現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ブレードランナー2049

2024-11-23 11:29:08 | 映画

 世界中に熱狂的なファン(私もその一人ですが)を持つ近未来SF映画の、35年ぶりの続編(映画の中の世界では、前作の2019年(この映画は2017年封切りでもうすぐなんですけど、「2001年宇宙の旅」でも21世紀になった時に同様の感慨を持ったのですが、科学技術の発展は当時考えていたものとは違った方に進んでいるようです。一番違うのは、空飛ぶ車の実現かもしれません)から30年後が舞台)です。
 新たな傑作への期待と、前作のイメージが壊されるのではとの不安とが、半々でしたが、結果としてはそのどちらでもなく「まあまあかな」といった感じです。
 「ブレードランナー」と言えば、前作の監督のリドリー・スコットが作り上げた2019年のロサンゼルスの圧倒的なイメージ(デッドテック・フューチャー(退廃的未来)と言うんだそうです)が有名ですし、私も真っ先に大スクリーンに映された芸者さんによる「わかもと」のコマーシャル映像が浮かんでくるんですが、この作品でもセットにCGを加味して立体映像にして、より壮大なスケールで描いていてます。
 前作を踏襲したロサンゼルスのダウンタウンや廃棄物処理区域などはそれほど感心しませんでしたが、ラスベガスを思わせるかつての歓楽都市の廃墟のシーンはヒネリがあって面白かったです(ただ、いろいろなシーンで、映画会社の親会社であるSONYのロゴが出てくるのには食傷されました)。
 ドラマやアクションはまあまあといったレベルで、主人公がレプリカント(人造人間)であることもあって、「人間とは何か」という根源的なテーマに対する問いかけは前作より薄まった感じがします(レプリカントが生殖能力を持つことがこの作品のポイントなのですが、そのことの持つ意味合い(レプリカントの増産に役立つ?、人間とレプリカントとの生殖による新人類(イエス・キリストのような奇跡をもたらす存在)の創生?といったことが匂わされています)が、最後は単純なアクションシーンで締めくくってしまって中途半端なままに終わりました。
 主役のライアン・ゴズリングは、「ラ・ラ・ランド」よりもずっとはまり役で、寡黙で控えめな演技が、従順な新型レプリカント(途中までは自分が人間とレプリカントとの生殖による新人類なのではないかと思っていました)にピッタリでした。
 前作の主役だったハリソン・フォードは、今回もアクション・シーンなどを熱演していましたが、かつての若々しい彼の姿を知るものとしては、年取った彼(この映画ではそれを強調しているかもしれません)を見ると、やはりなんだか悲しくなってしまいました。
 細かいところですが、一番印象に残ったのは、主人公の恋人がAIを持ったヴァーチャル・リアリティだったことです(前作では、人間とレプリカントの恋愛がテーマの一つでした)。
 レプリカントと肉体を持たないヴァーチャル・リアリティの悲恋なのですが、その感情の動きは非常に人間的で私の心の琴線に触れてきました(そのヴァーチャル・リアリティの女性がすごく魅力的なこともあったでしょう)。
 このあたりは、2049年まで待たなくてもすぐに実現して、今は二次元の恋人を持っている現代の若者たち(特に男性)にとっては、新しいより強力な恋愛対象になるでしょう(非婚化と少子化がさらに進んでしまうかもしれませんが)。

ディレクターズカット ブレードランナー 最終版(字幕版)
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ブレードランナー ファイナル・カット

2024-11-23 11:26:47 | 映画

 1982年公開のSF映画「ブレードランナー」には幾つかのバージョンがあるのですが、これは2007年版です。
 2007年当時の最新技術を用いて画質や音響は改善されていますが、ストーリー自体には大きな変化はありません。
 1983年の日本公開時には、レプリカント(過酷な労働などのために作られた人造人間のことで、感情を持って人間に反乱したために抹殺命令が出されています)とブレードランナー(レプリカントを発見して抹殺する役目の警察官のような公務員です)の壮絶な戦いばかりに目がいったのですが、今回見直してみると、寿命が四年に限定されているレプリカントの悲しみや、レプリカント同士の愛情、人間(ブレイドランナー)とレプリカントの愛情などが色濃く感じられて、一種の異類婚姻譚による新しい世界の創出を暗示しているように思えました。
 実際、この世界の30年後を描いた「ブレードランナー2049」(その記事を参照してください)では、「ブレードランナー」のラストで逃亡した人間(ブレードランナー)とレプリカントの子どもが、超人類として登場します(今回「ブレードランナー2049」を見てから見直したので、特にそういった印象を受けるのかもしれませんが)。
 それにしても、この映画の舞台であった2019年11月のロサンゼルスの退廃した世界を、同じ2019年に見てみるとなかなか感慨深いものがあります。
 実際には、映画の世界のようには酸性雨は降り続いていませんが、地球温暖化による異常気象は世界中で日常化しています。
 人間の奴隷として生み出されたレプリカントはまだいませんが、故郷を追われアメリカにも入国できない移民たちや正規雇用がされずに景気によって簡単に雇止めされる人たちの悲しみは、レプリカントの悲しみに通じる物があると思われます。
 世界中で格差が拡大して富が偏在している現代では、このままいけば人間に対するレプリカントの反乱のようなことが、支配階層に対して起こってもぜんぜん不思議はありません。
 監督のリドリー・スコットの描いた2019年の世界は、お馴染みの空飛ぶ車はご愛嬌としても、現実とはあきらかに異なる点がいくつかあります。
 やはり一番大きいのは、パソコン、インターネット、スマホの不在でしょう。
 これらを実現した半導体は、やはり偉大な発明だったと思われます。
 また、日本が衰退して、中国が台頭することは予見できなかったようです。
 2019年のロサンゼルスには、怪しげな日本語が氾濫していますし、中国人とおぼしき人たちは自転車で走り回っています(1980年代は日本はバブル最盛期でしたし、中国には自転車が溢れていたので、そのイメージを払拭できなかったようです)。
 なお、この映画の原作(ストーリーはほとんど違っているので、原案と言った方が正しいでしょう)は、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(アンドロイドとは人造人間の事ですが、現在ではあまり使われていません)ですが、それが書かれたのはさらに10年以上古い1968年のことなので、いかに当時のSF小説の書き手が優れていたかがわかります。

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グラディエーター

2024-11-23 11:24:12 | 映画

 2000年に公開されたアメリカ映画です。

 アカデミー賞の作品賞を受賞し、興行的にも大成功しました。

 監督のリドリー・スコットらしい大掛かりなセットによる迫力あるシーンは、エイリアンやブレードランナー(その記事を参照してください)と並んで、この作品を彼の代表作にしました。

 新しい皇帝(前の皇帝の息子)の陰謀で、前の皇帝に愛され位を譲られようとしていた将軍が、命を狙われ、剣闘士(グラディエーター)に身をやつして、復讐(前の皇帝や彼の妻や子供が殺されました)をとげます。

 かなりご都合主義なストーリーで、非常に通俗的な作品ですが、主演のラッセル・クロウの重厚な演技(アカデミー賞の主演男優賞を受賞しました)にも助けられて、娯楽作品としては大成功しました。

 

 

 

 

 

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