19区から望む冬のサクレ・クール
ついに「スパイラル」即興プロジェクトの小学校出張が今年度分全て終わった。
パリ19区は、難しい地区もたくさんある。
そういう移民の多い貧困地区では、子供たちは6歳で全く集中力がなく、きちんと座ることも、ちゃんと話を聞くこともできない子供が多数派だ。
そういう学校で生徒たちひとりひとりに臨機応変に対応し、音楽を教えるのは並大抵ではない。
しかも、一緒にやっている、前ブログにも登場した同僚のドラマー・エッジは、性格は違えどびっくりするほど私と教育のアプローチが似ていて、全ての授業が「インプロヴィゼーション」(準備はしてきても、その場で起こることを一番重視して、なるがままに任せる)というやり方なので、一瞬一瞬が全力投球なのだ。
インプロヴィゼーションを教えるのなら、授業自体が「インプロヴィゼーション」でなくてはならない。私たちは心からインプロヴィゼーションを信じている同志である。
持参したポット一杯のコーヒーを二人で飲み干しながら、
「フヒー疲れた!なんて大変な仕事んだろうね。給料倍にしてほしいわ!!」
「本当に!この国さ、冗談抜きで教育と医療の従事者の給料を倍にしてみろよ。絶対社会が良くなるからさ。」
なんて話していると、
「え?でもお金だけじゃ物事は解決しないでしょう」とそこに居合わせた音楽院のある職員が一瞬反論したが、エッジが完全に論破してしまった。
「そんなことないさ。お金ってただの「お金」じゃないんだ。それはその人への「考慮」なのさ。その人の仕事をリスペクトしているという印なのさ。それを示されたら絶対に人はいい仕事をするんだ。そしてそれは子供だって患者だって感じとるんだ。必ず良いエネルギーが循環する」
私が思っていることを歯に衣着せぬ言葉でズバッと言ってくれる同僚に恵まれたので、最近なにかとスッキリ!の連続である。
「お金」とは汚いものである、だから教育者や医療従事者など大して払わなくても殉業してくれる人に任せて、原子力やら軍備やら戦争やら、利権の絡む事柄にはお金を惜しみなく払う。金のことを話すなんて美しい職業には相応しくない。そういうイメージを散々私たちは刷り込まれている。そしてそのせいでどんどん教育や文化や医療が低下して国家危機になっている。
大体、みんなお金がないないと言いながら、誰でもスマホ、パソコン、車は買う。でもコンサートのチケットや楽器の修理代は「高い」と言って払わない。
最近ピカイチの仕事を一緒にしているアーチストのシャルリー・オブリーも、エッジと同じくこの現在の世界のカラクリを誰より理解し、実行している一人である。
彼はお金のあるところに堂々と挑んでいく。そして獲得する。そしてそのお金をより大きな場で芸術に還元し創造する。自分が芸術に寄与するのにそれが当然だ、と思っているからだ。
彼は繊細で、エネルギーの循環を感じとることが出来るから、自分がどうしたいより先ず他人の気持ちをまず理解しようとし、他人を絶対無碍に扱わない。大きな共同理解を社会に育てることイコール、芸術を育てることだと思っている。それには自暴自棄にならない規則正しい生活態度が一番重要だといつも言っている。
すごいなあ、と心から思う。
こういうやり方は、エゴを一掃して、自分が社会に対し何に寄与出来るのか?が分かってないとと出来ないと思う。
民意に与して多数派に好かれるものを計算し、他人を利用して有名になり、浅ましく私腹を肥やしている、そして金とエゴの塊になってセクハラやパワハラで身を持ち崩す、多くの「自称」アーチストと正反対のアプローチである。
この前「スパイラル」のベース担当の、これまた同僚のマチューとお昼を食べながら話したのだけど、IT技術者出身で、現在は音楽院の小学校プロジェクト担当をしながら音楽家である彼も、自分の経験から「エゴ」、これこそ全ての仕事を妨げるものなんだ、と言う。
最近、こういう人たちと出会って仕事をする中で、リハーサルをしていても、音楽院で仕事をしていても、誰が自分側からのみものを見ていて、誰がエゴを排してモノごとに直に向き合っているのか、怖いぐらいすぐに分かるようになって来た。昔は人の表面に囚われてそういうのがなかなか分からなかったから、どうやら年をとると良いこともあるみたいである。
また、今年度からノルマンディー高等音楽教育機関という大学でも教鞭をとらせていただいているが、そこの生徒たちも、今まさに私が現実で生きている命題に挑んでいて、その経験がすぐに若い人たちに還元されている、という実感があるから、時々ルーアンに行くのを心から楽しみにしている。一緒にディスカッションしながら答えを探し出していくのが、とてもエキサイティングである。
お金って、使い方によっては絶対に世界は良くなっていくんだと思う。使い方を誤ったこのおかしなエゴの悪循環を超えて、汚いものたちにお金を回させず、勇気を持って大切なところに還元するのが、私たちアーチスト、また教育者の使命ではないだろうか。
芸術とは社会だ。2025年に向け、いよいよ準備が整って来ている!そう感じる年末なのでした。