かれこれ1ヶ月近くブルガリアにいるけど、この国にいると、依然として冷戦後に世界が二分しているのがひしひしと感じられる。
例えばコロナワクチンを拒否する多くの人
たちの存在。そういう人たちは決まって、プーチンを面と向かって擁護までは行かなくとも、アメリカのやり方への拒絶感の方が強い場合が多い。
アタいわく、「強力なシステムというものを経験した人たち(この場合は「共産主義」)、それがトラウマになって、何かが起こるたびに信用できず、先ずは拒絶反応を起こすんだよ」
そういう反応を見ると偏ってるなぁ、と思うけれど、じゃあ西側は偏ってないのか?というと、フランスや日本では手放しで皆んなが「民主主義」を叫び、その名の元に色んな不正を隠している。
民主主義が如何なものだろう。その名の下に戦争を仕掛け何十万人を殺してきた?その名の皮を着てどれだけカネを儲けどれだけの弱い人間を踏み潰している?
どんな思想も当初はどんなに高尚なものであれ、それに名前を付けて利用した途端、もうそれは腐っている。
どちらにせよ、何とか主義、という名前のシステムに人々は傷付けられ、振り回され、利用され、そのシステムの頂点にいる人物のみが甘い汁を吸う、他のものは死んだってどうなたっていい、だから尤もらしい理由をつけて軍事力を増強し、憎しみを煽り、更なる権力を求めてシステム同士の戦争を求める。
宗教も政治も、搾取して上のものが良い思いをするようになったら全く同じ。
さらに汚い思念同士はジャンルを超えてしっかりと癒着する。
どっちのシステムがどれだけプロパガンダをしているのかを暴露し合い、洗脳した者たちにまるで個人の意見を言わせているかに見せかけ泥試合をさせている間に、権力者は自らのシステムをますます肥え太らせる。
旅をすることは、(単なる観光でなく、その地を本当に知るということは)、自分が偏った思考にどれだけ捉われているのかに気づかせる唯一の方法である。
ここのところいつもブログの話題に出るキース・ジャレットの話に戻るが、彼の言っている「自分の生まれながらの固まった習慣、それに伴う思考から抜け出すことこそが、自分の感覚を覚醒させることだ」
この言葉は全てを物語っていて、どこの国にいようと、私たちはその歴史、慣習による思考に囚われる。しかしそこから抜け出すこと以外に、システムを超える方法はない、ということではないかと思う。
システムを抜け出す、それは何か。
それは「個」の源泉に繋がることだけではないのか?
と私は漠然と思う。
自分の個の感覚を信じること。
本当に強い個の覚醒した感覚は、名前を付けられることを拒否する。
個の悲しみ、愛する人を思い守る気持ち。
私はそれを共有してくれる、一緒にいるだけですーっと心が静かに満たされる人たちを信じて大切にしていきたい。
ブルガリアの黒海沿岸に避難して来ているロシア人とウクライナ人はお互いの国籍がどうかに拘ることなく、問題なく一緒に暮らしていると聞いた。
これは素晴らしいことで、システムの介入さえなければ、国籍の違いによる諍いだってない。
権力者が煽る民族的な恨みは世代を超えて増大し、いつしか巨大な生き物となってその民族全体の首を絞め始める。
村上春樹の「海辺のカフカ」の最後に登場する、白い邪悪な生き物のように。
あの話は本当にすごくて、時代を先取りしている。人の個々の思いというものが時空を越え、名前を付けて説明できる範囲を凌駕して世界を変えていくことを書いている。ブルガリアから帰ったらすぐに読み返そうっと!