SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

シンプルさからの出発

2024-02-11 15:55:00 | Essay-コラム

昨日の即興アトリエでまた思ったんだけれど、アドリブの最初のアイデアがシンプルでない場合、なかなか生徒はそれを発展しにくいことが多い。


私もクラシック出身だから分かるのだけれど、どうしても「いっぱい音を弾かなきゃ」「面白くしなきゃ」「上手に弾かなきゃ」っていう脅迫観念みたいなのが働いて、指をいっぱい動かしているうちに、なんかがんじがらめになって、アイデアがよく分からなくなっていることが多い。


最近よく共演するマックス・シラなんかを聴いていると、本当にアイデアはごくシンプルって言うか、最初に出てくるフレーズなんて極論、いっつも同じだったりする。


ブルガリア音楽でもそうだけど、大抵の伝統楽器奏者は、アドリブはいっつも使いまわしている平凡なフレーズから入ってくることが多い。だったらいつも同じアイデアで始めていい、と言っているわけでは決してないけれど、最初にあんまり考え過ぎないことはすごく大事なんじゃないかな。


それで思い出すことはいっぱいあって、例えば村上春樹は、小説の最初の一文目は、凝った文章にしたら物語が閉じてしまう、というようなことを言っていた。


私も若い頃ジャズの先生によく言われたっけ。「君のアドリブの出だしのフレーズは素晴らしく、コピーしてとっておきたいぐらいだ。しかしその後が続かなかったね。」


また若い頃、オーレル・ニコレは当時、イタリアのキジャーナの講習会で、アルバン・ベルグのヴァイオリンコンチェルトの話をしてくれた。


「この曲はヴァイオリンの解放弦のみの音から始めるという、とてつもないシンプルさから始めたからこそ、最大限の発展が出来たのだ」と。


生徒たちが演奏する前にピアノと音合わせする時、パラパラ、パラパラといっぱい音を吹いているのを聴いたニコレが、


「君たちよりうちの犬の方が上だ。一音だけちゃんと伸ばして鳴けるぞ」。


で、なんで冒頭の写真がオウムなのかというと、この近所のオウム、Bフラットでまっすぐロングトーンしたようにしか鳴かないんですね(笑)


話が逸れた。


また、パリ音楽院の即興科にいた時、当時インド音楽のクラスでタブラ伴奏をしていて仲良かったスペイン人のドラマー、ラモン・ロペスが即興のマスタークラスをした時、このように言っていた。


「即興の最初のアイデア?そんなものは何でもいい。」


そして手に持っていたスプーンを床に投げて


「ほら、これから即興してみなさい」と。


私はそれを「スプーン論理」と呼ぶことにしていて、私の生徒らは、この謎の「スプーンの話」をよく知っている。


そのことを相方の作曲家アタに聞くと、


「アイデアの段階でインスピレーションがないから、どこか遠くの場所に素晴らしいアイデアを探しに行く、っていうアイデア至上主義はダメだよね。しかし質の良いアイデアじゃないと結局何も生まれない、っていうのも事実だけれど」


この言葉は、相反する真実をよく現していると思う。


音楽ってサウンドの中に答えがあるのだから、いっぱい音を弾くから、凝ったフレーズだから、指が回ってサーカスみたいに上手いから良いのではなく、一音でそれが誰のか分かる、また一音を今この瞬間にここに置いたからこそすごいと、そのサウンドだけで唸ってしまうような、そういうのが理想だなと今は思う。


マイルス・デイヴィス。


そしてそのサウンドが、ひとりでになるがままに河のように発展していくような。


ジョン・コルトレーン。


彼はコンサートが終わってホテルに帰ってからも、理想に近づくため練習していたという


「画竜点睛」っていう言葉は「最後の仕上げ」を指す言葉だけれど、この言葉のイメージもなんかシンプルさに通じていて好きだな。


確かに、この間のオケプロジェクトでも、「竜の目」がオーケストレーションに足りないなあ、と思った曲がまだ数曲あったし、一音で理想のサウンドを出せるブランネン・クーパーを手に入れるまでの1年間、まだまだやらなければならない練習リストもある。


人生、やることが次々ににあるのは楽しいものだ。


今、ここまで書いていて、たたたまある本を適当に開けたら、こんな言葉が目に入ってきてびっくりした。


「「私」が的を射るのか、それとも的が私を射るのか。「このこと」は肉体の眼で見れば不思議だが、精神の眼で見れば不思議でも何でもない--では、どちらでもあり、どちらでもないとどうなのか?弓と矢と的と己の全てが溶け合うと、もはやこれらを分離することはできない。そして、分離しようとする欲求さえなくなる。だから、私が弓を構えると、全の事柄がクリアで、素直で、面白いほどシンプルになる。」


オイゲン・ヘリゲル著「弓道における禅の精神」より


ブランネンと過ごした夢の日々

2024-02-03 18:21:00 | Concert Memories-コンサート旅行記

「フランス-アンティーユ-日本」オーケストラプロジェクトのファイナルコンサートは、もう5ヶ月もリハをしてきたし、(オーケストレーションを入れると8ヶ月)、みっちり出来ることを力の限りやった、という自信があったので、オケとの協奏というほぼ未知の体験であっても、もうなるようになるだろう、というどっしりした感覚があった。


しかも、私の手には、探さずに見つける。 で供述の、念願のCさんから借りてきたブランネンフルートがあった。




これで万力。このフルートから受け取る力は想像を超えて、私を遠いところまで飛ばしたようである。


まるで片羽で一生懸命飛んでいたのが、急に両羽になったような気分!


果たして一回目の金曜夜の公演は、予想だにできなかった、熱狂的なものになった。





この感覚は満員の会場にまで浸透して、曲が終わるたびに私たちの熱量が、聴衆と一体となって呼吸しているのがありありと分かった。


そういう瞬間に出てくる即興のとんでもないこと。マックスも私も、この日はオケバックにめちゃくちゃ乗りました!




これは、きっとオーケストラ・マジック。

「俺はオーケストラは苦手だ、、、ロボットと演奏してるみたいじゃないか」ってリハで最後までゴネていたアフリカ音楽専門家同僚Cも、コンサートを聴きに来て、ついに「オケの本領は凄いぞ!100人が同じ想いを抱いた時の強大な力だ!」などとのたまった。


素晴らしい指揮者、ヴァイオリニストで誰からも愛されキャラのステファン・グランジョン、若きホープ指揮者ジャンヌ・ラトロンのキラキラした存在、それにミュージシャン達と私とマックス・シラが一体となって、豊かな音が産まれていった。






もう、クラシックも、伝統音楽も、現代音楽も、ジャズも、自分の作品でもマックスの作品でも、どうでもいい。それはきっと、「音楽」だよ。若い学生オケだからテクニックが足りないって?それもどうでもいい。23回しかリハしないプロオケでは多分得られないであろう深い共同理解が、5ヶ月一緒に過ごした彼らとの間に芽生えたこと、きっとこれこそ全員にとって一番の糧だったのではないか。

私にしても、一から自分でオーケストレーションする、この行為なしでは、きっと一生オーケストラの本当の魅力というものを分からなかったに違いない。




翌日土曜の公演は、熱狂の一旦通り過ぎたあとに、もっと精密に作品のディテールを表現できた、これまた奥深い感動を内包したコンサートとなった。





指揮台に立ったときのオケの一人ひとりのキラキラした目が忘れられないし、

一曲の演奏が終わる毎に「もう、これが最後なんだ」という、ほとんど失望にも近い、過ぎ去ってしまう熱狂の一抹の哀しみまで感じられた。



この日に私の着ていたドレス、実は服飾アーティスト安藤福子さん作の「タブーがタブーを超える」という願いのこもったドレス。



「黒いドレスのタブーの女王」、このジャズ、ポップと現代音楽が合わさったような難曲が今回初めて何とか形になりましたが、オケにフリーインプロヴィゼーションをさせるというこの曲、ついにタブーはタブーじゃなくなったのかも知れません。


この土曜日のコンサートの模様は、プロによって録音、録画されていまして、現在編集中。お楽しみに!このプロジェクトはこれからもきっと次に飛んで続くと確信しています。


翌週火曜日には、スパイラル・メロディープロジェクト(自作自演即興プロジェクト)2回公演。




8年前に「スパイラル・メロディー」というCDを全ての楽器を一人で演奏して全曲自作自演して作って以来、次はループマシーンを使ってそれらを実際にライブでやる、という経験を経て、少しずつ賛同者が増え、今やクインテットになったスパイラル。




私の作品の骨格である、ややこしい等価リズムを、生きたグルーヴに変換できる極めて稀なドラマー、エッジ・タフィアルを得たのは特筆で、プロジェクトは素晴らしく前進したと言える。


そこにマチューの絶対信頼のおけるベースライン、アルノーの破天荒なサックス、デルフィーヌの柔らかいヴィオラとヴォイスが加わったのだから、言うことなし!初のCD録音に向けて準備完了、だと思う。


アンティーユ諸島グワドループ島出身のエッジの飛び抜けたドラミングを初めて聴いたのは、同じく小学生向けプロジェクトのシリーズで「アンティーユ音楽」と題したコンサートであった。


最近、マルティニーク島出身のマックス・シラといい、カリブのアンティーユ諸島とはどういう訳か縁があるらしい。




果たしてこれら全ての公演が一旦終わり、ブランネンの魔法の笛をCさんに返した私は、まるで「魔法の解けたシンデレラ」のような、ちょっと惨めな気分になるのでした。


また片羽に戻った私が、今度は自分の力でこのブランネンを手に入れることが出来るようになるまで、期限は一年。


その日が現実になるよう、また新しい精進が始まります。


最後に、今日目に止まって心に響いた、ポーランドの詩人、ズビグニェフ・ヘルベルトの言葉を書きたいと思います。


「源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」