昭和40(1965)年には野栄学寮に新築が竣工し、夏季野栄行事が始まりました。
野栄町(のさかまち)は千葉県匝瑳郡にあった町で九十九里浜に面した場所に寮がありました。
そのころ創刊された『つどい』に掲載された生徒の記事です。
「一口に言って、まったく驚いた。我々が日常使っている言葉でいえば、「まいった」と言うのだろうか。とにかく、毎日が疲労の連続だったと思う。」
1日の日課表をみると5:30起床から始まり体操・散歩ですが、これが砂浜のランニングに変わったそうです。
それに水泳や野球、もちろん授業も午前・午後に入っています。
自由時間は食後のわずかな時間しか与えられず、21:30には消灯です。
食事の様子はまるでお寺で修業する僧侶のようです。
これを中学1年生・高校1・2年生が学校行事として行われており、平成8(1996)年まで野栄学寮が閉鎖されるまで続きました。
すべての生徒にとって大変つらい行事だったようで、先ほどの記事の生徒にも「先生は鬼のように思えたりした」という感想が記載されています。
この行事はまさしく「男らしさ」を作るものだったのでしょう。
この年はスクールバスも購入されました。
板橋区中台には「日大豊山女子高校」も誕生しました。
水泳部は井上隆先生の指導の下、昭和38(1963)年にインターハイで初めて男子総合優勝を飾りました。
昭和41(1966)年には1号館の校舎が新築され、日大豊山は新たなスタートをきりました。
竹村知洋