1958年ごろに書かれた「(社会に)適応できない人間」という切り口で、サリンジャー作品を批評した論文です。
切り口自体は面白いですし、当時としては新鮮なものだったに違いありません。
なぜなら、そうした「社会に適合できない人間」が、まとまった数でアメリカ社会に初めて(ということは、世界で初めてといってもいいと思います)登場するのは、第二次世界大戦以降のことだったからです。
ただし、60年も前の「社会に適合できない人間」に対する認識や対応が不十分な時代に書かれたので、「適合できない」理由を個人(この場合は主人公たち)に求めて、それが「社会的な問題」であるという認識に欠けているのは仕方がありません。
つい10年ほど前でも、日本では専門家であるべき精神科医にも、年配の人たち(はっきり言ってその分野の権威者たちです)には、そういった考えの人たちが結構いました(詳しくは、双極性障害に関する記事を参照してください)。
そのため、「サリンジャーの読者は、彼の愛好家か、一般に悩める若者たちに限られてしまうのである」「彼の読者層は熱狂的な崇拝者だけとなり」といった誤った結論を導き出してしまっています。
同じころに、「年齢とは精神的なものであって、時間的なのものではない」として、サリンジャー作品がアピールする「若者たち」もまた「精神的なものであって、時間的なのものではない」(「愛の求道」の記事を参照してください)としたダン・ウェイクフィールドのような先見性は著者にはありませんでした。
そうなったことの理由としては、著者がサリンジャー作品をきちんと読んでいない疑いがあげられます。
翻訳者も、注釈の中で、彼の読み間違いを二か所指摘していますが、それ以外にも数か所、まともなサリンジャー作品の読者なら決してしないであろう読み間違いに気づきました。
この論文は、1962年に出版された「J.D. Salinger and the Critics」に入っていたようです。
きっと、その当時は、サリンジャーについて何か書けば、簡単に活字になったのだと思われます(そのおかげで、当時の様子が分かるのですが)。
本人がかたくなに沈黙を守っているので、余計に勝手な解釈の文章が氾濫していたのでしょう。
このことからも、当時のアメリカにおけるサリンジャー・ブームのすさましさが分かります。
切り口自体は面白いですし、当時としては新鮮なものだったに違いありません。
なぜなら、そうした「社会に適合できない人間」が、まとまった数でアメリカ社会に初めて(ということは、世界で初めてといってもいいと思います)登場するのは、第二次世界大戦以降のことだったからです。
ただし、60年も前の「社会に適合できない人間」に対する認識や対応が不十分な時代に書かれたので、「適合できない」理由を個人(この場合は主人公たち)に求めて、それが「社会的な問題」であるという認識に欠けているのは仕方がありません。
つい10年ほど前でも、日本では専門家であるべき精神科医にも、年配の人たち(はっきり言ってその分野の権威者たちです)には、そういった考えの人たちが結構いました(詳しくは、双極性障害に関する記事を参照してください)。
そのため、「サリンジャーの読者は、彼の愛好家か、一般に悩める若者たちに限られてしまうのである」「彼の読者層は熱狂的な崇拝者だけとなり」といった誤った結論を導き出してしまっています。
同じころに、「年齢とは精神的なものであって、時間的なのものではない」として、サリンジャー作品がアピールする「若者たち」もまた「精神的なものであって、時間的なのものではない」(「愛の求道」の記事を参照してください)としたダン・ウェイクフィールドのような先見性は著者にはありませんでした。
そうなったことの理由としては、著者がサリンジャー作品をきちんと読んでいない疑いがあげられます。
翻訳者も、注釈の中で、彼の読み間違いを二か所指摘していますが、それ以外にも数か所、まともなサリンジャー作品の読者なら決してしないであろう読み間違いに気づきました。
この論文は、1962年に出版された「J.D. Salinger and the Critics」に入っていたようです。
きっと、その当時は、サリンジャーについて何か書けば、簡単に活字になったのだと思われます(そのおかげで、当時の様子が分かるのですが)。
本人がかたくなに沈黙を守っているので、余計に勝手な解釈の文章が氾濫していたのでしょう。
このことからも、当時のアメリカにおけるサリンジャー・ブームのすさましさが分かります。