「児童文学の魅力 いま読む100冊―日本編」所収の作品論です。
芝田は、前に読んだ時には、「主人公セイタカさんとおちび先生の、小人という秘密を通してのふれあい。自然破壊に対する小人たちのゆかいなたたかい。小人たちのキャラクターのおもしろさ。」などの点をあげて、素晴らしい作品だと思っていたといいます。
しかし、再読していろいろな問題があることに気がついたと述べています。
芝田が問題だと指摘した第一の点は、小人たちのいる小山が「自分だけの閉じた世界」であることです。
このことは芝田に限らずこの作品で議論される最大のポイントで、「だれも知らない小さな国」という題名にもあらわされているように、この作品世界は主人公ないしはその理解者たち(これは佐藤さとるとこの作品を支持する読者たちと、等号で結ばれています)だけのものであり、理解しないものは受け入れない排他性につながっていると思われます。
芝田が指摘した第二の点は、「戦争とのかかわり」です。
これも必ず議論になる点ですが、この作品での戦争中の描写はほんの数行だけで済まされているのです。
好意的に評すれば「戦争を通しても変わらぬ価値(小山や小人の存在)を主人公(作者)は持ち続けた」となりますが、芝田は作者が戦争を封印していると指摘し、それだけ佐藤さとるにとって戦争の傷は深かったのかもしれないと推測しています。
しかし、芝田も述べているように、この作品で作者が戦争体験を忌避していることは明らかで、作者の「戦争」に対する意見の表明は留保されたままです。
最後の問題点として、芝田は「現実とのかかわり」をあげています。
ここでも、作者の姿勢は現実からの逃避(これは、佐藤さとるがモデルにしているイギリスのファンタジー、例えばケネス・グレアムの「楽しい川辺」などとも共通しています)であるともいえます。
この作品ではまだはっきりしていませんが(続編の作品群では明らかになっています)、芝田が指摘しているように、佐藤さとるが創造したコロボックルの社会は、人間社会の遅れてきたモデルにすぎなかったのかもしれません。
芝田は、前に読んだ時には、「主人公セイタカさんとおちび先生の、小人という秘密を通してのふれあい。自然破壊に対する小人たちのゆかいなたたかい。小人たちのキャラクターのおもしろさ。」などの点をあげて、素晴らしい作品だと思っていたといいます。
しかし、再読していろいろな問題があることに気がついたと述べています。
芝田が問題だと指摘した第一の点は、小人たちのいる小山が「自分だけの閉じた世界」であることです。
このことは芝田に限らずこの作品で議論される最大のポイントで、「だれも知らない小さな国」という題名にもあらわされているように、この作品世界は主人公ないしはその理解者たち(これは佐藤さとるとこの作品を支持する読者たちと、等号で結ばれています)だけのものであり、理解しないものは受け入れない排他性につながっていると思われます。
芝田が指摘した第二の点は、「戦争とのかかわり」です。
これも必ず議論になる点ですが、この作品での戦争中の描写はほんの数行だけで済まされているのです。
好意的に評すれば「戦争を通しても変わらぬ価値(小山や小人の存在)を主人公(作者)は持ち続けた」となりますが、芝田は作者が戦争を封印していると指摘し、それだけ佐藤さとるにとって戦争の傷は深かったのかもしれないと推測しています。
しかし、芝田も述べているように、この作品で作者が戦争体験を忌避していることは明らかで、作者の「戦争」に対する意見の表明は留保されたままです。
最後の問題点として、芝田は「現実とのかかわり」をあげています。
ここでも、作者の姿勢は現実からの逃避(これは、佐藤さとるがモデルにしているイギリスのファンタジー、例えばケネス・グレアムの「楽しい川辺」などとも共通しています)であるともいえます。
この作品ではまだはっきりしていませんが(続編の作品群では明らかになっています)、芝田が指摘しているように、佐藤さとるが創造したコロボックルの社会は、人間社会の遅れてきたモデルにすぎなかったのかもしれません。
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