LA CAFFETTERIA DI RETROSCENA舞台裏カフェ

テノール芹澤佳通の日常系ブログ (・∀・)

とあるテノール芹澤佳通Official Web Site開設のお知らせ

2025年01月08日 | クラシック音楽

元日より着手し、誕生日の6日にOfficial Web Siteを公開しました!

 

とあるテノール芹澤佳通Official Web Site

 

これまで演奏会情報などはブログ、X(旧Twitter:テノール歌手アカウント

その他の情報はブログやnoteで発信してきました。

 

その結果、運用SNSが乱立し

 

どれ見りゃええねん?

 

 

状態になってしまいました笑

 

 

なので、「ここさえチェックすれば全部わかる!すべて完結する!」を目指し、オフィシャルサイトを立ち上げたわけです。

 

例えばチケットの申込みに関してはこの様なフォームをご用意!

チェックボックスにチェックを入れ、残りの必要情報は「お申し込み内容」欄にご入力いただき「送信」ボタンをポチッとな!

これだけで注文が完了し、その後折り返しご連絡いたします。

 

レッスンのお申し込みも専用フォームをご用意しております(`・ω・´)ゞ

 

 

あ、あと大事なことなのですが、

 

安いプランのサーバーを契約したので

 

 

よくサーバーダウンします笑

上の様な画面になりましたら、5~10分空けてから再びアクセスしていただけると表示されるようになります( ゚∀゚)・∵. グハッ!!

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生徒が国際声楽コンクールを二冠した話

2024年12月03日 | クラシック音楽
先日開催された第3回東京国際管弦声楽コンクールと第4回国際声楽コンクール東京において、生徒が二冠を達成しました
 
 
東京国際管弦声楽コンクール
 
国際声楽コンクール東京
 
 
詳しくはnoteにまとめましたのでそちらをご覧ください(^^)
 
      
 
上記リンクの中では、選曲に関してやコンクール期間中のレッスンのことなども書いてます
 
で、色々と書いたのですが、最後に【指導者が出来ないことは生徒も出来ない】とまとめております。
 
 
(以下コピペ)

最も重要なのが「僕自身が歌える」というところに尽きます。
常々感じていることですが、人は自分が出来ないことを他者に伝えることは出来ません。


これは


出来ない=理解出来ていない


という非常にシンプルな構図であり、自分が理解出来ていないことを他人に教えることは不可能です。
もちろん知識のアウトプットが苦手な人もいますし、天才肌の人は出来てしまうが故にそれを説明出来ない場合が多いです。
 

(以上)
 
これに関しては様々な意見があると思います。
 
「耳の良い指導者」、「音楽(演奏法)の趣味の良い指導者」というタイプも居るでしょうし、「自分は出来ないけど生徒を介して理想を実現化できる指導者」という特殊なタイプの才能をお持ちの方もいると思います。
 
 
しかし僕を含め多くの一般的な指導者は、生徒に発声法であれ歌い回しのテクニックであれ、実演で例を示せなければなりません。
 
伝えるということは難しいですからね、いわゆる百聞は一見にしかずメソッドです(いわゆらない、だっていま命名したんだから)
 
 
ま、あまり口伝的に教えていくとこちらの歌いグセがうつってしまうという欠点もあるんだけどね笑
 
 
そんな芹澤の歌いグセが詰まった?演奏はこちら(便乗商法)

とあるテノールが「Caruso」をオリジナルキーで歌ってみた
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高音の波状攻撃

2024年11月28日 | クラシック音楽

10月に立川サロンスタジオFIXにて収録した3曲、その最後は《Caruso》

 

何度かコンサートでも披露していますが、未だ僕以外でオリジナルキーで歌っている人にあったことがありません。

 

これ、おそらく楽譜の問題だと思うんですよね・・・

 

僕の持っているCarusoの楽譜はイタリア留学中に購入した「パヴァロッティ愛唱歌集」的な曲集に収められたもので、そもそもこの曲集を日本で見たことがありません

 

この曲集以外だと、アンドレア・ボチェッリの楽曲をまとめた曲集にCarusoは収録されていますが、オリジナルよりかなりキーが低く編曲されています

 

そんなこんなで《日本におけるCarusoオリジナルキーでの歌唱》はワタクシの独壇場(?)となっております笑

 

とあるテノールが「Caruso」をオリジナルキーで歌ってみた

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難しい問題

2024年11月11日 | クラシック音楽

短い曲ながら、独特な音程感が難しい「くちなし」

 

聴くと歌うとでは大きく印象が違い、単純なようなで複雑・・・

 

音程(ピッチ)が悪いと作品の世界観に没入できなくなる(聴いていて「あれ?」っと思わせてしまう)ので、我々は音程には敬意を払い、常にリスペクトしなければならない(`・ω・´)ゞ

ソルフェージュ能力の高い人や、絶対音感を持っている高レベルの音感保持者なら、正確なピッチを保ちつつ作品に見事な色を出せるのだろうが、如何せん絶対無い音感のワタクシには脳の回路が擦り切れる程度に非常に困難な作業(;・∀・)

一度気になりだすと一事が万事、すべてが気になってしまい疑心暗鬼になってしまう・・・

かと言って、音程ばかりに気を取られていると演奏がつまらないものになってしまう(芹澤の場合)

 

クラシック音楽の演奏家は(多くの場合)みんな同じ曲を演奏する。

そうなると、どう差別化するか?が個性であり味となる。

「楽譜」というルールの許容範囲内で個性を出すということは意外と難しく、やりすぎれば下品になってしまう。

 

書かれていることをただ演奏するのは「音の再現」に過ぎない。

大切なことは書かれていることを正しく読み取り、音楽として生み出すこと。(持論)

 

今やチャットGPTや生成AI、ボーカロイドなど、正確無比な情報、正確無比な演奏を再現するツールは巷に溢れている。

生身の演奏家と、それら「完全無欠の正確性」との違いは「近似値を許容する人間味」という名の温もりであると思う。

 

つまり、

 

多少音程甘くても、それはそれで人間がやってることだし良いんじゃない?

 

ということ笑

 

 

とあるテノールと「くちなし」(歌曲集「ひとりの対話」より)

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執念の撮り直し

2024年10月14日 | クラシック音楽

先日、立川サロンスタジオフィックスにて動画撮影をして来ました

 

実は先だって9月末に同スタジオで収録したのですがその出来に納得がいかず、もう一度収録することに。

演奏において「誰が聴いても完璧な仕上がり」というものは非常に実現困難なものですが、最低でも「自分が納得出来る演奏」をお届けしたいという思いから再収録を決断しました

全部で3曲収録し、完成次第公開していきます(`・ω・´)ゞ

 

まずは第一弾としてフランチェスコ・パオロ・トスティ作曲の「暁は光から」をお届けします

(この曲、昨年のリサイタルのアンコールで僕が弾き語りした曲です)

 

とあるテノールが「暁は光から」歌ってみた

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ピンカートンという名のクズ男、再び

2024年09月20日 | クラシック音楽
「地元(正確には隣の市だけど)でオペラに出演するのは初めてだな~」と思ったけどそもそも地元でオペラをやること自体が稀なのでそりゃそうか、と自己解決。
 
《蝶々夫人》は日本の長崎を舞台にプッチーニが作曲したオペラで、(プッチーニにからすれば)異国の地を舞台にする上で必要不可欠な日本の音楽を取り入れ、19世紀後半ヨーロッパで流行したジャポニズムに則り1904年2月17日にミラノスカラ座で初演され、大成k・・・ならず失敗に終わる。。。
 
みんな大好きWikipediaには『初演で蝶々夫人を演じたロジーナ・ストルキオ。拍手ひとつなく、舞台裏で泣き崩れた。プッチーニは同作の成功を誓い、自らの生存中はスカラ座での再演を禁じた。』との記載がある程度に失敗
 
ちなみにヴェルディは自身の作品『1日だけの王様』の公演が(リアルに)1日だけで打ち切りになったのことに不満を抱いていたようで、やがて自身の作品をスカラ座で初演することを避けました。
(8作目《アルツィーラ》から26作目《アイーダ》まで、初演はいずれもスカラ座以外の劇場)
 
さて、《蝶々夫人》の初演が失敗した理由はいくつかあったそうですが、まぁ内容が内容だけに「うん、そりゃそうなるよね」と納得してしまう点も多々あります。
その元凶はやはりピンカートンでしょう。
 
「オペラ界きってのクズ男」
「元祖ロマンス詐欺野郎」
「多様性礼賛の現代でも受け入れられない程度のクズ」
「ま、日本でも結婚するけどアメリカに本命ちゃんいるからあっちで本当の結婚するんだよ😘って大声で言っちゃうクソ野郎」
 
それが僕が地元で演じるピンカートン!!!(・・・あれ?なんでだろ、画面がボヤケてきたぞ😭
 
もしプッチーニが現代に生きてたら舞台は長崎じゃなくてトー横だろうし、多分ボエームもトー横界隈だろうし、ってことはトー横はもはやオペラ。
 
ということで、クズ男として地元に帰還する可哀想な芹澤が「ブーイングは称賛の裏返し」という心の最終防御壁を持って挑む《蝶々夫人》の公演情報はこちら
2024年12月15日 (日)
島田市民総合施設プラザおおるりホール
開場13:30 開演14:00 終演17:00(予定)
※上演時間は約3時間 予定 (休憩含む)
 
【チケット】
一般:3,500円 
学生:2,000円
(全席指定・税込)
 
【プレイガイド】
・プラザおおるり1階窓口
・カンフェティ
 
【出演】
蝶々夫人:廣木悠代
スズキ:櫻井陽香
ケート:伊藤咲葉
ピンカートン(クズ男):芹澤佳通
シャープレス:飯塚学
ゴロー:勝又康介
ボンゾ/ヤマドリ:鹿野由之
神官:水島正樹
ピアノ:鈴木啓太 久米涼子
 
皆さん、芹澤はクズ男を演じるのであって、《芹澤≠クズ男》だということをご理解の上お越し頂ければと思いますm(_ _)m
カーテコンコールで生卵とか投げないでくださいね。。。
 
 
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最高な奴ら

2024年07月12日 | クラシック音楽
最近はもっぱら音楽家としてのことばかり書いている当ブログ
 
そもそも「テノール芹澤佳通の日常系ブログ」ということなので日常のことを久しぶりに書こうかと思う😎 
 
しかしサラリーマンの様に「仕事」と「休み」が明確でなく、曜日で行動が決まっているわけでもないので、どっからどこまでが日常なのか曖昧なのである😵 
 
「コンサート」や「オペラ公演」などは明確に仕事であるが、それらに関する「稽古」は仕事に入るのか否か・・・
 
そんなワタクシ、6月までは非常に忙しい日々を過ごしておりました
なんせ6月22日、23日が【クリストフォロス】(東京)、6月30日が【夕鶴】(長野)と、異なるオペラ2本の出演があったため、稽古は昼【夕鶴】、夜【クリストフォロス】といった感じで隙間なく詰まってました😖 
 
 
しかも当然両演目ともに楽譜を暗記(暗譜)しなければならないため、稽古までの移動中はそれぞれの楽譜とにらめっこ
電車の中では常に譜読みをしている状態で気分はさながら受験生(東大志望)
 
そんな怒涛のような6月が終わり、先日「久しぶりに大学の同期で会おう!」ということになり、会うことになりました😊 
 
 
 
集合は18時00分
 
 
 
そして模範的高等遊民芹澤は18時00分ジャストに入店・・・

 
 
まだ誰も来てない
 
 
ちなみに僕はどちらかと言うと時間に遅れるタイプの人間である(えっへん)
 
社会不適合者たる音楽家の鏡のような人間である(へへん)
 
 
そんな僕が一番乗りとか、どうかしてるぜ 
 
 
 
5分後くらいに2名が到着
 
そこで1人が体調を崩して来れないということを知り、「時間もったいないし、先に始めよう!」と注文をスタート。残り2名の到着を待つことに。
 
1時間後、グループLINEに1枚の画像が送られてきた
 
我々には圧倒的に情報が不足していた。
 
今どこにいるのか?
 
6%で足りるのか?
 
これは「頑張る」という意思表示なのかそれとも「もう無理」という諦めなのか?
 
 
 
 
 
多くの謎を残したまま、結局この後彼が来ることは無かった
 
 
席の時間が過ぎたので、場所を新宿の老舗居酒屋「どん底」に移してもう1人を待つことに
 
 
 
昭和の文化人たちに愛された名店は、一歩踏み入れば空気はたちまちThe昭和
 
土地柄もあってか、集まる人達も個性的
 
学校に勤務する友人は「保護者対応に時間をとられてしまった」とのことで急いでこちらに向かっているという😫 
 
 
しばらくして
 
送られてきたこの写真
 
 
どうやら急いで向かっている最中、走っていたらヒールが折れてしまったらしい
 
 
この投稿を最後に
 
 
 
この日彼女が合流することはなかった・・・
 
 
 
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忙しかった6月

2024年07月07日 | クラシック音楽
先月はオペラ【クリストフォロス】の1週間後にオペラ【夕鶴】というスケジュールを立ててしまった結果、非常に忙しい月となってしまいました(;・∀・)

昼間に【夕鶴】の稽古に出席し、終わり次第移動して夜は【クリストフォロス】の稽古という日が続き、最終的に【クリストフォロス】では同役キャストが降板したことを受け、オケ合わせ、場当たり、HP(ハウプトプローベ)、GP(ゲネラルプローベ)、本番×2回と、連日歌いっぱなしの1週間を過ごしました(笑)
なお、この公演は字幕付きで動画がYOUTUBEで公開されるそうです!
公開になりましたら改めてお伝えします(`・ω・´)ゞ

【クリストフォロス公演の様子と舞台裏】
第1幕リーザとアンゼルムの長大なシーン


第2幕キャバレーに身を隠しているアンゼルム(劇中で指揮をしている)


第2幕 コスプレ撮影会・・・ではない


演出の舘さん(中央)とA組クリストフ石﨑さん


同じく演出の舘さんとB組クリストフ高橋くん


エルフ族・・・


白アンゼルムと手乗り黒クリストフと学生達(第1幕開始直前に撮影)



そして【クリストフォロス】終演後、二日挟んで6月26日から7月1日まで【夕鶴】公演のために長野県伊那市に滞在、先週までドイツ語歌ってのに日本語歌唱にシフトチェンジ!
まずは名物「ソースかつ丼」!「たけだ」さんにて


引きのアングルでもう一枚!めちゃくちゃジューシーで美味しかったです!


夕鶴の舞台セット


非常に奥行きのある舞台

上から雪(紙吹雪)も降ってきます!


舞台さんによる心遣い!我々は支えられてようやく舞台に立てるのです。


両公演ともに多くの方にご来場頂きました。心より感謝を申し上げますm(_ _)m

7月は特に本番はなく、さながらヨーロッパのバカンスの様な感じですが(レッスンだけはしてる)8月はこちらの演奏会に出演します!

2024年8月6日(火)
《プッチーニ没後100年記念コンサート》
18時30分開場 19時00分開演
中目黒GTプラザホール

プッチーニのオペラ全12作より、有名アリアを7人の歌手が披露します!
こういったコンサートに出るのは久しぶりの様な・・・
オペラと違って、1曲1曲有名なアリアが聴けるいわゆる【ガラ・コンサート】は、オペラの世界に触れるきっかけとして、敷居も低く、カジュアルなコンサートだと思います😊

僕が歌うのは
《星は光りぬ》(トスカ)
《フィレンツェは花咲く木のように》(ジャンニ・スキッキ)
の2曲と・・・・アンコール(言ってしまうスタイル)


チケットは3種類あり、
1stプレミア席6000円(最前列10席限定)
2ndプレミア席5500円(2列目10席限定)
自由席4500円

となっております。

自由席チケットは僕の方でも取り扱っておりますので、芹澤公式LINEからお申し込みいただくか、yoshimichi.serizawa@gmail.comまでご連絡ください😊 
各プレミア席に関しましては【オペラサロントナカイ】へ直接お申し込みください😌 
皆様のお越しを心よりお待ちしております!

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公式LINEではいち早く演奏会情報をお届けしております!
ご返信いただくだけで、チケットの手配が可能です😁 
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オペラ【クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」】解説③

2024年06月08日 | クラシック音楽
【あらすじ】
プロローグ(弦楽四重奏かオペラかクリストフォロス伝説の作曲)
舞台は作曲教師ヨハンの音楽室。
伝統的価値観を持つヨハンは学生たちに、聖クリストフォロス伝説を題材にした弦楽四重奏曲を書くという課題を与える。しかしシュレーカーの思想を代弁する気鋭の新進作曲家アンゼルムは、伝統的で純粋な音楽形式としての弦楽四重奏を拒み、同じ素材に拠るオペラを企てる。それは彼自身がオペラを書いているという筋立てである。この劇中劇にはアンゼルムとは対照的な、因習に捉われた作曲技法に甘んじる、凡庸な才能の同僚学生クリストフが登場する。


第1幕1場(アンゼルムとクリストフ - リーザの選択):劇中劇
師ヨハンの娘でファムファタール的な性質をもつリーザは、作曲を断念して妻子への愛情に生きると宣言したクリストフと結婚する。


第1幕2場(モダニズムオペラの再現 心象風景の中のアンゼルムとリーザ)
リーザはアンゼルムへの恋心を鎮めることができず、劇中劇のアリアを官能的な舞踊と共に歌う。二人の距離が縮まり音楽が盛り上がったところをクリストフに見とがめられ、リーザは射殺される。


第2幕(クリストフの覚醒と救済アヘン窟で瓦解したオペラ構想)
アンゼルムはクリストフの逃走を幇助し、二人はキャバレーに身を沈める。
クリストフは、霊媒の口寄せでリーザの声を聴くうちに覚醒して、劇中劇の構想を超越し、象徴的な死という救済に邁進する。長い間奏曲に続いてエピローグ(老子が説く素朴と純音楽―アンゼルムの回帰するところ)。「男の力を知りつつ女の弱さに留まる者」たるべしと諭す老子の『道徳経』の一節が歌われたのちヨハンの音楽室が現れる。劇中劇が破綻して、劇中の人物ではなくプロローグの作曲学生に戻ったアンゼルムは、自身の妄想の中のクリストフと話して劇の破綻を痛感し、オペラを諦めて弦楽四重奏を作ると師のヨハンに伝える。幕

【道徳経28章】其の雄を知り、其の雌を守れば、天下の谿(たに)と為る。天下の谿と為れば、恒徳離れず。恒徳離れざれば、嬰児に復帰す。其の白を知り、其の辱をまもれば天下の模範となる。天下の模範となれば恒徳離れず無極に復帰する[…]。⇒すべてのものには二面性があり、柔軟に対応するべきという中庸、素朴への回帰。



屈折した劇中劇(芸術家の自己意識としてのひとつの形)→劇中劇中劇

「劇」という虚構に複層的な構造が与えられている。しかし各虚構間の境界線は曖昧で、明解な設計図は提示されない。




劇中劇という入れ子(Mise en abyme)の形をとっているが、その劇中劇もまた、作曲家アンゼルムが登場してオペラを書くという内容である。前者をアンゼルム①、後者をアンゼルム②と整理する。
虚構1は舞台上の現実といえる水準だが、劇中劇の水準である虚構2は単純に第1・2幕の全てではなく、虚構1から移行したと明確に判断できる箇所と、断言し難い箇所がある。さらに虚構2と虚構3の往来は、アンゼルムの妄想ないしは潜在意識の度合いから感じ取れる不明瞭なものである。
虚構1のアンゼルム①は虚構2の劇中劇の展開を次第に制御できなくなり、虚構3であるアンゼルム②のオペラは結局瓦解する。そのことは虚構2と3両方のオペラが崩壊したことを意味し、虚構1に戻ったエピローグへ繋がる。

「登場人物が作曲するオペラ」がマトリョーシカ人形か合わせ鏡のように重なり、台本を読むと果てしなく次元が深化する錯覚にとらわれる。
虚構のレベルが深まるにつれて、舞台上で演じられていることはオペラの中の現実(虚構1)を離れ、主人公の妄想へと転換してゆく。すなわちアンゼルム②の作品と推測できる箇所は、オペラの場面という設定をとりながらも、むしろアンゼルム①の心象風景の露呈ということができる。しかし展開がよどみないために、可視化された妄想を聴衆は、妄想ではなく虚構2で起こる現実と受け止めることになるだろう。あるいはアンゼルム②を想定せず、通常のオペラの次元として単純に虚構1だけが矛盾なく認識されることも少なくないと思われる。

→アンゼルムはウィーン時代の門下生で前衛的なエルンスト・クルシェネク(1900-1991)、アロイス・ハーバ(1893-1973)等がモデル。

→古典にこだわる老師ヨハン、因習的で平凡な作曲家クリストフ等とアンゼルムを並列させている。

→作曲家が3人登場し、自己言及的(自伝的)作品ながら、シュレーカー自身の役をあいまいにすることで自身の苦悩を表現する。3人すべてにシュレーカーが投影されている。
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オペラ【クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」】解説②

2024年06月06日 | クラシック音楽
3.台本の特徴
習作の《炎》で当時の恋人ドーラ・レーンの台本を用いたが、出世作となった《遥かなる響き》以降の全ての作品は台本を自作した(最後のオペラ《ヘントの鍛冶屋》以外は原作ストーリーも自作)。第一作の《グラントラム》の自作台本が失敗して以降、文学者に台本をゆだねたR.シュトラウスとは対照的である。ワーグナー以降の作曲家はしばしば自作台本に挑んだが、継続的に成功作を仕上げた例はシュレーカーの他にはほとんどない。
台本自作は、作曲家を主人公とした二作(遥かなる響き、クリストフォロス)に留まらず、全ての作品において、登場人物にシュレーカー自身が投影されていることの基盤となっており、強い自己言及性を形成している。


・題材の特異性
《遥かなる響き》で作者の自画像である作曲家フリッツは、芸術の為に恋人グレーテを顧みず、彼女はやがて娼婦に身を落とす。《烙印を押された者たち》では主人公の貴族アルヴィアーノが私財を投じて芸術の理想郷を作るが、せむし、性的不具という障碍を恥じて自らは近づかない。どちらも濃厚な官能や酒池肉林の騒ぎなど、直截な性描写に臆するところがなく、人物と場面の設定はR.シュトラウスのオペラよりも踏み込んでいる。またオペレッタに反映されていた当時の爛熟したキャバレーの文化も、オペラの中で躊躇いなく再現されている。他にも異常性欲者やいかがわしい霊媒師などの極端な設定は各作品にみられる。

・様々な先行作品の融合。
参照作品の多さと多様さは際立っている。時代も文化圏も易々と超えて縦横無尽に材を求め、筋立て、人物像、心理背景などを自作品に取り入れることに躊躇いがなかった。ことに《烙印を押された者たち》においてこの傾向は以下の通り顕著にみられる。

・「人物設定と劇的構成の概略」が取材された作品
《王女の誕生日》(ベラスケスの絵画《ラス・メニーナス》に基づくオスカー・ワイルドの絶望した小人の死という童話)、シェーンベルクの音楽付きドラマ《幸福な手》(黎明期の表現主義)、フランク・ヴェーデキントの戯曲《小人の巨人カール・ヘットマン》(ブルジョワ批判)など。

・「ディテールが採用された」作品(ダールハウスの分析)
《深き淵より(獄中記)》(オスカー・ワイルド。屈折した人格のモデル) 、《フィオレンツァ》(トーマス・マン唯一の戯曲。ルネサンス期フィレンツェで展開した抗争)、《ボッロメオ家の人》(フェルディナント・フォン・ザールの戯曲。豪華な洞穴(グロッタ)を持つボッロメオ宮殿が舞台であること)。《ペレアスとメリザンド》(メーテルリンクの戯曲。三角関係、女の移り気、男二人の決闘などの筋立て等)、ワイルドの《サロメ》とヴェーデキントの《地霊》(ファム・ファタールとしてのサロメとルルの人物像など)


・台本の精神的背景として参照された哲学・心理学文献
カール・クラウス、オットー・ヴァイニンガー、シグムント・フロイト、フリードリッヒ・ニーチェ等の著作(これらの思想は《烙印》以外の作品にも色濃くみられる)。


2. 《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》という転機

【クリストフォロス伝説】
大男レプロブスは、強きものに仕えることを望み皇帝のもとに居たが、皇帝が悪魔を恐れたことから、悪魔に従って悪行を重ねた。しかし隠者から奉仕することを諭されて、川を渡る人々を助けていた折、一人の少年を背負ったところ、川の中で際限なく重みが増してゆく。少年は自らがイエス・キリストであり、全世界の罪を背負っているため重いのだと明かし、レプロブスを祝福して、今後はキリストを背負ったものという意味の、クリストフォロスと名乗るよう命じた。
表題のとおり、このオペラはキリスト教の聖人伝説を念頭に置いている。しかし伝説自体は、オペラの筋書には組み込まれていない。聖人クリストフォロスを「同名の祖先」と呼び、強きものを希求する登場人物、クリストフの人物像にシュレーカーは伝説を象徴させた(劇中劇の中にのみ登場する架空の人物)。その対極をなす弱きものには、作曲学生のライバルであるアンゼルムをあて、強きものは凡庸、弱きものは才能豊かと設定した。
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オペラ【クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」】解説①

2024年06月04日 | クラシック音楽
いよいよ公演が今月末に迫って来ましたオペラ【クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」】(以降【クリストフォロス】と表記)

先週日曜には公演に先立ちプレイベントが開催され、お越しいただきました方々と我々出演者も共に作品の理解を深めました。

僕も以前よりX(旧Twitter)やFacebook、Instagram、そして芹澤公式LINEでも紹介して来ましたが、正直、内容の理解が乏しく実のある説明は出来ませんでした。
そうなると案内を受け取られた方も「うーん・・・どうしよっかな~」と迷われていると思います。


心の声「よくわからないオペラに8000円も払うのはね~」


はい、その通りです゚゚゚(´・ω:;.:......

ですので、この【クリストフォロス】というオペラの解説をお送りしたいと思います。

といっても、インターネットで検索しても情報は非常に少ないので、プレイベント当日に配布されました資料を引用・・・というか、そのままコピーする形で数回に分けて、皆様にお伝えして行きます(`・ω・´)ゞ

まず、出典元を明確にしておきます。

このプレイベント当日に配布された資料は、今年3月に主催者である田辺とおる氏が《2024年3月19日芝浦港南区民センター 第2集会室 日本アルバン・ベルク協会における発表資料》として作成したものを基盤とし、一般の方が理解しやすいように文章、レイアウトを変更した《2024年6月2日19時 大泉学園ゆめりあホール プレイベント資料》となっております。

これ以降の解説は全て、上記資料からの引用となります。

【解説】
シュレーカーは当時のドイツオペラ作家で唯一、R.シュトラウスに並ぶ公演数を誇りま
したが、1920年以降は差し迫るナチスの圧力と、映画やジャズなど新しい潮流との対峙を余儀なくされ、苦悩の日々を送りました。ユダヤ系の出自に加えて、音楽と台本の双方を自作した彼の躊躇なくエロティックな表現に踏み込む作風は、早くからナチスに忌避されていたのです。 この時期に《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》は書かれました。初期作品から一貫する後期ロマン派音楽と、様々な新しい手法が融合されて、現実と幻想の両面からオペラ創作の心理に切り込んだ近代的な冒険作です。

【響きと管弦楽法】
作曲にあたって最も重視している。響きの多彩さは同時代の作曲家の中でも傑出しており、管弦楽の楽器、音量、和声などの組み合わせ方は極めて広範に及んでいる。なかでもオーケストレーションを厚く構成し、音価を長めに引き延ばした壮麗なクライマックスを作り上げ、官能的な音響を創出していることは特徴的。

子供の頃から既に私は、かの「ワーグナー的」和音をピアノで弾くことを愛し、その残
響に没頭していた。[…]例えば、チェレスタがそのまま、そのものとして聞こえてきた
り、クラリネットやオーボエが、下品な競争をして歌声を蹂躙し、時には、管弦楽全体
の波よりも「覆いかぶさったり」してしまうよりも、邪魔なことはない。[…]私が否定
するのは、あまりにも明解すぎて聞き分けが可能な響きであり、そしてオペラという仕
事の中では、ただひとつの楽器だけを認知したいのである。オーケストラそのもの、と
いう楽器だけを。
※1
(※1Schreker, Franz. „Meine Musikdramatische Idee.“ in: Musikblätter des Anbruch Nr.1 (Universal Edition), 1.Jg,November 1919: 6-7. 「私の音楽劇的発想」。)

【豊麗かつ繊細なオーケストレーション】
細分化された弦楽器、巧妙に使われる打楽器、そして個々の楽器のアイデンティティーを覆い隠す絶妙の重複によって、プリズムを通したかのような多彩な色彩を生み出すに至っている。※2
→ 特にドビュッシーの和声と管弦楽法の影響に言及している。しかしさらに踏み込んで無調音楽を展開する事もあり、攻撃的な無調性を巧みに覆い隠す効果に寄与している。
(※2 クリストファー・ヘイリー「はるかなる響きの復活」翻訳者:岡部真一郎. 『藝術学研究』10巻 [明治学院大学文学部藝術学科], 2000: 45頁])

【自己分析 (音楽観について)】
私は、印象主義者、表現主義者、国際主義者、未来主義者、ヴェリズモ音楽家である。[⋯]
私は、響きの芸術家、響きの夢想家、響きの魔術師、響きの唯美主義者であり、旋律の軌跡は持ち合わせていない[…]。私は最も純粋な血統の旋律家であり、和声家としては、貧血症で変態だが、しかし純血種の音楽家である!私は、(惜しむらくは)色情狂であり、ドイツの聴衆に対して害悪へと作用してしまう[…]。
私はしかし(幸いなことに!)、理想主義者、象徴主義者でもあり、最も急進的なモダニズム(シェーンベルク、ドビュッシー)を好むが、さほど急進的には指向せず、私の音楽においては害にはならない。三和音はおろか「通俗的な」減七和音まで、いまだに使用して、ヴェルディ、プッチーニ、アレヴィ、マイアベーアなどに寄りかかっている[⋯]。



次回「台本の特徴
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初夏の新作【魔王】始めました

2024年05月08日 | クラシック音楽
久しぶりに演奏動画を撮ってきました😀 

昨年12月1日、いわき市立平第三中学校での音楽鑑賞教室で初めて歌い(先方からのリクエスト)、当時「せっかく譜読みしたので演奏動画にしてYouTubeにアップしようかな・・・笑」とインスタに投稿してから5ヶ月・・・

重すぎる腰を上げてようやくです😅  

当初は1日で終わらせる予定だったのですが、初日に収録した動画の画角、クオリティーに納得がいかず、もう一日撮影日を追加した結果・・・・

黒ドレスシャツ(サムネで着用している立ち襟のシャツ)を荷物に入れ忘れました😆 

なのでサムネと映像内で格好が異なっております(笑)
そんな裏話もこみで楽しんでご視聴いただければと思います😊 

とあるテノールが「魔王」歌ってみた

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謎の生命体《タジリマン》

2024年04月02日 | クラシック音楽

この正体不明の生命体

 

白い布に包まれ、その隙間から自撮り棒を天に向かって突き刺しているのは謎の生命体《タジリマン》です

 

タジリマンは、動画配信者としてとある現場に潜入しております

この様に自撮り棒を駆使し、とある噂のある現場に潜入し、動画配信をしているのです

 

そう、タジリマンはYouTuber

 

しかしそんなタジリマン、潜入現場にて色々なトラブルに巻き込まれます

 

そして身を隠しているシーンがこれなんです

頭隠して自撮り棒隠さず・・・

 

まさに配信者の鑑です

 

そんなタジリマンの活躍はこちらの公演で目にすることが出来ます

子供たちも参加するこちらの公演は、川口オペラ・シンガーズ(近々改名予定だとかどうとか・・・)の第三回定期公演で、タジリマンは《フィガロの結婚》の登場人物です

 

え?《フィガロの結婚》に【タジリマン】なんて役は無いって?

 

なければ作ってしまうのが川口オペラ・シンガーズクオリティ!

 

出演者兼演出の石井一也(Laboratorio141代表)さんによる演出はブラックジョークだけにとどまらず、大胆不敵な発想力と子供たちからのアイデアを採用する海の様に深く広い懐から生み出される唯一無二のものとなっております(特にフィガロの結婚)

 

みなさんが知っている《フィガロの結婚》はそこには無いかもしれません。。。。

 

あるのは・・・・

 

 

 

 

お申し込み、お問い合わせは、フライヤーに記載されている川口オペラ・シンガーズ(kawaguchiopera@gmail.com)

またはyoshimichi.serizawa@gmail.comでも受け付けております

 

 

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クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」

2024年02月29日 | クラシック音楽

これまで《タンホイザー》(タイトルロール)、《魔弾の射手》(マックス役カヴァーキャスト)などドイツ語の作品を歌う機会が割りと多かったものの、ドイツ語を学んだのは大学での授業のみで、なけなしのドイツ語力でここまでどうにかこうにか乗り切ってきたけどここに来てどうにもこうにも乗り切れない気がして来たので観念してこちらを購入

 

決め手は薄さ、カラフルさ、読みやすさ(笑)

 


さて、オペラのプロダクションとしては自分史上最も早い公演6ヶ月前の1月から稽古が始まっているF.シュレーカー作《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》。

このシュレーカーという作曲家は、《薔薇の騎士》や《ナクソス島のアリアドネ》などで知られるリヒャルト・シュトラウスと時代を共にした人物であり、当時のオペラ作曲家で唯一リヒャルト・シュトラウスと肩を並べる公演回数を誇った作曲家です。

1920年にはベルリン音楽大学学長に就任し、作曲教授として多くの逸材を育てるも、強まるナチスの圧力と急激な作曲様式の変化という荒波に翻弄され、徐々に評価が下がってしまいます。

この《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」は『時代の流れによる自身の境遇にシュレーカーが放った抵抗の一矢』というコンセプトが込められ、僕が演じるアンゼルムという役は作曲家であり、シュレーカー自身の音楽観の代弁者であると考えられています。

本来であれば1933年に初演をむかえるはずであった本作品は、当時ナチスが政権に就いたことにより一度お蔵入りとなり、結局その後45年の時を経た1978年にフライブルクにてようやく初演され、その後は2001年のキール劇場での上演が記録されているのみで、今回が本邦初にして世界3回目の公演ということになります!
(どこかで一度演奏会形式で演奏されたらしいが、オペラ公演では無いので上演記録に含まず)


しかしまぁ難しいこと。。。

オーケストレーションが歌のサポート機能を殆ど担っておらず、歌手も一つの楽器としてオーケストラの一部分に加わっているかのような音の運び。

「頼れるものは己のみ、おんぶに抱っこは許さない」

とでも言うようなストロングファイトスタイル・・・

 

そしてフライヤーをご覧いただいた通り、出演者が多い!

ということはそれだけアンサンブルも増え、音楽が複雑化するということ。。。ああ、おそろしい

 

そんな本オペラのあらすじをご紹介

プロローグの舞台は作曲教師ヨハンの音楽室。伝統的価値観を持つヨハンは学生たちに、聖クリストフォロス伝説を題材にした弦楽四重奏曲を書くという課題を与える。しかしシュレーカーの思想を代弁する気鋭の新進作曲家アンゼルムは、伝統的で純粋な音楽形式としての弦楽四重奏を拒み、同じ素材に拠るオペラを企てる。それは彼自身がオペラを書いているという筋立てである。この劇中劇にはアンゼルムとは対照的な、因習に捉われた作曲技法に甘んじる、凡庸な才能の同僚学生クリストフが登場する。

 師ヨハンの娘でファムファタル的な性質をもつリーザは、作曲を断念して妻子への愛情に生きると宣言したクリストフと結婚するが、アンゼルムとの恋心も鎮めることができず、第1幕2場でクリストフに射殺される。アンゼルムはクリストフの逃走を幇助し、二人はキャバレーに身を沈める。この第2幕でクリストフは、霊媒の口寄せでリーザの声を聴くうちに覚醒して、劇中劇の構想を超越し、象徴的な死という救済に邁進する。

 長い間奏曲に続いてヨハンの音楽室に戻ったエピローグでは「男の力を知りつつ女の弱さに留まる者」たるべしと諭す老子の『道徳教』の一節が響く。劇中劇が破綻してプロローグにおける作曲学生に戻ったアンゼルムは、オペラを諦め、やはり弦楽四重奏を作ると師のヨハンに伝えて、作品は幕を閉じる。

 

 

お分かり頂けただろうか・・・

 

 

物語はアンゼルム、クリストフ、リーザの3人を軸に展開していきます。

はい、現時点で僕が理解しているのは以上です(;・∀・)

 

当然ながら本邦初演ということで対訳本など存在せず、先日、主催者である一般社団法人カンタームスさんが日本初となる対訳を作成してくれてようやく内容を知ることが出来たのですが、読んで尚理解が追いつきません・・・


では一旦内容から離れ、「結局オペラっちゅうのは音楽ありきやろ!」というサイドの意見を尊重し、アンゼルムとリーザの二重唱をご紹介

このライブ録音は2001年のキール劇場での世界2回目の上演となった公演のものです。

(2分36秒あたりから二重唱スタート)
Christophorus, oder Die Vision einer Oper, Act I: Schönheit ist wie der blühende Baum (Live)

 

どうです?

わけがわからないでしょ?

 

安心してください

 

僕もですよ・・・

 

公演の半年も前から稽古がスタートした理由がわかります。

こんなの通常の3ヶ月スパンの稽古では間に合いません(;・∀・)

 

しかもアンゼルムにはアリアの様な曲もあり、それがまた強烈にクセモノなんですよ・・・・・・・

 

カオス過ぎて、ワンチャンでたらめ歌ってもバレない説まである(笑)

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今年も残り84.7%

2024年02月26日 | クラシック音楽

2024年始まったな~

今年も悔いのないように過ごすぞ~

 

って、気が付くと今年も残り310日・・・

 

空白の55日はどこへ?

 

みなさん、今年の6月23日ぜひ空けておいてください・・・

空けるだけではなく、是非芹澤の努力の結晶(になる予定)のF.シュレーカー作曲、オペラ《クリストフォロスあるいは「あるオペラの幻影」》の応援に来てください・・・

むしろ今すぐに応援してください(´;ω;`)

 

オペラのプロジェクトとしては(少なくとも僕にとっては)異例の半年前から稽古がスタートし、すでに音楽稽古も回数を重ねております。

今回のオペラ《クリストフォロス(以下略)》の公演は、オペラとしての公演回数が初演から数えて3回目(演奏会形式での公演を含めると4回目?らしい)になるという非常に珍しい演目で、当初はその取りづらい音程、ハモれない重唱、膨大なセリフにただただ苦痛しか感じておりませんでした。が、先日主催である一般社団法人カンタームスが対訳を作成してくださり(もちろんすべてオリジナルテキストから翻訳!)、ドイツ語レベル0のわたくしはようやく話の筋が理解できました(´;ω;`)ブワッ

 

そこに広がっていたのはなんとも哲学的で神秘的な世界

 

各声部、オーケストラが「独自の道を突き進むスタイル」の音楽

 

そして・・・・

 

ゴースト・バスターズ???

 

知れば知るほどわけが分からなくなりました(*ノω・*)テヘ

まだフライヤーが出来上がってない(作らないのかな?)ので、公式サイトへのリンクを貼っておきます↓

 

チケットは公式サイトからお申し込み可能ですが、

芹澤から買っていただくと芹澤は大変助かります!
大人の事情

えっ?連絡先知らないって?

大丈夫、最後にまとめて連絡先を書いておくから!

 

そしてクリストフォロスの稽古と同時進行(その1)がこれ↓

芹澤はこの2本立て公演の、3月12日の《道化師》にカニオ役で出演します!

先程の《クリストフォロス》はドイツ語で、こっちの《道化師》はイタリア語だ!

字幕ありで楽しめますし、同時公演の《外套》も楽しめて3000円というのはお値段以上(になるように頑張ります・・・)であり、両作品共に1時間程度ということで、ボリューム的にも気軽に楽しめる公演となっています(`・ω・´)ゞ

《道化師》にはカニオの歌う有名なアリア「衣装をつけろ」があります!

アリアの逸話に関しては、先日取り上げたて頂いた町田市のタウンニュースに記載があります↓

どうやらワタクシは二期会のスーパーテノールらしですがそんなこと千駄ヶ谷界隈で言ったらレジェンドテノール達に消されてしまいます・・・

そんなスーパーテノール(他称)の出る《道化師》の稽古風景

さて、先程クリストフォロスの稽古と同時進行(その1)」という書き方をしましたが、(その1)があれば(その2)があるのが世の定め・・・

 

じつはクリストフォロスの一週間後、6月30日にとあるオペラに出演することが決まっております・・・

ご存じの方も多いかと思いますが、芹澤は初役ばかりに恵まれる初役男です。

これまで2回以上演じたことのある演目(役)は

 

《フィガロの結婚》バジリオ・・・2回

《椿姫》アルフレード・・・2回

《タンホイザー》タイトルロール・・・2回

 

という、非常にクセが強いラインナップとなっております。。。

もう少しすると制作サイドから発表があるので、今ここで詳細に触れられないのですが・・・

とりあえずヒントは羽生君です|д゚)チラッ

そしてその稽古は4月からスタートするということで、《道化師》が終わったら新たなる苦行修行の始まりです・・・・

 

ああ、どうなることやら・・・

 

お問い合わせ(応援)はすべてこちらで受け付けております

yoshimichi.serizawa@gmail.com

その他にも芹澤は各種SNSを利用していますので、X(旧Twitter)、Instagramのメッセージからでもバッチコイです(`・ω・´)ゞ

 

よろしくお願いします(´;ω;`)ブワッ

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