1969年に公開された、言わずと知れた日本を代表する人情喜劇映画の第一作です。
恥ずかしながら初めて見たのですが、この第一作にシリーズの成功要因のすべてが入っていることに驚かされます。
能天気な風来坊(当時、こうした人たちはフーテンと呼ばれていました)の寅さん、しっかり者だがけなげなはかなさを秘めた妹のサクラ、いかにも下町らしい世話好きなおいちゃんとおばちゃん、いかにも実直な勤労青年でサクラと結婚して義理の弟になるヒロシ、泰然とした雰囲気を持つ帝釈天の御前様、おっちょこちょいだが好人物の町工場のタコ社長といった主要なレギュラー登場人物はもちろん、寅さんがフラりと現れて、その時その時の旬の美人女優が演じるマドンナ(この作品では、光本幸子が演じる御前様の娘)に片想いして、失恋して去っていくという作品のパターンまでが、ここで確立されています。
それにしても、渥美清も、倍賞千恵子も、前田吟も、みんな若々しい魅力に溢れています。
寅さんファンのお叱りを覚悟で言えば、これから続く全50作にわたるシリーズはこの第一作の自己模倣にすぎないのかもしれません。
もちろん、このシリーズは、テレビドラマの「水戸黄門」などと同じく、「偉大なるマンネリ」なのですが。
この作品が、1969年に公開されたことも非常に象徴的です。
小熊英二「1968」の記事にも書きましたが、当時は70年安保をめぐって、保守と革新が鋭く対立して政治的に混乱していた時期なのですが、国民の大多数を占める庶民は、この映画で描かれたような世界で暮らしていたのです。
私は当時中学三年生で、この映画の舞台の葛飾柴又の隣の足立区千住で暮らしていた(路線は違いますが、同じ懐かしい京成電車が走っていました)ので、この映画で描かれた世界(よく下町と表現されますが、本当の下町は神田や浅草あたり(中央区や台東区)で、葛飾区や足立区は場末という表現が正しいでしょう。私は小学校と中学校は越境入学で台東区の上野に通っていたので、両者の違いを身を持って体験しています)がいかにリアルであるかは実感をもって保証できます。
こうした政治と国民生活の遊離が、いわゆる55年体制を経て、今でも続いているのでしょう。
そして、この人気映画シリーズが、その一つの象徴だと言ったら、言い過ぎでしょうか。
恥ずかしながら初めて見たのですが、この第一作にシリーズの成功要因のすべてが入っていることに驚かされます。
能天気な風来坊(当時、こうした人たちはフーテンと呼ばれていました)の寅さん、しっかり者だがけなげなはかなさを秘めた妹のサクラ、いかにも下町らしい世話好きなおいちゃんとおばちゃん、いかにも実直な勤労青年でサクラと結婚して義理の弟になるヒロシ、泰然とした雰囲気を持つ帝釈天の御前様、おっちょこちょいだが好人物の町工場のタコ社長といった主要なレギュラー登場人物はもちろん、寅さんがフラりと現れて、その時その時の旬の美人女優が演じるマドンナ(この作品では、光本幸子が演じる御前様の娘)に片想いして、失恋して去っていくという作品のパターンまでが、ここで確立されています。
それにしても、渥美清も、倍賞千恵子も、前田吟も、みんな若々しい魅力に溢れています。
寅さんファンのお叱りを覚悟で言えば、これから続く全50作にわたるシリーズはこの第一作の自己模倣にすぎないのかもしれません。
もちろん、このシリーズは、テレビドラマの「水戸黄門」などと同じく、「偉大なるマンネリ」なのですが。
この作品が、1969年に公開されたことも非常に象徴的です。
小熊英二「1968」の記事にも書きましたが、当時は70年安保をめぐって、保守と革新が鋭く対立して政治的に混乱していた時期なのですが、国民の大多数を占める庶民は、この映画で描かれたような世界で暮らしていたのです。
私は当時中学三年生で、この映画の舞台の葛飾柴又の隣の足立区千住で暮らしていた(路線は違いますが、同じ懐かしい京成電車が走っていました)ので、この映画で描かれた世界(よく下町と表現されますが、本当の下町は神田や浅草あたり(中央区や台東区)で、葛飾区や足立区は場末という表現が正しいでしょう。私は小学校と中学校は越境入学で台東区の上野に通っていたので、両者の違いを身を持って体験しています)がいかにリアルであるかは実感をもって保証できます。
こうした政治と国民生活の遊離が、いわゆる55年体制を経て、今でも続いているのでしょう。
そして、この人気映画シリーズが、その一つの象徴だと言ったら、言い過ぎでしょうか。
男はつらいよ HDリマスター版(第1作) | |
山田洋次,森崎東 | |
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