1982年公開のSF映画「ブレードランナー」には幾つかのバージョンがあるのですが、これは2007年版です。
2007年当時の最新技術を用いて画質や音響は改善されていますが、ストーリー自体には大きな変化はありません。
1983年の日本公開時には、レプリカント(過酷な労働などのために作られた人造人間のことで、感情を持って人間に反乱したために抹殺命令が出されています)とブレードランナー(レプリカントを発見して抹殺する役目の警察官のような公務員です)の壮絶な戦いばかりに目がいったのですが、今回見直してみると、寿命が四年に限定されているレプリカントの悲しみや、レプリカント同士の愛情、人間(ブレイドランナー)とレプリカントの愛情などが色濃く感じられて、一種の異類婚姻譚による新しい世界の創出を暗示しているように思えました。
実際、この世界の30年後を描いた「ブレードランナー2049」(その記事を参照してください)では、「ブレードランナー」のラストで逃亡した人間(ブレードランナー)とレプリカントの子どもが、超人類として登場します(今回「ブレードランナー2049」を見てから見直したので、特にそういった印象を受けるのかもしれませんが)。
それにしても、この映画の舞台であった2019年11月のロサンゼルスの退廃した世界を、同じ2019年に見てみるとなかなか感慨深いものがあります。
実際には、映画の世界のようには酸性雨は降り続いていませんが、地球温暖化による異常気象は世界中で日常化しています。
人間の奴隷として生み出されたレプリカントはまだいませんが、故郷を追われアメリカにも入国できない移民たちや正規雇用がされずに景気によって簡単に雇止めされる人たちの悲しみは、レプリカントの悲しみに通じる物があると思われます。
世界中で格差が拡大して富が偏在している現代では、このままいけば人間に対するレプリカントの反乱のようなことが、支配階層に対して起こってもぜんぜん不思議はありません。
監督のリドリー・スコットの描いた2019年の世界は、お馴染みの空飛ぶ車はご愛嬌としても、現実とはあきらかに異なる点がいくつかあります。
やはり一番大きいのは、パソコン、インターネット、スマホの不在でしょう。
これらを実現した半導体は、やはり偉大な発明だったと思われます。
また、日本が衰退して、中国が台頭することは予見できなかったようです。
2019年のロサンゼルスには、怪しげな日本語が氾濫していますし、中国人とおぼしき人たちは自転車で走り回っています(1980年代は日本はバブル最盛期でしたし、中国には自転車が溢れていたので、そのイメージを払拭できなかったようです)。
なお、この映画の原作(ストーリーはほとんど違っているので、原案と言った方が正しいでしょう)は、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(アンドロイドとは人造人間の事ですが、現在ではあまり使われていません)ですが、それが書かれたのはさらに10年以上古い1968年のことなので、いかに当時のSF小説の書き手が優れていたかがわかります。
ブレードランナー ファイナル・カット [Blu-ray] | |
クリエーター情報なし | |
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント |