「あとがき」ではなく、「解説」と銘打つだけに、「九つの物語」だけでなく、サリンジャーの他の作品も含めた作家活動全体、サリンジャー自身などの解説を試みています。
しかし、紙数が限られているので、サリンジャーについて一般的に言われていることの紹介にとどまっていて、作者独自の見解はあまりありませんでした。
また、気になったのは、訳者が、作品の忠実な翻訳ではなく、読者に自分の解釈による意訳を提供しようとしていることです。
これは、旧来の翻訳者によく見られる姿勢で、訳者が読者よりも作品世界に通じているという前提で翻訳しているからだと思われます。
外国に対する情報が限定されていた時代には、この方法も不特定多数の読者のためには必要だったのかもしれませんが、外国の情報が海外旅行やインターネットで簡単に得られる現代では、「意訳」が「誤訳」になっていることに気づかされることも多いと思われます。
そのため、サリンジャーの場合でも新訳が必要なのですが、一方で、その作品が書かれた背景(サリンジャーの場合だと1940年から1960年のアメリカにおける比較的裕福な都会での生活)を十分に理解しないと、かえって誤訳を生む可能性もあります。
しかし、紙数が限られているので、サリンジャーについて一般的に言われていることの紹介にとどまっていて、作者独自の見解はあまりありませんでした。
また、気になったのは、訳者が、作品の忠実な翻訳ではなく、読者に自分の解釈による意訳を提供しようとしていることです。
これは、旧来の翻訳者によく見られる姿勢で、訳者が読者よりも作品世界に通じているという前提で翻訳しているからだと思われます。
外国に対する情報が限定されていた時代には、この方法も不特定多数の読者のためには必要だったのかもしれませんが、外国の情報が海外旅行やインターネットで簡単に得られる現代では、「意訳」が「誤訳」になっていることに気づかされることも多いと思われます。
そのため、サリンジャーの場合でも新訳が必要なのですが、一方で、その作品が書かれた背景(サリンジャーの場合だと1940年から1960年のアメリカにおける比較的裕福な都会での生活)を十分に理解しないと、かえって誤訳を生む可能性もあります。