SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

現代の世界、お金のカラクリ

2024-12-16 16:26:00 | Essay-コラム

19区から望む冬のサクレ・クール


ついに「スパイラル」即興プロジェクトの小学校出張が今年度分全て終わった。


パリ19区は、難しい地区もたくさんある。

そういう移民の多い貧困地区では、子供たちは6歳で全く集中力がなく、きちんと座ることも、ちゃんと話を聞くこともできない子供が多数派だ。


そういう学校で生徒たちひとりひとりに臨機応変に対応し、音楽を教えるのは並大抵ではない。


しかも、一緒にやっている、前ブログにも登場した同僚のドラマー・エッジは、性格は違えどびっくりするほど私と教育のアプローチが似ていて、全ての授業が「インプロヴィゼーション」(準備はしてきても、その場で起こることを一番重視して、なるがままに任せる)というやり方なので、一瞬一瞬が全力投球なのだ。


インプロヴィゼーションを教えるのなら、授業自体が「インプロヴィゼーション」でなくてはならない。私たちは心からインプロヴィゼーションを信じている同志である。



持参したポット一杯のコーヒーを二人で飲み干しながら、


「フヒー疲れた!なんて大変な仕事んだろうね。給料倍にしてほしいわ!!」


「本当に!この国さ、冗談抜きで教育と医療の従事者の給料を倍にしてみろよ。絶対社会が良くなるからさ。」


なんて話していると、


「え?でもお金だけじゃ物事は解決しないでしょう」とそこに居合わせた音楽院のある職員が一瞬反論したが、エッジが完全に論破してしまった。


「そんなことないさ。お金ってただの「お金」じゃないんだ。それはその人への「考慮」なのさ。その人の仕事をリスペクトしているという印なのさ。それを示されたら絶対に人はいい仕事をするんだ。そしてそれは子供だって患者だって感じとるんだ。必ず良いエネルギーが循環する」


私が思っていることを歯に衣着せぬ言葉でズバッと言ってくれる同僚に恵まれたので、最近なにかとスッキリ!の連続である。


「お金」とは汚いものである、だから教育者や医療従事者など大して払わなくても殉業してくれる人に任せて、原子力やら軍備やら戦争やら、利権の絡む事柄にはお金を惜しみなく払う。金のことを話すなんて美しい職業には相応しくない。そういうイメージを散々私たちは刷り込まれている。そしてそのせいでどんどん教育や文化や医療が低下して国家危機になっている。


大体、みんなお金がないないと言いながら、誰でもスマホ、パソコン、車は買う。でもコンサートのチケットや楽器の修理代は「高い」と言って払わない。


最近ピカイチの仕事を一緒にしているアーチストのシャルリー・オブリーも、エッジと同じくこの現在の世界のカラクリを誰より理解し、実行している一人である。


彼はお金のあるところに堂々と挑んでいく。そして獲得する。そしてそのお金をより大きな場で芸術に還元し創造する。自分が芸術に寄与するのにそれが当然だ、と思っているからだ。


彼は繊細で、エネルギーの循環を感じとることが出来るから、自分がどうしたいより先ず他人の気持ちをまず理解しようとし、他人を絶対無碍に扱わない。大きな共同理解を社会に育てることイコール、芸術を育てることだと思っている。それには自暴自棄にならない規則正しい生活態度が一番重要だといつも言っている。


すごいなあ、と心から思う。

こういうやり方は、エゴを一掃して、自分が社会に対し何に寄与出来るのか?が分かってないとと出来ないと思う。


民意に与して多数派に好かれるものを計算し、他人を利用して有名になり、浅ましく私腹を肥やしている、そして金とエゴの塊になってセクハラやパワハラで身を持ち崩す、多くの「自称」アーチストと正反対のアプローチである。


この前「スパイラル」のベース担当の、これまた同僚のマチューとお昼を食べながら話したのだけど、IT技術者出身で、現在は音楽院の小学校プロジェクト担当をしながら音楽家である彼も、自分の経験から「エゴ」、これこそ全ての仕事を妨げるものなんだ、と言う。 


最近、こういう人たちと出会って仕事をする中で、リハーサルをしていても、音楽院で仕事をしていても、誰が自分側からのみものを見ていて、誰がエゴを排してモノごとに直に向き合っているのか、怖いぐらいすぐに分かるようになって来た。昔は人の表面に囚われてそういうのがなかなか分からなかったから、どうやら年をとると良いこともあるみたいである。


また、今年度からノルマンディー高等音楽教育機関という大学でも教鞭をとらせていただいているが、そこの生徒たちも、今まさに私が現実で生きている命題に挑んでいて、その経験がすぐに若い人たちに還元されている、という実感があるから、時々ルーアンに行くのを心から楽しみにしている。一緒にディスカッションしながら答えを探し出していくのが、とてもエキサイティングである。


お金って、使い方によっては絶対に世界は良くなっていくんだと思う。使い方を誤ったこのおかしなエゴの悪循環を超えて、汚いものたちにお金を回させず、勇気を持って大切なところに還元するのが、私たちアーチスト、また教育者の使命ではないだろうか。


芸術とは社会だ。2025年に向け、いよいよ準備が整って来ている!そう感じる年末なのでした。








他者との共有

2024-12-05 14:07:00 | Essay-コラム
クリスマスの近づく雨降りのパリ

最近、パリ19区音楽院の即興アトリエの新同僚となったドラマーのエッジと、小学校1年生のための「スパイラル」即興プロジェクトのため、地域の小学校によく一緒に行っている。


セッションが終わって職員室でコーヒーを飲みながら


「さっき、子供に歌歌った時さ、あんたって歌上手いよな、って思った」 ってエッジが言うから


「え?まさか。管楽器奏者だから息の扱い方は分かってるけど、声は生まれながらにして良い声じゃないよ」 って言うと、


「そんなの、うそさ。それは「自分の声」だろう?良い声、良くない声、なんてないさ」


そこでドキッとした。私自身、もしかしてあの私の嫌いな教育に毒されているのかも知れない。自分の可能性を狭める、あの教育に。


「確かにあんたの言う通りかも!クラシックだと、よくフルートの試験やコンクールに来た審査員が言うのよ、「君の音は良くない」ってね。

いっつも思ってた、何がよくないのかってね。何の権利があってそういう言い方出来るのか、って。それって「君の顔は良くない」って言ってるのと同じだって分からないのかって」


「それってさ、そいつらの頭の中に「良い音」のモデルがあって、それから外れてたら認めないってことだろ」


「そうそう!君のヴィブラートはバッハには相応しくない、とか、君のタンギングはモーツァルトに相応しくない、とか、それ自分が思ってるだけじゃん。バッハやモーツァルトに会ったことあるのか?って聞きたいよね()


「そうだね、クラシックでは他人の作品を解釈する。変装するってことだ。でも変装するのは誰だ?自分自身だろう。自分自身がなくて、誰かが考えた「モデル」しかないのに、どうやって変装するんだ?」


(膝を叩いて)なるほど!インプロビゼーションについても、やっぱりそういう音楽教育__モデル至上主義で、自分を否定する__をずっと受けて来たら、当たり前だけど即興しなくなる。

だから即興自体を否定する。つべこべ言わず音楽家は書いたものを弾いてなさいってね」


「それね、俺何でか知ってるよ。植民者たちは音楽を書いて来た。だから土着民のやってたトランス的な「インプロヴィゼーション」を受け入れることは、自分たちのやったことを否定し、彼らを受け入れることになるんだ。だから西側諸国の多くの人たちは何処かで、即興に対するブロックがあると思う」


ドカン、さすがフランスの植民地、カリブ海のグヮドループ島出身の黒人。ちょっとタブー的な物言いだが、見事に核心を突いている。


しかし生粋の白系フランス人であるもう一人の親愛なる同僚、アフリカ音楽専門家のクリストフにこの話をしたら、もうウハウハで同意しそうである。完全な例外が存在する、ということはどんなに勇気づけられることだろう。


私の周りは、幸福なことに例外に満ちているのだ。


本当の意味での「自分」が常にないがしろにされると、どうなるだろう。「自分」は他人より上手いんだ、という空っぽで平べったいエゴになってしまう。


そしてその裏返しは「自分はダメなんだ」という失望。


「自分てスゴい」も「自分てダメ」も、どっちもコインの裏表の如くエゴの裏表である。


自分とはスゴいのでもなくダメなのでもなく、自分自身なだけなのである。


この間ピアニストのマリア・ジョアン・ピレシュが語る「芸術家と社会」の記事見たけど、ばっちりそのことが書いてあった。 


そこには、私やエッジやクリストフが即興アトリエで常に追求している、楽譜を使わない耳伝えから音楽に入る方法、空間と音、身体意識、自由、想像力、イメージとアイデアについて書かれていた。


「現在、若手の音楽家の多くが競争によってエネルギーが枯渇し、十分に社会との繋がりが持てていない」と彼女は述べている。


そしてモデルイメージをなぞり、「一日10時間の練習で出来上がる、統一された、ロボットのような、真の意味で楽譜を読むこのと出来ない演奏」に警笛を鳴らしている。


そして「他者へのリスペクトを本質とする芸術創造」と「競争」は相反する、とピシャリと言っていらっしゃる。


同僚エッジは若い頃ずっと数学をやっていて、マイルス・デイヴィスのコンサートを聴いて目覚め20歳でドラムを始めた。クリストフは24歳でアフリカに行き、アフリカ文化とアフリカンパーカッションの魅力に目覚めた。


うちのパートナーのギターのアタナスにしたって、15歳でギターと作曲を始めるまで、森で遊んだり軍隊に取られたり、全く箱入り音楽家とは違う道を歩んできている。


私はと言うと、3歳で音楽を始めずっと音楽浸りで来たために、逆に音楽の社会という狭い考え方から出て開けた考え方に至るまでに、フランス社会に出て相当の修行をしなければ彼等に追いつけなかった、50歳のスロースターターである。


どんな道を通ったって良い。何歳で始めるだとか、なんのコンクールを取っただとか、どこの音楽院を出たかとか、そんなのは本当は音楽の理解には何の関係もない幻想で、「他者との共有」これこそが音楽だ、そう思う。







新しい時代が新しいフルートと共にやってくる

2024-10-05 20:30:00 | Essay-コラム

新しいフルートを借りて、前のフルートを売り、まだ正式に買ってないにも関わらず、もう何回もコンサートをしたのだけれど、この前9月の初頭にボルドーで完全即興をした時、やっとこの新しいフルートを「扱う」のでなく、自分の言葉として語れる自信ができたのだと思う。


段階としては、今年1月に初めてオーケストラと共演で演奏した時の、この新しい楽器との初体験の無敵な熱狂、そして初めて相方アタナスのギターとギリシャでデュオ演奏した時に、これまでのフルートの吹き方で吹いてしまってコントロールを完全に失った失望、そしてその経験を踏まえ6月にパリでまたデュオ演奏をした時の、成功と失敗の入り混じった複雑な感じ。(思えば全部2024年から始まった)


そのコンサートは地元だったので、多くの知人友人が聞きに来てくれた訳だが、殆どの人はフルートが変わっていてもっと良くなっていたとか、何か違う、とかそういう感想は特に持たないようで、「へえ、楽器変えたんだ。分かんないけどいつものように素晴らしかったよ!」との感想を頂いた。


「これってめちゃくちゃ高い買い物なのにさ、楽器を買い替えるのってって一体意味があるのか知らんね。」と冗談混じりに親しい友人Fに話すと、スピリチュアルな彼はすぐに


「けれどね、音ってエネルギーだろう。キミが感じている違いは、聴いている人たちは実はエネルギーとして受け取っているんだ。実際に耳に「聴こえて」いないとしてもだ。それはこれまでとは違うもっと上がったエネルギーとして、絶対に聴衆は身体で吸収しているんだよ。だからそれによって世界は変わるんだ。」


こんなことを言える友人を持っているのは、本当に幸せだとしか言いようがない。


その彼の言うことを信じてやってきて、今回やっと、冒頭に書いたように、ボルドーでこのフルートがついに体に馴染み、何も考えずに迷いなく、普通に吹ける次元に達することが出来たと思う。


やっと自分自身が、このフルートに見合うところまで来られて、ついにスタートラインに立てたのだ。


このコンサートが「即興」という、自分の内部から出てくるものをそのまま音にする、という行為だったからこそ、楽器と一体になれる絶好の機会だったのかも知れないが、その時はっきりと、自分の感じていることがぴったりと聴いている人にそのまんま直に、どのような障壁もなく伝わっている___以前のように多大な努力をしているという感覚抜きで__ということがじわじわと感じられて、この日の経験はこれまでの人生で一度も感じたことのない、極上の経験となった。


まるで自分が透明になったようで、「てらいの無い」とはどういうことか、この日演奏を分かち合った老人たち全員が教えてくれたのだと思う。


そして「衒いのない演奏」という次元は、この楽器抜きでは不可能だった。


この日、ボルドーでの「思い出交響曲」第二弾プロジェクトとして老人ホームの居住者たちの絵に対してした即興演奏は全部録画されていて、アーチストのシャルリー・オブリーが編集してドキュメンタリーとしてフランスでテレビ放映(?!)されることになるらしい。


私としては、そんなこと事前に知らされていたらきっと意識してしまってナチュラルな演奏は出来ていないと思うので、後で知らされて、びっくりはしたけれど、本当によい記録動画が出来て来るのではないかと思う。


この即興は、どのように評価されようが、今の私そのものだからだ。


そしてさらにすごいことには、相方アタナスの楽器を作っているギター製作者のドイツのアンドレアス・キルシュナーから電話があり、「人生で最高の楽器が出来た、ぜひ弾いてほしいからパリに持っていく」という電話があり、待ちに待ったそのギターをアタナスが弾いた瞬間。


「なんと素晴らしい!私の新しいフルートとおんなじ音ですがな!!」


もうびっくりである。音のコンセプトが私の新しいフルートと似すぎている。


こういうのはもう、偶然ではないですね。

きっとウルクズノフ・デュオにも新境地が訪れる!


そのアタナスは今、そのギターを持って、初共演となるブルガリアの大カヴァル奏者、テオドシ・スパソフとのコンサートのためにスイスに出掛けています。



アタナスが初めてフルートとギターのために書いた「ソナチネ」は、そのテオドシ・スパソフに捧げられているし、その昔私がこの曲をコンサートで演奏したときに、作曲者のアタナスがたまたま来ていて出会った、(しかもそのコンサートのあった教会の病院で私たちの娘がその後産まれた) という曰く付き。


そのテオドシ・スパソフに今夜、アタナスがスイスでついに対面を果たしました。明日スイスでのコンサートツアー初日。


人生とは小説のように奇なり。私自身も続きが楽しみでなりません。



ボルドーで「思い出の交響曲No2 」

2024-09-12 18:47:00 | Essay-コラム

アーティストのシャルリー・オブリーという人は、私のイメージでは空高く舞い上がってさーっと降りてきて獲物を捕まえる大きく自由な鷲のようで、空を飛び回ってはアートの元になる材料をぱっと見つける。


「思い出の交響曲」と名付けられたこのプロジェクトでは、彼は眼を付けた老人ホームにさっと舞い降りる。彼の欲しいものは老人たちの「記憶」だ。

その「記憶」を老人たちが視覚的に掘り起こし、それを私が即興的に音に変換する。その音や色や形やの全てを、彼が今度は美術作品に変換していく。


この度「思い出の交響曲」第二番がボルドーでスタートした。


1回目のパリも素晴らしい体験だったが、第2回ここボルドーの老人ホームでは、何とも覚醒したとんでもない老人たちと出会うこととなった。


驚いたことにここの人たちは全員非常にオープンで、シャルリーのやりたいことを理解しようとし、その為には人生で培った知恵を駆使してどんな垣根だって取り払おうとしてくれるのだ。


そんなJugement(判定?)prétention (気負い?)の全くないピュアな感性のみに囲まれて、即興演奏をするのにこれほど理想的なシチュエーションはこれまでになかったと断言できる。



絵を見ながら即興中



1回目のセッションでは、「人生の原風景」とも言える光景を二人のおばあちゃんが描いてくれた。


一人は草原に寝っ転がって、気持ち良い風が吹いていて、雲が動物などの色んな形に変わっていくというもの。


もう一人は港でバナナやタンクが荷積みされているのを柵のこっち側から見ている、という光景。「タンクは縦ではなく横の方向に積まれているのよ」などという詳細付きで。こういうのはその人の核となっている人生の原風景なのだろう。


私がその絵に対して即興すると、


「あなた途中ちょっと音程から外れたような奇妙な音を吹いたでしょう。あの音こそ、私の記憶そのものの音だったのよ。その時私は涙が出そうになった」のだそうだ。


確かリゲティーは、「色んな種類の時計が倉庫の中で、色んな時を刻んでいる」風景が彼の作品の原風景となったと言っていたっけ。


そんな事をふと思い出した。


絵を描くのが大好きで、家で展示会まで行うというおばあちゃんは耳が遠く殆ど聞こえないのだが、その木のデッサンの筆の細かさは驚くべきで、木の葉の動きを忠実に繊細な通常の目線では見えないほど細かい線で表現し、小さく太陽の光が一箇所だけオレンジ色で入っているのが、まるで臥龍点睛みたいに完璧なバランスだ。


そのおばあちゃんは「超意識の中で、絵を音に置き換える、それがあなたのやっていることなのね」と真っ直ぐに私を見つめて言う。


彼女はどんなプロのアーチストよりアーチストである。




もう一人の80歳という頭脳明晰なおばあちゃんは、躊躇いがちなタッチでやはり「木」をデッサンし、「私たちにに発明できることなんて何もないのよ。私たちはただ自然に生かされているのよ。音楽も、芸術も、それを表現するためにあるのよ」と言う。あれ、これって最近一番私が考えていることなんだよね、あまりの一致に心を掴まれるようだ。生きれば生きるほどこの真理に近づけるのか知らん、そうだといいのだけれど。


その時、最初からずっと黙って聴いていたおじいちゃんがぽつぽつ隣のおばあちゃんに話し始めたので、その人の前に行って意識を集中させる。どうやら彼の息子さんの職業は船乗りで、彼の意識と息子さんの意識は柔らかい泥のように彼意識下で混ざり合い、__そうなるともう共通意識となって、もう自分と他人の間の壁がないのだ__、マルセイユからアルジェリアに行くには昔は24時間かかった、でも今はもっと速く行ける、今は何をするにも全部速くなった、でも速すぎて何も感じることが出来ない」、要約すると彼の人生では時間の観念の変容が大きなテーマであるようだった。


彼のデッサンを見ると、柔らかい泥の中から記憶の線を拾い出すように、色んな形状の線が絡み合ったり、また失われたり震えたり、まるで色んな線が感情を持っておじいちゃんの人生の記憶を紐解いているように見える。


話を上手く引き出して聞いてあげていた隣のおばあちゃんによると、この寡黙なおじいちゃんが心を開いて話したのは、今日が初めてなのだそうだ。


その隣の心優しいおばあちゃんはスパイラル状の絵を描いて、「人生は何もないところからこういうふうに出てきてね、その後はスパイラルのように上がっていくのよ」と説明してくれた。


「スパイラル」は私の人生のキーワードなので、あまりの一致にまたびっくり。その絵の印象に私の曲「スパイラル・メロディー」も交えた即興となった。今日は起こること、彼らの言動、何から何までがすごすぎる。


翌日のセッションでは、「これまで読んできた本の言葉が、音楽を通して本から飛び出して音になって空間に溢れていく」というアイデアのデッサンが早速出来上がってきた。このおばあちゃんによると、昨日の私の即興演奏からこの絵のイメージが生まれたのだと言う。


この後は「星の王子様」を彷彿とさせるデッサンを描き、「これを音楽に出来る?読んだことはあるわよね?」と、挑戦的でイタズラ心に溢れた視線を送ってくるおばあちゃんも現れた。


「思い出」、「原風景」から出発したセッションも、2日目にはおばあちゃん達と一緒に「イタズラなアートを企む」ところまで仲良くなってしまったのだ。


「イタズラなアート」、それこそシャルリーのアートという気がする。




最後には、この老人ホームにいることが楽しくて楽しくて、これまでに60もの国籍の人と出会ったのが嬉しくて堪らない、という、キラキラした目で楽しい絵をたくさん描いてくれたおばあちゃんが、「あなたの演奏は、ここでセッションしている人だけでなく、絶対老人ホームの全員に聴かせてあげなくっちゃね」と言って、施設の食堂やらチャペルやら色んなところに連れて行って紹介してくれたのだった。まさにみんなの「世話係」の暖ったかいおばあちゃん。


帰りのTGVの時間が迫ってきたので、結局食堂で演奏することなくお別れになってしまったけれど、次回は10月、先日の即興演奏を元にこれから私が楽譜を書き、なんと地元ボルドーの吹奏楽団がその楽譜を基にした即興演奏に加わることになる。


そして11月にはボルドー近代美術館MECAにて、老人ホームの人たちの絵を取り入れたシャルリー・オブリーの作品展示と同時に吹奏楽団と即興コンサートをする予定。



ボルドーのギャロンヌ川沿いのMECA美術



「思い出」をキーワードに何層にも音や色を重ねるシャルリー・オブリー監督の生きた作品。最終的にどんな音が出てくるのか?!それはまだ誰にも分からない。先日の録音が届いたらどんな楽譜を書こうかと、今からワクワクしてしまう。続!



ボルドーにてシャルリー・オブリーと。



異次元の取水堰〜フランス、ブルガリア、そしてアフガニスタンの中村哲さん

2024-08-27 19:57:00 | Essay-コラム

ブルガリアの伝統音楽の偉大なアコーディオン奏者ペーター・ラルチェフさんと知り合い、彼と一緒に夫のアタナスのギターを加えて演奏していく中でこれを日本に伝えたい、と思って、その情熱があったからものすごく苦闘して書類を送って、2020年に難関の大阪万博の助成金まで取得したのだった。


でも時はコロナショックの真っ最中。日本という国は良くも悪くも新種の脅威に対してものすごく注意深く疑心暗鬼なところがあるので、待っても待っても、他の国が全部国境を開いた後でも何年も国境を開かず、結局念願だった日本ツアーは実現出来ず。(東京オリンピック以外は、ということだけれど。カネと権力さえあれば国境は開くのだ)


それで結局ブルガリアからの中継コンサートと特別CD制作いう形で何とか助成を遂行させてさせて頂いたのだが、その1年後、ペーター・ラルチェフの本拠地、ブルガリアのプロヴディフで演奏した際にまたもや問題が持ち上がる。


彼の取り巻きが、私と一緒に演奏することにストップを掛けたのだった。ブルガリアでは神のように崇められた存在で、そんな人と日本人でしかも女性が一緒にステージに乗ってしかも同等に即興で演奏するなんて、それまで考えてもみなかったことなのだけれど、閉鎖的なブルガリア伝統音楽界ではとてもショッキングで許されることではなかった。


ラルチェフ自身はそういう人ではなくいつも自分の音楽の地平を外に押し広げようとしていたし、パリ郊外のアントニーのフェスティバルで初めて彼に出会って一曲演奏した時、一緒にこれからも演奏して行こう、と提案したのはもちろん彼の方であった。(私にそんなこと持ち出せる訳がない、私だって神様だと思っているのだから)


幻のCDのみを残してこのトリオを修了して以来(終了ではなく修了と言いたい)、私に伝えていけることは何か。

やっぱり私はラルチェフの持つ、あのフィーリングしかない思うのだ。

ではそのフィーリングとは何か。

ラルチェフはその音楽の一つの頂点であるが、それらの頂点を形作るブルガリアの肥沃な音楽の可能性、ひいては今の西洋諸国にない、その土地と直に繋がった音楽。ただ「我々の音楽」とはっきり感じる音楽。


我々の音楽、そう呼べるものものはフランスには永遠の昔からもう無い。もちろんクープランやドビュッシー、ビゼーの素晴らしい作品を我々の音楽と呼んだって差し支えない訳だけど、それらは遺産であり、国民全員が日常的に聴いたり演奏するような、生きて呼吸している音楽とはまた意味が違う。私はフランス植民地だったカリブのアンティーユ諸島・マルティニーク島のマックス・シラの音楽を聴いて、それが呼吸し続けなければいけないということがすぐに理解できた。(出会ってから3年でオーケストラバージョンにまで編曲して初演することに成功した、そこに私の自作曲も足して日本とアンティーユの「二文化の出会い」とした) そして、そのプロジェクトはこれで終わらずに続けていくことが課題である。


ペーター・ラルチェフを日本に伝えることには失敗した。それを阻んだのは、私やアタナスあるいはペーターさん自身も求めた西側的な音楽に対するオープンな考え方と、神聖なブルガリア土着文化の間の大きな壁だったと言える。


我々の音楽、そしてその神聖さとは何か。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーン、ローランド・カークはアフリカ/アメリカという出自から湧き上がる創造性を「我々の音楽」と呼んだ。


今日のジャズフェスティバルで、そういう音に出会えることはほぼない。(20年前にはまだ本物のオリジナリティーやエネルギーが多くのグループにあったと思うのだけれど)そこにあるのは聴衆に擦り寄った態度、自分に酔った大袈裟な表情、今流行のコンセプトの羅列、ちっぽけな音楽に釣り合わない派手な舞台演出、、、


話は変わるが、ここ最近どうもアフガニスタンという国に惹かれるので(数日前は美容院に行った時にアフガニスタンでのピルの入手困難、妊産婦の死亡率のついての雑誌の記事を読んだ)、ネットを辿っていくと、3年前にアフガニスタンで糾弾に倒れた中村哲医師の中村哲医師特別サイト-西日本新聞に出会った。

(遅ればせながら、こんな素晴らしい文章が無料で掲載されているなんて!ぜひ出来る限り多くの人に読んでもらえれば。)


アフガニスタン東部の死の砂漠と呼ばれている地域に、なんと用水路を作って緑と命を蘇らせたという、この偉大な人物の書いていることはいちいち納得するも通り越して心にズドンと響くものばかりだ。


砂漠と木一本生えない険しい山岳地、インダス川の荒れ狂う支流という壮大な光景をバックに、西側諸国の「アフガン復興」という言葉を振り翳した西側の軍事介入の兵士たちが「人為の思考の中で敵を作り、人為の政治に振り回され、人為の手段で殺し殺される空虚な姿」で銃を持って徘徊するのに対し、砂漠に生き一緒に用水路を作っている現地人たちは「厳しい自然の恩恵によって特別に生かされていることを知っている、大地に根ざした姿」をしていると、真理に溢れた表現で対比している。


彼は世界一難しい場所で、彼にしかできない方法での「平和」を体現してみせた。

彼にとって「平和」とは言葉、スローガン、カネ、ましてや血を流す争いではなく、そこに生きる人たちを心から理解し、一緒にただただ自然の摂理の前に首を垂れ、緑と生命を取り戻すことだったのだ。


まさにそれ、ブルガリアの伝統音楽は大地の生命に根ざしていて、滔々と流れる川の水のような音楽を紡ぎ出すラルチェフさんをブルガリアからとり出して根無草にすることは出来ない、たとえ本人が望んだとしてもだ。


そして先述の最近聴いたあのフランスのジャズフェスティバルに溢れていた「新しいジャズ」という言葉を振り翳した空虚な音は、人為的で、エゴに溢れていて、自然への畏敬から切り離されていた。


一緒に演奏することももうないであろうペーター・ラルチェフのその音は、今も異次元の取水堰を通って、これから自力で体現していくべきブルガリア音楽ではない「我々の音楽」を、このフランスの地で、ここの人たちと一緒に中村哲さんの用水路の如く育み、緑溢れる生命を音楽に取り戻すために私の耳に聴こえ続けている。