小野田寛郎氏の言葉です。
小野田氏は太平洋戦争でフィリピン戦線へ派遣され、ルバング島で終戦を知らされることなく任務を遂行し、たった一人で30年間戦い続けた人物です。
それがどのように過酷なものであったかは、表紙の小野田氏の写真を見れば想像できるでしょうか。
是非『たった一人の30年戦争』をお読みいただければと思います。
小野田氏は戦後30年が経過して日本へ帰ってきました。
帰国後は「自然塾」を開いて子供たちに生きる力を伝えてくれました。
『君たち、どうする?』では「よみがえれ、日本の子どもたち」や「親の条件、子どもの本分」という内容で、生きるということはどういうことかを教えてくれています。
とても同じ人物とは思えないほど穏やかな表情です。
『君たち、どうする?』のあとがきを要約して紹介したいと思います
危機に負けない心―あとがきにかえて
現在の日本でも突然、予期せぬ危機に見舞われることはあるでしょう。危機は常に私たちのまわりに潜んでいます。そのような時に大事なことは絶望しないことです。そんな気持ちは一切捨てて、今、生きるために何をなすべきかという目的意識を強く持つべきです。「人間は通常、潜在能力の九十数%は発揮できていない」とよく言われますが、私は戦場でそのことを身体で実感したことがあります。あるとき四方を敵に包囲されて、二百名を超える仲間と共にいちかばちか強行突破を図らなければならなくなったことがありました。その指揮は私以外に取れる者がいなかったのです。私はどの戦闘法を採れば成功するか、全身全霊で考えました。全員が生きるか死ぬか、本当の瀬戸際です。周囲の状況を懸命に凝視しながら、考えに考えました。脳が二倍に膨らんだような感覚にとらわれ、そのうちに頭がスッと冷たくなるのを感じました。周りの景色が普段の四倍くらいの明るさに見え、数十メートル先にある木の葉の葉脈までもがはっきりと見えてきました。何とも説明しがたい不思議な状態でしたが、それと共に私の心には「これなら敵を先に発見できて、絶対に成功する」という確信が湧きあがっていました。そして実際に無事、部隊を安全な場所に移動させることができたのですが、そんな体験をしたのは長い戦場生活の中でも、後にも先にもその時だけでした。人間は追い詰められたとき真剣に生きるための手段を考えたなら、眠っている潜在能力が目ざめて、思いもよらぬ力を発揮するのです。冷静に現状を把握して、危険を恐れずやるべきことを命がけで断行したなら、必ず進むべき道が見えてきます。私は今の日本の子どもたちに、そのことをわかってほしいと願っています。引きこもりの状態に陥ったり、キレて犯罪に走ったり、自殺してしまったり、人生を放棄してしまうことだけは絶対にしてほしくないのです。ルバングから日本に帰国して三十年が経過しました。その間に日本人、そして日本という国自体も次第に活力を失いつつあるように感じています。どんな状況においても生きる目的を明確に持ち、自分の能力をフルに活かして生きる。私が今までの人生で培った人生でその基本的な姿勢を、今後も自然塾の活動を通じて少しでも伝えていきたいと思っています。人は皆、生きる能力を持ち、生きるために生まれてきているのだと信じて生き抜いてほしいです。
小野田氏が自然塾を作った目的は、子どもがいかなる境遇でも屈せず、生涯を自分の志したところに向かって生き通せる、逞しさの基盤を作るところにあるとしています。
私は大学のころから戦争に関する書物を多く読んできましたが、私たちの祖先がどのような決意でこの国を守ってきたか、ということを知るたびに自分の人生を見つめ直そうという気持ちになります。
「君たち、どうする?」
小野田氏と私たちが置かれている状況は異なりますが、自分や家族の人生を大切にし、日本がよい方向に向かうように今自分ができることを考えてみたいと思います。
竹村知洋