1976年発行の古典的な絵本です。
福音館の「こどものとも」シリーズの中の一冊です。
同名のテレビ番組が有名ですが、この本の方がはるか前に出ていますので、言ってみればテレビはこの本のパクリです。
テレビのようなあざとい演出はないので、大人の読者には物足りないかもしれませんが、主人公のみいちゃんがおかあさんに頼まれてひとりで牛乳を買いに行くことになり、さまざまな小さな、だからリアリティのある障害(スピードを上げて通りかかる自転車、背後を通る自動車、お金を落としてしまう、お店で買おうとしていると割り込んでくる大人たち、おつりを忘れてしまうなど)をクリアするたびに、幼い読者はそのひとつひとつを追体験できることでしょう。
そして、心配して外まで出てきたおかあさんに迎えられるエンディングは、まさにハッピーエンドの典型です。
林明子による絵も、隅々まで工夫がなされていて、読むたびに新しい発見があるので、子ども読者は繰り返し楽しむことができるでしょう。
児童文学の作者たちも読者たちも、子どもたちの「成長」を素直に信じられた古き良き時代の作品です。
児童文学研究者の佐藤宗子は、「「成長」という名づけ」(日本児童文学1995年9月号所収)という論文で、「「初体験」も、すでに発達のものさしを持っている読者はそれにあてはめて読むことになろうが、まだそうしたものさしを持たぬ子ども読者は疑似体験として読むだろうと、子ども読者と作中人物を重ねあわせ、ひいては子ども読者の「成長」にもつなげて媒介者たるおとな読者は安心する、といった状況も想定できよう。」と、作中人物だけでなく子ども読者もこの本によって「成長」するであろうことと、幼年向けの作品における媒介者(親などの家族、幼稚園や学校の先生、図書館の司書など)の子どもたちの「成長」への信頼について述べています。
また、児童文学研究者の宮川健郎も、「「児童文学」という概念消滅保険の売り出しについて」(「現代児童文学の語るもの」所収)において、以下のように述べています。
「子どもは、ゆるやかなスロープをあがるように成長するわけではない。成長をうながす何か、きっかけを得たときに、いわば、階段を一段のぼるように、角をまがるように、成長してしまうのである。「成長の瞬間」をつかまえ、作品として定着させるのは、現代の児童文学や絵本が熱心にとりくんできた仕事だけれど、「はじめてのおつかい」も、その典型的な例のひとつだ。」
ここでいう「現代児童文学」とは、1950年代に近代童話を批判して始まった文学運動にのっとった作品という意味で使われていますが、その運動の特徴のひとつに「変革の意思」があり、これは社会を変革するということだけでなく個人を変革することも含まれていて、子どもの成長を描く(ひいては読者の子ともたちも成長させる)いわゆる「成長物語」が肯定的にとらえられていたという時代背景があります。
この現代日本児童文学の「成長物語」神話は、八十年代になると大きく揺さぶられていくことになります。
はじめてのおつかい(こどものとも傑作集) | |
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