果たして、パリ市フルート科教授の正規国家公務員席コンクールで、一次書類審査に通って、第二次試験を受けられるリスト7名に残った、という話を年末にちらっと書きました。
普通の教授と、国家公務員資格を持った教授はどう違うの?
と思われると思いますが、給料も待遇も全然違うんですねー。だからパリ中のフルート科教授がこの機会にと、こぞってコンクールに参加して、ものすごい競争率になるわけです。
年始早々に最終面接試験があるということで、クリスマス休み中は、休みも返上で面接の練習。
まず第一難関は10分間の自己紹介スピーチ。自己表現の苦手な文化背景を持ち、それのみならず元々人前で喋るのが嫌い、そしてもちろん外国人だから、フランス語がハンデという三重苦、、、
音楽なら、そーんなこと無視していくらでも表現出来るからと音楽家になったものの、そんな言い訳はここでは通用しない。やっぱり音楽家とは言え、社会で生きていくには、こういう難関がいつかはは立ちはだかるものなんですね。
小学校の頃から大らかで自然な自己表現を叩き込まれているフランス人に対抗するには、どしたら良いのか?私、音楽で即興教えてるからよく分かるんですが、そうそう、即興できるバックグラウンドがないなら、とりあえず暗記するしかない!
経験豊富な友人に助言され、まず骨組みを書いて、全部暗記することから始めました。10分とは、長いようで短い。グズグズ噛んだり淀んだりしていると、速攻タイムオーバーに!テンポよく、キレ良く、自分のこれまでして来たことの全てを首尾良く紹介する。。。自分の音楽人生を全て10分で話せって、、、めっちゃ難しいやんか!
クリスマス休暇中には、相方アタがパリにいる友人たちはうちに取っ替え引っ替え呼んでくれて、私の自己紹介にあーしたほうがいい、これを言え、あれは言うな、など細かいアドバイスをしてくれました。ありがたい!
そうこうしているうちに、だんだん形はうまく整って来たかも?少し自信のようなものがついてきます。
年が明けて音楽院が始まってからは、お馴染み同僚Cの特訓が始まった。
第二難関には質疑応答があるので、質問シミュレーションをしてもらう。
「今の答えでいい?」
「全然ダメ!闘争意欲が欠如している!」
「じゃあこれでは?」
「全然ダメだね。君は過去のことばっかり話して未来に言及していない」
...などなど(泣)
当日時間ギリギリまでワッツアップで猛特訓。
で、アドレナリンが急上昇したところで、いざ会場のパリ市庁舎へ自転車でゴーー!!
おーー。いつもこのお城のように壮麗な景観を見ると感激。
いやいや写真撮ってる場合じゃ無いでーー、、、
そこへ相方アタから電話で
「ミエはミエのままでいいんだ。自分以外のものをどんなに上手く表現できて合格できたからって、嬉しく無いだろう。自分そのままでいて、それで向こうが良いと思ったら取るし、取りたくなければ取らないさ。だから自分自身で臨むんだ」
という言葉が大きな励みになる。
自己紹介は、もうこんなに上手くできることは一生ないだろう、という自己最高点。インプロまで飛び出すアドレナリンの高さ。
しかしその後の質疑応答で異変が!音楽教育系やフルートに関する専門系、音楽院のシステム系の質問は概ねバッチリだったものの、政治系の質問があって。私実はパリ市の政策をまったく勉強して来てなかったんですねー(苦笑)。もちろん音楽院に関する政策は経験値で答えられますが、それ以外はえーと、知りません!という失態と、輝かしき自己紹介との鮮やかなコントラスト(笑)審査員たちの態度がここで数℃すーっと冷え切る(笑)これは無理だな 、と腹をくくった瞬間でした。
しかし結果はなんと!合格者の一名にはなれなかったものの、なんと補欠合格リスト2名に入っているではないですか!パリ全域でたったの3人に入れたのです。
補欠合格とは、すぐに席が貰えるわけではないが、2年内に、と言うことらしく、直ぐの異動がない分19区音楽院に残れる可能性が出てきた訳です。
相方が言うように、政治政策をペラペラ言えなかったことさえも、私を象徴しているし、補欠で何とか最後に引っ掛かっているというのも私らしいのでちょうど良いと思う。
いつも地道に地下を掘るようにやって来た私にとっては、輝かしくなることは重要ではないし、今後どのような地位が貰えるとしても、それはマイノリティーのアングラの代表として。間違えてもシステム側の姑息なあやつり人形にならないように決意を新たにしたいと思います。
ここのところ「らるちぇにっつぁトリオ」が突然解散したり、また他の人間関係が突拍子もなく切れたりと、数人の重要人物が勝手に何の前触れもなく、私の周りから離れて行ったところでした。
村上春樹氏の言うように「人生はビスケットの箱」。嫌いな味のビスケットが続けば、好きな味のビスケットが出てくるみたいです。