SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

最後に残された言葉

2020-11-04 20:18:00 | Essay-コラム

フランスは現在、2回目のロックダウンに入った。


関係ないがとても悲しいことに、音楽院の素晴らしい上司の副学長が急死してしまった。実はジャズプレイヤー、サックスとクラリネットを吹くので、いつも即興のアトリエのコンサートで一緒に演っていたし、3月ロックダウン直前にも「スパイラル・メロディー」の最終曲でゲストとして出てもらって一緒に演奏した。(そのコンサートの為に書いて最後に共演した「波紋」という曲は、その副学長クリスチャンに捧げたいと思う。)ロックダウン後にも音楽院が超忙しい中、作った即興アトリエのヴィデオでも出演してくれ、一部を自分で作曲までしてくれていたのである。


忙しいのにいっつも頼んじゃっていいの?って言ったら「ミエのアトリエでやるのは大好きだから」と言ってくれていた。


その時も、ヴィデオはもう出来たか?どこまで出来てる?と毎日すごく楽しみにしてくれていた。


だれの要求にも耳を開き、かつインテリジェントに温かく平等に接することができる。しかも実はミュージシャンで、耳がよく、こんなに正しい評価と労いを生徒に掛けられる人はそうはいないので、私は個人的にとても信頼していた。いつだって生徒たちの目線まで下がって一緒に考えられた。だからこそ彼と生徒たちのエネルギーを共存させたくて、よくアトリエのコンサートで一緒に演奏をお願いしていたのだ。こんなバランスの良い、人徳者の代わりになれる人はいない。きっと音楽院全員が悲しみに暮れていると思う。


そのクリスチャンが最後に私に言った言葉は「on n’y arrivera!(何とかなるさ!)だった。


また、数年前に亡くなったフルートの同音楽院同僚、ドゥニが私に伝えた最後の言葉は、(彼の死はシャルリ・エブド襲撃テロの直後だった)


「フランス人はライシテについて、考え直さねばならない」


だった。


何故かそれらの言葉は私自身に伝えられたものとして、深く心に刺さっている。


私はいつまでも、この人たちの記憶と共に、最後に伝えたかったことを忘れないと思う。


フランスの「ライシテ」(宗教分離、と日本語では訳されるが、それだけの意味よりもっと広く深く、全ての人に信教の自由を与えると同時に、国としては中立を保つ、という意味。例えば公立学校では宗教色を持ったものの所持や発言を禁止し、しかし私立で宗教的な学校を作ったり、そこに子供を行かせることも完全に自由である)


それは、私にとっては素晴らしい考えで、どうせ屁理屈こねてるだけ、という愚痴は聞こえてくるにしても、多民族多宗教国家で一応みんなが平和に暮らす為の、今のところ最大限の知恵だと私個人は思っている。


最近また、フランスで、教育の一環として、ただムハンマドの風刺画を授業で見せただけの先生が斬首されて殺されてしまった。


そして先日、ウィーンでもまた、中心部でイスラムテロが起きた。


風刺画というのは、実際に社会で起こったことの一例であって、それをありのまま隠さず事実として教えることは、侮辱ではない。


特にシャルリ・エブド襲撃事件が記憶に新しいフランスでは、歴史の記憶として、語り継がなければならないことである。


しかも、この場合は、実際に聞いていた学生が精神的に傷つけられたなどの理由で殺したのでなく、それをSNSづてに聞きつけた全く顔見知りもない人物が殺害に及んだのだという。


フランスではこの教師を擁護するデモが巻き起こり、公立学校では黙祷が行われた。


私はこういう事件が起きるたびドゥニの最後の言葉について考える。


ライシテ。人類の歴史で起こったことを中立の立場でありのままを伝える。自身の偏見をなしに、加害者と被害者の両面の立場から、、、自分にはそれが本当に出来るだろうか。どのような宗教や民族に所属する人だって、直接的であれ間接的であれ人殺しに関与した歴史を経験している。日本でも、フランスでも自分の被害は叫んでも、(自国の被害さえ忘れ去って伝えないのはもっての他だが)自身が加害者となった歴史には触れたがらなかったり、歪曲して無かったことにしたい人がいるのは承知している。(フランス語ではそういうのをsusceptible 「未熟さから来る傷つき易さ」という)そういうタブーにリスクを負っても向き合って行かないと、臭いところに蓋をして自分の虚栄心を守っているだけでは、本当の精神の自由なんて程遠いのではないか。


「フランス人はライシテを考え直せ」その言葉は、フランス共和国「側」を擁護しているのではなく、歴史的に獲得した精神の自由を譲るな、ということではないだろうか。


だからフランスのコロナ対策が甘くて、各自治体の首長に任せすぎで、追跡ゼロで、「ああ!なんでちゃんと一括命令にしてみんな従えば感染率下がるのに!」なんて歯軋りしてる私に、アタが「ここは日本じゃねえんだ。だいたい、お前はそういう緩い自由な抜け道のあるフランスが好きでここにいるんだろ?ムハンマドの風刺画を自由に授業で見せられる国がほかにあると思うのか?そういうところで良い面が出て、コロナ対策ではそういうとこが悪い面に出てる、それだけさ。」


クリスチャンは死の前、確かに私に言った。「なんとかなるさ!」って。


いつも私の要求を音楽院側に通すために抜け道を作ってくれた、彼らしい言葉。


今から少しの間コンサートもない、我慢の時が始まるけれど、私はその言葉を、これから毎日自分に言い聞かせて生きることにする。





La différence est une richesse
(違いとは豊かさである)

教えている小学校で子供達が作ったポスター



PS 三年間やってきた自分のホームページを閉鎖して新たに制作する予定により、現在このgoo blogの方に20172019のブログを移行しました。


これで、これまでのブログ全てのアーカイブこちらからご覧になれます。


今改めて読むと、2017年あたりから人生の激動が始まっていたようです。怒ったり、喜んだり、考えたり、色んな国を旅したり、、、一つ一つを続けて読むと、現在までストーリーが繋がってきている。


いつか、全部合わせて本にして出版してみたい、というのが私の夢です。


これからもありのままの日々の感覚をぶつける日記、備忘記として続けていきたいと思いますので、非常に個人的なものではありますが、お付き合いいただければ幸いです😊