SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

G.Fauré « Dolly suite » Berceuse ~フォーレの子守唄

2020-12-21 11:59:00 | Essay-コラム

En bas de cet article en japonais, vous pouvez trouver deux liens sur YouTube de « Berceuse »😉↓

フォーレの「ドリー組曲」は大好きな曲で、どうしてそんなに思い入れがあるのかというと、昔、パリの音楽都市のホールで聴いたサイモン・ラトル指揮バーミンガム響のコンサートで冒頭演奏された、鮮烈な印象が忘れられないせいだ。


あの時の演奏で指揮者とオケの奏者一人一人が一心に表現していた、壊れそうな繊細さと純真さ。

今でも鮮明に思い出す。


(ラトルは、ベルリンフィルに行ってからはこういうフィーリングが影を潜めてしまったように思う。私はラトルxバーミンガムの大大ファンで、大抵の演奏会には足を運んでいた。)


この「子守唄」は私にとって、あのときの、あのフィーリングでなければならない。


今日巷に溢れかえる人工甘味料を流し込んだ甘ったるい音楽とは対照的に、本場のパティシエが作ったフランス菓子のように上等で、全てにおいてバランスが絶妙に取れてないといけない。


こういうことって時々あって、「あの日の、あの時の、あの演奏」が啓示となって一生残るというもの。


私がリヒャルト・シュトラウスのヴァイオリンソナタEs-durがやたら好きなのも、その昔ジャック・ゾーンがフルートでそれを吹いた、天に突き抜けるような演奏をイタリアで聴いてから、その時の感覚が忘れられないから。


二楽章には「インプロヴィゼーション」という題がついている、その名の通りあれは、トンビが空高く舞いあがり、空に弧を描いていくような圧倒的に自由な演奏だった。


その時の、その音。


もちろんそれを覆す演奏に出会える可能性だって一生のうちにはあり得るのかも知れんけど。


今月たまたまこの曲をある生徒のために「例」の演奏として携帯で自撮りをしていただけのはずなのに、あの時の感覚が蘇ってきて、どうせなら自分の最低限納得できる録音が出来るまで毎日練習しようとハマってしまい。この曲って、あ、やっと完璧に出来たかも?!って思うときは、後で見るとなんかダメで、重過ぎて氷の上を滑るような感覚が出てなかったりする。コンサートの全くない今の時期、たまたま辿り着いた自撮り練習方法はとても為になった!


iPhoneのみの音だし、一発自撮りというのは編集も出来ないのでちょっと恥ずかしいんだけど、生徒のために作ったものなので、珍しくアンブシュアや、呼吸の仕方まで見える動画になっている。


こうやって客観的に見ると楽器の持ち方からアンブシュア、呼吸に至るまでかなり特殊なやり方だけど、長年のうちに一番自分に合った方法を探して、ここに落ち着いているんだから仕方あるまい。

でもあんまり赤裸々だと見苦しいだろうから、子供が好きそうな雪を入れてみたら、ちょうど良い感じになった。




ちなみに、この曲は友人のギターデュオ「パリッサンドル」さんが素敵なギターデュオアレンジで演奏しておられます!この編曲の楽譜は、近いうちに出版されるそうですよ。お楽しみに😉

Voici, la même pièce arrangée et interprétée par notre amis « Duo Palissandre »👍



あとはバッハの六曲のチェロ組曲を練習曲代わりに(贅沢すぎ!)毎日フィーリングで調や楽章を選んでやる練習も夏からずっと続けている。


やはりクラシックは私の根っこであり、この基本がないと全ての奏法は成り立たないという感じだ。


クラシックでは、とても長く安定した呼吸が必要で、この基礎が出来ればぐーっと重心を音に掛けられるようになる。この基礎の上で、ジャズやブルガリア音楽なんかの細かいエッジワークのアーティキュレーションの練習に入る。出来るだけ正確に、それらの細部をリズムとスタイルに従って構築する練習をする。


音楽院が開いているときは、狭い家には持って帰れないボスのループペダルをマイクとアンプに繋げて、(もう慣れたので5分で繋げられる笑)それで即興の練習や作曲もする。


この年末は政府の迷走により、サプライズ開院が4日だけあったので、早速早朝から行って練習出来たし、いくつかの作曲のアイデアも持ち帰れた。


生徒たちにも年末前に一回だけ会う事が叶ったので、散々ヴィデオ撮って、クリスマスヴィデオ記念コンサートを編集した。


学長からは「腐った2020年よ、さようなら。2021年よ、ちっとはマシな年になってくれ」というメールが来ていた笑


私は個人的には腐った年だったとは思わない。確かに音楽院は閉まったり開いたりで学長先生は大変だっただろうが、別に今ここで戦争が起こって、頭の上から爆弾が降ってきたわけじゃないからね。


自分の苦手分野である、自己管理=事務的なことを整理する時間がたっぷりあったし、ついに長年のネックだった、フルートの国家一級教育免許に経験値で準ずるパリ市の資格、というややこしいヤツも取得できた。自分の教育信念を長々と、しかも自分の母国語でないフランス語で書きまとめる作業をしていると、自分が普段取り留めなく考えていることを、クリアーに俯瞰せざるを得ない厳しく長い作業だった。


溜まっていたこれまでの自分の演奏ヴィデオの編集も、大体全部片付けて、愛用のMacBookも新しいハードディスクに入れ替えた。


フランスの著作権協会にもエントリーした。


そういう作業は、いつものただただ自分に出来ることをこなして毎日をやり過ごすとことで通り過ぎるのでなく、自分というものを好き嫌いというメガネを通さずに客観的に見て、自分の内側とより統合していく作業、とでも言えたのではないかと思う。


自分という未知なるものと、よりクリアーに統合して迎える新年2021年はどんなことが起こるだろう?


もう良いことも悪いことも、どんな事が起ころうとなんでも来いだ!


自分の内面というドアが実に集合的無意識にリンクしているということは、科学的にもついに証明されたと、相方のアタも言っていたしね。


それでは皆さま素敵なクリスマスと年末をお迎えください!!




2 Comments

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何でもいい。うまくいく方法を見つけて、それだけを突き詰めろ俺♬ (昭和ナオフミルク♪)
2020-12-30 19:50:49
自分をコントロールするためには、我に逆らわず受け入れなければならない
誠実な自己表現のために、自分の内側をよく観察してみようかな


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Unknown (cieuxstage)
2021-01-03 23:42:29
昭和さまあけましておめでとうございます!
さっきホロコーストの被害者のエディスさんという人が、そのバレエの先生に言われた「人生は内側から湧き起こるもの」という言葉を信じて想像力を膨らませてアウシュビッツで生きた、と言っている記事を読みました。すごいことですね!
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