先月のことですが徳島県鳴門市に、2014年6月1日、2日に開催される
NPO法人 鳴門「第九」を歌う会主催『第33回 ベートーヴェン「第九」演奏会』の
公開ソリストオーディションを受けに行ってきました。
ベートーヴェンの第九については不思議な事に日本での認知度は100%と言っていいくらいではないでしょうか。
ではこの第九、どのようにして日本に伝わったのか。
以下NPO法人鳴門「第九」を歌う会さんのHPから
第1次世界大戦中、大正6年から大正9年の約3年の間、鳴門市板東に俘虜収容所があり、約千人のドイツ兵が収容されていました。彼らは音楽、演劇をはじめ橋の築造にいたるまで様々な文化活動や事業を行いました。
収容所内においてそのような活動をしていたことはもちろん驚くべきことですが、俘虜となった兵士にそのような活動を許していたこともまた驚くべきことといえるでしょう。様々な文化活動を進めていく中で彼らは地元の人々との交流を深めていきました。
ベートーヴェンの「第九」交響曲はそのような状況のなかで大正7年6月1日、ドイツ兵によって演奏されました。それがこの曲の日本での初演となったのです。鳴門市では6月の第1日曜日を「第九の日」と定め、全国から仲間を募って、歓喜の交響曲を歌い続けています。
とのことです。
で、肝心なオーディションはというと・・・
受かりました!
気分は
(ロケ地:徳島阿波おどり空港正面11月21日)
2泊3日の日程でストイックにホテルこもり飯はコンビニで済まし決してマチ★アソビVol11の名残を求め眉山麓の商店街なんて通いもせず集中した事が報われました(ノ´∀`*)
そして帰りの便は「富士山が見える窓側でお願いします(-д☆)キラッ」と受付カウンターでお願いし、
徳島空港から羽根田空港へフライト
⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン
眼下には
こんな景色や~
水平線や~
世界遺産が遠くに見えたり~
・・・
!!!
「あ、あれは!もしや・・・
の
ではないか!!!」
と、一人機内で静かに興奮してました(笑)
(正解は越後製菓・・・・ではなく伊豆大島)
NPO法人 鳴門「第九」を歌う会主催『第33回 ベートーヴェン「第九」演奏会』の
公開ソリストオーディションを受けに行ってきました。
ベートーヴェンの第九については不思議な事に日本での認知度は100%と言っていいくらいではないでしょうか。
ではこの第九、どのようにして日本に伝わったのか。
以下NPO法人鳴門「第九」を歌う会さんのHPから
第1次世界大戦中、大正6年から大正9年の約3年の間、鳴門市板東に俘虜収容所があり、約千人のドイツ兵が収容されていました。彼らは音楽、演劇をはじめ橋の築造にいたるまで様々な文化活動や事業を行いました。
収容所内においてそのような活動をしていたことはもちろん驚くべきことですが、俘虜となった兵士にそのような活動を許していたこともまた驚くべきことといえるでしょう。様々な文化活動を進めていく中で彼らは地元の人々との交流を深めていきました。
ベートーヴェンの「第九」交響曲はそのような状況のなかで大正7年6月1日、ドイツ兵によって演奏されました。それがこの曲の日本での初演となったのです。鳴門市では6月の第1日曜日を「第九の日」と定め、全国から仲間を募って、歓喜の交響曲を歌い続けています。
とのことです。
で、肝心なオーディションはというと・・・
受かりました!
気分は
(ロケ地:徳島阿波おどり空港正面11月21日)
2泊3日の日程でストイックにホテルこもり飯はコンビニで済まし決してマチ★アソビVol11の名残を求め眉山麓の商店街なんて通いもせず集中した事が報われました(ノ´∀`*)
そして帰りの便は「富士山が見える窓側でお願いします(-д☆)キラッ」と受付カウンターでお願いし、
徳島空港から羽根田空港へフライト
⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン
眼下には
こんな景色や~
水平線や~
世界遺産が遠くに見えたり~
・・・
!!!
「あ、あれは!もしや・・・
の
ではないか!!!」
と、一人機内で静かに興奮してました(笑)
(正解は越後製菓・・・・ではなく伊豆大島)