「らるちぇにっつぁトリオ」で初フルコンサートをした大熱狂以来、2年半ぶりにやっと第三の故郷、ブルガリアに帰って来ました。
フランスが未だ室内全員マスクを割にちゃんと守っているので、(意外や意外?!)ブルガリアの状況にびっくり!
ハグも握手も大健在!
誰もマスクしてない中で一人だけ装着するわけにもいかず、、、最初は躊躇するものの、えーっと、マスクって何だったっけ?
ジェルって何に使うんだっけ?
たった数日で多数派に巻かれてこうなってしまう。ブルガリアだって人口比にすればフランス同等の感染率だから、つくづく「ワクチン打ってきててよかったねえー怖い怖い」と相方と胸を撫で下ろす。
つい数週間前に行った南ドイツで、ほぼ一人も感染者が出ていないという地域でも、全員バッハみたいな防毒系マスクをしてて、ちょっとフランス風に顎マスクしてると速攻注意が入るから、国民性の違いとは恐ろしい程に存在すると思う。
フランスでは接種しないものはレストランにも行けないとマクロンが宣言した途端、1分間に2万人の接種予約があるそうだ。極端に命令で義務付けし、反対するものはどうぞいくらでもデモして下さい、という感じ。日本では逆にとにかく要請、要請らしく、相互監視にものを言わせる。
私は毎日のようにネットで白熱する日本語のニュースを見るから、フランスで「え、オリンピック?あー、今年の夏だったっけ?へー東京なんだ!」そして親切にも会話を繋ごうと「で、日本の感染状況ってどうなの?ほら、こっちのニュースじゃ全然言わないからさぁ」なんていうパリジャンたちに、いささかの温度差を感じる。
100人ぐらいのオリンピック反対デモが日本で幾つか出て、それでも日本としては前代未聞だと思うけど、11万人の反ワクチンデモでさえフランスでは「一部の人たちがデモをした」と言ってるから、数十万単位で開会式阻止ぐらいでないと、残念ながらおそらくこちらには声は届かないと思う。(アメリカならもうちょっとお節介的に日本に興味があるのかも知れないけど。) 悲しいかな、でもちゃんと世界に伝わるように国際的な視点が持てないものか。
ここブルガリアでも、友人らとの間で当たり前だけどオリンピックの「オ」の字が語られる可能性さえない。要するに人間とは、自分に降りかかる災難以外にはとことん無関心であるらしい。
でもまあ確かにこの景色で朝のコーヒーを飲んでいると、オリンピックって何だったっけ?となるのも致し方ない。
サマーアカデミーの行われる目的地プレヴェンに着いたその夜は、いつものレストランに直行。そこでは結婚式が行われており、私の愛する雇われ民族音楽隊がいるでがないか!!
おーっクラリネット奏者が白熱した演奏をテーブルの客の耳許で繰り広げておる!
コロナなんてもうぜーんぜんお構いなしじゃん!
しかしテーブルのパトロンらしき人物はふんぞり返ってびくともしない。
そこでクラリネット奏者はテンポをどんどん速くする、ズルナ(オーボエに似た民族楽器)の音色を出す、転調する、などあの手この手を繰り出した。
するとパトロンはやっと満足した様子を見せ、クラリネットのキーの間にサツを挟んでいるではないか!
それでピンと分かったのだけど、あーそうか、ブルガリア音楽の異常に速いテンポや目まぐるしい転調は、生き残りの手段から来たのだと。
彼らにとって、1音1音には明日の生活が掛かっているんだ。そういえば世紀の即興の大家キース・ジャレットが言っていたなあ、「大袈裟じゃなく、私は1音1音に生き残りをかけているんだ」と。
音楽とは夢や希望とかいう甘っちょろい言葉のためにやるんじゃない。生き残りをかけた音だけがこうやって歴史に刻まれていくんだ。そのことをここブルガリアの地の果てにある地方都市のレストランのミュージシャン達が教えてくれる。
中日には近くの湖まで行って、ピクニック。焚き火で宴も最高潮のところで生徒さんたちのコンサート。
アカデミーに来ていた才能あふれる少年。
一人一人の生徒が曲を弾いたり、それぞれが作曲したり即興したりが披露されたのだけれど、なんと殆どの生徒が英語で歌い、ほぼ全曲アメリカナイズされたスタイルだった。
これは単に授業を担当した先生個人のスタイルの影響でもあるのだろうが、翌日、他の先生たちやアカデミースタッフの間で議論の的となった。
日本でも殆どの和製ポップは日本語で歌っていようとアメリカナイズだと思うけど、気もつかない程みんなルーツに対して無関心すぎる。
ブルガリアでは貧困に伴う人工流出が大きな問題となり、独特の文化もそれに伴って消え行きつつある。若い人たちは量産されたアメリカ風音楽を聴き、英語を喋ることを得意とし、国を出る。
このアカデミーのパトロンの一人で、私たちの生涯の大切な友人であり、自らも音楽グループを率いて歌うコツェさんは言った。
「私は時代に逆行して、常にブルガリア語で歌っていくんだ」
私の娘は日本とブルガリアのルーツを持つが、フランスで生まれたフランス人。彼女は一体どういう音楽を奏でていくだろう?
もちろんその答えはないが、どこまで遠くに行こうと、私個人としては、自分が生まれた場所こそがアイデンティティーの源で、いま住んでいる場所、自分が選び聴いてきた音を通して表現しているのではないかと思う。
大地に根っこを張って、自分の感覚を全開にして、コチェさんのように正直に自分の感覚を信じることだけが、現代にしかあり得ない新たな多様性を産むのだと思う。
そして私はコチェさんと一緒に、朝からブルガリアの民族ダンス「ホロ」を踊って汗をかく。大好きな人と一緒に大好きなことをする一番贅沢な時間を、久しぶりに堪能する。
(〜ヒマなので多分続く。)
初来日のアコーディオンの巨匠ペーター・ラルチェフさんの魅力や、私のブルガリア音楽との出会いなど、相方ギタリストのアタナス・ウルクズノフと、日本在住のガドゥルカ(ブルガリアのヴァイオリン)奏者ヨルダン・マルコフさんを交えてお話しました。
どうぞお楽しみに!!