題名でおわかりのように、現代児童文学とは何の関係もない本です。
ただ、この本を読んで、児童文学の研究などに様々な示唆があったので、それについて述べたいと思います。
この本は、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで言われた柔道史上最強(山下泰裕よりも、小川直也よりも、アントン・ヘーシンクよりも強いと言われる)の戦前(彼の全盛期で今とは比べ物にならないほど柔道が盛んだった)の柔道王木村政彦の生涯を、「昭和の巌流島」対決と言われたプロレスのスーパースター力道山との試合(昭和29年)でなぜ敗れ去ったかを中心に描いた長編ノンフィクションです。
はっきり言って、私のような格闘技ファンでなければ、まるで興味が持てない本でしょう。
また、書き方もかなりマニアックな枝葉に入り込み、いたずらに長くなって(二段組み、700ページ以上、原稿用紙1600枚以上)読みにくいですし、かなり通俗的な文献(木村や力道山には、玉石混交の関連本が山ほどあります)をそのまま引用している部分も多く、ノンフィクションとしての出来はそれほどほめられたものではありせん。
しかし、この普通の人にはどうでもいいと思えるようなテーマやモチーフに、これだけ情熱を傾けられるのは感動的ですらあります。
増田は、18年の歳月をかけて膨大な資料(新発見も多いようです)にあたり、たくさんのインタビュー(当時のことを知る存命の人たちだけでなく現役の格闘家にも)をしています。
彼の情熱は、児童文学の研究者たちにも共通しています。
児童文学関連の学会についての記事でも書きましたが、ある者は戦前の幼女の「ちょうだい」のポーズからジェンダー論や戦争の影響を読み取り、また別の研究者は宮沢賢治の「風の又三郎」の「誤記」問題を原稿用紙の使い方にまで言及して謎に迫ります。
それらの発表の時の彼らのうれしそうな顔といったら、見ていてこちらがうらやましくなります。
私の好きな言葉に、「文学は徹底的に実用にならないから研究している」というものがあります。
残念ながら、私はまだその境地には達していず、何とか文学を現実社会の改革に生かそうと思ってしまいますが。
また、増田の調査方法は、前述したように文献の渉猟だけに頼らずに、できるだけ関係者へのインタビューで裏を取ろうとしています。
これは小熊英二の「1968」の記事にも書きましたように、存命者がまだいる時代を描く場合には必須のことと思われます。
私の専門の現代児童文学の研究でも、これは重要なことだと考えています。
最後に、私はこの本をキンドル(その記事を参照してください)で読みましたが、紙の本は分厚くて重く二段組みで活字も小さいこのような本は、軽くて字が大きくできる(目のいい若い人は活字を小さくして1ページ当たりの情報量を増やせます)電子書籍リーダーで読むのに最適だと思いました(私が買った時の値段は、紙の本が2740円でキンドル本は2080円でした)。
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか | |
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