SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

生きた音たちを作品にパッキング

2024-11-22 11:41:00 | Concert Memories-コンサート旅行記
All photos credit by Rémy Dugoua

ボルドー市に2つある、大きな国立現代美術館のうちの一つ、MECA美術館にて、アーティストのシャルリー・オブリーCharlie Aubryがアイデアを生み出した「思い出のシンフォニー」の柿落としがあった。




ヴェルニサージュ(初日)には何とボルドーを中心としたフランス南西部アキテーヌ地方全土から1000人もの人が訪れ、翌日のコンサートもかなりの人たちに興味を持って頂き集まっていただいた。




音楽界から飛び出して老人たちや美術の人たちと過ごす時間。クリエーションのことで頭をいっぱいにしていられる、得難い時間だった。



私の衣装は、日頃からいつも衣装を担当していただいている、素晴らしい服飾アーティストの安藤福子さんFukuko Ando作。


ざっとこのプロジェクトの概要を説明すると、まずシャルリーの依頼通り、9月にボルドーのある老人ホームを訪れて、そこの老人たちに空の五線譜を渡し、自分の思い出を、思い思いに自由に絵に描いてもらった。




私はその絵一枚一枚に対してフルートで即興演奏した。(その時の様子はシャルリーがビデオ撮影し、編集して作品の中心の画面に流されることとなる)




その後、アマチュアの地元の吹奏楽団から来た4人の有志を紹介される。次はその人たちと一緒に展示の初日のコンサートで演奏するための楽譜が必要になる。先述の即興の録音と老人たちのコメントを基に、エレメントやアイデアを抽出して構成を練り、それを楽譜に落とす。しかし読譜力があまりなく、しかも即興をやったことのないミュージシャンにたった数回のリハで共感してもらい、最大の演奏を引き出さなければならないので、自分のやりたいことをただそのまま書けばいい訳ではない。



それには、色んなレベル、色んな楽器をまとめてきた即興アトリエでの18年の経験が、とても役に立った。





シャルリーの考え方で私が好きなところは、何層にも重なる全く違った次元の人間交流から音が産まれてくることだ。


そこでは音楽は「コミュニケーションツール」となるので、「さて何をアイデアに作曲しよう」、「上手く書かねば、、、」などという煩悩を避けて、直接音楽にアクセス出来るのだ。(あくまで私の場合は、だけど)


その音には必然的にこの世界の「陰影」のような美しさが織り込まれていると思う。


そんなニュアンスに富んだ生きた音たちを、作品にパッキングして美術館に展示するとは、なんと素晴らしいアイディアだろう!





人間同士のシェアって、なんて奥深いんだろう、人と人との繋がり、そしてそれこそが生きる意味、創造性を呼び起こすエネルギーなんだよな、と改めて思わせてくれるのがシャルリーのアート。


それは最近流行の「ジャンルを超え混ぜ合わせましょう」、「社会的階級を無くしみんなで仲良くしましょう」みたいな表面的な政治文句から来るのでなく、彼の源泉から湧き出ているから本物だ。彼は芯から他者のことを理解する力を持っているし、本当に優しい、大きな現代版トトロのようだ。


古い考え方の人は「若いから流行に乗ってるだけ」「最近の人は、こんなものが美術作品だと思っているのか」という人たちもいるし、音楽界では、未だ「音符をきちんと全部書かないなんて、作曲じゃない」などと、即興自体を否定する考え方が主流だ。


しかし私は、流れに乗っている人と流れに逆らって来た人が出会い、開けたこの新しい道を行きたいと思う。





そうやって思っているところに、2年前から一緒にグループで演奏しているドラマー、エッジ・タフィアルを9月新学年から即興アトリエの共同常任教授として迎えたことで、__学長に頼み込んで彼をわざわざ雇ってもらったのだ__ 思った通りに、というか、思った以上に、クリエイティブな方向にアトリエの舵を切ってくれている。


「あんたが授業で今日言ってたことって、この本に書いてることだよね?」と最近読んでいるパウル・クレーの「造形思考」のあるページをエッジに見せると、「まさしくそうだね。カンディンスキーの「点と線から面へ」を読んだことは?あれも素晴らしいよ。」


なーんていう回答が返ってくる事は、私の知る限りパリの音楽の世界ではまずないと言っていい。


即興アトリエはここに来て「バウハウス」みたいになって来た!


自分が心の中で思っていることって、ある時現れ始めると、鉱脈を掘り当てたように連動して実現してしまうものなのだ。


名誉なことにシャルリー・オブリー、ミエ・オグラ連名展示となった「思い出のシンフォニー」、ボルドー鉄道駅すぐそばのMECA美術館に、5月末まで展示されています。






ブランネンと過ごした夢の日々

2024-02-03 18:21:00 | Concert Memories-コンサート旅行記

「フランス-アンティーユ-日本」オーケストラプロジェクトのファイナルコンサートは、もう5ヶ月もリハをしてきたし、(オーケストレーションを入れると8ヶ月)、みっちり出来ることを力の限りやった、という自信があったので、オケとの協奏というほぼ未知の体験であっても、もうなるようになるだろう、というどっしりした感覚があった。


しかも、私の手には、探さずに見つける。 で供述の、念願のCさんから借りてきたブランネンフルートがあった。




これで万力。このフルートから受け取る力は想像を超えて、私を遠いところまで飛ばしたようである。


まるで片羽で一生懸命飛んでいたのが、急に両羽になったような気分!


果たして一回目の金曜夜の公演は、予想だにできなかった、熱狂的なものになった。





この感覚は満員の会場にまで浸透して、曲が終わるたびに私たちの熱量が、聴衆と一体となって呼吸しているのがありありと分かった。


そういう瞬間に出てくる即興のとんでもないこと。マックスも私も、この日はオケバックにめちゃくちゃ乗りました!




これは、きっとオーケストラ・マジック。

「俺はオーケストラは苦手だ、、、ロボットと演奏してるみたいじゃないか」ってリハで最後までゴネていたアフリカ音楽専門家同僚Cも、コンサートを聴きに来て、ついに「オケの本領は凄いぞ!100人が同じ想いを抱いた時の強大な力だ!」などとのたまった。


素晴らしい指揮者、ヴァイオリニストで誰からも愛されキャラのステファン・グランジョン、若きホープ指揮者ジャンヌ・ラトロンのキラキラした存在、それにミュージシャン達と私とマックス・シラが一体となって、豊かな音が産まれていった。






もう、クラシックも、伝統音楽も、現代音楽も、ジャズも、自分の作品でもマックスの作品でも、どうでもいい。それはきっと、「音楽」だよ。若い学生オケだからテクニックが足りないって?それもどうでもいい。23回しかリハしないプロオケでは多分得られないであろう深い共同理解が、5ヶ月一緒に過ごした彼らとの間に芽生えたこと、きっとこれこそ全員にとって一番の糧だったのではないか。

私にしても、一から自分でオーケストレーションする、この行為なしでは、きっと一生オーケストラの本当の魅力というものを分からなかったに違いない。




翌日土曜の公演は、熱狂の一旦通り過ぎたあとに、もっと精密に作品のディテールを表現できた、これまた奥深い感動を内包したコンサートとなった。





指揮台に立ったときのオケの一人ひとりのキラキラした目が忘れられないし、

一曲の演奏が終わる毎に「もう、これが最後なんだ」という、ほとんど失望にも近い、過ぎ去ってしまう熱狂の一抹の哀しみまで感じられた。



この日に私の着ていたドレス、実は服飾アーティスト安藤福子さん作の「タブーがタブーを超える」という願いのこもったドレス。



「黒いドレスのタブーの女王」、このジャズ、ポップと現代音楽が合わさったような難曲が今回初めて何とか形になりましたが、オケにフリーインプロヴィゼーションをさせるというこの曲、ついにタブーはタブーじゃなくなったのかも知れません。


この土曜日のコンサートの模様は、プロによって録音、録画されていまして、現在編集中。お楽しみに!このプロジェクトはこれからもきっと次に飛んで続くと確信しています。


翌週火曜日には、スパイラル・メロディープロジェクト(自作自演即興プロジェクト)2回公演。




8年前に「スパイラル・メロディー」というCDを全ての楽器を一人で演奏して全曲自作自演して作って以来、次はループマシーンを使ってそれらを実際にライブでやる、という経験を経て、少しずつ賛同者が増え、今やクインテットになったスパイラル。




私の作品の骨格である、ややこしい等価リズムを、生きたグルーヴに変換できる極めて稀なドラマー、エッジ・タフィアルを得たのは特筆で、プロジェクトは素晴らしく前進したと言える。


そこにマチューの絶対信頼のおけるベースライン、アルノーの破天荒なサックス、デルフィーヌの柔らかいヴィオラとヴォイスが加わったのだから、言うことなし!初のCD録音に向けて準備完了、だと思う。


アンティーユ諸島グワドループ島出身のエッジの飛び抜けたドラミングを初めて聴いたのは、同じく小学生向けプロジェクトのシリーズで「アンティーユ音楽」と題したコンサートであった。


最近、マルティニーク島出身のマックス・シラといい、カリブのアンティーユ諸島とはどういう訳か縁があるらしい。




果たしてこれら全ての公演が一旦終わり、ブランネンの魔法の笛をCさんに返した私は、まるで「魔法の解けたシンデレラ」のような、ちょっと惨めな気分になるのでした。


また片羽に戻った私が、今度は自分の力でこのブランネンを手に入れることが出来るようになるまで、期限は一年。


その日が現実になるよう、また新しい精進が始まります。


最後に、今日目に止まって心に響いた、ポーランドの詩人、ズビグニェフ・ヘルベルトの言葉を書きたいと思います。


「源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」



感謝!!日本の皆さまへ。

2023-11-07 19:12:00 | Concert Memories-コンサート旅行記

高知は桂浜にて。高知公演リハ後、雨上がりに虹がかかった。


生まれ故郷の多度津の海の見えるレストランにて、セロニアス・モンクの「セロニアス・ヒムセルフ」がかかっていたのだけれど、(それは私が初めて買ったジャズのCDだった)あの時のこの音への憧憬がありありと蘇ってきた。



中学生の頃、テレビなんかでかかっているアイドルの大量消費音楽を周りの友達がハマっていてあんまり勧めるから、色々聴いてみたけど、気に入ったものは殆ど皆無で、深夜のラジオ番組を聴いているうちにジャズに目覚めて、初めて買ったアルバムがモンク。


深夜に、宇宙の中心にひとり向きあっていくようなモンクのピアノは、みんなが聴いて熱狂している音楽に馴染めなかったひとりぼっちの私に、深く浸透していったんだな、と多度津の海を5年ぶりに眺めながら、感慨深い思いだった。



多度津の夜の路地



今回日本での最終コンサート、岸和田こなから音楽祭に聴きに来てくれていた、私の衣装をいつも創って下さっている服飾デザイナー安藤福子さんの言ってくれたところの「雑味のない音」という感想、きっとそれは、個人の感性から宇宙に繋がっている、深いピュアな音のことではないかな。


そんな音は、小さな音であっても、この世界の儲け主義や権威主義に飼い慣らされたハリボテ音楽や、思考停止を呼びかけ、多数派に迎合させる日本のテレビの甲高い叫び声に掻き消されない強い力を持っている、そう信じたい。



岸和田こなから音楽祭は、大阪最古の杉江能楽堂にて

99パーセントの混沌の中で1パーセントの光を見つけることが出来る、と福子さんは言いました。


だからこの行き場を失った世界で、そういう思いで追求してきた音を放てるということは、とても貴重で重要なのだと。


私の体力気力の限界により、自主主催ツアーはもうやりませんが、企画を誰かに一手に任せられるのであれば、日本での活動も今後も出来ることがあれば続けても良いのではないか、何故かと言うと、このような音を待ち望んでくれている人が本当に実際に日本にいるんだ、という実感を今回、初めて心から感じたからでした。



パリで学んだ生徒たちに支えられた埼玉県入間市の武蔵ホールにて。高知、多度津、高松公演は佐藤洋嗣のコントラバスとのトリオ

各地で聴きに来てくださった多くの方から「こんな次元の違うものは初めて聴いた」、「こんなに色んな音をフルートが出せるとは知らなかった」、「こんな凄いものが聴けるとは思ってもいなかった」という嬉しい感想を頂いた。


そして、パリで教えている即興アトリエの日本初上陸!四国高松で初めての試みの「即興ワークショップ」でも、子供からプロを目指す学生、大人まで、地元の先生方との協力により、世界の音とリズムを体感しながら即興入門に扉を開けました。




一から十まで決められた通りに演じ、上手く演奏するため、また人から評価されるための演奏ではなく、自分が本当に感じていることを音にできること。それこそが音楽の真髄で、その為に楽器のテクニックや音楽のスタイル、基本を徹底的に理解しなければならないのだ、ということを、私は即興という言語を通じて伝えられると思っています。


混沌として根っこを無くした現代社会では、すぐ自分の近くにそういう音を分け合える人がいるとは限らないが、これからはワールドワイドに、欲しい音を求めるもの同士が繋がって、そういう音を伝えていく時代ではないのか。



渋谷の佐藤紀雄プロデュースシリーズでは、日本在住のブルガリア人ガドゥルカ奏者のヨルダン・マルコフを迎えて。



その思いとは逆に、コロナや戦争で世界は分断、信じられないほどのインフレでますます日本への行き来は難しくなっているから、もうこれ以上無理なのではないか、と半ば腕を下ろしかけていた。でも、これまでの方法つく返して、なんとか本物の音を伝えようとしている人たちが、日本でもがいているのを目の当たりにして、私の考えも変わりました。


自分で何とかしようと躍起になるのでなく、分業って大事で、人にはそれぞれに見合った場所があり、本当の芸術の振興のためにはそれぞれが自分のやるべきことを分かって、与えられた場所で信頼し助け合うべきなのだと。


集客やチケットのシステムなども、従来の方法ではもう芸術は生き残れない局面に来ている。


だから私たちはチームになって本当の意味でインテリジェントになり、各人が知恵を絞り、現在の世界の成りたちを理解し、一方からの見方に拘るのでなく、多角的に柔軟に考えなければならない。





現代と過去の対比の美しい東京


パリでずっと考え温めてていたことが、今回日本での経験でよりクリアーになったと思います。


そのような大切なことを私に分からせて下さったのは、日本で超多忙にも関わらず、この難しい状況を打破しようと走り回って下さって、心から私たちの音楽をより多くの人たちに届けたいと、助けて下さった人たちなのです。



屋島から望む高松



現在パリに向かう飛行機の中でこれを書いています。この場を借りて、日本各地(東京渋谷の佐藤紀雄さんチーム、東京江東の金庸太さんチーム、埼玉武蔵ホールの高城いずみさんチーム、高知の佐伯北斗さんチーム、多度津の小倉英子チーム、高松の岸上美保さん、並びに大山まゆみ先生と佐柄晴代先生チーム、岸和田の吉川真澄さんチーム)での7回のコンサート企画、広報に真摯に関わって下さった方々、またご来場下さった方々に、心よりお礼申し上げたいと思います!本当にありがとうございました!!


現代版のおとぎ話

2023-06-05 15:36:00 | Concert Memories-コンサート旅行記

アートの材料は何も物質的な材料である必要はないわけで。


彼にとってはそれは人の感情でも、音でも、人工知能でも、テクノロジーでも、エネルギーでも、何だっていいのだ。。。



今回参加させていただいたプロジェクト、フランスで飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍されているアーチスト、Charlie Aubry の「思い出の交響曲」




今回、彼が目をつけた材料はなんと「老人たちの記憶」。私たちプロフェッショナルの音楽家が即興演奏によりそれを揺り起こし、その音楽にインスパイアされて老人たちが絵を描き、その絵を今度は音楽院に持って行って、子供たちがそれを楽譜と見立てて即興演奏をするという、三重構造の末に出てきた音が素材となっている。



それはそれだけでは芸術とは呼べないモノだけど、彼の手にかかると、それは真っ暗な船の中で、美しいアートに変貌した。



老人たちが描いた絵を「楽譜」に見立て子供たちが即興


そのようにして出来上がった記憶の音たちを、シャルリーが変換器にかけてミックスする


それは、まるで現代版のおとぎ話のように私には見えた。そこは現代のアリスの不思議の国。記憶と音と光と闇の交差する異世界。


L’installation sonore « Symphonie des souvenirs » est ouvert (entée libre!) jusqu’au 2 Juillet A la pop 61 quai de la Seine 75019 Paris


今日、多様性が叫ばれているけど、それを飛び越えて繋げられる本物のキャパを持った人は少ない。コラボ、とか言って表面や建前でやって、結果全然芸術的に評価できないものが多い。


しかしシャルリーさんはそれを見事にやってのける。人間の多様性は彼にとってアートの材料の宝庫のようだ。空を飛びながらひょいひょいっとそれらを見つけて繋げてしまう。




今、世の中はグローバリゼーションにより、私たちは伝統を喪い、肥大したテクノロジーの奴隷になって、根っこのない綿毛のように、溢れる多様性の中をふらふらと彷徨っている。



そういう時代に、それを悲観するでもなく、楽観するでもなく、逆にそれ自体を全部飲み込んでアートで表現してしまうという、私が身をもって戦って来たこの課題に肩透かしの答えを与えるかのような、その発想力に最初は圧倒された。


しかし、彼の仕事に関わる中で、私に出来る役割があることが分かってきた。それは個人個人の素材を最大限に引き出す現場での作業__それには、これまでの長い経験で培った勘が役に立った。


老人たち音楽院の子供たちを人間的に理解し、音楽的に即興で自分をできる限り出させる。瞬間瞬間のフィーリングをキャッチし、かつ各自のエゴに傾きすぎないよう、グループ内での関係性を細かく修正する。


Générations(世代)を音にTisser(編み込む)する、というプロジェクトの核心、まさしく音に生命力を編み込む作業だった。



空を飛び回ることはシャルリーに任せて、シャルリーは私に地下で繋げる作業を任せる、この辺の呼吸がピッタリと合った。


最初は手探りで始まった現場だったのだけれど、数ヶ月にわたるセッションの後、先日ファイルコンサートで、子供たちが初めて老人たちに直に出会って、目の前で彼らの絵を即興で音に表したとき、彼らの間に深い交流が芽生えたのが分かった。これには、このプロジェクトに関わった全ての人たちが感慨を覚えたと思う。



老人ホームコンサートのひとこま

そして何よりそのあと、今年初めての、どこまでも青空の突き抜ける夏日に、船上で自分達を即興という表現で解放した時の子供たちの清々しい表情といったら!自由即興とは、こんなに素晴らしいものだったのか、と逆に私が教えられたほど、忘れられない瞬間だった。





子供たちの最高の笑顔の写真がこのプロジェクトの成功を何より象徴しているのだけれど、肖像権の関係でここでお見せできないのが残念!






この日はパリで数百というイベントが行われるnuit blanche(白夜)と呼ばれる特別な日だったのだけれど、前衛船ラ・ポップ船内作品展示の我々のオープニングコンサートは、なんとル・モンド紙推薦イベントのベスト10に選出されたのだそうな。


私の中で、まさしく伝統から現代への変換の過渡期に出会ったシャルリー。


またこれからも絶対一緒にやろう!シャルリーとはそう約束して別れたのでした。



左がシャルリー・オブリーさん。To be continue!

では、ここまで読んでくださった方に特別に、音楽院の子供たちの即興セッションの一部を公開いたします。






個から宇宙へ〜ドイツ編 Trip to Germany

2019-08-20 12:25:00 | Concert Memories-コンサート旅行記

はい、ドイツに着きました。第一印象。。。静か!どんちゃん騒ぎのルーマニアから来たら当たり前か。





 Arrive to Hersbruck in Germany

 

ルーマニアでタクシーで町からプールまで行くのに10レイで、ドイツでは同距離で丁度10ユーロだったので、単純に計算すると物価は約5倍。ドイツはいつも、経済的に非常に上手くいって充実している国、歴史的認識に基づく合理的な教育をが浸透していて、そして芸術への理解が手厚い国、という印象を受ける。お金を芸術に回すことを厭わない、それが国力になることを理解している。現在のパリのように芸術家を軽く扱わない、音楽家にケチらない。などと思うのは、ここに住んでいないから良いところだけ見えているのだろうか。

 





 

ホテルのロビーの冷蔵庫を開けると、、、





Many beers 😂ビール取り放題。酒屋状態ですがな!ドイツのアマチュア層はとても厚く、たくさんのアマチュア達がフェスに参加し、アーチスト達と一週間生活を共にし、コンサートを毎夜聴きにくる。




400 places full audience in the concert hall at Festival Hersbruck in Germany!

 

私達デュオのコンサートでは、400人の聴衆が満員で、フェス最高のコンサートだったと、聴衆みんなが熱狂してくれ、最高の賛辞を頂いた。こんなに嬉しいことはない!ドイツ最大というジャズ・フェスティバル出演の依頼をいただき、次はギターフェスとはまた一味違った場所に行けるぞー!楽しみっ!!




A dessin from our duo concert  コンサート中に描いていただいたデッサン。

 

また、このフェスで一番楽しみにしていたのが、セルジオ&オダイールのアサド兄弟との再会。飲み友オダイールとビールを楽しめるぞっ!ジェントルマンなセルジオと会話を楽しめるぞ!(オダイールは時々何言ってるのか理解不能なので笑)

 

ある朝娘がロビーで一人で遊んでいて、「ママ、新しいお友達が出来たの!フランス語を喋れるよ」というから行ったら、なんと、オダイールの優しき有能な奥さん、ファーさんが遊んでくれてるじゃないですか()セルジオもオダイールも、サンフランシスコとリヒテンシュタインでそれぞれ1回ずつお互いに演奏を聴いて会っただけなのに、全てを交換でき、ずっと会い続けているかのように全然距離がない、心温かい人たち。こういう人たちはブルガリアの例のペーター・ラルチェフさんと同じく音楽が全てで、音楽のみで結ばれる稀有なエネルギーの人たちだ。

 

Beautiful concert of Sergio & Odair Assad🎶










アサドデュオコンサート終演後、オダイールとセルジオに遊んでもらう娘。4枚連発!次回はセルジオの孫と遊ばせる予定。この二人が凄いのは、音楽が極めて個人的な体験から始まっていること、-ふたりは兄弟で、お父様からギターを習った。その二人が自然発生的に一緒に演奏し始めた、その時のフィーリングそのもので、60歳を過ぎた今のいままで続いているーそこには彼らの人生が滲んでいる。二つの個が、鏡のように個人的な想い出を映し合いながら演奏し、(セルジオの素晴らしい作品もあるが、クラシックの曲であろうとジスモンティであろうとピアゾラであろうと、極めて個人的な解釈それは、ワザと個性的にしよう!としているという意味とは全く逆で、ブラジルのフィーリングという伝統、根っこに根ざしていて、それが個を通して広い宇宙に窓を開けている。稀有な才能を持つ個と個が伝統という根っこに繋がった時、誰にも真似できない壮大なオリジナリティになる。そこには何よりお互いへの愛と音楽に対する愛が四方八方に溢れている。それにオダイールのあの音、、、思い出しただけでも心がふるふるしてくる。この兄弟がこれだけ多くの人を揺さぶる理由がよく分かった。2つのフェスをハシゴすると、自分をこう見せよう、ああ見せようという次元の演奏や、このように演奏しなければ、という優等生的にシステムのニーズに答えようとする演奏、またテクニックやエンターテイメント先行で音楽を商品化し、おもちゃよろしく弄んでいる演奏も見てきた。そういうこの世のあれ何だっけ?108の鐘のやつ、、、あ、煩悩か。この世の平坦な価値観でしか音楽を見てない人たちと一線を画した美しい演奏は、心がすうっと広く宇宙の果てまで見渡せる感じがする。アサド兄弟以外では、ルーマニアで聴いたジュディカエルの演奏も、彼は孤独にたった一人で音楽に向かっているのだな、と思える演奏で素晴らしかった。天性の才能で、自己と音楽を懸命に同化させようとしている印象を受けた。こう言う演奏は一瞬一瞬が演奏家自身でも想像つかないというか、そういうリスクを孕んだものじゃなければ、わざわざ聴きにくる価値はない。

 

彼らが出発してしまうと、セルジオとオダイールのいないフェスなんて、、、という感じにぽっかりと心に穴が開くのでした。

 




Hersbruck from outside...Thank you Johannes for this great experience !ヘルスブルッフ外からの眺め

 

あーしかし素晴らしいフェスでした。オーガナイザーのヨハネスさん、これだけの大所帯がみんな快適にリラックスして過ごせる配慮、脱帽です!つくづくすごいよなぁ。堪能させていただきました。長い時を経てやっとパリに帰って来ました。次はフランス南西部アルカションの銀海岸(コート・ダジュールー紺碧海岸ーは知られてるのになぜこの素晴らしいコート・ダルジャンは知られてないのか?)を楽しんできます!

(個から宇宙へ 完)