孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

彩雲追月・南の花嫁さん

2011年08月16日 22時40分25秒 | 北京雑感 (北京の話題何でも)
先月、ある会社の開所パーティに参加した。
多くの企業参加者がいたが、円卓を囲み話をしていたら、会場で中国楽器を使った演奏が始まった。
(生演奏のBGMです)
ある曲が演奏されたら、隣りに座っていた日本から開所式に参加の年配の出張者から、“中国で日本の曲を演奏していいんですか?”と聞かれた。 
私は、これは、もともとは日本の曲ではなく、中国の曲なんですよ。
相手は、“へぇ~、知らなかったです。”と。

演奏していたのは“彩雲追月”。
日本では、昭和17年に高嶺三枝子が、“南の花嫁さん”という題名でヒットしたことで年配者なら知っている曲。
日本の戦前の歌を、中国の宴会の場で演奏して良いのかと思ったのだろう。
でも原曲の作曲者は、任光という人です。

昭和17年には誕生していないワタシは、高嶺三枝子が歌っているのをラヂオで聞いた事は無いが、この曲をTVのCMで聴いた記憶がある。
某インスタントラーメンだった記憶があるのだが??

 お土産はなあに
 籠のオウム  ←この歌詞部は記憶不鮮明、CM用はアレンジしていたか???
 言葉もたったひとつ
 いついつまでも

のフレーズだけが子供の頃の思い出としてハッキリと覚えている。

さて、この彩雲追月、ワタシの携帯の着信メロディにしている。
彩雲追月は某寺内会長(ぜんぜん、某じゃないか)が昭和47年に日中国交回復を記念してリリースした“万里長城”のLPの中に収録されている。 (録音は、昭和47年11月)
会長のサウンドは、LPがリリースされてもうすぐ40年たつけど、今も古くないなぁ・・・

日本人が日本の曲だと思いこんでいた彩雲追月。
そして、ヒットしたのは、日中間で戦争を行っていた昭和17年という暗い時代。

また、ネット検索していたら、2010年 中国で最初のノーベル賞受賞者に対して表彰式で演奏した曲の1つが彩雲追月であることが分かった。 
演奏したのは中国系アメリカ人。 一度は演奏の依頼を断ったそうです。
ノーベル賞授賞式に関わったら、二度と中国の土は踏めないという覚悟が必要だもんね。
なんせ、中国では、ノーベル賞 平和賞と言っただけで、NHKのTVが中断して真っ黒になったので、彩雲追月が演奏されていたなんて最近まで知りませんでした。

戦中・戦後・そして、ごく最近での1つの音楽をめぐる因果。
そして、音楽に国境は無い!!!