現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

古田足日「児童文学の文体 ― なぜ、どのように語るのか」児童文学の旗所収

2021-01-06 17:10:17 | 参考文献

 1961年9月に東京新聞に掲載された評論です。
 著者は、当時の児童文学作品の文体を、以下のように批判しています。
 いぬいとみこ「木かげの家の小人たち」は翻訳調、山中恒「とべたら本こ」はなまのままの俗語の無神経さ、「山が泣いている」や「谷間の底から」は生活記録的文体。
 こうした文体のひ弱さの原因として、今までの児童文学には鍛えられた文体というものがなかったからだとして、その原因を今までの児童文学が「童話」であったからだと主張しています。
 それまで児童文学に関わる人々は、主に童話的資質のロマン派であったために、当時の児童文学でもっともすぐれた文体であった坪田譲治のリアリズムの文体が引き継がれなかったとしています。 
 著者の理想とする文体は小説的な散文的な文体なので、「童話」の詩的な文体は完全に否定しています。
 しかし、後日、著者自身も認めるように、「童話」もまた児童文学の重要なジャンルであり、ジャンルごとに適切な文体が選択されるのは当然のことでしょう。
 また、坪田譲治の文体は、彼が主催した「びわの実学校」の門下の中で散文的な作品も書く人々(今西祐行、寺村輝夫、大石真、前川康男、竹崎有斐、庄野英二、松谷みよ子、関英雄など)によって引き継がれ、「現代児童文学」の中で確固たる地位を占めています。
 もしかすると、この当時の著者が理想していたのは、階級闘争とその勝利を現状から完結までをきちんと書き表せるような、もっと冷徹な文体だったのかもしれません。
 そういった意味では、彼らの文体はもっと平易で温かみのあるものなので、著者の理想とは違っていたのでしょう。
 しかし、書く対象によって文体が変わることは当然のことなので、著者のように統一した文体を求めることには違和感があります。
 私自身のささやかな創作体験の中でも、童話的文体、アラン・シリトーやサリンジャーをまねた一人称の翻訳調文体、自分の内部にある少年の孤独を描くのに適していた冷徹な文体(もしかすると、これが著者の理想に一番近いかもしれません)、庄野潤三や柏原兵三の影響を受けた平易だが滋味のある文体(思うようには書けませんでしたが)と、様々な文体を書く対象に応じて使い分けてきました。
 著者は、児童文学とおとなの文学がはっきり区別されている当時の状況を「ふしぎなこと」としていますが、その後「現代児童文学」はその差を小さくする方向へ進み、80年代から90年代にかけては、児童文学の大人の文学への越境(これには、作品が大人にも読まれるという意味もありますし、児童文学でデビューした作家が大人の文学の書き手に転向していくという意味もあります)が話題になりました。
 これは、著者が当時理想とする方向だったわけで、児童文学が新しい読者(若い世代を中心にした大人の女性)を獲得することに成功しましたが、一方で児童文学のコアな読者である小学校高学年(特に男の子)の読者の児童書離れを引き起こすという副作用もありました。

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砂田弘「絶望・連帯・ユートピア――小沢正の世界」日本児童文学1972年6月号所収

2021-01-06 15:24:31 | 参考文献

 砂田は、1937年東京生まれで1962年早稲田大学卒業という小沢の経歴から60年安保の挫折が、このユニークな幼年童話作家を誕生させたのではないかと推測しています。
 つまり大学在学中に60年安保闘争を経験し、その敗北の影が作品に色濃く投影されているということです。
 砂田は小沢より四歳年長ですが、同じ早大童話会の先輩なので小沢とは旧知の仲だと思われますので、このように述べているのでしょう。
 私は小沢よりも17歳年下で60年安保はおろか、70年安保にも間に合わなかった世代ですが、1973年に同じ早稲田大学に入学したときにキャンパスに漂っていた挫折感は今でも覚えていますし、小沢の代表作である「目をさませトラゴロウ」を読んだ時には砂田と同様の感慨を抱きました。
 砂田は、1965年に出版された小沢の連作短編集「目をさませトラゴロウ」の各短編には、徒労感、倦怠、連帯への絶望などが漂っていると指摘しています。
 しかし、「さいごの物語「目をさませ トラゴロウ」で、作者は動物たちに、トラゴロウ(物語の主人公のトラ)を目ざめさせるためにうたわせ、目をさましたトラゴロウとともに<まちがかわる日のうた>を合唱させる。<中略>それは祈りにも似た合唱であり、読者はそのユートピアから気の遠くなるほどへだてたところにいる自分に気づき、ため息をつくことだろう。そしておとなも子どもも、自分がほかでもない「トラゴロウ」そのものであることを、いまいちど確認させられることになるのである。」と砂田は述べています。
 ここで、その<まちがかわる日のうた>を全文引用します。
「あるあさ
 目をさますと
 まちが かわっている
 サーカスからも
 どうぶつえんからも
 おりが なくなっている
 そして どうぶつたちが 
 まちの人と いっしょに
 とおりを あるいている
 だけど まちの人は みんな
 へいきなかおを してるんだ
 どうぶつたちが
 まちを あるくのは
 ずっと ずっと むかしから 
 あたりまえのことだった
 とでも いうように
 へいきなかおで
 どうぶつたちといっしょに
 あるいているんだ
 そんな日が
 はやく くるといいな
 ほんとに はやく
 くると いいな
 そんな日が
 はやく はやく
 くると いいな」
 そして、小沢は、読者にも一緒に<まちがかわる日のうた>を歌うことを呼びかけます。
 悲痛なまでの連帯への願い(それは絶望の裏返しなのでしょう)とユートピアを夢見る<まちがかわる日のうた>を読んだ時の激しい共感を、四十年以上たった今でもはっきり覚えています。

目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版)
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ポール・ギャリコ「マチルダ」

2021-01-06 13:24:01 | 参考文献

 1970年に書かれた長編小説です。
 今回読んだのは新訳ですが、日本語訳は1978年に出ています。
 当時(1970年代)は、ポール・ギャリコは日本でも人気作家で、多くの作品が訳されていますが、その中には「ジェニー」のような児童文学の範疇に入れられる作品もあります。
 作者は生来のストーリーテラーで、どんなに荒唐無稽な設定(例えば豪華客船が転覆してさかさまになってしまう「ポセイドン・アドベンチャー」など)でも、その剛腕で痛快なエンターテインメントにまとめ上げてしまいます。
 この作品でも、マチルダという名のカンガルーが、ボクシングの世界ミドル級タイトルマッチまで上り詰める過程を、機智とユーモアで鮮やかに描いています。
 主人公がカンガルーといっても、擬人化された動物ファンタジーではなく、リアリズム(ユーモア小説ですが)の手法で描かれているところが、他の作家とは一線を画しているところです。
 さすがに、1970年当時のことですから、現在から眺めるとジェンダー観やマイノリティへの配慮などに欠けている点はありますが、まだまだ現在でもエンターテインメント作品として楽しめます。
 特に、ボクシングと、興業、ジャーナリズム、マフィアなどとの関わりについては、かつてスポーツライターだったことの経験が生きていてリアリティがあります。
 そのスポーツのことをよく知らない作者が書いたスポーツ物が横行している現在の児童文学作品にうんざりしている目には、こうした本格的な内容(それでいてユーモアで描いている)を持った作品を久しぶりに読むことは大きな喜びです。

マチルダ―ボクシング・カンガルーの冒険 (創元推理文庫)
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