最近、オーケストラプロジェクト「フランス・アンティーユ・日本」で、カリブの伝統フルート奏者、マックス・シラさんのお宅でよくリハをしているのだけれど、マックスさんのお話を聞いていて思うのは、やっぱり素敵に歳を取られた方というのは、ニコレも生前そうだったけれど、無駄話みたいなのが淘汰されて、自分の本当に伝えたいことを真っ向から、真っ直ぐシンプルな言葉で伝えられるようになるんだな、ということ。
例えばこの言葉。
「太陽というのは、億万長者の上にも、貧しいホームレスの上にも、平等に降り注ぐ、共通のエレメントである」
何故このマックスの話が心に残ったのかと言うと、最近音楽院にまつわる話しで、幾つか引っ掛かることがあったからで、そのことを備忘録的に書いておきたい。
19区のとある中学校の初心者向け音楽科はうちの音楽院と提携していて、私もその教授陣の一員なのだけれど、その生徒たちのために編曲をするのに、編曲担当教授の友人が、各自のレベルに合うように編曲するのに大変手間取っているという。
彼女としては、やはり音楽の質を譲ってまで、リズムや音を変えてしまうことに対して苦痛を感じているということだ。
それって、あくまでバランスの問題ではあるけれど、あんまりにも「音楽」より「人間」のレベルを重視することで、音楽の方が譲ってしまうのなら、やはり本末転倒だと思う。
次は、音楽院の副院長との話。「ハンディーキャップ」の生徒についてどう思うか?と質問された。
どうやら音楽院ではハンディーキャップ向けの音楽習得機器のようなものの購入に向けて検討審議しているらしい。
私は、私のクラスに実際いる軽い筋肉の連動に関するハンディーキャップ有りと、お医者さんの証明書を持つ子のことを話した。
「試験では審査員に「音が良くない」って言われて、2回目でなんとか試験通ったけど、審査員に分かってもらうの、すごく難しかったですよ。その子はハンディーキャップのせいで口の筋力があまりないからか、音作りにも限界があるのかも知れない。でも、どんなに「この子はハンディーキャップの証明書がありますので、審査を緩和してください」と言ったところで、結局人間は、実際に出てきている「音」で判断するんですよね。こういう場合、審査員側が悪いとも言えないじゃないですか。審査とは正直であるべきだからです。とても微妙な問題ですよ。それに、誰がハンディーキャップ持ってるかなんて、一概に言えないんじゃないでしょうか。全てはグラデーションになっていますからね。いずれにせよ、私はハンディーキャップを持っているという子も区別せずに、他の子達と全く同じように教えてますよ。」
副院長先生も、私の埒のあかない話に全く同意してくれたが、中学校音楽科の編曲問題も含め、どうも気になる事があった。
なんだか最近、みんな人間側のことばっかり気にかけて、音楽のことを第一に考えてないんじゃないか?ってこと。
そこで、先程のマックス・シラの言葉が蘇ってきた。
音楽とは、どんなレベルの人間の上にも輝く、太陽のようなものじゃないのか?
天才であろうとハンデがあろうと初心者であろうと、意識次第でその光を受け取ることができる。しかしこっちの都合で、その光を人為的に調整することは出来ない。
だからあんまりにも「人間の平等」みたいな主義を掲げると、本末転倒になって人間中心の「天動説」みたいになるのではないか?
「お客様が喜ぶ曲を」とか、「聴衆に分かりやすいように」、「子供でも分かるように」とかいう考え方も、行き過ぎると私は、やはり同じく人間視点の「天動説」になると思う。
私としては、やっぱり「地動説」、私たちが中心なのではなく、音楽が私たちに燦々と降り注ぐ、その周りを私たちが回っているのだ、という認識で演奏したり教えていきたいと思う。
マックス・シラとオーケストラの出会い!
「フランス・アンティーユ・日本」
来週にコンサートを控え最終着陸態勢に入っております!パリ在住の皆さま、どうぞお越しを!
🔔1月26日(金)19時半 パリ11区音楽院
Vendredi 26 Janvier 19h30 au CMA11/ 7, rue Duranti 75011 Paris
Entrée libre
🔔1月27日(土)16時半 パリ13区音楽院
Samedi 27 Janvier 16h30 au CMA13/ 67 av.Edison 75013 Paris
Entrée gratuite sur réservation
reservation.conservatoire19@paris.fr