現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

小川洋子「十三人きょうだい」不時着する流星たち所収

2017-05-06 11:24:09 | 参考文献
 父の十三人きょうだいの末っ子のおじさんの思い出を描いた作品です。
 「サーおじさん」(何か頼むと「アイアイサー」と答えるので、主人公の女の子が命名した二人の秘密の名前)と主人公だけのめくるめくような美しい思い出(クモの巣は宇宙人の暗号、幼い子を乗せていなくなった欠番の白鳥たち、今は祖母とサーおじさんだけが住む不規則に増築されて迷宮のようになった古い家、秘密の二等辺三角形を形作る三つのほくろ、最後に祖母の葬式の時に三輪車に乗って一緒にあの世に旅立つサーおじさんなど)が次々と描かれて、読んでいてめまいがしそうなくらいです。
 なお、この作品は、十三人の子どもがいた植物学者の牧野富太郎に触発されて書かれたのですが、その理由のひとつは牧野が新種のササに、末の子が生まれてすぐに54歳で亡くなった妻の名前にちなんでスエコザサと命名したこともあるようです。

不時着する流星たち
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小川洋子「若草クラブ」不時着する流星たち所収

2017-05-06 10:50:54 | 参考文献
 学芸会で「若草物語」を演じたのをきっかけに、四姉妹役の少女たちが、「若草クラブ」という秘密のサークルを結成します。
 といっても、それぞれが自分の演じた少女(メグ、ジョー、ベス、エミイ)のセリフを言いながらその役になりきるだけです。
 主人公の少女は、末娘のエミイ役なのですが、文学少女(学芸会のシナリオも彼女が書きました)なので、本当は作家志望の次女ジョーをやりたかったので不満でした。
 でも、映画の「若草物語」で、エリザベス・テイラーがエミイを演じたと聞かされて、考え直します。
 そのうちに、主人公は、エミイではなくエリザベス・テイラーになりきろうとします。
 彼女に、自分との共通点(毛深い、仮病を使う、足の大きさが21センチ)を見出したからです。
 主人公のなりきりは、だんだん病的(成長して大きくなろうとする足を無理やり矯正する、十二種類の薬を飲む(エリザベス・テイラーが飲んでいたような過激な薬ではなく、ビオフェルミンや正露丸などですが)、結婚ないし離婚相手(エリザベス・テイラーはこの時点で七回結婚していました(最終的には八回))を暗唱する、エリザベス・テイラーが飼っていたシマリスは無理なのでハムスターを飼って12匹にも増やすなど)になっていき、最後に破綻します。
 すでにおわかりのように、この作品は往年のハリウッドの大女優(1950年代から1970年ごろまでは世界で一番美しい女性だと言われていました。なにしろ日本で俗に言われている世界三大美人(他の二人は楊貴妃と小野小町)のクレオパトラ役もやったのです)エリザベス・テイラーに触発されて書かれたものですが、この作品の舞台の1980年ごろ(レーガン大統領の就任式が出てくるので)にはすでにかつてのようには人気がなくなっていたので、若干無理があるかなって気もします。
 また、彼女が出演した「若草物語」は1949年の作品(その後テレビでも放送されましたが)なので、みんなが知っているのは明らかに不自然です。
 作品のテーマになっている「若草物語」は、かつては「小公女」や「赤毛のアン」などと並んで、女の子に人気のある児童文学の定番でしたが、さすがに今ではあまり読まれなくなっているでしょう。
 ただ、個性の際立った四姉妹、メグ(美人で女性らしい魅力にあふれている)、ジョー(男勝りで作家志望の文学少女)、ベス(病気がちで内気なピアノの名手)、エイミー(わがままで気まぐれだが、その分かわいい)の書き分け方は、多くの追随者を得て、今でもパターンとして生きています。

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小川洋子「さあ、いい子だ、おいで」不時着する流星たち所収

2017-05-06 10:46:20 | 参考文献
 子どもに恵まれなかった夫婦が、文鳥を飼う話です。
 初めのころは、文鳥は愛らしい姿と美しいさえずりで、二人きりの生活に潤いをもたらしてくれます。
 妻の方は、文鳥の姿にこれを売ってくれた「愛玩動物専門店」の青年店員を重ね合わせて、文鳥ではなくこの青年が自分の子どもだったらどうだろうと思いをはせたりもします。
 しかし、そのうちに、二人はだんだん文鳥を持て余して(早朝から一日中さえずる、爪が伸びる、大量に毛が抜けるなど)、とうとう鳥かごに覆いをして存在を消してしまいます。
 そのあたりから、妻は精神に変調をきたしていたようで、ラストでは公園に停めてあったベビーカーを奪って逃走します。
 なお、この作品は、ギネス記録の世界最長のホットドックに触発されて書かれたことになっていますが、実際はほとんど関係ありません。

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米澤穂信「満願」満願所収

2017-05-06 08:54:18 | 参考文献
 さすがに表題作だけあって、他の短編よりは読みごたえがあります。
 登場人物の人間関係や謎解きの部分も、十分なふくらみをもって書かれています。
 それでも、全体的に説明文的な印象はぬぐえません。
 この作品が、ミステリーとしてこれだけ高い評価を得ていることを考えると、やはり現代人が読書に求めているものが変わってきていることを認めざるを得ません。
 たとえエンターテインメント作品でも、かつては文章芸術としての側面を持っていました。
 そのため、通俗文学という蔑称を避けるために大衆文学と呼ばれていました。
 しかし、今の読者、特にエンターテインメントの読者は、文章に芸術性など求めず、事実の伝達手段としてしか認めていないのでしょう。
 ですから、作品が描写で読ませるのでなく、説明的な文章を多用していても、その作品の評価とは無関係なのだと思われます。
 これは、児童文学の世界になるとより顕著です。
 児童文学に純文学はなく(あるいはあっても極めて例外)、そのほとんどすべてが広い意味での大衆文学(子どもはごく一部の特権的な存在を除いては典型的な大衆です)だと考えられます。
 その児童文学においてますますエンターテインメント化が進んでいるのですから、よりわかりやすい文章や描写が求められ、芸術性は消滅していく運命にあります。

満願
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