短い曲ながら、独特な音程感が難しい「くちなし」
聴くと歌うとでは大きく印象が違い、単純なようなで複雑・・・
音程(ピッチ)が悪いと作品の世界観に没入できなくなる(聴いていて「あれ?」っと思わせてしまう)ので、我々は音程には敬意を払い、常にリスペクトしなければならない(`・ω・´)ゞ
ソルフェージュ能力の高い人や、絶対音感を持っている高レベルの音感保持者なら、正確なピッチを保ちつつ作品に見事な色を出せるのだろうが、如何せん絶対無い音感のワタクシには脳の回路が擦り切れる程度に非常に困難な作業(;・∀・)
一度気になりだすと一事が万事、すべてが気になってしまい疑心暗鬼になってしまう・・・
かと言って、音程ばかりに気を取られていると演奏がつまらないものになってしまう(芹澤の場合)
クラシック音楽の演奏家は(多くの場合)みんな同じ曲を演奏する。
そうなると、どう差別化するか?が個性であり味となる。
「楽譜」というルールの許容範囲内で個性を出すということは意外と難しく、やりすぎれば下品になってしまう。
書かれていることをただ演奏するのは「音の再現」に過ぎない。
大切なことは書かれていることを正しく読み取り、音楽として生み出すこと。(持論)
今やチャットGPTや生成AI、ボーカロイドなど、正確無比な情報、正確無比な演奏を再現するツールは巷に溢れている。
生身の演奏家と、それら「完全無欠の正確性」との違いは「近似値を許容する人間味」という名の温もりであると思う。
つまり、
多少音程甘くても、それはそれで人間がやってることだし良いんじゃない?
ということ笑
とあるテノールと「くちなし」(歌曲集「ひとりの対話」より)
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