LA CAFFETTERIA DI RETROSCENA舞台裏カフェ

テノール芹澤佳通の日常系ブログ (・∀・)

難しい問題

2024年11月11日 | クラシック音楽

短い曲ながら、独特な音程感が難しい「くちなし」

 

聴くと歌うとでは大きく印象が違い、単純なようなで複雑・・・

 

音程(ピッチ)が悪いと作品の世界観に没入できなくなる(聴いていて「あれ?」っと思わせてしまう)ので、我々は音程には敬意を払い、常にリスペクトしなければならない(`・ω・´)ゞ

ソルフェージュ能力の高い人や、絶対音感を持っている高レベルの音感保持者なら、正確なピッチを保ちつつ作品に見事な色を出せるのだろうが、如何せん絶対無い音感のワタクシには脳の回路が擦り切れる程度に非常に困難な作業(;・∀・)

一度気になりだすと一事が万事、すべてが気になってしまい疑心暗鬼になってしまう・・・

かと言って、音程ばかりに気を取られていると演奏がつまらないものになってしまう(芹澤の場合)

 

クラシック音楽の演奏家は(多くの場合)みんな同じ曲を演奏する。

そうなると、どう差別化するか?が個性であり味となる。

「楽譜」というルールの許容範囲内で個性を出すということは意外と難しく、やりすぎれば下品になってしまう。

 

書かれていることをただ演奏するのは「音の再現」に過ぎない。

大切なことは書かれていることを正しく読み取り、音楽として生み出すこと。(持論)

 

今やチャットGPTや生成AI、ボーカロイドなど、正確無比な情報、正確無比な演奏を再現するツールは巷に溢れている。

生身の演奏家と、それら「完全無欠の正確性」との違いは「近似値を許容する人間味」という名の温もりであると思う。

 

つまり、

 

多少音程甘くても、それはそれで人間がやってることだし良いんじゃない?

 

ということ笑

 

 

とあるテノールと「くちなし」(歌曲集「ひとりの対話」より)

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執念の撮り直し

2024年10月14日 | クラシック音楽

先日、立川サロンスタジオフィックスにて動画撮影をして来ました

 

実は先だって9月末に同スタジオで収録したのですがその出来に納得がいかず、もう一度収録することに。

演奏において「誰が聴いても完璧な仕上がり」というものは非常に実現困難なものですが、最低でも「自分が納得出来る演奏」をお届けしたいという思いから再収録を決断しました

全部で3曲収録し、完成次第公開していきます(`・ω・´)ゞ

 

まずは第一弾としてフランチェスコ・パオロ・トスティ作曲の「暁は光から」をお届けします

(この曲、昨年のリサイタルのアンコールで僕が弾き語りした曲です)

 

とあるテノールが「暁は光から」歌ってみた

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ピンカートンという名のクズ男、再び

2024年09月20日 | クラシック音楽
「地元(正確には隣の市だけど)でオペラに出演するのは初めてだな~」と思ったけどそもそも地元でオペラをやること自体が稀なのでそりゃそうか、と自己解決。
 
《蝶々夫人》は日本の長崎を舞台にプッチーニが作曲したオペラで、(プッチーニにからすれば)異国の地を舞台にする上で必要不可欠な日本の音楽を取り入れ、19世紀後半ヨーロッパで流行したジャポニズムに則り1904年2月17日にミラノスカラ座で初演され、大成k・・・ならず失敗に終わる。。。
 
みんな大好きWikipediaには『初演で蝶々夫人を演じたロジーナ・ストルキオ。拍手ひとつなく、舞台裏で泣き崩れた。プッチーニは同作の成功を誓い、自らの生存中はスカラ座での再演を禁じた。』との記載がある程度に失敗
 
ちなみにヴェルディは自身の作品『1日だけの王様』の公演が(リアルに)1日だけで打ち切りになったのことに不満を抱いていたようで、やがて自身の作品をスカラ座で初演することを避けました。
(8作目《アルツィーラ》から26作目《アイーダ》まで、初演はいずれもスカラ座以外の劇場)
 
さて、《蝶々夫人》の初演が失敗した理由はいくつかあったそうですが、まぁ内容が内容だけに「うん、そりゃそうなるよね」と納得してしまう点も多々あります。
その元凶はやはりピンカートンでしょう。
 
「オペラ界きってのクズ男」
「元祖ロマンス詐欺野郎」
「多様性礼賛の現代でも受け入れられない程度のクズ」
「ま、日本でも結婚するけどアメリカに本命ちゃんいるからあっちで本当の結婚するんだよ😘って大声で言っちゃうクソ野郎」
 
それが僕が地元で演じるピンカートン!!!(・・・あれ?なんでだろ、画面がボヤケてきたぞ😭
 
もしプッチーニが現代に生きてたら舞台は長崎じゃなくてトー横だろうし、多分ボエームもトー横界隈だろうし、ってことはトー横はもはやオペラ。
 
ということで、クズ男として地元に帰還する可哀想な芹澤が「ブーイングは称賛の裏返し」という心の最終防御壁を持って挑む《蝶々夫人》の公演情報はこちら
2024年12月15日 (日)
島田市民総合施設プラザおおるりホール
開場13:30 開演14:00 終演17:00(予定)
※上演時間は約3時間 予定 (休憩含む)
 
【チケット】
一般:3,500円 
学生:2,000円
(全席指定・税込)
 
【プレイガイド】
・プラザおおるり1階窓口
・カンフェティ
 
【出演】
蝶々夫人:廣木悠代
スズキ:櫻井陽香
ケート:伊藤咲葉
ピンカートン(クズ男):芹澤佳通
シャープレス:飯塚学
ゴロー:勝又康介
ボンゾ/ヤマドリ:鹿野由之
神官:水島正樹
ピアノ:鈴木啓太 久米涼子
 
皆さん、芹澤はクズ男を演じるのであって、《芹澤≠クズ男》だということをご理解の上お越し頂ければと思いますm(_ _)m
カーテコンコールで生卵とか投げないでくださいね。。。
 
 
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最高な奴ら

2024年07月12日 | クラシック音楽
最近はもっぱら音楽家としてのことばかり書いている当ブログ
 
そもそも「テノール芹澤佳通の日常系ブログ」ということなので日常のことを久しぶりに書こうかと思う😎 
 
しかしサラリーマンの様に「仕事」と「休み」が明確でなく、曜日で行動が決まっているわけでもないので、どっからどこまでが日常なのか曖昧なのである😵 
 
「コンサート」や「オペラ公演」などは明確に仕事であるが、それらに関する「稽古」は仕事に入るのか否か・・・
 
そんなワタクシ、6月までは非常に忙しい日々を過ごしておりました
なんせ6月22日、23日が【クリストフォロス】(東京)、6月30日が【夕鶴】(長野)と、異なるオペラ2本の出演があったため、稽古は昼【夕鶴】、夜【クリストフォロス】といった感じで隙間なく詰まってました😖 
 
 
しかも当然両演目ともに楽譜を暗記(暗譜)しなければならないため、稽古までの移動中はそれぞれの楽譜とにらめっこ
電車の中では常に譜読みをしている状態で気分はさながら受験生(東大志望)
 
そんな怒涛のような6月が終わり、先日「久しぶりに大学の同期で会おう!」ということになり、会うことになりました😊 
 
 
 
集合は18時00分
 
 
 
そして模範的高等遊民芹澤は18時00分ジャストに入店・・・

 
 
まだ誰も来てない
 
 
ちなみに僕はどちらかと言うと時間に遅れるタイプの人間である(えっへん)
 
社会不適合者たる音楽家の鏡のような人間である(へへん)
 
 
そんな僕が一番乗りとか、どうかしてるぜ 
 
 
 
5分後くらいに2名が到着
 
そこで1人が体調を崩して来れないということを知り、「時間もったいないし、先に始めよう!」と注文をスタート。残り2名の到着を待つことに。
 
1時間後、グループLINEに1枚の画像が送られてきた
 
我々には圧倒的に情報が不足していた。
 
今どこにいるのか?
 
6%で足りるのか?
 
これは「頑張る」という意思表示なのかそれとも「もう無理」という諦めなのか?
 
 
 
 
 
多くの謎を残したまま、結局この後彼が来ることは無かった
 
 
席の時間が過ぎたので、場所を新宿の老舗居酒屋「どん底」に移してもう1人を待つことに
 
 
 
昭和の文化人たちに愛された名店は、一歩踏み入れば空気はたちまちThe昭和
 
土地柄もあってか、集まる人達も個性的
 
学校に勤務する友人は「保護者対応に時間をとられてしまった」とのことで急いでこちらに向かっているという😫 
 
 
しばらくして
 
送られてきたこの写真
 
 
どうやら急いで向かっている最中、走っていたらヒールが折れてしまったらしい
 
 
この投稿を最後に
 
 
 
この日彼女が合流することはなかった・・・
 
 
 
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忙しかった6月

2024年07月07日 | クラシック音楽
先月はオペラ【クリストフォロス】の1週間後にオペラ【夕鶴】というスケジュールを立ててしまった結果、非常に忙しい月となってしまいました(;・∀・)

昼間に【夕鶴】の稽古に出席し、終わり次第移動して夜は【クリストフォロス】の稽古という日が続き、最終的に【クリストフォロス】では同役キャストが降板したことを受け、オケ合わせ、場当たり、HP(ハウプトプローベ)、GP(ゲネラルプローベ)、本番×2回と、連日歌いっぱなしの1週間を過ごしました(笑)
なお、この公演は字幕付きで動画がYOUTUBEで公開されるそうです!
公開になりましたら改めてお伝えします(`・ω・´)ゞ

【クリストフォロス公演の様子と舞台裏】
第1幕リーザとアンゼルムの長大なシーン


第2幕キャバレーに身を隠しているアンゼルム(劇中で指揮をしている)


第2幕 コスプレ撮影会・・・ではない


演出の舘さん(中央)とA組クリストフ石﨑さん


同じく演出の舘さんとB組クリストフ高橋くん


エルフ族・・・


白アンゼルムと手乗り黒クリストフと学生達(第1幕開始直前に撮影)



そして【クリストフォロス】終演後、二日挟んで6月26日から7月1日まで【夕鶴】公演のために長野県伊那市に滞在、先週までドイツ語歌ってのに日本語歌唱にシフトチェンジ!
まずは名物「ソースかつ丼」!「たけだ」さんにて


引きのアングルでもう一枚!めちゃくちゃジューシーで美味しかったです!


夕鶴の舞台セット


非常に奥行きのある舞台

上から雪(紙吹雪)も降ってきます!


舞台さんによる心遣い!我々は支えられてようやく舞台に立てるのです。


両公演ともに多くの方にご来場頂きました。心より感謝を申し上げますm(_ _)m

7月は特に本番はなく、さながらヨーロッパのバカンスの様な感じですが(レッスンだけはしてる)8月はこちらの演奏会に出演します!

2024年8月6日(火)
《プッチーニ没後100年記念コンサート》
18時30分開場 19時00分開演
中目黒GTプラザホール

プッチーニのオペラ全12作より、有名アリアを7人の歌手が披露します!
こういったコンサートに出るのは久しぶりの様な・・・
オペラと違って、1曲1曲有名なアリアが聴けるいわゆる【ガラ・コンサート】は、オペラの世界に触れるきっかけとして、敷居も低く、カジュアルなコンサートだと思います😊

僕が歌うのは
《星は光りぬ》(トスカ)
《フィレンツェは花咲く木のように》(ジャンニ・スキッキ)
の2曲と・・・・アンコール(言ってしまうスタイル)


チケットは3種類あり、
1stプレミア席6000円(最前列10席限定)
2ndプレミア席5500円(2列目10席限定)
自由席4500円

となっております。

自由席チケットは僕の方でも取り扱っておりますので、芹澤公式LINEからお申し込みいただくか、yoshimichi.serizawa@gmail.comまでご連絡ください😊 
各プレミア席に関しましては【オペラサロントナカイ】へ直接お申し込みください😌 
皆様のお越しを心よりお待ちしております!

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公式LINEではいち早く演奏会情報をお届けしております!
ご返信いただくだけで、チケットの手配が可能です😁 
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オペラ【クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」】解説③

2024年06月08日 | クラシック音楽
【あらすじ】
プロローグ(弦楽四重奏かオペラかクリストフォロス伝説の作曲)
舞台は作曲教師ヨハンの音楽室。
伝統的価値観を持つヨハンは学生たちに、聖クリストフォロス伝説を題材にした弦楽四重奏曲を書くという課題を与える。しかしシュレーカーの思想を代弁する気鋭の新進作曲家アンゼルムは、伝統的で純粋な音楽形式としての弦楽四重奏を拒み、同じ素材に拠るオペラを企てる。それは彼自身がオペラを書いているという筋立てである。この劇中劇にはアンゼルムとは対照的な、因習に捉われた作曲技法に甘んじる、凡庸な才能の同僚学生クリストフが登場する。


第1幕1場(アンゼルムとクリストフ - リーザの選択):劇中劇
師ヨハンの娘でファムファタール的な性質をもつリーザは、作曲を断念して妻子への愛情に生きると宣言したクリストフと結婚する。


第1幕2場(モダニズムオペラの再現 心象風景の中のアンゼルムとリーザ)
リーザはアンゼルムへの恋心を鎮めることができず、劇中劇のアリアを官能的な舞踊と共に歌う。二人の距離が縮まり音楽が盛り上がったところをクリストフに見とがめられ、リーザは射殺される。


第2幕(クリストフの覚醒と救済アヘン窟で瓦解したオペラ構想)
アンゼルムはクリストフの逃走を幇助し、二人はキャバレーに身を沈める。
クリストフは、霊媒の口寄せでリーザの声を聴くうちに覚醒して、劇中劇の構想を超越し、象徴的な死という救済に邁進する。長い間奏曲に続いてエピローグ(老子が説く素朴と純音楽―アンゼルムの回帰するところ)。「男の力を知りつつ女の弱さに留まる者」たるべしと諭す老子の『道徳経』の一節が歌われたのちヨハンの音楽室が現れる。劇中劇が破綻して、劇中の人物ではなくプロローグの作曲学生に戻ったアンゼルムは、自身の妄想の中のクリストフと話して劇の破綻を痛感し、オペラを諦めて弦楽四重奏を作ると師のヨハンに伝える。幕

【道徳経28章】其の雄を知り、其の雌を守れば、天下の谿(たに)と為る。天下の谿と為れば、恒徳離れず。恒徳離れざれば、嬰児に復帰す。其の白を知り、其の辱をまもれば天下の模範となる。天下の模範となれば恒徳離れず無極に復帰する[…]。⇒すべてのものには二面性があり、柔軟に対応するべきという中庸、素朴への回帰。



屈折した劇中劇(芸術家の自己意識としてのひとつの形)→劇中劇中劇

「劇」という虚構に複層的な構造が与えられている。しかし各虚構間の境界線は曖昧で、明解な設計図は提示されない。




劇中劇という入れ子(Mise en abyme)の形をとっているが、その劇中劇もまた、作曲家アンゼルムが登場してオペラを書くという内容である。前者をアンゼルム①、後者をアンゼルム②と整理する。
虚構1は舞台上の現実といえる水準だが、劇中劇の水準である虚構2は単純に第1・2幕の全てではなく、虚構1から移行したと明確に判断できる箇所と、断言し難い箇所がある。さらに虚構2と虚構3の往来は、アンゼルムの妄想ないしは潜在意識の度合いから感じ取れる不明瞭なものである。
虚構1のアンゼルム①は虚構2の劇中劇の展開を次第に制御できなくなり、虚構3であるアンゼルム②のオペラは結局瓦解する。そのことは虚構2と3両方のオペラが崩壊したことを意味し、虚構1に戻ったエピローグへ繋がる。

「登場人物が作曲するオペラ」がマトリョーシカ人形か合わせ鏡のように重なり、台本を読むと果てしなく次元が深化する錯覚にとらわれる。
虚構のレベルが深まるにつれて、舞台上で演じられていることはオペラの中の現実(虚構1)を離れ、主人公の妄想へと転換してゆく。すなわちアンゼルム②の作品と推測できる箇所は、オペラの場面という設定をとりながらも、むしろアンゼルム①の心象風景の露呈ということができる。しかし展開がよどみないために、可視化された妄想を聴衆は、妄想ではなく虚構2で起こる現実と受け止めることになるだろう。あるいはアンゼルム②を想定せず、通常のオペラの次元として単純に虚構1だけが矛盾なく認識されることも少なくないと思われる。

→アンゼルムはウィーン時代の門下生で前衛的なエルンスト・クルシェネク(1900-1991)、アロイス・ハーバ(1893-1973)等がモデル。

→古典にこだわる老師ヨハン、因習的で平凡な作曲家クリストフ等とアンゼルムを並列させている。

→作曲家が3人登場し、自己言及的(自伝的)作品ながら、シュレーカー自身の役をあいまいにすることで自身の苦悩を表現する。3人すべてにシュレーカーが投影されている。
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オペラ【クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」】解説②

2024年06月06日 | クラシック音楽
3.台本の特徴
習作の《炎》で当時の恋人ドーラ・レーンの台本を用いたが、出世作となった《遥かなる響き》以降の全ての作品は台本を自作した(最後のオペラ《ヘントの鍛冶屋》以外は原作ストーリーも自作)。第一作の《グラントラム》の自作台本が失敗して以降、文学者に台本をゆだねたR.シュトラウスとは対照的である。ワーグナー以降の作曲家はしばしば自作台本に挑んだが、継続的に成功作を仕上げた例はシュレーカーの他にはほとんどない。
台本自作は、作曲家を主人公とした二作(遥かなる響き、クリストフォロス)に留まらず、全ての作品において、登場人物にシュレーカー自身が投影されていることの基盤となっており、強い自己言及性を形成している。


・題材の特異性
《遥かなる響き》で作者の自画像である作曲家フリッツは、芸術の為に恋人グレーテを顧みず、彼女はやがて娼婦に身を落とす。《烙印を押された者たち》では主人公の貴族アルヴィアーノが私財を投じて芸術の理想郷を作るが、せむし、性的不具という障碍を恥じて自らは近づかない。どちらも濃厚な官能や酒池肉林の騒ぎなど、直截な性描写に臆するところがなく、人物と場面の設定はR.シュトラウスのオペラよりも踏み込んでいる。またオペレッタに反映されていた当時の爛熟したキャバレーの文化も、オペラの中で躊躇いなく再現されている。他にも異常性欲者やいかがわしい霊媒師などの極端な設定は各作品にみられる。

・様々な先行作品の融合。
参照作品の多さと多様さは際立っている。時代も文化圏も易々と超えて縦横無尽に材を求め、筋立て、人物像、心理背景などを自作品に取り入れることに躊躇いがなかった。ことに《烙印を押された者たち》においてこの傾向は以下の通り顕著にみられる。

・「人物設定と劇的構成の概略」が取材された作品
《王女の誕生日》(ベラスケスの絵画《ラス・メニーナス》に基づくオスカー・ワイルドの絶望した小人の死という童話)、シェーンベルクの音楽付きドラマ《幸福な手》(黎明期の表現主義)、フランク・ヴェーデキントの戯曲《小人の巨人カール・ヘットマン》(ブルジョワ批判)など。

・「ディテールが採用された」作品(ダールハウスの分析)
《深き淵より(獄中記)》(オスカー・ワイルド。屈折した人格のモデル) 、《フィオレンツァ》(トーマス・マン唯一の戯曲。ルネサンス期フィレンツェで展開した抗争)、《ボッロメオ家の人》(フェルディナント・フォン・ザールの戯曲。豪華な洞穴(グロッタ)を持つボッロメオ宮殿が舞台であること)。《ペレアスとメリザンド》(メーテルリンクの戯曲。三角関係、女の移り気、男二人の決闘などの筋立て等)、ワイルドの《サロメ》とヴェーデキントの《地霊》(ファム・ファタールとしてのサロメとルルの人物像など)


・台本の精神的背景として参照された哲学・心理学文献
カール・クラウス、オットー・ヴァイニンガー、シグムント・フロイト、フリードリッヒ・ニーチェ等の著作(これらの思想は《烙印》以外の作品にも色濃くみられる)。


2. 《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》という転機

【クリストフォロス伝説】
大男レプロブスは、強きものに仕えることを望み皇帝のもとに居たが、皇帝が悪魔を恐れたことから、悪魔に従って悪行を重ねた。しかし隠者から奉仕することを諭されて、川を渡る人々を助けていた折、一人の少年を背負ったところ、川の中で際限なく重みが増してゆく。少年は自らがイエス・キリストであり、全世界の罪を背負っているため重いのだと明かし、レプロブスを祝福して、今後はキリストを背負ったものという意味の、クリストフォロスと名乗るよう命じた。
表題のとおり、このオペラはキリスト教の聖人伝説を念頭に置いている。しかし伝説自体は、オペラの筋書には組み込まれていない。聖人クリストフォロスを「同名の祖先」と呼び、強きものを希求する登場人物、クリストフの人物像にシュレーカーは伝説を象徴させた(劇中劇の中にのみ登場する架空の人物)。その対極をなす弱きものには、作曲学生のライバルであるアンゼルムをあて、強きものは凡庸、弱きものは才能豊かと設定した。
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オペラ【クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」】解説①

2024年06月04日 | クラシック音楽
いよいよ公演が今月末に迫って来ましたオペラ【クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」】(以降【クリストフォロス】と表記)

先週日曜には公演に先立ちプレイベントが開催され、お越しいただきました方々と我々出演者も共に作品の理解を深めました。

僕も以前よりX(旧Twitter)やFacebook、Instagram、そして芹澤公式LINEでも紹介して来ましたが、正直、内容の理解が乏しく実のある説明は出来ませんでした。
そうなると案内を受け取られた方も「うーん・・・どうしよっかな~」と迷われていると思います。


心の声「よくわからないオペラに8000円も払うのはね~」


はい、その通りです゚゚゚(´・ω:;.:......

ですので、この【クリストフォロス】というオペラの解説をお送りしたいと思います。

といっても、インターネットで検索しても情報は非常に少ないので、プレイベント当日に配布されました資料を引用・・・というか、そのままコピーする形で数回に分けて、皆様にお伝えして行きます(`・ω・´)ゞ

まず、出典元を明確にしておきます。

このプレイベント当日に配布された資料は、今年3月に主催者である田辺とおる氏が《2024年3月19日芝浦港南区民センター 第2集会室 日本アルバン・ベルク協会における発表資料》として作成したものを基盤とし、一般の方が理解しやすいように文章、レイアウトを変更した《2024年6月2日19時 大泉学園ゆめりあホール プレイベント資料》となっております。

これ以降の解説は全て、上記資料からの引用となります。

【解説】
シュレーカーは当時のドイツオペラ作家で唯一、R.シュトラウスに並ぶ公演数を誇りま
したが、1920年以降は差し迫るナチスの圧力と、映画やジャズなど新しい潮流との対峙を余儀なくされ、苦悩の日々を送りました。ユダヤ系の出自に加えて、音楽と台本の双方を自作した彼の躊躇なくエロティックな表現に踏み込む作風は、早くからナチスに忌避されていたのです。 この時期に《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》は書かれました。初期作品から一貫する後期ロマン派音楽と、様々な新しい手法が融合されて、現実と幻想の両面からオペラ創作の心理に切り込んだ近代的な冒険作です。

【響きと管弦楽法】
作曲にあたって最も重視している。響きの多彩さは同時代の作曲家の中でも傑出しており、管弦楽の楽器、音量、和声などの組み合わせ方は極めて広範に及んでいる。なかでもオーケストレーションを厚く構成し、音価を長めに引き延ばした壮麗なクライマックスを作り上げ、官能的な音響を創出していることは特徴的。

子供の頃から既に私は、かの「ワーグナー的」和音をピアノで弾くことを愛し、その残
響に没頭していた。[…]例えば、チェレスタがそのまま、そのものとして聞こえてきた
り、クラリネットやオーボエが、下品な競争をして歌声を蹂躙し、時には、管弦楽全体
の波よりも「覆いかぶさったり」してしまうよりも、邪魔なことはない。[…]私が否定
するのは、あまりにも明解すぎて聞き分けが可能な響きであり、そしてオペラという仕
事の中では、ただひとつの楽器だけを認知したいのである。オーケストラそのもの、と
いう楽器だけを。
※1
(※1Schreker, Franz. „Meine Musikdramatische Idee.“ in: Musikblätter des Anbruch Nr.1 (Universal Edition), 1.Jg,November 1919: 6-7. 「私の音楽劇的発想」。)

【豊麗かつ繊細なオーケストレーション】
細分化された弦楽器、巧妙に使われる打楽器、そして個々の楽器のアイデンティティーを覆い隠す絶妙の重複によって、プリズムを通したかのような多彩な色彩を生み出すに至っている。※2
→ 特にドビュッシーの和声と管弦楽法の影響に言及している。しかしさらに踏み込んで無調音楽を展開する事もあり、攻撃的な無調性を巧みに覆い隠す効果に寄与している。
(※2 クリストファー・ヘイリー「はるかなる響きの復活」翻訳者:岡部真一郎. 『藝術学研究』10巻 [明治学院大学文学部藝術学科], 2000: 45頁])

【自己分析 (音楽観について)】
私は、印象主義者、表現主義者、国際主義者、未来主義者、ヴェリズモ音楽家である。[⋯]
私は、響きの芸術家、響きの夢想家、響きの魔術師、響きの唯美主義者であり、旋律の軌跡は持ち合わせていない[…]。私は最も純粋な血統の旋律家であり、和声家としては、貧血症で変態だが、しかし純血種の音楽家である!私は、(惜しむらくは)色情狂であり、ドイツの聴衆に対して害悪へと作用してしまう[…]。
私はしかし(幸いなことに!)、理想主義者、象徴主義者でもあり、最も急進的なモダニズム(シェーンベルク、ドビュッシー)を好むが、さほど急進的には指向せず、私の音楽においては害にはならない。三和音はおろか「通俗的な」減七和音まで、いまだに使用して、ヴェルディ、プッチーニ、アレヴィ、マイアベーアなどに寄りかかっている[⋯]。



次回「台本の特徴
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初夏の新作【魔王】始めました

2024年05月08日 | クラシック音楽
久しぶりに演奏動画を撮ってきました😀 

昨年12月1日、いわき市立平第三中学校での音楽鑑賞教室で初めて歌い(先方からのリクエスト)、当時「せっかく譜読みしたので演奏動画にしてYouTubeにアップしようかな・・・笑」とインスタに投稿してから5ヶ月・・・

重すぎる腰を上げてようやくです😅  

当初は1日で終わらせる予定だったのですが、初日に収録した動画の画角、クオリティーに納得がいかず、もう一日撮影日を追加した結果・・・・

黒ドレスシャツ(サムネで着用している立ち襟のシャツ)を荷物に入れ忘れました😆 

なのでサムネと映像内で格好が異なっております(笑)
そんな裏話もこみで楽しんでご視聴いただければと思います😊 

とあるテノールが「魔王」歌ってみた

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謎の生命体《タジリマン》

2024年04月02日 | クラシック音楽

この正体不明の生命体

 

白い布に包まれ、その隙間から自撮り棒を天に向かって突き刺しているのは謎の生命体《タジリマン》です

 

タジリマンは、動画配信者としてとある現場に潜入しております

この様に自撮り棒を駆使し、とある噂のある現場に潜入し、動画配信をしているのです

 

そう、タジリマンはYouTuber

 

しかしそんなタジリマン、潜入現場にて色々なトラブルに巻き込まれます

 

そして身を隠しているシーンがこれなんです

頭隠して自撮り棒隠さず・・・

 

まさに配信者の鑑です

 

そんなタジリマンの活躍はこちらの公演で目にすることが出来ます

子供たちも参加するこちらの公演は、川口オペラ・シンガーズ(近々改名予定だとかどうとか・・・)の第三回定期公演で、タジリマンは《フィガロの結婚》の登場人物です

 

え?《フィガロの結婚》に【タジリマン】なんて役は無いって?

 

なければ作ってしまうのが川口オペラ・シンガーズクオリティ!

 

出演者兼演出の石井一也(Laboratorio141代表)さんによる演出はブラックジョークだけにとどまらず、大胆不敵な発想力と子供たちからのアイデアを採用する海の様に深く広い懐から生み出される唯一無二のものとなっております(特にフィガロの結婚)

 

みなさんが知っている《フィガロの結婚》はそこには無いかもしれません。。。。

 

あるのは・・・・

 

 

 

 

お申し込み、お問い合わせは、フライヤーに記載されている川口オペラ・シンガーズ(kawaguchiopera@gmail.com)

またはyoshimichi.serizawa@gmail.comでも受け付けております

 

 

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クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」

2024年02月29日 | クラシック音楽

これまで《タンホイザー》(タイトルロール)、《魔弾の射手》(マックス役カヴァーキャスト)などドイツ語の作品を歌う機会が割りと多かったものの、ドイツ語を学んだのは大学での授業のみで、なけなしのドイツ語力でここまでどうにかこうにか乗り切ってきたけどここに来てどうにもこうにも乗り切れない気がして来たので観念してこちらを購入

 

決め手は薄さ、カラフルさ、読みやすさ(笑)

 


さて、オペラのプロダクションとしては自分史上最も早い公演6ヶ月前の1月から稽古が始まっているF.シュレーカー作《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》。

このシュレーカーという作曲家は、《薔薇の騎士》や《ナクソス島のアリアドネ》などで知られるリヒャルト・シュトラウスと時代を共にした人物であり、当時のオペラ作曲家で唯一リヒャルト・シュトラウスと肩を並べる公演回数を誇った作曲家です。

1920年にはベルリン音楽大学学長に就任し、作曲教授として多くの逸材を育てるも、強まるナチスの圧力と急激な作曲様式の変化という荒波に翻弄され、徐々に評価が下がってしまいます。

この《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」は『時代の流れによる自身の境遇にシュレーカーが放った抵抗の一矢』というコンセプトが込められ、僕が演じるアンゼルムという役は作曲家であり、シュレーカー自身の音楽観の代弁者であると考えられています。

本来であれば1933年に初演をむかえるはずであった本作品は、当時ナチスが政権に就いたことにより一度お蔵入りとなり、結局その後45年の時を経た1978年にフライブルクにてようやく初演され、その後は2001年のキール劇場での上演が記録されているのみで、今回が本邦初にして世界3回目の公演ということになります!
(どこかで一度演奏会形式で演奏されたらしいが、オペラ公演では無いので上演記録に含まず)


しかしまぁ難しいこと。。。

オーケストレーションが歌のサポート機能を殆ど担っておらず、歌手も一つの楽器としてオーケストラの一部分に加わっているかのような音の運び。

「頼れるものは己のみ、おんぶに抱っこは許さない」

とでも言うようなストロングファイトスタイル・・・

 

そしてフライヤーをご覧いただいた通り、出演者が多い!

ということはそれだけアンサンブルも増え、音楽が複雑化するということ。。。ああ、おそろしい

 

そんな本オペラのあらすじをご紹介

プロローグの舞台は作曲教師ヨハンの音楽室。伝統的価値観を持つヨハンは学生たちに、聖クリストフォロス伝説を題材にした弦楽四重奏曲を書くという課題を与える。しかしシュレーカーの思想を代弁する気鋭の新進作曲家アンゼルムは、伝統的で純粋な音楽形式としての弦楽四重奏を拒み、同じ素材に拠るオペラを企てる。それは彼自身がオペラを書いているという筋立てである。この劇中劇にはアンゼルムとは対照的な、因習に捉われた作曲技法に甘んじる、凡庸な才能の同僚学生クリストフが登場する。

 師ヨハンの娘でファムファタル的な性質をもつリーザは、作曲を断念して妻子への愛情に生きると宣言したクリストフと結婚するが、アンゼルムとの恋心も鎮めることができず、第1幕2場でクリストフに射殺される。アンゼルムはクリストフの逃走を幇助し、二人はキャバレーに身を沈める。この第2幕でクリストフは、霊媒の口寄せでリーザの声を聴くうちに覚醒して、劇中劇の構想を超越し、象徴的な死という救済に邁進する。

 長い間奏曲に続いてヨハンの音楽室に戻ったエピローグでは「男の力を知りつつ女の弱さに留まる者」たるべしと諭す老子の『道徳教』の一節が響く。劇中劇が破綻してプロローグにおける作曲学生に戻ったアンゼルムは、オペラを諦め、やはり弦楽四重奏を作ると師のヨハンに伝えて、作品は幕を閉じる。

 

 

お分かり頂けただろうか・・・

 

 

物語はアンゼルム、クリストフ、リーザの3人を軸に展開していきます。

はい、現時点で僕が理解しているのは以上です(;・∀・)

 

当然ながら本邦初演ということで対訳本など存在せず、先日、主催者である一般社団法人カンタームスさんが日本初となる対訳を作成してくれてようやく内容を知ることが出来たのですが、読んで尚理解が追いつきません・・・


では一旦内容から離れ、「結局オペラっちゅうのは音楽ありきやろ!」というサイドの意見を尊重し、アンゼルムとリーザの二重唱をご紹介

このライブ録音は2001年のキール劇場での世界2回目の上演となった公演のものです。

(2分36秒あたりから二重唱スタート)
Christophorus, oder Die Vision einer Oper, Act I: Schönheit ist wie der blühende Baum (Live)

 

どうです?

わけがわからないでしょ?

 

安心してください

 

僕もですよ・・・

 

公演の半年も前から稽古がスタートした理由がわかります。

こんなの通常の3ヶ月スパンの稽古では間に合いません(;・∀・)

 

しかもアンゼルムにはアリアの様な曲もあり、それがまた強烈にクセモノなんですよ・・・・・・・

 

カオス過ぎて、ワンチャンでたらめ歌ってもバレない説まである(笑)

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今年も残り84.7%

2024年02月26日 | クラシック音楽

2024年始まったな~

今年も悔いのないように過ごすぞ~

 

って、気が付くと今年も残り310日・・・

 

空白の55日はどこへ?

 

みなさん、今年の6月23日ぜひ空けておいてください・・・

空けるだけではなく、是非芹澤の努力の結晶(になる予定)のF.シュレーカー作曲、オペラ《クリストフォロスあるいは「あるオペラの幻影」》の応援に来てください・・・

むしろ今すぐに応援してください(´;ω;`)

 

オペラのプロジェクトとしては(少なくとも僕にとっては)異例の半年前から稽古がスタートし、すでに音楽稽古も回数を重ねております。

今回のオペラ《クリストフォロス(以下略)》の公演は、オペラとしての公演回数が初演から数えて3回目(演奏会形式での公演を含めると4回目?らしい)になるという非常に珍しい演目で、当初はその取りづらい音程、ハモれない重唱、膨大なセリフにただただ苦痛しか感じておりませんでした。が、先日主催である一般社団法人カンタームスが対訳を作成してくださり(もちろんすべてオリジナルテキストから翻訳!)、ドイツ語レベル0のわたくしはようやく話の筋が理解できました(´;ω;`)ブワッ

 

そこに広がっていたのはなんとも哲学的で神秘的な世界

 

各声部、オーケストラが「独自の道を突き進むスタイル」の音楽

 

そして・・・・

 

ゴースト・バスターズ???

 

知れば知るほどわけが分からなくなりました(*ノω・*)テヘ

まだフライヤーが出来上がってない(作らないのかな?)ので、公式サイトへのリンクを貼っておきます↓

 

チケットは公式サイトからお申し込み可能ですが、

芹澤から買っていただくと芹澤は大変助かります!
大人の事情

えっ?連絡先知らないって?

大丈夫、最後にまとめて連絡先を書いておくから!

 

そしてクリストフォロスの稽古と同時進行(その1)がこれ↓

芹澤はこの2本立て公演の、3月12日の《道化師》にカニオ役で出演します!

先程の《クリストフォロス》はドイツ語で、こっちの《道化師》はイタリア語だ!

字幕ありで楽しめますし、同時公演の《外套》も楽しめて3000円というのはお値段以上(になるように頑張ります・・・)であり、両作品共に1時間程度ということで、ボリューム的にも気軽に楽しめる公演となっています(`・ω・´)ゞ

《道化師》にはカニオの歌う有名なアリア「衣装をつけろ」があります!

アリアの逸話に関しては、先日取り上げたて頂いた町田市のタウンニュースに記載があります↓

どうやらワタクシは二期会のスーパーテノールらしですがそんなこと千駄ヶ谷界隈で言ったらレジェンドテノール達に消されてしまいます・・・

そんなスーパーテノール(他称)の出る《道化師》の稽古風景

さて、先程クリストフォロスの稽古と同時進行(その1)」という書き方をしましたが、(その1)があれば(その2)があるのが世の定め・・・

 

じつはクリストフォロスの一週間後、6月30日にとあるオペラに出演することが決まっております・・・

ご存じの方も多いかと思いますが、芹澤は初役ばかりに恵まれる初役男です。

これまで2回以上演じたことのある演目(役)は

 

《フィガロの結婚》バジリオ・・・2回

《椿姫》アルフレード・・・2回

《タンホイザー》タイトルロール・・・2回

 

という、非常にクセが強いラインナップとなっております。。。

もう少しすると制作サイドから発表があるので、今ここで詳細に触れられないのですが・・・

とりあえずヒントは羽生君です|д゚)チラッ

そしてその稽古は4月からスタートするということで、《道化師》が終わったら新たなる苦行修行の始まりです・・・・

 

ああ、どうなることやら・・・

 

お問い合わせ(応援)はすべてこちらで受け付けております

yoshimichi.serizawa@gmail.com

その他にも芹澤は各種SNSを利用していますので、X(旧Twitter)、Instagramのメッセージからでもバッチコイです(`・ω・´)ゞ

 

よろしくお願いします(´;ω;`)ブワッ

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日越外交関係樹立50周年記念フィナーレコンサート「協奏・『第九』の響きを世界へ未来へ」

2023年12月31日 | クラシック音楽

今年の振り返りをするには残り時間が少ないので、せめて12月の事は書かねばならぬという使命感で書き始めたものの、帰省中のため電波環境がダイヤルアップ接続並みに遅く果たして書き終われるのか、年内に投稿できるかは謎である。。。

 
12月はいわき市立平第三中学校での鑑賞教室からスタート!
 
先方からのオーダーで、芹澤は初めてシューベルトの「魔王」を歌いました😈
 

左から魔王、ソプラノ中畑有美子さん、ピアニスト藤井麻理さん、指揮者兼司会松下京介氏
 
体育館でマイクを使用しないスタイルの歌唱はとにかくエネルギーが必要で、オペラ歌手としての力量が試され、浮き彫りになります(笑)
疲労困憊の芹澤は帰りの特急ひたちの中に携帯を置き忘れて下車してしまうのでした(その後無事回収)
 
 
12月17日東京ヴィヴァルディ合奏団「ファンタジックなクリスマス」🎄


それはある日の午後、ふとInstagramにメッセージが届いていることに気が付きました。
普段Instagramでメッセージのやり取りをしないため「?」となりましたが、そこに届いてのがこちらのコンサートへのゲスト出演のオファーでした!
しかもよーく読むと会場はサントリーホールブルーローズ。。。
 
これは受けるしかない❗️
 
 
これまで聴く側でしか体験したことのないホールでしたが、非常に響く空間でとても歌いやすかったです。
貴重な場を提供してくださった東京ヴィヴァルディ合奏団の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです😆
 




 
 
そしてその2日後、芹澤は成田空港に現れた。
 
そう!
 
 




 
 
日越外交関係樹立50周年記念 フィナーレコンサート 「協奏・『第九』の響きを世界へ未来へ」出演のため!
 
いざベトナム🇻🇳‼️
 
 
初めてのベトナム!
 
活気とうごめくエネルギーは非常に濃厚!


地元で評判の牛肉のフォー🍜
 
今回は通訳のスタッフ(最終的に4名!)がサポートしてくださり何不自由なく行動でき、自分の役目に集中できました😆
漂う王者の風格!


到着翌日には朝からソリスト稽古、夜は合唱団も加えてリハーサル!
リハーサルはベトナム国立音楽院のホールにて😲
文化事業が活発になるという事は、国が発展し経済が成長していることだと感じました。
オーケストラの名称「ベトナム国立交響楽団」という名前からも分かる通り!


史跡「タンロン城址」
城址というので石垣とか残っているのかな〜と勝手に思っていたら立派に鎮座しておりました😁


こちらはタンロン城の前に設営された特別ステージ!
野外コンサートならではの眺めです。
この日は夜にリハーサルがあるという事は聞いてましたが場所の連絡はなく、ただ「本日の会場は冷えるので暖かい格好で」というメッセージのみで、ホテルでピックアップしていただき着いてから初めて本番の会場(つまり屋外)だと知り「外なら外って言ってよ〜」と心の中でツッコミました😇
 
そしてついに本番当日・・・
 
 

来賓席には各国大使も!

この日のためにヘアアイロンを日本から持参し独り風に吹かれるスタイル😆

平和讃歌を歌っているとは思えない猛々しさ(笑)

VIP席からのショット


 
これまで第九は、全曲演奏日本初演の地として有名ななるとの第九(日本初演100周年記念の回にも出演)、ロームシアター竣工式(指揮:小澤征爾マエストロ)、その他様々な機会でソリストとしての責務を感じて来ましたが、まさか自分が国際関係に関わる記念すべき場に、一日本人として立つことになるとは想像もしていませんでした。これまでは何かあっても「芹澤の個人的な責任」で済む話でしたが(実際済むかどうかはわかりません、やらかしたことがないので🤓)、今回に限ってはある意味日本代表(と勝手に思っていた)のため失敗は許されぬ!お国のため!と鬼気迫る気合いをコッソリ胸の奥に隠し持っておりました。
 
そんな公演の全容はなんとYoutubeにて公開されております!
 
(第九第四楽章バスソロ開始は1:33:30頃)
 
こうして映像に残ることって意外と少ないのでお楽しみいただければ幸いです!
 
そして是非アンコールもご覧いただけると、日越関係の絆を感じていただけると思います。
 
 
それではみなさま、良い年をお迎えください😌
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潜伏期間

2023年11月11日 | クラシック音楽

10月は一度も更新がなく、気がつけばポッキーの日になってしまいました。

 

リサイタル後に何をしていたかといいますと、主に来年出演するオペラの準備です。

っていうか現在も準備してますし、まだ終わってません・・・

今回の記事は、オペラ歌手が舞台に立つまでをご紹介します

 

準備とは?

初めて出演する演目の場合、まず初回音楽稽古が始まる前に自分自身で音取りをしなければなりません。

アマチュア合唱団のように練習時間に音取りをすることはなく(部分的に取り上げてやることはある)、プロの現場ではある程度仕上がった状態で初回音楽稽古に参加することが求められます。

僕の今後のオペラ出演スケジュールですが、来年6月までに4作品の出演が決まっており、そのいずれもが初めての役となっています。

もしこれが既に経験している役であれば準備に関してさほど難しいことはないのですが、初めての役、しかも4役となると話は異次元レベルで異なります。

 

オペラの稽古は

音楽稽古→立ち稽古→本番

という流れで進みます。

 

まずは音楽稽古で音楽を作り上げ、音楽が身体に染み込まないと演技(立ち稽古)が出来ません。

 

皆さんの中には「音楽家なんだから、楽譜を見ればそこから音が浮かび上がってくる(脳内再生)んでしょ?」と思う方が多いと思います。

そういう人も居ます。むしろそういった能力を身につけるよう、音高、音大ではソルフェージュの授業があります。

ただ、そういった訓練を受けても一律みんながそれを獲得できるわけではありませんし、そういう音感教育は幼少期の環境が大きく影響します。

 

僕は楽譜を観ても音は取れません(脳内で音にならない)

 

最近それを言語化して説明出来る術を獲得しました。

【音】には「音色情報」と「音程情報」が含まれます。

「音色情報」は誰もが知らず知らずのうちに獲得している「ピアノの音」、「リコーダーの音」、「クラクションの音」等の、音というものを区別する情報です。

住宅街を歩いていて、ふとピアノの音が耳にはいると「あれ?どこかからピアノの音がする」と自動的に認識が働きます。

 

一方、ソルフェージュの授業は「音程情報」の獲得を目指すもので、「どの音色に限らず、含まれる音程情報を認識する」ことを目的とします。

 

僕は高校3年間、大学2年間(必修が2年までだった)の計5年間ソルフェージュの授業を受けましたが(留学中も音楽院で2年間受けたけど、大人になってからなので除外)、一定の成果は得たものの、譜面を見ただけでは全く音は取れません。

「固定ド」、「移動ド」の概念から言えば確実に「移動ド」ですが、それでも隣り合う音程間(長/短2度)の移動すら時に不可能です。

 

僕のようなタイプの場合どうすれば良いのかというと、いくつかやり方はあります。

まず王道なのは【コレペティと呼ばれるオペラ伴奏&コーチングに特化した専門家の下で音取りをしてもらう。】です。

コレペティはオペラの伴奏を弾きながら必要な声部を足して弾いてくれたり、楽曲分析を混じえてサポートしてくれます。

 

多分(笑)

 

なぜ「多分」かというと、僕はお願いしたことが無いからです(笑)

僕のようなタイプはコレペティにお願いしても成果が上がらないのです。そもそも楽譜を見ても音符を音として捉えられらない(音程情報を得られない)ので、指導が指導にならないのです。

楽曲分析で細かく解説されても、僕にとっては文字を見るのと同じ、そこに音程はないのでつねに「ピンとこない状態」のままです。

 

なので僕は毎回オペラの音楽稽古前に自分で音取り音源を作ります。まず音源を作り、耳から正確な音程情報を頭に叩き込み、ある程度染み込んだら音取り音源に合わせて声を出して練習します。

例えば今一番苦労している作品が来年6月のオペラ【 クリストフォロス、あるいは《あるオペラの幻影》】という作品なのですが、その音取り音源の制作はこんな感じです。

まずMuseScore3で歌唱範囲の楽譜を作ります(楽譜見ながら写譜する)

これをMP3変換でオーディオにして(伴奏部分はヴォリュームを下げる)、作りためていきます

後はこれを移動中にiPadで譜面を見ながらずっと繰り返し聴きます。

 

言ってしまえば【カラオケで好きな曲を歌うために聴きまくる】のと原理は同じです(笑)

唯一違うのは、譜面に書かれているのは音程とリズムだけでなく、テンポの変化、アーティキュレーション(奏法)の指示が無数にあります。

そういったいわゆる【味付け】はこの段階では全く組み込んでいません。それは指揮者によって、共演者によって、演技によって千変万化するからです。なので楽譜という【レシピ】を完璧に叩き込み、その後どのようなオーダーが入っても対応出来るよう、記憶します。

記憶する、というのは自分の旋律だけ覚えても無意味なので、相手の旋律、伴奏も記憶します。「ここでこう来るからこう」という風に、音楽は常に対話です。独唱曲であるアリアだって指揮者を通じてオーケストラと対話します。

独りよがりの音楽は箸にも棒にもかからないので、僕のように音程情報の獲得に難のあるタイプは自分なりの方法を模索し、獲得しなければやっていけません。

 

ここまでが音楽稽古前にやっておくべきことです。

そしてその後は立ち稽古が始まります。頭に音楽を詰め込み、追加情報の「動作、演技、導線、舞台上の設定」をこなします。

 

ここまでで膨大な仕事量だ言うことがわかっていただけたと思います。

 

こういった工程を経てオペラ公演が成り立っていきます。二期会の場合だと音楽稽古から本番までが3ヶ月スパンです。もちろんここにオーケストラ、舞台さん、照明さん、各セクションスタッフなど多くの人々が関わります。

 

そう考えると一流プロダクションのチケットが高額なのもご理解いただけると思います。

 

そんな芹澤は、目下来年6月の【 クリストフォロス、あるいは《あるオペラの幻影》】の音源を作りつつ、同じく来年2月の

こちらの稽古と練習に勤しんでおります。

 

この「アドリアーナ・ルクヴルール」というオペラは、フランスの実在した舞台女優アドリエンヌ・ルクヴルールをモデルとした物語となっております。

オペラとしての構成も面白く、オペラの中で舞台の裏側視点が組み込まれていたり、同じ舞台上で異なるシチュエーションが繰り広げられたりしつつ、最終幕では非常に美しい音楽が奏でられる劇的な作品となっております。重ねて言いますが、音楽が本当に美しいです。本当にこんなに熱く、素晴らしい音楽に心を揺らされたのは久しぶりです。

 

ただ・・・

 

 

 

マウリツィオ(芹澤)がクソです。

オペラ界不動のクズ男はピンカートン(蝶々夫人)と相場が決まっていますが、マウリツィオもなかなかです。3幕なんてホストクラブで指名の入ったホストの立ち振舞のようです。

 

 

でも音楽はとても良いんですよ・・・・

 

 

ま、オペラなんて平凡からは生まれませんからね、これくらいクズじゃないとドラマは誕生しないと言うことか(笑)

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リサイタル無事終わりましたぁ

2023年09月21日 | クラシック音楽

いや~

 

 

反省ですわ~

 

 

え?

 

 

何のことかって?

 

そりゃ当然リサイタルのことでしょ!

 

え?

 

歌詞間違えたのかって?

 

 

そんなんノーカンや!(あかん)

 

 

 

いや、開始から終了まで2時間30分(途中20分休憩含む)はリサイタルでは長すぎた笑

 

いや、ほら、サービス精神がな、ヒートアップしてな、ほんでな、

 

楽しくなっちゃった☆

(*ノω・*)テヘ

 

 

 

あ、いえ・・・

 

 

本当にすいませんでしたm(_ _)m

 

 

次からは終演時間を予めフライヤーなどに掲載したいと思います。。。

 

 

(究極的には『いつまでも終わらなければ良いのに!』って皆様に思っていただけるようになりたいカッコトジル

 

さて、今回のリサイタル、ここ最近では非常に珍しいことがおこっていたことに気が付きました?

 

それは

 

芹澤が体調を崩してなかった←重要

 

 

4月の代沢芸術祭では(おそらく食物アレルギーで)声が出なくなり、8月は4月と同じモノを食べた結果喉の腫れと鼻水(垂れてこない)で調子を崩し

 

『やばい、このまま行くと3ストライクでバッターアウトや』

 

と、戦々恐々としておりましたが、なんと近年稀に見る体調の良さで当日を迎えることが出来ました!

左より 藤井麻理(ピアノ)、野田ヒロ子(ゲスト)、山田亜寿香(MC)、鷲尾裕樹(主催者)

 

当日のプログラムはこちら

 

入り口には恒例の姫りんご様からのフラワー(バルーン?)スタンド

 

終演後に場所を移してサプライズゲストとして歌っていただいたテノール高梨英次郎氏と

高梨くんには前半でチェスティ作曲「私の愛しい人のまわりに」(Intorno all'idol mio)を歌っていただき、続くレスピーギ作曲「古い歌に寄せて」との関連性をお客様にお伝え出来たかと思います(`・ω・´)ゞ

 

焼きそばソング用小道具たち

ちなみにイラストのフリップは前日に作成しました笑

アンコールはNicholas Brodszky作曲の「Be my love」を野田ヒロ子さんとデュエットで、そしてトスティ作曲の「暁は光から”L'alba separa dalla luce l'ombra”」を芹澤の弾き語りにてお届けいたしました。

 

 

弾き語りのリハーサル風景

ちなみに、数日前に髪を切ったら自分でうまくまとめられなくなり、最初から最後まで髪型が決まらなかったことが心残りです(T_T)

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