まさに題名通り、東京の右半分(台東区を中心に、足立区、墨田区、江東区、江戸川区、荒川区、文京区、葛飾区など)の新しい風俗(狭義の性的な意味ではなく、それも含めてもっと広い生活全般の意味です)を紹介した本です。
以下に、この本の「はじめに」を引用します。
「古き良き下町情緒なんかに興味はない。
老舗の居酒屋も、鉢植えの並ぶ路地も、どうでもいい。
気になるのは50年前じゃなく、いま生まれつつあるものだ。
都心に隣接しながら、東京の右半分は家賃も物価も、
ひと昔前の野暮ったいイメージのまま、
左半分に比べて、ずいぶん安く抑えられている。
そして建築家のオモチャみたいなブランドビルにも、
ユニクロやGAPのようなメガ・チェーンにも、
まだストリートを占領されていない。
獣が居心地のいい巣を求めるように、
カネのない、でもおもしろいことをやりたい人間は、
本能的にそういう場所を見つけ出す。
ニューヨークのソーホーも、ロンドンのイーストエンドも、
パリのパスティーユも、そうやって生まれてきた。
現在進行形の東京は、
六本木ヒルズにも表参道にも銀座にもありはしない。
この都市のクリエイティブなパワー・バランスが、
いま確実に東、つまり右半分に移動しつつあることを、
君はもう知っているか。」
なかなか挑戦的な惹句です。
しかし、一読、私は新しさよりも懐かしさを感じました。
私事になりますが、幼稚園から大学を卒業して就職するまで足立区に住み、ゆえあって台東区の幼稚園、小学校、中学校に京成電車で通っていたので、まさにこのあたりは私のショバ(場所、テリトリー)でした。
区をまたいで、けっこう危ない所も含めてチャリンコ(死語ですね!)で走り回っていました。
その後、他の人たちと同じように活動領域がどんどん東京の左へ左へと移っていき、今では関東平野の左のはずれの山間部に至る境目で暮らしているので、最近は「東京右半分」とは、小学校や中学校の時の友だちと会う時以外は、すっかりご無沙汰になっています。
今の若い人たちには新しく感じられるであろうこの地域の独特の雰囲気は、地元育ちの私にとっては50年前とあまり変わってないように感じられました。
猥雑でしたたかでたくましいこの雰囲気に身をゆだねれば、ポスト「現代児童文学」の新しい作品も生みだせそうな気さえします。
子どもも成人して家を離れたので、地震の心配さえなければ(今住んでいる地域は東日本大震災でもあまり揺れませんでした)、「東京右半分」に引っ越して、猥雑な空気に耽溺したいのですが。
東京右半分 | |
クリエーター情報なし | |
筑摩書房 |