンター的な祖母よりも、森忠明「花をくわえてどこへいく」に出てくるようなだまって一人で湯治場へ行かせてくれる祖父の方が欲しいです。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

 

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J・M・バリー「ピーター・パンとウェンディ」

2024-10-03 09:07:20 | 作品論

 言わずと知れたイギリス・ファンタジーの古典です。
 本では読んだことはなくても、映画、アニメ、劇、ミュージカルなどでおなじみのことでしょう。
 もともと劇として書かれた作品なので、映像との親和性は抜群です。
 夢と冒険の国ネバーランドでのピーターを中心とした冒険物語は、あまりにも有名です。
 海賊、インディアン(当時はこの用語も平気で使われていましたが、正しくはネイティブ・アメリカンです)、猛獣、妖精、人魚など、子どもたちの冒険心をくすぐる素材が満載です。
 中でも、主人公の子どもたちたちが空を飛べるというバリーの発明は画期的なことであり、現在までに多くの追随者を生み出しています。
 その一方で、家族の愛情、中でも母親への賛美は、この物語のもう一つの柱になっています。
 おかあさんごっこや赤ちゃんごっこなどの疑似家族を演ずることは、子どもの成長過程で欠くことのできない要素で、バリーはそれを巧みに作品に生かし、子どもがやがて大人になっていき、またその子どもが生まれるといった生の繰り返しを見事に描いています。
 その対比として、永遠の子どもであるピーター・パンという不滅のキャラクターを作り上げました。
 この「永遠の子ども」というのは、多くの児童文学者の共通のモチーフであり、かくいう私自身も自分の中に「永遠の子ども」が潜んでいて、その子に向けて作品を書いていた時期があったことを認めざるを得ません。
 この「永遠の子ども」は、通常は自分自身の子どもが生まれたときに消えてしまうのですが、中にはいつまでも守り続けている人たちもいるようです。
 私の場合は、自分の中の「永遠の子ども」は消えなかったもののだいぶ薄れてしまいましたが、自分の息子たちが成人した今でも彼らの中に「永遠の子どもたち」を見ることができました。
 きっとこれは、児童文学者に与えられた特殊技能なのでしょう。
 孫の男の子たちが生まれてからは、息子たちの中の「永遠の子どもたち」も少し薄れてきました。
 でも、私が長生きすれば、成人した孫たちの中にまた「永遠の子どもたち」を発見できるのでしょうか?
 さて、この作品は百年以上も前に書かれた作品ですので、賞味期限を過ぎた素材(ネイティブ・アメリカンへの偏見、母親になることに偏ったジェンダー観、偏狭なイギリス紳士像など)も散見されますが、この作品の歴史的な価値を考えると、現代に合わせて翻案するのではなく、原作通りの翻訳に、当時の偏見に対する現代の見解を注釈として附けて、子どもたちに手渡したいものだと思っています。

ピーター・パンとウェンディ (福音館文庫 古典童話)
クリエーター情報なし
福音館書店
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丘修三「歯型」ぼくのお姉さん所収

2024-10-01 09:06:49 | 作品論

 主人公とその二人の友人は、公園のそばを通る奇妙な歩き方をする障害のある子どもに、足をかけてころばせる「遊び」を始めます。
 毎日繰り返しているうちに、その子はそこを通る時間を変えるようになりました。
 それでも、主人公たちは執拗にその子を探し回って「遊び」をし、やっているうちにエスカレートしていって、ついには三人がかりで暴力をふるいます。
 必死になったその子は、三人のうちの一人のふくらはぎに噛みつきます。
 三人がいくら離そうとしても噛み続けるので、まわりの大人たちまでが集まって大騒ぎになります。
 その子が会話ができないことをいいことに、三人は一方的にその子を悪者に仕立て上げます。
 後日、噛まれた子の父親に抗議を受けた養護学校の教師が、反論のために主人公の学校の校長を訪ねます。
 校長室に呼ばれた主人公たちは、問い詰められて真実を告白したでしょうか?
 いいえ、作者はそんなことで主人公に安易な救いを与えたりはしません。
 彼らは、最後まで嘘をつき続けて、とうとうその場を逃れてしまいます。
 その代わりに、主人公の心には、一生消えない良心の呵責という「歯型」が残ったのです。
 自分より弱い者へのいじめ、自分と違う者への差別。
 ここでは、主人公たちのような子どもたちだけでなく、彼らの親や周囲の大人たちまでがそうした面を持っていることを鋭く告発しています。
 彼らが、いわゆる普通の子ども、普通の大人であるだけに、より深刻な問題です。
 そういう私自身も、こうした優越意識や差別意識を、少なからず持っていることを告白しなければなりません。
 「歯型」のような作品は、読者のおそらく全員が持つであろうこういった問題点を常に再点検するためにも、繰り返し読み続けられ、そして書き続けられなければなりません。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
クリエーター情報なし
偕成社
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最上一平「ようかいばあちゃんちのおおまがどき」

2024-09-21 09:33:00 | 作品論

山の中で一人で暮らすようかいばあちゃん(不思議なことを起こすので主人公はそう呼んでいます)とひ孫のすみれちゃんとの触れ合いを描いたシリーズの五作目です。

すみれちゃんは、時々おとうさんの車でようかいばあちゃんの家に来て一晩だけお泊りします(おとうさんはすみれちゃんをおろすとすぐに帰ってしまい、翌日迎えに来ます)。

今回も、すみれちゃんはようかいばあちゃんとの山の暮らしを満喫し、不思議なことも起こります。

特に、おおまがどき(夕暮れ時で不思議なものに出会うとき)には、不思議で素敵な音楽会を体験します。

現代では関係が薄れてきている、老人と子どもの触れ合いを、今回も鮮やかに描いています。

作者は、2024年度の小学館児童出版文化賞を、「じゅげむの夏」で受賞しました。四十年以上も同人誌を一緒にやっている仲間としてはこんなにうれしいことはありません。

 

 

 

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大江健三郎「静かな生活」静かな生活所収

2024-09-16 08:42:11 | 作品論

 20才の女子大生マーちゃんには、四才年上の知的障害者の兄イーヨーがいます。
 マーちゃんは、お嫁に行く時にはイーヨーも一緒に連れていかねばならないと、思いつめています。
 作家である父が外国の大学に招聘され、母も一緒に行くことになったので、マーちゃんが留守宅を守ることになります。
 イーヨーは成人に達しているので、身体的な性的反応を示すことがあります。
 そんな時、自宅の近くで連続して痴漢騒ぎがおこります。
 マーちゃんは、時々外出先から寄り道することがあるイーヨーがその犯人じゃないかと、心配しています。
 ところが、ひょんなことからマーちゃんは真犯人が少女を襲っているところに遭遇し、近所の人たちの助けを借りて犯人を捕まえます。
 ラストシーンで、イーヨーが寄り道するのは好きな音楽が聞こえてくる家のそばに寄っていたためだったことが判明して、マーちゃんは晴れ晴れした気分を味わいます。
 作者には、「二百年の子供」のような年少の読者を意識した作品もありますが、私は「静かな生活」の方がより児童文学に近いと考えています。
 マーちゃんは江国香織や吉本ばななの初期作品の主人公と同年輩ですし、イーヨーは知的障害者なので子どものようなところが多く、結果としてこの作品は若者や子どもたちを描いています。
 作者の他の作品と違って、マーちゃんの視点で書かれていて文章も平明なので、若い読者にも読みやすいと思います。
 両親の不在、父親が著名な作家であるために偏執的な人たちから受ける脅迫、精神障害者である兄への周囲の偏見などから、イーヨーと弟のオーちゃんとの三人の「静かな生活」を守るためにマーちゃんは頑張ります。
 確かに、この家は一般の障害者がいる家庭よりも、経済的には恵まれているでしょう。
 ご存知のように、イーヨーこと大江光は、その後、音楽家として世の中に認められます。
 それは、この家族の物心にわたる援助がなければ実現しなかったでしょう。
 いくら障害者本人に音楽的才能があっても、それを育む環境が与えられなかったら、十分に開花できなかったと思います。
 そういう点で、イーヨーは恵まれた「障害者」なのかもしれません。
 乙武洋匡の「五体不満足」を読んだ時にも、同じことを感じました。
 そういう点があったとしても、精神障害者の兄を持つ事を引き受けていくマーちゃんの決意は並大抵ではありません。
 特に、両親が年老いて、やがて亡くなることも見据えているのでしょう。
 イーヨーとの二人だけ(本当は弟のオーちゃんもいるのですが)になる日が来ることを意識しています。
 その時に、イーヨーとの「静かな生活」を守っていくことは大変に違いありません。
 もっとも、実際の大江健三郎の家族の場合には死後も遺族にある程度の印税が入り続けるでしょうから、経済的には心配はないかもしれませんが。
 障害者の家族の負担、障害者と健常者の共棲、思想信条の自由など、児童文学でももっと取り上げていかねばならないいろいろな問題を、この作品は内包していると思います。

 

静かな生活 (講談社文芸文庫)
クリエーター情報なし
講談社


 

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大石真「光る家 「眠れない子」第一章」児童文学 新しい潮流所収

2024-09-15 09:46:48 | 作品論

 1980年に雑誌「びわの実学校」100号に掲載され、断続的な連載の後に、書き改められて「眠れない子」(1990年)にまとめられた作品で、編者の宮川健郎によって転載されました。
 なぜか毎晩眠れなくなった(今で言えば、不眠症の一種の中途覚醒でしょう)主人公の四年生の男の子が、ふとしたことから家(スナック勤めのママと二人暮らしなので夜は誰もいません)を抜け出して、都会の街をさ迷い歩きます。
 深夜の街は人気がなくて、知らない街(世界に大戦争がおこって人類がほとんど死に絶えた後の街とか、宇宙のどこかにある宇宙人の街)のようでした。
 引き返そうとした時、主人公は明るく光った家を見つけます。
 そこは、眠れない人たちが集って明け方まで話をする家でした。
 玄関のところにいた女の人に招き入れられた家の中では、大勢の人たちが話をしていました。
 ほとんどが大人の人たちばかりでしたが、中に一人だけ同じ四年生の女の子がいて、主人公は彼女と話し始めます。
 普段は学校でもおしゃべりをしない主人公は、不思議なことにその女の子とならいくらでもおしゃべりができるのでした。
 そして、明け方になってその会がお開きになった時には、その女の子が好きになっていました。
 二人は、再会を約束して手を握り合いました。
 しかし、その後、毎晩のように深夜の街を探しても、その「光る家」を発見することはできませんでした。
 編者は、この章を「夜の都市にただよう孤独感を作品に定着させた例としては、(中略)ずいぶん早かったのだ。」として、児童文学研究者の石井直人が「いつも時代のすこしさきを歩いている」と大石真を評していたことを紹介しています。
 しかし、その後の解説は、「眠れない子」(野間児童文芸賞と日本児童文学者協会賞特別賞を受賞)全体の論評になってしまい、「光る家」の部分しか読んでいないこの本(「児童文学 新しい潮流」)の読者には不親切です。
 このような解説は、「眠れない子」全体に関する文章を発表する場で書くべきでしょう(実際に、どこかで使われた文章の使いまわしなのかもしれませんが)。
 ここでは、石井および編者が触れた大石が常に時代を先取りしていた「新しさ」について解説した方が、この本の趣旨に会っていたのではないでしょうか。
 以下に私見を述べます。
 他の記事にも書きましたが、1953年9月の童苑9号(早大童話会20周年記念号)に発表した「風信器」で、その年の日本児童文学者協会新人賞を受賞して、大石は児童文学界にデビューしました。
 この作品は、いい意味でも悪い意味でも非常に文学的な作品です(詳しくはその記事を参照してください)。
 おそらく1953年当時の児童文学界の主流で、「三種の神器」とまで言われていた小川未明、浜田広介、坪田譲治などの大家たちに、「有望な新人」として当時28歳だった大石は認められたのでしょう。
 しかし、ちょうど同じ1953年に、早大童話会の後輩たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が少年文学宣言(正確には「少年文学の旗の下に!」(その記事を参照してください))を発表し、それまでの「近代童話」を批判して、「現代児童文学」(定義などは他の記事を参照してください)を確立する原動力になった論争がスタートしています。
 「風信器」は、その中で彼らに否定されたジャンルのひとつである「生活童話」に属した作品だと思われます。
 「現代児童文学」の立場から言えば、「散文性に乏しい短編」であり、「子どもの読者が不在」で、「変革の意志に欠けている」といった、否定されるべき種類の作品だったのかもしれません。
 しかし、大石はそうした批判をも吸収して、その後は「現代児童文学」の大勢よりも、常に時代を先取りしたような重要な作品を次々に発表しています。
 まず、1965年に「チョコレート戦争」(その記事を参照してください)を発表して、エンターテインメント作品の先駆けになりました。
 この作品のビジネス的な成功(ベストセラーになりました)は、大石個人が編集者の仕事をやめて専業作家になれただけなく、児童文学がビジネスとして成り立つことを実証して、児童文学の商業化のきっかけになりました(日本の児童文学で最も成功したエンターテインメント・シリーズのひとつである、那須正幹「ズッコケ三人組」シリーズがスタートしたのは1978年のことです)。
 次に、シリアスな作品においても、1969年に「教室203号」(その記事を参照してください)を発表して、「現代児童文学」のタブー(子どもの死、離婚、家出、性など)とされていたものを描いた先駆者になりました(その種の作品がたくさん発表されて、「現代児童文学の「タブーの崩壊」が議論されたのは、1978年ごろです)。
 ここで注目してほしいのが、1978年というタイミングです。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学1978年変質説」を唱えています(それを代表する作品として、那須正幹「それいけズッコケ三人組」(エンターテインメント作品の台頭)と国松俊英「おかしな金曜日」(それまで現代児童文学でタブーとされていた離婚を取り扱った作品、その記事を参照してください)をあげています。)。
 他の記事にも書きましたが、これらの変質が起きた背景には、その時期までに児童文学がビジネスとして成り立つようになり、多様な作品が出版されるようになったことがあります。
 では、大石真は、なぜ時代に先行して、いつも新しい児童文学を発表することができたのでしょうか。
 もちろん、彼の先見性もあるでしょう。
 しかし、それだけではないように思われます。
 その理由は、すごくオーソドックスですし、作家の資質に関わる(これを言っては身もふたもないかもしれません)ことなのですが、大石真の作品を支える高い文学性(文章、描写、構成など)にあると思われます。
 そのために、つねに他の作家よりも作品の水準が高く(奇妙に聞こえるかもしれませんが、大石作品はどれも品がいいのです)、新しいタイプの作品でも出版することが可能だったのではないでしょうか(大石自身のように作家志望が多かった、当時の編集者や出版社を味方につけられたのでしょう)。
 そして、そのルーツは、彼の「現代児童文学」作品ではなく、デビュー作の「風信器」のような抒情性のある「生活童話」にあると考えています。

眠れない子 (わくわくライブラリー)
クリエーター情報なし
講談社
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那須正幹「ぼくらは海へ」

2024-09-10 14:35:54 | 作品論

 1950年代にスタートした「現代児童文学」が変曲点を迎えた年として、1978年もしくは1980年をあげる研究者が多いです(例えば、石井直人や宮川健郎など)が、その大きな理由として、作者の二つの作品、「それいけズッコケ三人組」と本作品「ぼくらは海へ」の出版があげられます。
 前者は「現代児童文学」では初めての本格的なエンターテインメントシリーズ(最終的には2005年に全50巻で完結しました)の確立であり、後者はいわゆる「タブーの崩壊」(それまで扱われなかった死、非行、家出、家庭崩壊、性などが「現代児童文学」で描かれるようになりました)の代表作のひとつとしてです。
 この二つのタイプの違う代表作のうちで、機を見るに敏な作者は、前者をビジネスチャンスととらえて(ポプラ社の担当編集者で後に社長になる坂井氏も同様に感じていたようです)、後者の方向性については見切りをつけて、「現代児童文学」においてビジネス的には最も成功した作家になりました。
 この卓越したビジネスセンスは、後に「ズッコケ三人組」シリーズのような従来のエンターテインメント作品があまり売れなくなる2000年代に、すっぱりとシリーズを辞めることで再び発揮されました。
 他の記事にも書きましたが、私が児童文学との関わりを再スタートするために、1984年2月に日本児童文学者協会の合宿研究会に参加する時に、課題図書として数十冊の80年代の「現代児童文学」を集中的に読んだのですが(実際には、他の参加者は、それらの本を少ししか読んでいなかったことが後で判明しました)、一番好きだったのが皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」(その記事を参照してください)で、一番衝撃を受けたのがこの作品でした。
 それは、他の当時の読者も同様でしょうが、主要登場人物の一人の少年の死とオープンエンディング(結末を明示せずに読者にゆだねる)のラストでした。
 しかし、40年以上たってこの作品を読み返してみると、この作品の完成度が意外に低いことに気づかされました。
 それは、一見作品テーマのように思われる少年たちの深刻な問題や事件と、天性のストーリーテラーである作者の書き方が、大きく分裂しているように思えたからです。
 文庫本のあとがきで作者自身が書いているように、作者はあくまでも「自分たちで船を作って出発する」少年たちを描きたかっただけなのでしょう。
 主要登場人物である五人の子どもたちには、ギャンブル狂で働かない父親のための貧困、裕福だが不倫をしている父親のための両親の離婚危機、夫に先立たれたために息子の将来に過大な期待をよせる母親、父親が転勤族のために友人たちとの別れを繰り返す孤独、ぜんそくの妹にかかりきりの両親による疎外感と、それぞれに深刻な状況が設定されていますが、それらはあくまでも「自分たちで船を作って出発する」ことの背景にすぎず、作者はこれらの問題にまともに向き合おうとはしていません。
 また、途中から船づくりに参加して、あっさりと船の設計図を書いてしまう優等生と、暴力をふるう番長タイプの二人の少年はいかにもステレオタイプで、前者が少年たちだけで船を完成できたことのリアリティの保証、後者は五人の結束の要因として、それぞれデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の働きをしています。
 初めの五人の少年たちは、一人は事故で死に、一人は引っ越しで町を去り、二人は船で海へ出発して行方不明になり、最後の一人は二人の帰りを待つと、それぞれラストでその後が明確になっています。
 それに引きかえ、デウス・エクス・マキナの二人の少年たちは、役目を終えるといつの間にか物語から姿を消しています。
 他の記事で、エンターテインメントの創作法として繰り返し述べてきましたが、この作品でも、荒唐無稽な設定(少年たちだけでの船の完成、海への出帆など)、ご都合主義のストーリー展開(一人の少年の死、二人の少年だけによる船の修復など)、偶然の多用(前述のデウス・エクス・マキナの少年たちの出現、長期にわたる大人たちの船づくりへの不干渉など)、類型的でデフォルメされた登場人物(少年たちの親たち、デウス・エクス・マキナの少年たちなど)などが十分に発揮されています。
 誤解を招かないように繰り返して述べておきますが、どちらかが良いとか悪いとかと言っているのではなく、リアリズムの作品とエンターテインメントの作品では創作方法が違うと言っているだけなのです。
 作者自身も自分の特質をよく理解しているようで、この後はエンターテインメント作品の方へ大きく舵を取ります。
 なお、文庫本では、同じくエンターテインメント作家であるあさのあつこによる、非常に情緒的な解説を載せています。
 このことは文庫本の売り上げのためにはプラスなのでしょうが、前述しましたように、この作品は「現代児童文学」の変曲点における重要な作品のひとつであるだけに、解説は「現代児童文学史」のわかる人物(例えば、佐藤宗子や石井直人など)に書かせて欲しかったなと思いました。

ぼくらは海へ (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋








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