「哀愁の町に霧が降るのだ」、「新橋烏森口青春篇」に続く自伝的青春小説で、前二作が主人公も含めて実名で書かれているのに対して、架空の登場人物(本人も含めて明らかにモデルがわかる人物もいますが)を使って書かれていて、文庫版の解説で目黒孝二が指摘しているようにフィクション度は一番高いです。
百貨店関連の業界紙を発行している従業員15人ぐらいの小さな会社を舞台に、ひょんなことで月刊の薄い雑誌の編集長(初めは彼一人だけで途中から同い年の部下ができる)を務めることになった主人公の若者(23歳ぐらい)の奮闘を、友情や恋や酒や喧嘩などをからめて描いています。
著者は1944年生まれなので、この作品の舞台は1960年代の終わりごろだと思われ、まだ自分や国の未来に希望が持てた幸福な高度成長時代のお話です。
「何者」でもない自分が「何者」かになろう(この本の場合は、新しいもっと本格的な専門雑誌の立ち上げ)ともがくする姿が、もうそうした夢が過去のものになりかかっていたバブル崩壊後の若い読者(この本の発行は1991年)には、うらやましく感じられたことでしょう。
この本では、作者の強みである若い頃の詳細な記憶をベースに、小説家としての成熟度が上がった段階の筆さばきで見事なフィクションに仕上がっています。
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