物語の中で別の物語が語られるというのは、昔話の世界のころからよく使われる手法ですが、そのこと自体を作品の中核に据えた作品というのはなかなか魅力的で、例えばブローディガンの「愛のゆくえ」(その記事を参照してください)という作品などが思い出されます。
「愛のゆくえ」では、誰かが書いた世界に一冊しかない本を預かる図書館の館員が主人公で、さまざまな物語が、「愛のゆくえ」という物語の内部に持ち込まれます。
ただし、この作品は、厳密な意味では児童文学ではありませんでした。
評論や研究論文では、こういった作品を児童文学と一般文学の間の越境といいます。
さて、最近の児童文学、特にライトノベルなどでは、「メタ物語」ということが話題に上ります。
本来、物語の語り手と物語世界との位置関係は一対一であることが一般的です。
語り手は物語世界の外から物語を語る場合が多いのですが、作品によっては物語世界の内部にいるものもあります。
また、物語世界の中に、別の物語世界が入っている場合もあります。
演劇でいうところの「劇中劇」に相当します。
つまり、語り手の位置には次のような三つの種類があります。
1.物語世界外
語り手は物語世界の外にいて、物語の中で登場人物として現れることはありません。
2.物語世界内
語り手が物語世界の中で登場人物としての役割も持っている場合です。
言い換えれば、登場人物が語り手の役も果たしています。
このもっとも有名な例は、「千夜一夜物語」のシェヘラザードでしょう。
3.メタ物語世界
2で述べた語り手によって語られる、いわば劇中劇の世界のことです。
しかし、最近の作品では、これらの境界が侵犯されることがあります。
例えば物語世界外の語り手が物語世界での出来事を語っている最中に、物語世界外の内容が描かれる場合があります。
このように、最近の児童文学では、物語構造が複雑化しています。
ただし、物語の起源をたどれば、物語の語り手(例えば古老など)が、昔話を語っている途中で自分の体験や現在の事を織り交ぜるなどの自由度はあったわけで、そういう意味では現在のライトノベルなどのポストモダンの物語は、近代小説から出発しつつもそれを飛び越えて先祖返りしているのかもしれません。