高校生のころ、(高松第一高校音楽科。人生で一番幸せだったと断言できる時代笑) 授業が退屈だと、世界地図帳を取り出して、何故かはまるで分からないが、ブルガリアのソフィア、という都市の名前に惹かれて鉛筆でなぞっていた。
そのあと大学の時、フランスの旗がついた講習会の通知に惹かれ、フランスまでやってきた。高松から出てきて、東京に馴染めなかったこともあった。
フランスでは二回目にパリ国立高等音楽院に受かったけど、今度は全然フルートのクラスに馴染めなくて、ある方の(サックスの平野さんだけど笑)「お前、なんか即興できそうだな」という言葉を頼りに、一杯ひっかけて自由即興科の試験を受けたら本当に一番で受かってしまった。
でも、そこの方法にも馴染めず、そのクラスにたまたまいたブルガリア人のカヴァル(ブルガリアの伝統フルート)を吹く子の演奏に異常に惹かれ、その子が家に連れてきた隣国トルコ人のヴァイオリンの子が持ってきたブルガリアの伝説的クラリネット奏者イヴォ•パパゾフのウェディングバンドによる「オルフェウス•アッサンディング」というアルバムを聴いて雷に打たれてしまった。その日のことは鮮明に覚えている。
それからパパゾフ•バンドの追っかけみたいなことを始め、講習会でブルガリアの奏法を習ったり、(だよね、Aちゃん!)同時にジャズとインド音楽を始めた。それらはどんなに難しくとも、私のフィーリングにぴたりと合っていた。
この二人の男の子とは、この時期しょっちゅうつるんで音楽院を抜け出し、雑多な人種の奏でる色んな国の音楽を聴きに、夜の街に入り浸っていた。
その頃の夜のパリは、本当に滋養に富んでいた。
だから私にとってのパリは、ブルジョワでスノッビーでアカデミックなパリではない。人種の坩堝で交差地であるパリ。
娘が誕生する1年前には、アタナスはたまたま乗ったタクシーの運転手に「あなた来年にはパパになってるのが見えますね」と予言されたそうだ。
因みに私たちは今でも、たまたまその教会の屋根の見える部屋に古いアパートに住んでいる。
コンクールやオケや教免には興味ないくせにジャズやブルガリア音楽の習得にうつつを抜かし、なんとか食べていくのに忙しかった私を、大抵のそれまでの音楽関係の知人は奇異に思い、演奏活動からドロップアウトしたと思っていた。
そう思われても致し方ない。だって学生だった時代、私は学生にしては恵まれすぎなほど、沢山の人たちとコンサートをしていたから。でもどこかが馴染めなかったがために、その頃の大抵の関係を断ち切っていた。
その中でもずっと見守り支え続けてくれた人たちと、私たちがやっていることに興味を持ってくれて一緒にやろう、と言ってくれた人たち、そういう人たちが今、かけがえのない存在になっている。
パパゾフ•バンドはアタナスと一緒なってからもブルガリアの山奥のフェスまで追っかけて聴きに行ったので、バンドのアコーディオンのネシュコ•ネシェフに「君ってよほどブルガリア音楽が好きなんだね!」と感心されたほどだ。
昨年3月、私たち二人の共通のアイドルであり、例のパパゾフとも共演するブルガリア現在最高峰のアコーディオン奏者、ペーター•ラルチェフを招聘して同じコンサートの2部を分けあって演奏し、アンコールで共演したことをきっかけにトリオを結成。
毎回ペーターと演奏するのは本当に強烈な体験で、一段違ったところに運ばれてしまう。
今は不思議なほど、世界と一体感を感じている。
海で泳ぐ時。
砂浜でじりじりと太陽に焼かれる時。
人とどうでも良いことをしゃべって団らんしているとき。
娘に泳ぎ方を教えているとき。
歯磨きをしているとき。
あ、なんかジョン•レノンの歌みたいやん。
いつのまにか、前のようなぎこちなく人生に馴染めない感じがなくなっていて、これまでに感じたことのない安心感というか、クリアーに一体感がある。
精緻なレース編みのようなペーターのアコーディオンに耳を傾けていると、歴史にすーっと一体化して繋がっていく感覚がある。
それは、感動した!とか泣けた!とかそういうエモーションとは違う、もっと深い場所に繋がっていく感覚だ。
地図帳で退屈紛れにソフィアという地名をなぞっていた高校生の辿った運命というか、これまでの成り行き。
あの夜のパリで友達だったふたりの男の子のうちの一人は死に、私は生き残っている。
私たちは歴史と繋がって一体になりたい。そしてさらに何か違う新しいものを渇望したいと思う。