角川文庫版短編集「倒錯の森」の構成については、訳者(鈴木武樹)のあとがきに譲っているので、そちらの記事を参照してください。ただ一般的(ないしは実験作)には失敗作と見られている中編「倒錯の森」を高く評価していることが特徴的です。
以下は、それぞれの作品評になっています。
<芸術的真の発見>
「ヴァリオーニ兄弟」(その記事を参照してください)については、芸術至上主義の立場から肯定的に評価していますが、戦時中のアメリカ社会への迎合、軽すぎるユーモアなどの瑕瑾を指摘しています(24歳の才気あふれる若者であった作者に求めるのは、やや酷だと思いますが)。
<青春哀歌>
「ある少女の思い出」(その記事を参照してください)については、川端康成の「伊豆の踊子」を引き合いに出しながら、サリンジャーの抒情性を高く評価しています。
<あるアメリカの悲劇>
「ブルー・メロディ」(その記事を参照してください)については、単なる黒人差別を取り扱ったのではなく、戦時中の主人公たちも含めたより普遍的な悲劇を描いているとしていますが、それはその通りだと思います。ただし、前半に描かれた主人公である少年少女の魅力を少しも感じていなくて、非常に大人的な醒めた目線でとらえているのには驚愕しました。まあ、著者は児童文学者ではないのでしかたないのかもしれませんが、それを感じ取れなくてはこの作品の本当の魅力は分かりません。
<倒錯されているのは何か>
著者は、この解説の冒頭で、中編「倒錯の森」を「未だに雑誌に書きおろしたままにしているのがむしろ不思議なほどすぐれたできばえの作品」とか、「ライムギ畠の摑え手」よりは彫りの深い作品」とか、「人物描写もさることながら、人間心理の内奥に潜む原形質をよく捕えた佳作」といった風に激賞していますが、この作品評を読んでもどこに感心したのかさっぱり分かりません。この作品を、サリンジャー自身の隠遁生活(1953年から2010年に91歳で亡くなるまででずっと続きますが、この解説は1970年ごろに書かれています)と結びつけて、都会生活を「倒錯の森」ととらえて文明批判をしているとしていますが、それはある意味後付けの観点でこの作品を書いた時点(1947年)では、まだ隠遁生活と有名作家になること(それは、四年後の1951年に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の大ヒットで想像していた以上に華々しく実現してしまいます)の両方にあこがれを抱いていた時期で、それが作品にも投影されていることを見落としています。また、詩人が、対等な男女関係を求めている主人公(著者は俗物と切り捨てています)を捨てて、自分を支配してくれる下品だが生活力がありそうな女性(著者は反俗的ととらえていますが、こちらは別な意味で世俗的そのものです)と駆け落ちしたのは、彼の母親(駆け落ち相手と同じタイプ)とそれに従わされていた少年時代の影響と短絡的に結びつけていますが、それは、主人公と詩人の子ども時代のエピソードすごく軽く考えている(あるいはその魅力を感じられない)からだと思われます。
以下は、それぞれの作品評になっています。
<芸術的真の発見>
「ヴァリオーニ兄弟」(その記事を参照してください)については、芸術至上主義の立場から肯定的に評価していますが、戦時中のアメリカ社会への迎合、軽すぎるユーモアなどの瑕瑾を指摘しています(24歳の才気あふれる若者であった作者に求めるのは、やや酷だと思いますが)。
<青春哀歌>
「ある少女の思い出」(その記事を参照してください)については、川端康成の「伊豆の踊子」を引き合いに出しながら、サリンジャーの抒情性を高く評価しています。
<あるアメリカの悲劇>
「ブルー・メロディ」(その記事を参照してください)については、単なる黒人差別を取り扱ったのではなく、戦時中の主人公たちも含めたより普遍的な悲劇を描いているとしていますが、それはその通りだと思います。ただし、前半に描かれた主人公である少年少女の魅力を少しも感じていなくて、非常に大人的な醒めた目線でとらえているのには驚愕しました。まあ、著者は児童文学者ではないのでしかたないのかもしれませんが、それを感じ取れなくてはこの作品の本当の魅力は分かりません。
<倒錯されているのは何か>
著者は、この解説の冒頭で、中編「倒錯の森」を「未だに雑誌に書きおろしたままにしているのがむしろ不思議なほどすぐれたできばえの作品」とか、「ライムギ畠の摑え手」よりは彫りの深い作品」とか、「人物描写もさることながら、人間心理の内奥に潜む原形質をよく捕えた佳作」といった風に激賞していますが、この作品評を読んでもどこに感心したのかさっぱり分かりません。この作品を、サリンジャー自身の隠遁生活(1953年から2010年に91歳で亡くなるまででずっと続きますが、この解説は1970年ごろに書かれています)と結びつけて、都会生活を「倒錯の森」ととらえて文明批判をしているとしていますが、それはある意味後付けの観点でこの作品を書いた時点(1947年)では、まだ隠遁生活と有名作家になること(それは、四年後の1951年に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の大ヒットで想像していた以上に華々しく実現してしまいます)の両方にあこがれを抱いていた時期で、それが作品にも投影されていることを見落としています。また、詩人が、対等な男女関係を求めている主人公(著者は俗物と切り捨てています)を捨てて、自分を支配してくれる下品だが生活力がありそうな女性(著者は反俗的ととらえていますが、こちらは別な意味で世俗的そのものです)と駆け落ちしたのは、彼の母親(駆け落ち相手と同じタイプ)とそれに従わされていた少年時代の影響と短絡的に結びつけていますが、それは、主人公と詩人の子ども時代のエピソードすごく軽く考えている(あるいはその魅力を感じられない)からだと思われます。