現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

「ハプスブルグ展」国立西洋美術館

2020-01-09 18:15:37 | 展覧会
 数百年に渡って中欧(現在の国名で言えば、オーストリアを中心にハンガリーやチェコ、最盛期にはオランダやスペイン、北部イタリアや東欧の一部も)に君臨したハプスブルグ家のコレクションです。
 絵画だけでなく、宝飾品や甲冑など、展示は多岐にわたっています。
 絵画は大半が肖像画や宗教画で、ベラスケスを除くとそれほど面白いものはないのですが、展示がハプスブルグ家の栄枯盛衰に沿って行われているので、歴史的観点では面白かったです。
 前に見たウィーンモダン(その記事を参照してください)と合わせて考えてみると、第一次
世界大戦の端緒になり、その終戦時に崩壊したハプスブルグ家の近代における役割は興味深いです。
 さらに、その後の混乱の中で、ドイツではヒットラー(オーストリア出身)のナチスが台頭し、イタリアでは統一イタリアができたのをきっかけにした愛国主義(児童文学の古典であるクオーレにも影響しています)の高揚からムッソリーニが出現した、いわゆるファシズムの時代と関連付けて考えるとより面白いです。
 苦手(前にシュトットガッルトの美術館で非常に大量の宗教画を見て気分が悪くなったことが、トラウマになっています)の宗教画をたくさん見たので、口直しに常設展示の松方コレクションの印象派やコルビジュやピカソの絵を駆け足で見ました。
 好みの絵をいつでもサッと(こちらはすごくすいているので)見られるのは、コルビジェ設計の建物本体と共に、この美術館の最大の利点です。


ハプスブルグ展図録
読売新聞東京本社
読売新聞東京本社


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サキ「家庭」サキ短編集所収

2020-01-07 09:50:15 | 作品論
サキ短編集 (新潮文庫)
中村 能三
新潮社


 裕福な独身男性が、周囲の期待する家庭的な女性ではなく、職業婦人(死語ですね。何しろ百年以上も前に書かれた作品ですので。彼女の仕事は今の言葉で言えば、帽子デザイナーです)と結婚します。
 しかし、結婚すると、彼女はさっさと仕事を辞めてしまい、彼の嫌いな世話焼き女房になってしまいます。
 もちろんこの作品は古いジェンダー観に基づいて書かれているのですが、日本においても女性の(あるいは社会が要求する)職業観は二転三転しています。
 高度成長時代は、男性が会社で働いて女性が家庭を支える方が効率が良かったので、それが一般化しました(それ以前は、庶民では男女の区別なく働いていました)。
 その後、家庭の電化と社会の労働力不足で、女性の社会進出が求められるようになりました。
 それが、低成長時代になると労働力が余って就職氷河期をむかえ、特に女性の就職は困難になり、それに疲れた若い女性の専業主婦志向が高まります。
 しかし、高度成長時代と違って、豊かな生活に慣れていたために、結婚相手への経済的条件が高過ぎて(年収六百万円以上で、これをクリアできる若い男性は当時4パーセントしかいませんでした)、非婚化と少子化に拍車をかけました。
 その後、世界景気が持ち直したのと団塊の世代が退職したために人手不足になって、また女性の社会進出が声だかに叫ばれているのは、ご存じのとおりです。
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フレデリック・フォーサイス「ブラック・レター」シェパード所収

2020-01-06 09:02:48 | 参考文献
シェパード (角川文庫)
篠原 慎
角川書店


 ご存じのように、作者は、「ジャッカルの日」や「オデッサ・ファイル」などで知られる、犯罪やスパイや戦争など題材にした長大なエンターテインメント作品の大家ですが、この作品のように短編でもなかなかの切れ味を見せています。
 ロンドンのシティに勤める小心者の初老の男が、ふと魔がさして売春婦と関係を持って、美人局に引っかかって脅迫される話です。
 でも、実はこの小心者は、第二次世界大戦中は、「爆弾の魔術師」と呼ばれた爆弾処理班のヒーローだったのです。
 その特技を生かして、ラストでは犯人一味を小包爆弾で吹き飛ばして、ハラハラしていた読者は溜飲を下げることができます。
 この作品が書かれた1973年当時のロンドンの性産業がどのような状態だったかは知りませんが、万事に保守的な土地柄ですので、あまりに開放的な現代の日本のそれと比較すればずっと閉鎖的だったでしょうから、このような作品が成立したのかもしれません。

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スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

2020-01-05 11:24:34 | 映画
アート・オブ・スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け
秋友克也,品川亮
ヴィレッジブックス


 1977年に始まったシリーズの完結編です。
 最初の作品が公開された時は、世界同時上映ではなく、アメリカでの評判を雑誌で読んで、日本での公開を楽しみにしていたのを覚えています。
 公開された作品は、CGのない時代に、創意工夫でスペースオペラの世界を実写で描ききったとてつもない才能に溢れたものでした。
 完結編のこの作品は、オールスター総出演でみんなに花を持たせなければならないので、やや冗漫な感じは否めないのですが、レイア姫が亡くなる(演ずるキャリー・フィッシャーも実際に亡くなられています)あたりから、涙が出てきて、ハン・ソロやルーク・スカイウォーカーの魂が主人公たちを導くあたりでは止まらなくなりました。
 42年もの間、一緒にいた仲間たち(?)が完全にいなくなるのは、やはり寂しいものです。
 それにしても、ハン・ソロを演じたハリソン・フォードは、スターウォーズではレイア姫と結婚し、ブレードランナーではレプリカントのレイチェルと結ばれたのですから、SF映画一のもて男でした。
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梶井基次郎「檸檬」

2020-01-05 11:22:09 | 作品論
檸檬
梶井基次郎
新潮社


 僅か数十編の小品を書いただけで、三十一歳の若さで亡くなった作者の、1925年に発表された代表作です。
 当時は死病だった肺結核を患い、金も仕事もなく、頼れる身寄りもなく、友人の下宿を転々としながら、残された短い命をどのように燃焼させたらいいかも分からずに、ただ焦燥感だけにとらわれている青年の心情を僅かな紙数で描ききっています。
 しかも、そのどうにもやるせない状況を、決して暗くなることなく、レモンイエローに象徴される鮮やかな色調と躍動感溢れる文章で描ききっています。
 こうした作品をあらためて読むと、文学というジャンルは、少なくとも日本では、百年以上前に、漱石や鴎外をピークにして、明らかに衰退していることがよく分かります。
 それは、文学に限ったことではなく、映画は1950年代、マンガは1960年代、テレビは1970年代をピークとして、日本では衰退しています。
 これは、商業的なピークではなく、表現方法あるいは芸術としてのピークを意味しています。
 もしかすると、現在商業的に成功しているアニメやゲームも、表現方法としては、すでにピークを過ぎているのかもしれません。
 もっとも、表現方法としての先輩である、音楽は18世紀に、絵画は19世紀にピークを迎えているのですから、こうした分野の宿命なのかもしれませんが。
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横山光輝「伊賀の影丸」

2020-01-05 10:20:13 | コミックス
 1961年から1966年にかけて、少年サンデーで絶大な人気を誇った忍者漫画です。
 この時期はちょうど私の小学生時代と重なっているので、私自身にとっても影丸は最大のヒーローです。
 学校の帰りに、上野公園の茶店の縁台で、同級生の水越くんと、来週の「影丸」がどうなるかを熱心に語り合ったのを今でも覚えています。
 白土三平の「カムイ伝」や「カムイ外伝」(その記事を参照してください)を忍者漫画の「純文学」の代表作だとすれば、「伊賀の影丸」は忍者漫画の純粋エンターテインメントの傑作と言えるでしょう。
 黒装束、背中につるした刀、鎖帷子、十字手裏剣など、いわゆる忍者スタイルを確立し、その格好をまねる男の子たち(もちろん私もその一人です)を多数生み出して、一大忍者ブームを巻き起こしました。
 また、影丸たち伊賀忍者対甲賀や飛騨などの忍者との対抗戦、影丸の「木の葉隠れ」を初めとした秘術や秘技の応酬などのこの漫画のスタイルは、その後の少年漫画に多大な影響を与え、「キン肉マン」、「北斗の拳」、「ドラゴンボール」、「JOJOの奇妙な冒険」なども、この漫画の正統な後継者と言えるでしょう。
 それにしても、あれから50年以上も時間がたっているのに、私は、いまだに「伊賀=正義」、「甲賀=悪」という全く根拠のない偏見を持っていることを、告白しなければなりません。

伊賀の影丸 コミック 1-11巻セット (秋田文庫)
クリエーター情報なし
秋田書店
 
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山中恒「ぼくがぼくであること」

2020-01-04 09:35:06 | 作品論
 教育ママにあまりにしぼられたために、衝動的に家出をした小学六年生の主人公の男の子が、偶然訪れた山村でのひと夏の体験を通して、「ぼくはぼくなんだ」と一人の人間として生きていくことを自覚する作品です。
 このよくありそうなテーマを単なる成長物語ではなく、一級のエンターテインメントにしてしまうのが、天性のストーリーテラー、山中恒の作家としての腕前でしょう。
 なにしろ、主人公の淡い初恋、ひき逃げ事件、替え玉母親、さらには、武田信玄の埋蔵金まで、エンタメ要素満載です。
 しかも、そこへ、受験競争、学園闘争、家庭崩壊、戦争体験などの、出版された1969年当時の社会問題までも、巧みに盛り込んでいます
 作者の文才は、早大童話会時代からつとに有名で、「山中恒がいたから創作はあきらめた。敵わないですよ、彼には」(「『早稲田の児童文学サークル』と現代日本児童文学」日本児童文学2011年7・8月号所収)と、児童文学研究者で翻訳家の神宮輝夫に言わしめたほどです。
 児童文学研究者の鳥越信も、同様の理由で(彼は強がりなので、公式にはケストナーのように幼少時代を鮮明に覚えていないから創作をあきらめたんだと言っていましたが)作家をあきらめて研究者になったといわれています。
 19歳だった私自身の1973年のレポート(早稲田大学児童文学研究会「ビードロ」所収)でも、古田足日や後藤竜二のテーマ主義が目立つ当時の作品に比べて、作者の優れたストーリー性と社会性のバランスを高く評価していました。
 その後1970年代に入ると、「おれは児童文学者ではなく児童読み物作家なんだ」と、作者自身が完全に開き直ってしまい、作品からは社会性が失われてしまいました。
 1974年に聞いた作者の講演の記憶では、自分の本が課題図書に選ばれないことをかなりひがんでいた面もあると思われます。
 なお、児童文学者協会の協会賞は1969年に「天文子守歌」で選ばれているのですが、作者は辞退しています。
 講演でも、「協会賞はいらないから課題図書に選んでくれ」と言っていました(今はそれほどではありませんが、当時は課題図書になれば家が建つと言われていました)。

ぼくがぼくであること (岩波少年文庫 86)
クリエーター情報なし
岩波書店
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