昨日「ミニコンサート2016夏」が、皆様の温かい拍手の中で無事終了致しました(・∀・)
僕が前半歌唱したレスピーギ「4つの抒情詩」、大変な難曲でした(;´∀`)
まず第一に音が低い(笑)
メゾ・ソプラノやバリトンと言った、中・低音域を得意とする声種のために書かれた曲をテノールが歌うとコントロールが大変難しくなります(;´∀`)
僕にとっては高音出すより低音出すほうが100倍難しいです(笑)
そして音楽的にとても複雑(;´∀`)
対訳はプログラムに掲載されてましたが、僕と原田さん(指揮者兼ピアニスト)と何度もメールでやり取りをしながら翻訳を作成し、
その多くの時間が、そもそもイタリア語辞典を引いただけでは答えが出てのない類の問題を解決するために費やしました(;´∀`)
例えばレスピーギの4つの抒情歌2曲目「ナイヤーデ」
そもそもナイヤーデって何?からスタートし、神話辞典(イタリア語版)、ウィキペディア(イタリア語版)で調べ、
そこから「この動詞の主語は【ナイヤーデ】?それとも【水】?それとも別の何か?」って感じでしらみつぶし的に進みました(;´∀`)
レスピーギ Sopra un'aria antica 歌唱中
Sopra un'aria antica(ある古い歌に寄せて)に出会ったのは2003年、大学3年生の時でした。
初めて人前で歌ったのが2008年、留学直前に東京建物八重洲ホールにて開催したジョイント・リサイタル。
そして2016年、初めての全曲通しての演奏をする機会に恵まれ、出会ってから13年経つ現在もまだまだ演奏における解釈は広がっていきます。
この曲に関しては、現在は絶版ですがレスピーギの歌曲集に対訳があり、以前はそれを参考にしていたのですが、
イタリア語を理解出来るようになった現在では、自分自身の言葉のチョイスが以前と変わった事に気が付き、改めて訳し直しました。
プログラムに掲載したものが翻訳の終着点ではなく、プログラムが入稿された後も翻訳に関しては意見交換が行われていました。
さて、
実はこの演奏会のお話を頂いたのは、なんと先月でした(笑)
イタリアに滞在していた8月初旬に、今回の共演者であるソプラノの遠藤さんからきた
「レスピーギの《4つの抒情詩》って、テノールでも歌えますか?」との質問がことの発端(´・ω・`)
その時はあくまでも「参考意見」として聞かれたので「ちょっと低いけど歌えるんじゃない?(楽譜パラパラ)」と適当(笑)に返したのですが、まさかそれが自分に戻って来るとは・・・(笑)
そしてその結果・・・
やっぱり低かった(*ノω・*)テヘ
冒頭でも書いた通り、テノールに取って、低音域を聴かせるように出すことは非常に難しいです。
高音域ならどこまででも出せる!と日々傍若無人に宣言してる芹澤も低音域は割りと限界が早いです(笑)
ま、テノールですしね(*ノω・*)テヘ
後半はオペラの名シーンを、プッチーニの「ラ・ボエーム」と「蝶々夫人」から抜粋して演奏しました(・∀・)
これは蝶々夫人・・・かな?
ソプラノの遠藤さんとこのデュエットを歌うのは実に1年2ヶ月振りだと思います(・∀・)
そして演奏会のアンコールではプッチーニの「トスカ」から
Recondita armonia 妙なる調和(芹澤)
Vissi d'arte, vissi d'amore 歌に行き、恋に生き(遠藤)
E lucevan le stelle 星は輝き(芹澤)
をお届けし、終演となりました(・∀・)
さて、次は10月11日の町田でのコンサートと19日のイタリア文化会館での小荘厳ミサ!
そして12月には新しい演奏会を一つ計画中です(`・ω・´)ゞ
詳細は近日発表します(・∀・)
※9/20追記
終演後、聴きに来てくれた友達からも言われたのですが、
「レスピーギを歌唱中、1~3曲目まではメガネをはめていて、4曲目だけ外したのはなんで?」
理由は、4曲目だけ暗譜していたから!
ではありません(笑)
着用時
これには自分なりの理由があります。
もともと僕は終曲、Sopra un'aria anticaを演奏会で頻繁に歌ってきました。
ですので確かに暗譜はしています(笑)
しかしSopra un'aria anticaの前奏中にメガネを置いたのは、
「もうメガネはいいや(・∀・)」
ではなく、
この曲で「現実に戻って来た」ということの表現です(・∀・)
軽く曲の説明をします↓
1曲目「夢」
11/8拍子(4+4+3)という進行と幻想的な和声で、夢の中にいるような不思議な感覚を導き、糸杉(イタリアでは教会、墓場を連想させる樹木)を擬人化し、死に対してどこか希望を抱かせる内容。
2曲目「ナイヤーデ」
旅人を惑わすセイレーンに仕える妖精の名。神話の世界をモチーフにしつつ、最後は「見えない手がゴボゴボと音をたてて安らぎ(死)の中に沈める」と歌詞にあり、音楽が悲観的でないことからここでも死に対して、恐ろしいながらもどこかそれだけではない感じを残す内容。
3曲目「夕べ」
陽の光を恐れ、闇を受け入れつつも最終的に「最も悲しいことはその唇が二度と笑わないことだ」と、少し内容に人間性が加わる。
4曲目「ある古い歌に寄せて」
この曲でようやく人間が登場する。
青年と年上の女性との過去のやり取りが、古い歌から蘇ってくる。
1~3曲目には無かった、細かな肉体的な描写、「白髪の混じった髪」、「首元の皺」、「しおれた唇」などが歌詞に登場し、現実を映し出す。
死に対して歌詞の中で「ヴェールを掛けられていない肉体(死体)は、すでに不浄のものに感じられた」と言っている様に、死に対する嫌悪感が現れている。
ということで、ストーリーテラーとして1~3曲目を歌い、4曲目の前奏でメガネを外し、現実に戻ってきた。というのがメガネを外した理由です(・∀・)
ま、確かに傍から見たら「暗譜してるから外した」って見えますよね(笑)
実際に暗譜してなかったら外しませんでしたけどねwww