サリンジャーに関する内外の先行研究や、サリンジャーが作品を発表し続けた「ニューヨーカー」誌(全13作品で、長編「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)を除く1946年以降の全作品)について要領よく紹介されているので、非常に参考になります。
ただ、やや書誌学的で、肝心の著者自身の新しい意見はそれほど書かれていません。
表題の「生と死」に関する著者の意見を要約すると、以下のようになります。
「生」については、主として「キャッチャー・イン・ザ・ライ」における性的衝動とその抑制について述べられ、クライマックスの妹のフィービーとの会話のシーンですらそれで説明できるとしています。
まあ、精神分析的に考えればそうとらえられなくもないですが、かなり恣意的な感じはしました。
また、これは当時の文学研究者に共通しているのですが、アメリカの風俗、特に若者文化やスポーツに対する関心の低さと知識不足が随所に感じられ、それによって作品を誤読していることに気づかされます。
ここでは、特にスポーツに関する誤読例を述べておきます。
野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」と同様に、アメリカン・フットボールに対して、「蹴球」という言葉を使っていますが、さらに、同じ「蹴球」という用語をイギリスの「フットボール」に対しても使っていて、明らかに混同しています。
アメリカでは、「フットボール」という用語はアメリカン・フットボールを意味して、イギリス発祥のフットボールには、日本と同様に「サッカー」という用語を使います。
また、アメリカの高校や大学におけるアメリカン・フットボールの対校戦の熱狂は、日本における野球などの対校戦の非ではなく、しいていえば、かつての野球の早慶戦(戦前がピークですが、私が付属高校や大学へ通っていたころはまだ名残がありました)やラグビーの早明戦(私が通っていたころがピークでしょう)のような感じに近いと思われます(私自身の実体験は、アメリカに住んでいた時に、地元のスタンフォード大学の対校戦(特にUCLA戦が一番盛り上がります)を数回見に行っただけですが)。
この感覚が分からないと、ホールデンが対抗戦の日に退学になって母校を去る気持ちや、フラニーの気持ちを理解しないでイェール大学との対校戦に間に合わなくなることばかり気にして上の空のプリンストン大学生の恋人の心境が、本当の意味では理解できないでしょう。
また、「シーモァ ― 序論」に出てくる弓道について、著者は「ねらってねらわない日本の弓道の禅の精神を学ぶ」「フォームにこだわらない」などと、書いています。
私は弓道の経験者で、高校時代は一年のち正月を除く360日ぐらい練習し、全国レベルの試合にも出場していましたが、ここで著者が書いていることは全くの間違いです。
弓道では、「ねらってねらわない」のではなく、「まったくねらわない」のです。
また、「フォームにこだわらない」のではなく、「フォームがすべて」なのです。
他の高校はどうか知りませんが、私の高校では、的前に立つまでに、数か月の間、ひたすらフォームだけを習いました。
的前に立ってからも、狙いが正しい(矢の方向が正しく的に向かっているかは、構造上自分では確認できません)かは、真後ろに他の人に立ってもらって、確認してもらうのです。
後は、何千回、何万回も繰り返し練習を積み重ねて、「正しいフォームで弓を引けば」、「ねらわなくても矢は必ず的に当たる」ようにするのです。
もちろん、弓道は非常に精神的な競技で、特に試合で普段の実力を発揮するためには、他のスポーツよりも強い精神力が求められます。
しかし、自分のフォームの対する絶対の自信にこそ、「弓道の精神性」はあるのです。
これは、シーモァがバディにビー玉を当てるための教えを語るシーンに出てくるのですが、この描写から察するところでは、サリンジャーは極めて正しく「弓道の精神性」を理解しています。
「死」に関して言えば、シーモァの死を、仏教でいうところの「入定」(永遠の瞑想に入ること)やキリスト教の「聖なる自殺」ととらえていますが、納得できません。
シーモァの自殺は、普通の人間の死ととらえるのではなく、シーモァ(精神)とバディ=サリンジャー(肉体)の一体化ととらえる方が自然ではないでしょうか。
そういった意味では、1948年(当時バディ=サリンジャーは29歳)の「バナナ魚にもってこいの日」(シーモァの自殺)において分裂した精神と肉体が、1965年(バディ=サリンジャーは46歳)の「ハプワース16,一九二四」になって、ようやく再び一体化して、これ以上作品(特にグラス家サーガ)を書く必要がなくなったと考えれば、その後のサリンジャーの生活は、「書けなくなった作家」、「隠遁者」、「人間嫌い」などではなく、穏やかに暮らす日々だったのではないでしょうか。
ただ、やや書誌学的で、肝心の著者自身の新しい意見はそれほど書かれていません。
表題の「生と死」に関する著者の意見を要約すると、以下のようになります。
「生」については、主として「キャッチャー・イン・ザ・ライ」における性的衝動とその抑制について述べられ、クライマックスの妹のフィービーとの会話のシーンですらそれで説明できるとしています。
まあ、精神分析的に考えればそうとらえられなくもないですが、かなり恣意的な感じはしました。
また、これは当時の文学研究者に共通しているのですが、アメリカの風俗、特に若者文化やスポーツに対する関心の低さと知識不足が随所に感じられ、それによって作品を誤読していることに気づかされます。
ここでは、特にスポーツに関する誤読例を述べておきます。
野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」と同様に、アメリカン・フットボールに対して、「蹴球」という言葉を使っていますが、さらに、同じ「蹴球」という用語をイギリスの「フットボール」に対しても使っていて、明らかに混同しています。
アメリカでは、「フットボール」という用語はアメリカン・フットボールを意味して、イギリス発祥のフットボールには、日本と同様に「サッカー」という用語を使います。
また、アメリカの高校や大学におけるアメリカン・フットボールの対校戦の熱狂は、日本における野球などの対校戦の非ではなく、しいていえば、かつての野球の早慶戦(戦前がピークですが、私が付属高校や大学へ通っていたころはまだ名残がありました)やラグビーの早明戦(私が通っていたころがピークでしょう)のような感じに近いと思われます(私自身の実体験は、アメリカに住んでいた時に、地元のスタンフォード大学の対校戦(特にUCLA戦が一番盛り上がります)を数回見に行っただけですが)。
この感覚が分からないと、ホールデンが対抗戦の日に退学になって母校を去る気持ちや、フラニーの気持ちを理解しないでイェール大学との対校戦に間に合わなくなることばかり気にして上の空のプリンストン大学生の恋人の心境が、本当の意味では理解できないでしょう。
また、「シーモァ ― 序論」に出てくる弓道について、著者は「ねらってねらわない日本の弓道の禅の精神を学ぶ」「フォームにこだわらない」などと、書いています。
私は弓道の経験者で、高校時代は一年のち正月を除く360日ぐらい練習し、全国レベルの試合にも出場していましたが、ここで著者が書いていることは全くの間違いです。
弓道では、「ねらってねらわない」のではなく、「まったくねらわない」のです。
また、「フォームにこだわらない」のではなく、「フォームがすべて」なのです。
他の高校はどうか知りませんが、私の高校では、的前に立つまでに、数か月の間、ひたすらフォームだけを習いました。
的前に立ってからも、狙いが正しい(矢の方向が正しく的に向かっているかは、構造上自分では確認できません)かは、真後ろに他の人に立ってもらって、確認してもらうのです。
後は、何千回、何万回も繰り返し練習を積み重ねて、「正しいフォームで弓を引けば」、「ねらわなくても矢は必ず的に当たる」ようにするのです。
もちろん、弓道は非常に精神的な競技で、特に試合で普段の実力を発揮するためには、他のスポーツよりも強い精神力が求められます。
しかし、自分のフォームの対する絶対の自信にこそ、「弓道の精神性」はあるのです。
これは、シーモァがバディにビー玉を当てるための教えを語るシーンに出てくるのですが、この描写から察するところでは、サリンジャーは極めて正しく「弓道の精神性」を理解しています。
「死」に関して言えば、シーモァの死を、仏教でいうところの「入定」(永遠の瞑想に入ること)やキリスト教の「聖なる自殺」ととらえていますが、納得できません。
シーモァの自殺は、普通の人間の死ととらえるのではなく、シーモァ(精神)とバディ=サリンジャー(肉体)の一体化ととらえる方が自然ではないでしょうか。
そういった意味では、1948年(当時バディ=サリンジャーは29歳)の「バナナ魚にもってこいの日」(シーモァの自殺)において分裂した精神と肉体が、1965年(バディ=サリンジャーは46歳)の「ハプワース16,一九二四」になって、ようやく再び一体化して、これ以上作品(特にグラス家サーガ)を書く必要がなくなったと考えれば、その後のサリンジャーの生活は、「書けなくなった作家」、「隠遁者」、「人間嫌い」などではなく、穏やかに暮らす日々だったのではないでしょうか。