現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

筒井頼子「はじめてのおつかい」

2024-10-14 08:50:08 | 作品論

 1976年発行の古典的な絵本です。
 福音館の「こどものとも」シリーズの中の一冊です。
同名のテレビ番組が有名ですが、この本の方がはるか前に出ていますので、言ってみればテレビはこの本のパクリです。
 テレビのようなあざとい演出はないので、大人の読者には物足りないかもしれませんが、主人公のみいちゃんがおかあさんに頼まれてひとりで牛乳を買いに行くことになり、さまざまな小さな、だからリアリティのある障害(スピードを上げて通りかかる自転車、背後を通る自動車、お金を落としてしまう、お店で買おうとしていると割り込んでくる大人たち、おつりを忘れてしまうなど)をクリアするたびに、幼い読者はそのひとつひとつを追体験できることでしょう。
 そして、心配して外まで出てきたおかあさんに迎えられるエンディングは、まさにハッピーエンドの典型です。
 林明子による絵も、隅々まで工夫がなされていて、読むたびに新しい発見があるので、子ども読者は繰り返し楽しむことができるでしょう。
 児童文学の作者たちも読者たちも、子どもたちの「成長」を素直に信じられた古き良き時代の作品です。
 児童文学研究者の佐藤宗子は、「「成長」という名づけ」(日本児童文学1995年9月号所収)という論文で、「「初体験」も、すでに発達のものさしを持っている読者はそれにあてはめて読むことになろうが、まだそうしたものさしを持たぬ子ども読者は疑似体験として読むだろうと、子ども読者と作中人物を重ねあわせ、ひいては子ども読者の「成長」にもつなげて媒介者たるおとな読者は安心する、といった状況も想定できよう。」と、作中人物だけでなく子ども読者もこの本によって「成長」するであろうことと、幼年向けの作品における媒介者(親などの家族、幼稚園や学校の先生、図書館の司書など)の子どもたちの「成長」への信頼について述べています。
 また、児童文学研究者の宮川健郎も、「「児童文学」という概念消滅保険の売り出しについて」(「現代児童文学の語るもの」所収)において、以下のように述べています。
「子どもは、ゆるやかなスロープをあがるように成長するわけではない。成長をうながす何か、きっかけを得たときに、いわば、階段を一段のぼるように、角をまがるように、成長してしまうのである。「成長の瞬間」をつかまえ、作品として定着させるのは、現代の児童文学や絵本が熱心にとりくんできた仕事だけれど、「はじめてのおつかい」も、その典型的な例のひとつだ。」
 ここでいう「現代児童文学」とは、1950年代に近代童話を批判して始まった文学運動にのっとった作品という意味で使われていますが、その運動の特徴のひとつに「変革の意思」があり、これは社会を変革するということだけでなく個人を変革することも含まれていて、子どもの成長を描く(ひいては読者の子ともたちも成長させる)いわゆる「成長物語」が肯定的にとらえられていたという時代背景があります。
 この現代日本児童文学の「成長物語」神話は、八十年代になると大きく揺さぶられていくことになります。
 

はじめてのおつかい(こどものとも傑作集)
クリエーター情報なし
福音館書店
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梨木香歩「西の魔女が死んだ」

2024-10-13 09:34:47 | 作品論

 1995年に出版されて、日本児童文学者協会新人賞などのいくつかの賞を受賞し、映画化もされた作品です。
 中学三年生の主人公の女の子は、授業中に母方の祖母(イギリス人)が危篤になったとの知らせをうけます。
 母の運転する車で祖母の家へ向かう途中(六時間もかかります)、主人公は二年前のことを回想します。
 その時、中学に入ったばかりの主人公は、女の子たちの作るグループになんとなく入らなかったことをきっかけに、クラスの女の子たちにはずされて、学校へ通えなくなっていました。
 そんな主人公を受け入れてくれたのが祖母でした。
 独特の人生観と行動のために、主人公とその母親は、祖母のことを「西の魔女」と今では呼んでいます。
 祖母の家で暮らした一か月余りの間、家庭を大事にして、自然(といっても、イギリス流の人間の手の加わった自然なのですが)を愛する祖母との生活で、主人公は見事に蘇生して、新しい生活(父親の単身赴任先に引っ越して、新しい中学校に転校します)を始める力を得ます。
 そう、この作品は「癒し」の文学の代表作なのです。
 魔女修行、超能力、ダークグリーンのミニクーパー、イングリッシュ・ガーデン、サンルーム、薪が燃えるかまど、手縫いのエプロン、手作りのジャムやキッシュやサンドイッチ、ミントティー、自家栽培のハーブや野菜、野イチゴや木イチゴ、飼っているニワトリの生みたての卵、煮沸によって洗濯された布巾、足踏みで洗われたラベンダーの香りのするシーツ、自分だけのお花畑、サンクチュアリなど、女の子だけでなく若い女性(現在ではもっと年長の女性も同様ですが)の大好きなおしゃれなアイテムが満載で、新しい児童文学の読者(若い世代を中心にした女性)の獲得に大きく貢献しました。
 また、こうしたものだけでは単調になりがちな物語に、主人公の祖母との生活を脅かす(?)粗暴な隣人の男の存在が、アクセントをくわえています。
 素材面だけでなく、手法面でも、描写(情景及び心理)を重視した小説的手法を使って、作者独特の豊かな表現力で、主人公の変化(主に精神面)を的確にとらえています。
 その一方で、主人公の心の成長と言う点では、児童文学らしいいわゆる「成長物語」でもあります。
 そういった意味では、児童文学と一般文学の境界があいまいになった、1990年代の日本の児童文学の代表作と言えます(児童文学評論家や研究者は、この現象を「一般文学への越境」と呼んでいます。そのことの功罪については、別の記事を参照してください)。
 しかし、読み直してみると、いくつかの疑問があります。
 まず、これだけ主人公に精神的なインパクトを与えた「西の魔女」(主人公にとってはメンターともいえます)と、二年間没交渉だったという設定は、お話の都合としてはいいでしょうが、日本人的感覚では理解しにくいです。
 また、父親の単身赴任先へ、一時的に仕事を辞めた母親と一緒に、転居して新しい中学へ転向するという最終的な解決策も、母親の人間像(自分の仕事のキャリアを大事にしている「西の魔女」とは対照的な人物に設定されています)からすると、非常にイージーで不自然なイメージを受けます(この作品が書かれた三十年前と、女性の仕事を取り巻く環境が変わってきているせいもあります)。
 うがった見方をすると、三十年前は女性の社会進出が世の中でもっと強く言われていたので、そのアンチテーゼとして描かれたのかもしれませんが、作者のジェンダー観にやや疑問を感じます。
 ラストで、西の魔女から主人公へ死後に送られてきたとも読める下記のメッセージも、主人公の不安感のベースとして繰り返し描かれていた「死後の世界」に対する西の魔女及び作者の回答なのだと思われますが、スピリチュアル好きな若い女性はともかく一般の読者としては不可解な読後感が残ります。
「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
 オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」
 だいいち、自分のことを主人公たちが西の魔女と呼んでいることを本人は知らないはずなので、その点でも不自然な感じ(超能力だと言われればそれまでですが)です。
 最後に、これは、男性読者(あるいはたんなる私自身)と女性読者の好みの違いになってしまいますが、子どもの時に困ったら、西の魔女のようなメンター的な祖母よりも、森忠明「花をくわえてどこへいく」に出てくるようなだまって一人で湯治場へ行かせてくれる祖父の方が欲しいです。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)
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新潮社

 

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J・M・バリー「ピーター・パンとウェンディ」

2024-10-03 09:07:20 | 作品論

 言わずと知れたイギリス・ファンタジーの古典です。
 本では読んだことはなくても、映画、アニメ、劇、ミュージカルなどでおなじみのことでしょう。
 もともと劇として書かれた作品なので、映像との親和性は抜群です。
 夢と冒険の国ネバーランドでのピーターを中心とした冒険物語は、あまりにも有名です。
 海賊、インディアン(当時はこの用語も平気で使われていましたが、正しくはネイティブ・アメリカンです)、猛獣、妖精、人魚など、子どもたちの冒険心をくすぐる素材が満載です。
 中でも、主人公の子どもたちたちが空を飛べるというバリーの発明は画期的なことであり、現在までに多くの追随者を生み出しています。
 その一方で、家族の愛情、中でも母親への賛美は、この物語のもう一つの柱になっています。
 おかあさんごっこや赤ちゃんごっこなどの疑似家族を演ずることは、子どもの成長過程で欠くことのできない要素で、バリーはそれを巧みに作品に生かし、子どもがやがて大人になっていき、またその子どもが生まれるといった生の繰り返しを見事に描いています。
 その対比として、永遠の子どもであるピーター・パンという不滅のキャラクターを作り上げました。
 この「永遠の子ども」というのは、多くの児童文学者の共通のモチーフであり、かくいう私自身も自分の中に「永遠の子ども」が潜んでいて、その子に向けて作品を書いていた時期があったことを認めざるを得ません。
 この「永遠の子ども」は、通常は自分自身の子どもが生まれたときに消えてしまうのですが、中にはいつまでも守り続けている人たちもいるようです。
 私の場合は、自分の中の「永遠の子ども」は消えなかったもののだいぶ薄れてしまいましたが、自分の息子たちが成人した今でも彼らの中に「永遠の子どもたち」を見ることができました。
 きっとこれは、児童文学者に与えられた特殊技能なのでしょう。
 孫の男の子たちが生まれてからは、息子たちの中の「永遠の子どもたち」も少し薄れてきました。
 でも、私が長生きすれば、成人した孫たちの中にまた「永遠の子どもたち」を発見できるのでしょうか?
 さて、この作品は百年以上も前に書かれた作品ですので、賞味期限を過ぎた素材(ネイティブ・アメリカンへの偏見、母親になることに偏ったジェンダー観、偏狭なイギリス紳士像など)も散見されますが、この作品の歴史的な価値を考えると、現代に合わせて翻案するのではなく、原作通りの翻訳に、当時の偏見に対する現代の見解を注釈として附けて、子どもたちに手渡したいものだと思っています。

ピーター・パンとウェンディ (福音館文庫 古典童話)
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福音館書店
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丘修三「歯型」ぼくのお姉さん所収

2024-10-01 09:06:49 | 作品論

 主人公とその二人の友人は、公園のそばを通る奇妙な歩き方をする障害のある子どもに、足をかけてころばせる「遊び」を始めます。
 毎日繰り返しているうちに、その子はそこを通る時間を変えるようになりました。
 それでも、主人公たちは執拗にその子を探し回って「遊び」をし、やっているうちにエスカレートしていって、ついには三人がかりで暴力をふるいます。
 必死になったその子は、三人のうちの一人のふくらはぎに噛みつきます。
 三人がいくら離そうとしても噛み続けるので、まわりの大人たちまでが集まって大騒ぎになります。
 その子が会話ができないことをいいことに、三人は一方的にその子を悪者に仕立て上げます。
 後日、噛まれた子の父親に抗議を受けた養護学校の教師が、反論のために主人公の学校の校長を訪ねます。
 校長室に呼ばれた主人公たちは、問い詰められて真実を告白したでしょうか?
 いいえ、作者はそんなことで主人公に安易な救いを与えたりはしません。
 彼らは、最後まで嘘をつき続けて、とうとうその場を逃れてしまいます。
 その代わりに、主人公の心には、一生消えない良心の呵責という「歯型」が残ったのです。
 自分より弱い者へのいじめ、自分と違う者への差別。
 ここでは、主人公たちのような子どもたちだけでなく、彼らの親や周囲の大人たちまでがそうした面を持っていることを鋭く告発しています。
 彼らが、いわゆる普通の子ども、普通の大人であるだけに、より深刻な問題です。
 そういう私自身も、こうした優越意識や差別意識を、少なからず持っていることを告白しなければなりません。
 「歯型」のような作品は、読者のおそらく全員が持つであろうこういった問題点を常に再点検するためにも、繰り返し読み続けられ、そして書き続けられなければなりません。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
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偕成社
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最上一平「ようかいばあちゃんちのおおまがどき」

2024-09-21 09:33:00 | 作品論

山の中で一人で暮らすようかいばあちゃん(不思議なことを起こすので主人公はそう呼んでいます)とひ孫のすみれちゃんとの触れ合いを描いたシリーズの五作目です。

すみれちゃんは、時々おとうさんの車でようかいばあちゃんの家に来て一晩だけお泊りします(おとうさんはすみれちゃんをおろすとすぐに帰ってしまい、翌日迎えに来ます)。

今回も、すみれちゃんはようかいばあちゃんとの山の暮らしを満喫し、不思議なことも起こります。

特に、おおまがどき(夕暮れ時で不思議なものに出会うとき)には、不思議で素敵な音楽会を体験します。

現代では関係が薄れてきている、老人と子どもの触れ合いを、今回も鮮やかに描いています。

作者は、2024年度の小学館児童出版文化賞を、「じゅげむの夏」で受賞しました。四十年以上も同人誌を一緒にやっている仲間としてはこんなにうれしいことはありません。

 

 

 

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大江健三郎「静かな生活」静かな生活所収

2024-09-16 08:42:11 | 作品論

 20才の女子大生マーちゃんには、四才年上の知的障害者の兄イーヨーがいます。
 マーちゃんは、お嫁に行く時にはイーヨーも一緒に連れていかねばならないと、思いつめています。
 作家である父が外国の大学に招聘され、母も一緒に行くことになったので、マーちゃんが留守宅を守ることになります。
 イーヨーは成人に達しているので、身体的な性的反応を示すことがあります。
 そんな時、自宅の近くで連続して痴漢騒ぎがおこります。
 マーちゃんは、時々外出先から寄り道することがあるイーヨーがその犯人じゃないかと、心配しています。
 ところが、ひょんなことからマーちゃんは真犯人が少女を襲っているところに遭遇し、近所の人たちの助けを借りて犯人を捕まえます。
 ラストシーンで、イーヨーが寄り道するのは好きな音楽が聞こえてくる家のそばに寄っていたためだったことが判明して、マーちゃんは晴れ晴れした気分を味わいます。
 作者には、「二百年の子供」のような年少の読者を意識した作品もありますが、私は「静かな生活」の方がより児童文学に近いと考えています。
 マーちゃんは江国香織や吉本ばななの初期作品の主人公と同年輩ですし、イーヨーは知的障害者なので子どものようなところが多く、結果としてこの作品は若者や子どもたちを描いています。
 作者の他の作品と違って、マーちゃんの視点で書かれていて文章も平明なので、若い読者にも読みやすいと思います。
 両親の不在、父親が著名な作家であるために偏執的な人たちから受ける脅迫、精神障害者である兄への周囲の偏見などから、イーヨーと弟のオーちゃんとの三人の「静かな生活」を守るためにマーちゃんは頑張ります。
 確かに、この家は一般の障害者がいる家庭よりも、経済的には恵まれているでしょう。
 ご存知のように、イーヨーこと大江光は、その後、音楽家として世の中に認められます。
 それは、この家族の物心にわたる援助がなければ実現しなかったでしょう。
 いくら障害者本人に音楽的才能があっても、それを育む環境が与えられなかったら、十分に開花できなかったと思います。
 そういう点で、イーヨーは恵まれた「障害者」なのかもしれません。
 乙武洋匡の「五体不満足」を読んだ時にも、同じことを感じました。
 そういう点があったとしても、精神障害者の兄を持つ事を引き受けていくマーちゃんの決意は並大抵ではありません。
 特に、両親が年老いて、やがて亡くなることも見据えているのでしょう。
 イーヨーとの二人だけ(本当は弟のオーちゃんもいるのですが)になる日が来ることを意識しています。
 その時に、イーヨーとの「静かな生活」を守っていくことは大変に違いありません。
 もっとも、実際の大江健三郎の家族の場合には死後も遺族にある程度の印税が入り続けるでしょうから、経済的には心配はないかもしれませんが。
 障害者の家族の負担、障害者と健常者の共棲、思想信条の自由など、児童文学でももっと取り上げていかねばならないいろいろな問題を、この作品は内包していると思います。

 

静かな生活 (講談社文芸文庫)
クリエーター情報なし
講談社


 

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大石真「光る家 「眠れない子」第一章」児童文学 新しい潮流所収

2024-09-15 09:46:48 | 作品論

 1980年に雑誌「びわの実学校」100号に掲載され、断続的な連載の後に、書き改められて「眠れない子」(1990年)にまとめられた作品で、編者の宮川健郎によって転載されました。
 なぜか毎晩眠れなくなった(今で言えば、不眠症の一種の中途覚醒でしょう)主人公の四年生の男の子が、ふとしたことから家(スナック勤めのママと二人暮らしなので夜は誰もいません)を抜け出して、都会の街をさ迷い歩きます。
 深夜の街は人気がなくて、知らない街(世界に大戦争がおこって人類がほとんど死に絶えた後の街とか、宇宙のどこかにある宇宙人の街)のようでした。
 引き返そうとした時、主人公は明るく光った家を見つけます。
 そこは、眠れない人たちが集って明け方まで話をする家でした。
 玄関のところにいた女の人に招き入れられた家の中では、大勢の人たちが話をしていました。
 ほとんどが大人の人たちばかりでしたが、中に一人だけ同じ四年生の女の子がいて、主人公は彼女と話し始めます。
 普段は学校でもおしゃべりをしない主人公は、不思議なことにその女の子とならいくらでもおしゃべりができるのでした。
 そして、明け方になってその会がお開きになった時には、その女の子が好きになっていました。
 二人は、再会を約束して手を握り合いました。
 しかし、その後、毎晩のように深夜の街を探しても、その「光る家」を発見することはできませんでした。
 編者は、この章を「夜の都市にただよう孤独感を作品に定着させた例としては、(中略)ずいぶん早かったのだ。」として、児童文学研究者の石井直人が「いつも時代のすこしさきを歩いている」と大石真を評していたことを紹介しています。
 しかし、その後の解説は、「眠れない子」(野間児童文芸賞と日本児童文学者協会賞特別賞を受賞)全体の論評になってしまい、「光る家」の部分しか読んでいないこの本(「児童文学 新しい潮流」)の読者には不親切です。
 このような解説は、「眠れない子」全体に関する文章を発表する場で書くべきでしょう(実際に、どこかで使われた文章の使いまわしなのかもしれませんが)。
 ここでは、石井および編者が触れた大石が常に時代を先取りしていた「新しさ」について解説した方が、この本の趣旨に会っていたのではないでしょうか。
 以下に私見を述べます。
 他の記事にも書きましたが、1953年9月の童苑9号(早大童話会20周年記念号)に発表した「風信器」で、その年の日本児童文学者協会新人賞を受賞して、大石は児童文学界にデビューしました。
 この作品は、いい意味でも悪い意味でも非常に文学的な作品です(詳しくはその記事を参照してください)。
 おそらく1953年当時の児童文学界の主流で、「三種の神器」とまで言われていた小川未明、浜田広介、坪田譲治などの大家たちに、「有望な新人」として当時28歳だった大石は認められたのでしょう。
 しかし、ちょうど同じ1953年に、早大童話会の後輩たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が少年文学宣言(正確には「少年文学の旗の下に!」(その記事を参照してください))を発表し、それまでの「近代童話」を批判して、「現代児童文学」(定義などは他の記事を参照してください)を確立する原動力になった論争がスタートしています。
 「風信器」は、その中で彼らに否定されたジャンルのひとつである「生活童話」に属した作品だと思われます。
 「現代児童文学」の立場から言えば、「散文性に乏しい短編」であり、「子どもの読者が不在」で、「変革の意志に欠けている」といった、否定されるべき種類の作品だったのかもしれません。
 しかし、大石はそうした批判をも吸収して、その後は「現代児童文学」の大勢よりも、常に時代を先取りしたような重要な作品を次々に発表しています。
 まず、1965年に「チョコレート戦争」(その記事を参照してください)を発表して、エンターテインメント作品の先駆けになりました。
 この作品のビジネス的な成功(ベストセラーになりました)は、大石個人が編集者の仕事をやめて専業作家になれただけなく、児童文学がビジネスとして成り立つことを実証して、児童文学の商業化のきっかけになりました(日本の児童文学で最も成功したエンターテインメント・シリーズのひとつである、那須正幹「ズッコケ三人組」シリーズがスタートしたのは1978年のことです)。
 次に、シリアスな作品においても、1969年に「教室203号」(その記事を参照してください)を発表して、「現代児童文学」のタブー(子どもの死、離婚、家出、性など)とされていたものを描いた先駆者になりました(その種の作品がたくさん発表されて、「現代児童文学の「タブーの崩壊」が議論されたのは、1978年ごろです)。
 ここで注目してほしいのが、1978年というタイミングです。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学1978年変質説」を唱えています(それを代表する作品として、那須正幹「それいけズッコケ三人組」(エンターテインメント作品の台頭)と国松俊英「おかしな金曜日」(それまで現代児童文学でタブーとされていた離婚を取り扱った作品、その記事を参照してください)をあげています。)。
 他の記事にも書きましたが、これらの変質が起きた背景には、その時期までに児童文学がビジネスとして成り立つようになり、多様な作品が出版されるようになったことがあります。
 では、大石真は、なぜ時代に先行して、いつも新しい児童文学を発表することができたのでしょうか。
 もちろん、彼の先見性もあるでしょう。
 しかし、それだけではないように思われます。
 その理由は、すごくオーソドックスですし、作家の資質に関わる(これを言っては身もふたもないかもしれません)ことなのですが、大石真の作品を支える高い文学性(文章、描写、構成など)にあると思われます。
 そのために、つねに他の作家よりも作品の水準が高く(奇妙に聞こえるかもしれませんが、大石作品はどれも品がいいのです)、新しいタイプの作品でも出版することが可能だったのではないでしょうか(大石自身のように作家志望が多かった、当時の編集者や出版社を味方につけられたのでしょう)。
 そして、そのルーツは、彼の「現代児童文学」作品ではなく、デビュー作の「風信器」のような抒情性のある「生活童話」にあると考えています。

眠れない子 (わくわくライブラリー)
クリエーター情報なし
講談社
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那須正幹「ぼくらは海へ」

2024-09-10 14:35:54 | 作品論

 1950年代にスタートした「現代児童文学」が変曲点を迎えた年として、1978年もしくは1980年をあげる研究者が多いです(例えば、石井直人や宮川健郎など)が、その大きな理由として、作者の二つの作品、「それいけズッコケ三人組」と本作品「ぼくらは海へ」の出版があげられます。
 前者は「現代児童文学」では初めての本格的なエンターテインメントシリーズ(最終的には2005年に全50巻で完結しました)の確立であり、後者はいわゆる「タブーの崩壊」(それまで扱われなかった死、非行、家出、家庭崩壊、性などが「現代児童文学」で描かれるようになりました)の代表作のひとつとしてです。
 この二つのタイプの違う代表作のうちで、機を見るに敏な作者は、前者をビジネスチャンスととらえて(ポプラ社の担当編集者で後に社長になる坂井氏も同様に感じていたようです)、後者の方向性については見切りをつけて、「現代児童文学」においてビジネス的には最も成功した作家になりました。
 この卓越したビジネスセンスは、後に「ズッコケ三人組」シリーズのような従来のエンターテインメント作品があまり売れなくなる2000年代に、すっぱりとシリーズを辞めることで再び発揮されました。
 他の記事にも書きましたが、私が児童文学との関わりを再スタートするために、1984年2月に日本児童文学者協会の合宿研究会に参加する時に、課題図書として数十冊の80年代の「現代児童文学」を集中的に読んだのですが(実際には、他の参加者は、それらの本を少ししか読んでいなかったことが後で判明しました)、一番好きだったのが皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」(その記事を参照してください)で、一番衝撃を受けたのがこの作品でした。
 それは、他の当時の読者も同様でしょうが、主要登場人物の一人の少年の死とオープンエンディング(結末を明示せずに読者にゆだねる)のラストでした。
 しかし、40年以上たってこの作品を読み返してみると、この作品の完成度が意外に低いことに気づかされました。
 それは、一見作品テーマのように思われる少年たちの深刻な問題や事件と、天性のストーリーテラーである作者の書き方が、大きく分裂しているように思えたからです。
 文庫本のあとがきで作者自身が書いているように、作者はあくまでも「自分たちで船を作って出発する」少年たちを描きたかっただけなのでしょう。
 主要登場人物である五人の子どもたちには、ギャンブル狂で働かない父親のための貧困、裕福だが不倫をしている父親のための両親の離婚危機、夫に先立たれたために息子の将来に過大な期待をよせる母親、父親が転勤族のために友人たちとの別れを繰り返す孤独、ぜんそくの妹にかかりきりの両親による疎外感と、それぞれに深刻な状況が設定されていますが、それらはあくまでも「自分たちで船を作って出発する」ことの背景にすぎず、作者はこれらの問題にまともに向き合おうとはしていません。
 また、途中から船づくりに参加して、あっさりと船の設計図を書いてしまう優等生と、暴力をふるう番長タイプの二人の少年はいかにもステレオタイプで、前者が少年たちだけで船を完成できたことのリアリティの保証、後者は五人の結束の要因として、それぞれデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の働きをしています。
 初めの五人の少年たちは、一人は事故で死に、一人は引っ越しで町を去り、二人は船で海へ出発して行方不明になり、最後の一人は二人の帰りを待つと、それぞれラストでその後が明確になっています。
 それに引きかえ、デウス・エクス・マキナの二人の少年たちは、役目を終えるといつの間にか物語から姿を消しています。
 他の記事で、エンターテインメントの創作法として繰り返し述べてきましたが、この作品でも、荒唐無稽な設定(少年たちだけでの船の完成、海への出帆など)、ご都合主義のストーリー展開(一人の少年の死、二人の少年だけによる船の修復など)、偶然の多用(前述のデウス・エクス・マキナの少年たちの出現、長期にわたる大人たちの船づくりへの不干渉など)、類型的でデフォルメされた登場人物(少年たちの親たち、デウス・エクス・マキナの少年たちなど)などが十分に発揮されています。
 誤解を招かないように繰り返して述べておきますが、どちらかが良いとか悪いとかと言っているのではなく、リアリズムの作品とエンターテインメントの作品では創作方法が違うと言っているだけなのです。
 作者自身も自分の特質をよく理解しているようで、この後はエンターテインメント作品の方へ大きく舵を取ります。
 なお、文庫本では、同じくエンターテインメント作家であるあさのあつこによる、非常に情緒的な解説を載せています。
 このことは文庫本の売り上げのためにはプラスなのでしょうが、前述しましたように、この作品は「現代児童文学」の変曲点における重要な作品のひとつであるだけに、解説は「現代児童文学史」のわかる人物(例えば、佐藤宗子や石井直人など)に書かせて欲しかったなと思いました。

ぼくらは海へ (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋








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丘修三「ぼくのお姉さん」ぼくのお姉さん所収

2024-09-07 13:43:47 | 作品論

 泣くまいと思っていたのに、今回もラストで涙を抑えることができませんでした。
 知的障害にも負けず、明るく生きているお姉さん。
 差別的な視線でお姉さんを見るクラスメートたちとの間で、複雑な思いを抱える弟である主人公。
 お姉さんの自立を妨げないように配慮しながら、温かく見守る両親。
 お姉さんは、作業所で一か月働いた初めての給料(わずか三千円です)で、レストランで家族にご馳走しようとします。
 もちろん三千円だけでは料金には足りないのですが、おとうさんがさりげなく給料袋の中身を三万円にすり替えておきます。
 ラストで、主人公は、学校の課題の作文に、「ぼくのお姉さんは、障害者です」と、堂々と書きます。
 ここには、40年前の障害者が置かれていた境遇(驚くほどの低賃金、障害者を守るのは家族などの少数の理解者だけなど)がはっきりと書かれています。
 作者の大きな長所は、障害者に対する周囲の差別も包み隠さずにストレートに表現することだと思います。
 それから40年近くがたち、障害者の働く環境も少しは改善されましたし、周囲の理解もしだいに広がっています。
 しかし、今なお障害者に対する差別や無理解、そして自立を妨げる障壁は、まだまだ克服されていません。
 そういった現状において、この「現代児童文学」の古典を、各地の読書感想文コンクールの課題図書にして、できるだけ多くの子どもたちが読むことには現在でも大きな意義があると思います。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
クリエーター情報なし
偕成社
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宮沢賢治「序」注文の多い料理店所収

2024-08-30 09:54:12 | 作品論

 賢治が生前に出版した唯一の童話集(他に詩集の「春と修羅」がありますが、いずれも自費出版です)の序文です。
 短い文章ですので、全文を引用します。

 わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕がたを、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたがないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになることもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

  大正十二年十二月二十日
                                        宮沢賢治

 この短い文章の中に、詩人で童話作家であった賢治の創作の秘密が語られています。
 それと同時に、九十年以上前に書かれたにもかかわらす、読者である子どもに対して児童文学者のあるべき姿をこれほど端的に表した文章を私は他に知りません。

注文の多い料理店-宮沢賢治童話集1-(新装版) (講談社青い鳥文庫)
クリエーター情報なし
講談社
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津村記久子「まともな家の子供はいない」

2024-08-21 12:10:36 | 作品論

 2009年に「ポトスライムの舟」で芥川賞を受賞した津村が、2011年8月に出した中学三年生を主人公にした小説です。
 題名通りに、登場する子どもたちはすべてそれぞれの家庭に問題を抱えています。
 主人公のセキコは、身勝手な理由で仕事が長続きせず働いていない父親、その父親を容認して子どもにもおおっぴらに父親とセックスをする母親、それらを見て見ぬふりをしている妹、といった家族に我慢できずに、夏休みなのに家にいられません。
 セキコは、父親が無職だという経済的な理由で、希望する私立大学の付属高校へ進めないのではと心配しています。
 セキコは中学生でまだバイトができないのでお金がなく、コーヒーショップにも入れずに、しかたなく図書館で時間をつぶしたり、友だちの家に行ったりしています。
 セキコと仲がいいナガヨシ(女子)の家では、母親がテレビショッピングにはまっていて、それに愛想をつかした父親は家を出ていってしまいます。
 そんなナガヨシが興味を持って尾行している大和田(男子)は、父親がいなくて水商売をしている母親の店で前に働いていた女の人のことが好きです。
 大和田は、若い男と関係して今は母の店を追い出された、その女の人が今いる店の周りをうろついています。
 ナガヨシとセキコは、そんな大和田を見張っています。
 セキコと塾で席次が近い(その塾は成績順に並ぶので席も隣になることが多い)クレ(男子)も、母親が家の食器を全部割って家を出て行ってしまい、父親と二人で暮らしています。
 クレは、最近学校や塾へ来なくなって家に引きこもっていて、得意の料理ばかりしているので太ってしまっています。
 とっつきにくいと思ってセキコが敬遠していた室田(女子)も、家で帰省している大学生の兄が彼の彼女と一緒に、両親と仲良しごっこをしているのが耐えきれず、セキコと同じように家にいられずに図書館へ来ていることがわかります。
 図書館が臨時休館の日に、セキコは室田の家に誘われます。
 裕福で一見恵まれているように見える室田から、実は母親が不倫をしていたんだと、セキコは打ち明けられます。
 このまったくバラバラに悩んでいる子どもたちは、一人ではこなせないほどたくさんの塾の宿題を助け合ってやっていくという、本当にか細いつながりで結ばれていきます。
 セキコとナガヨシを除いては本当にかすかだった彼らの結びつきは、綱渡りで宿題の回答を皆でそろえていくうちにだんだんと強くなっていきます。
 新学期になって、それぞれにこれからもなんとか現実と折り合って生きていくためのかすかな希望のようなもの(クレは塾にやってきます。もう二度と話すこともないと思っていた大和田がセキコに話しかけてきます。室田は相変らすマイペースで図書館通いを続けています。セキコの父親はコンビニで働き始めたようです。ナガヨシの父親は家に帰ってきて母親と話し合いを始めました)が見えてきます。
 ルビなしでバンバン難しい漢字を多用したいわゆる純文学ですが、最近の商業主義にからめとられた児童文学作品などよりも、はるかに今を生きている子どもたちの姿を捉えています。
 もちろんこの作品は、作者独特な執拗なまでに細部を描く描写や性的表現など、子どもが読みやすい作品ではありません。
 しかし、この作品で描かれたいわゆる「家庭」が崩壊している現代社会の姿は、児童文学でももっともっと描かれなくてはいけないのではないでしょうか。
 もうサザエさんやチビマルコちゃんやドラエモンで描かれているような家庭は、どこにも存在しないのです。
 ほとんどすべての家庭で少なからず問題を抱えていて、そのために子どもたちは悩んでいます。
 サザエさんのようなアニメやAlwaysのような映画が人気なのは、おそらく昔あったと思われる家庭(それもたんなる幻想にすぎないかもしれませんが)への郷愁のようなものでしょう。
 子どもだけでなく大人のファンが多い点も、それを裏付けています。
 今まで、問題に直面している子どもたちに対して、現代児童文学ではどのように描いてきたでしょうか。
 戦争、飢餓、貧困といった近代的不幸に対しては、1950年代から1970年代にかけて、連帯による社会変革を目指す作品が多く書かれていました。
 アイデンティティの喪失、生きることのリアリティの希薄さといった現代的不幸が問題になってくると、1970年代から1990年代にかけて、子どもたちが生きていくことへの共感、励まし、癒しといった作品が多く描かれました。
 しかし、経済格差、世代間格差、家庭崩壊、ネグレクト、虐待などに直面している現代の子どもたちには、また新たな児童文学が必要になってきていると思われます。
 これらの文学では、問題を子どもたちだけに解決させるのではなく、困難に直面している子どもたちを描くことによって「大人たち(あるいは彼らが作った社会)を撃つ」文学にならなくてはならないと思っています。
 なぜなら、責任は子どもたち(若者たちも含めて)にあるのではなく、大人たち(あるいは彼らを育てた高齢者たち)にあるのです。
 特に、団塊ジュニアが親になり始めたころから、これらの問題は加速度的に深刻化しているので、彼らを育て今の社会を作り上げた団塊世代(かつての全共闘世代でもあります)の責任は特に大きいでしょう。
 それらに対応する児童文学は、まだいい作品があまり生み出されていないように思えます。
 むしろ、主演した少年がカンヌ映画祭で最優秀男優賞を受賞して評判になった映画「誰も知らない」などの、他分野の作品の方が敏感に反応しているように思えます。
 児童文学も現在量産されている甘っちょろい現実肯定的な作品ではなく、真摯に子どもたちの現実に向き合った作品をもっと提出しなけれなならないのではないでしょうか。
 そのためには、短期間的には、商業主義の蔓延している児童文学の出版社を通した作品ではなく、一般文学として出版された方がこれらの問題を抱えた子どもたちを捉えた作品を世の中に出すチャンスが多いように感じています。
 「まともな家の子供はいない」は、その可能性を感じさせてくれる作品の一つだと思いました。

まともな家の子供はいない
クリエーター情報なし
筑摩書房

 





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森忠明「小さな紅海」少年時代の画集所収

2024-08-16 10:13:03 | 作品論

 森作品には珍しく、島絵理という女の子が森少年にあてて書いた手紙の形で、香野任くんの想い出が語られます。
 三年生の夏休みの町内会のキャンプで、絵理が河原のあなに落ちた時に、転校してきたばかりの香野くんが発見してくれます。
 香野くんは両親が離婚していて、ピアノの調律師のおとうさんと二人暮しです。
 香野くんは、四年、五年と連続して「多摩少年詩集」に入選している少年詩人です。
 また、香野くんは五年生のころから手品にこりますが、森少年に「手品なんかで人の気をひいてまでなかよくなりたいのかよ」と言われて、手品をやめてしまいます。
「よい両親がそろっていて、スポーツ万能のうえに勉強もルックスもまあまあなおたくは、だまっていても周囲の人々に愛される境遇にいるので、手品なんか必要としないことでしょう。
 わたしも、あのあなに落ちる前までは、人生って、親以外のだれの力も借りずに、だれにも愛情を求めずに生きてゆけるもの、と思っていました。
 電話でよばれて手品を見せてもらいにゆくと、香野くんはちゃぶ台の向こう側にひとりできちんと正座して待っていましたが、そのようすはなぜだかものすごく孤独に見え、あなの底に落ちている香野くんを、わたしが上から見おろしているような錯覚をおこしました。
 手品は、さびしい香野くんの、人をよぶ声なんだ、と気がつきました。
 おたくはまだ一度も、きょくたんにさびしい思いをしたことがない人なので、あんな、にくまれ口を平気で言えるのです。」
と、森少年は絵理に激しく糾弾されます。
 香野くんは、小学校の卒業を待たずに京都に引っ越していき、その後に琵琶湖でおぼれて死んでしまいます。
 香野くんの月命日に絵理は森少年に手紙を書き、香野くんが京都に立つ日に新幹線の中から二人に見せてくれた最後の手品になぞらえて、
「わたしたちはふたりになってしまったけれど、二つが三つになり、三つが一つになるうさぎさんのようなものではないでしょうか。
 森くんとわたしのなかに、あの子はいます。」
と、絵理は森少年に呼びかけます。
 森作品の大きな魅力である抒情性が、この作品では個性的な森少年が前面に出ないために余計に際立っています。
 作品の最初の香野くんの詩と最後の絵理の詩のややセンチメンタルな詩情が心に残ります。
 孤独、大事な人との別れ、死、弱者への優しいまなざしといった森作品の重要なモチーフがここでも描かれています。
 森忠明本人の過去の事件ではなく、語り手も主人公も第三者にしたことで、ともすれば今では古く感じられてしまう彼の他の作品とは違って、現代の孤独な子どもたちが読んでも共感できるより普遍性を持った作品になっていると思います。

少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
クリエーター情報なし
講談社
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岩瀬成子「迷い鳥とぶ」

2024-08-15 09:00:46 | 作品論

 主人公の小学生の女の子りんは、偶然出会った迷いインコを飼うことになります。
 りんの周りには、次々に風変わりな人物が登場します。
 いつも妄想を話す友だちの羊子。
 出会った子どもの写真を撮りたがる自称プロの写真家の男。
 アメリカからルーツを訪ねに来たと言いながら、実は洗剤を売ろうとしている日系人のおじいさんのミスター・カラキ。
 インコの飼い主で学校を良くサボる守男。
 迷子のインコは、物語の途中でリンに放たれて、早々に山に向かって飛んでいってしまいます。
 しかし、不思議な登場人物たちは、いつまでもりんにまとわりつきます。
 そう、彼らこそ、本当の「迷い鳥」なのでしょう。
 最後まで、これらの「迷い鳥」たちが飛べるのかどうははっきりしないもやもやとした気分で作品は終わります。
 この本が出た1994年は児童書出版のバブルがはじけたころですが、まだこんな純文学風の本が出版されていました。

迷い鳥とぶ (童話パラダイス)
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理論社
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森忠明「花をくわえてどこへゆく」

2024-08-14 07:37:07 | 作品論

「美しい足」をした岸昌子先生が、自分の担任の矢崎先生と結婚することを知って、学級委員で優等生だった森壮平は強いショックを受けます。
 さらに周囲の状況によって愛犬のテツを捨てなくてはならなくなった森少年は、逆にテツに見捨てられてしまいます。
「美しい足」と「好きな犬」という自分がもっとも大事にしていたものが、もう手に入らないのだと感じた森少年は、生きていく気力を失ってしまいます。
 「なんのために生きていくのか」「なんのために学校で勉強しなくてはいけないのか」ということに強い疑問をもった森少年は、両親にしばらくの間の休学を申し入れます。
 森少年の苦しみは、両親や先生、医者たちからはまったく理解を得られません(この本が出版された1981年当時では、まだこういった少年たちは今よりも少数派で、周囲の理解も現在より不十分だったと推測されます)。
 ただ、幸運なことに母方の祖父だけは森少年に理解があり、自宅のはなれや山梨の湯治場で、森少年を好きなだけ休ませてくれます。
 森少年を取り巻く状況は最後まで好転しませんが、ラストシーンで急死した祖父を抱きかかえる森少年は、それでもこれからも生きていかねばならないことを自覚します。
 1975年の「きみはサヨナラ族か」(その記事を参照してください)から、主人公のアイデンティティの喪失はさらに深くなっています。
「きみはサヨナラ族か」の主人公は、それでも絵を描くことで自分のアイデンティティを回復させようとしていましたが、この作品ではそれも完全に失われています。
 「生き続けていくこと」に対して諦念にも似た主人公の気持ちに、現代の子どもたち(あるいは若者たちも含めて)の置かれている生きていくことが困難な(あるいはその裏返しで非常に安易な生き方しかできない)状況を先取りした作品だと言えると思います。
 一連の森作品は、一方に熱烈な愛読者は持ちつつも、いわゆる「現代児童文学」論者からは、その「変革の意志」の欠如を批判されました。
 しかし、今になって振り返ってみると、すでに既存の「現代児童文学」の創作理論では、その当時の子どもたちの状況をとらえきれなくなっていたのかもしれません。
 また同様に、いわゆる社会主義リアリズムを偏重していた「現代児童文学」の批評理論では、このような作品は正当に評価できなかったと思われます。

花をくわえてどこへゆく (文研じゅべにーる)
クリエーター情報なし
文研出版
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原結子「コナミのいる島」コナミのいる島所収

2024-07-25 11:41:23 | 作品論

 第7回児童文学草原賞を受賞した短編で、原結子作品集の表題作にして巻頭作品です。

 与那国島の豊かな自然を背景に、将来島に残って馬を育てることを夢見る少女ナミの姿が、感性豊かな文章で描き出されています。

 彼女の周辺にいる祖父、母、従兄弟なども生き生きと描かれていて、少女の自立を助けています。

 嵐の様子、愛馬コナミの出産、かつて島で行われていた人減らしの習わし、乱暴なオス馬の乱入、出産をひかえた母、機織り、島バナナなどのエピソードが的確に描き出されていて、作品のリアリティを保証しています。

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