ぼくのおばあちゃんは、ガンで病院に入院しています。
おばあちゃんが入院する前、家を建て直すために物置小屋を片づけていたおとうさんが、古いスケッチブックを発見します。
今から三十年以上前のぼくと同じ小学校五、六年生だったころのおとうさんが、クレヨンで描いた数々の絵が画集に載っています。
そこには、若いころのおばあちゃんがざぶとんで作ったサンドバッグの前で、ボクシングのポーズをとるおとうさんを描いた絵もありました。
おばあちゃんがなくなり、おばあちゃんの遺体は、そこで暮らすはずだったできたてほやほやの隠居部屋に安置されます。
おばあちゃんがお骨になって帰ってきた後の親戚だけの会で、おとうさんは十三歳も年上の義理のおにいさんをめちゃくちゃになぐりつけます。
おじさんが、死んだおばあちゃんが臭かったと、不用意に言ったからです。
ざぶとんのサンドバッグを前に美しいファイティングポーズをとっていた少年が、おとなになってからは弱い者に馬のりになってでたらめなパンチをあびせています。
その姿を見て以来、ぼくはおとうさんのにこやかな顔や優しい言葉が信じられなくなります。
自由画の時間に、ぼくはおばあちゃんの死に顔を描きます。
しかし、図工の先生に、「おばあちゃんの昼寝顔にのどぼとけがあるのはおかしい」と、指摘されてしまいます。
実際には、おばあちゃんののどには、死ぬ直前に男の人ののどぼとけのようなとんがりが出てきたのです。
「先生の大事な人が遠くのどこかへ旅立つ日、先生はぼくの絵がうそではないことに気づいてくれるのだろう」と、ぼくは思いました。
1985年12月12日に発行された「少年時代の画集」の表題作です。
「少年時代の画集」は、多感な子どもの目に映る世界を様々なタッチで描いた短編集です。
この表題作は、この本以外にもいろいろなアンソロジーにも収められている、森忠明の短編の代表作です。
他の作品と同様に、作者の実体験に基づいた独特の視点で、病的までに鋭い少年の感受性と、それに伴う大人たちへの不信感が鮮やかに描かれています。
ただ、この作品では、おとうさんや先生に対する批判の描き方が、主人公の少年そのものの見方というよりは、大人になった作者の視点も一緒に表れてしまっているようで気になりました。
おそらく、子どもの時にそのようなことを感じたことは事実なのでしょう。
でも、この作品では、描き方が少し大人目線が含まれてしまっているような感じがします。
それは、「きみはサヨナラ族か」(その記事を参照してください)や「花をくわえてどこへゆく」(その記事を参照してください)の主人公たちが、実際に行動として大人世界への拒否感を表したのに対して、この作品ではたんに批判的な視線をおくるだけなので、どこかシニカルな印象を読者に与えてしまうためだと思います。
森忠明の一連の作品は、このあたりから質的な変化を遂げていきます。
少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ) | |
クリエーター情報なし | |
講談社 |