SpiMelo! -Mie Ogura-Ourkouzounov

L’artiste d’origine Japonaise qui mélange tout sans apriori

音は分けても分からない。

2023-11-30 15:01:00 | Essay-コラム

「スパイラルメロディー即興プロジェクト」の小学校一年生向けバージョンが、今年もスタートした。


今年は19区の2小学校の10クラスに全8回出向いて準備し、年明け1月末に子どもたちと共演する形で、最終コンサートを迎える。


小学校に行く、それはこの世界の分断を肌でじかに感じる瞬間でもある。


過酷で厳格な教育現場では、色んな決まりごとがある。


こういう態度はダメで、こういう言い方はダメ、怒りを表明するのもダメ。特にフランスのように分断された社会では致し方ないやり方かも知れない。しかしそういう威圧的な方法に馴染めない子は、いつまで経っても反発を繰り返すので、不完全燃焼の自己が、どの教室でも燻っている。


加えて、フランスでは、大人と子どもの線引きが非常に強い。子供って、論理じゃなく感覚で理解するのに、なぜか論理で説き伏せようとする。大人が子供の感性に学ぶ姿勢がないと、子供も大人から学ばないのじゃないか、なんて思うのだけれど。


こうやって、色んな境界線が、学校でどんどん引かれていく。境界線がつくる新たな分断。


ところで。今日訪れたのは、とある学校にある「外国人向け」のクラスだった。


一番多様性のあるであろうこのクラスには、驚くことに境界線が全然引かれていなかった。


生徒の一人ひとりは、そのまんまで、何処の国から来ようと、(コロンビア、ヴェネズエラ、ウクライナ、バングラデシュ、中国、日本などなど!年齢の差があろうと、フランス語の能力がどの程度であろうと、引っ込み思案であろうと、活発であろうと、うるさかろうとおとなしかろうと、みんながニコニコして、とても幸せそうだった。


それぞれが、それぞれのように存在してる。


こんな当たり前のことが、どれだけ難しく、珍しく、嬉しいことか。


そして、また驚くべきことに、そんな環境では、なんと自然に、各自から音楽が流れ出して来ることか!


1人の日本人の6歳の女の子は、まだフランスに来たばかりであんまりフランス語はわからないと言うのに、このクラスにいるのが大好きだと、セッションが終わったあとに、いっぱい日本語でお話ししてくれた。


他の子の世話をするのが大好きな優しい中国人の女の子は、自分の住んでいた町の名前を紙に書いてそっと渡してくれた。


このクラスの担任の先生は、本当にナチュラルに、偉そうじゃなく、大らかにそれぞれの子供達と接していらっしゃって、何というか、生きて動いているものをそのまま受け入れている、とでもいうか、他の教師たちが必死で動くものの動きを止めて、仕分けて、もともと不揃いなものを何とか力ずくで揃えまとめようとしているのと、対照的に見える。


それで、最近ネットで見つけてピンと来たのが、生物学者の福岡伸一先生の言葉、「動的平衡」。


動くものを見極めるのは一番難しく、しかしそれこそが自然のバランスであると。


私も、自然に近づくにはまだまだ至らないけれど、この外国人クラスの先生のように教えたり演奏できたら良いなあ、と思う。


そういえば、去年のスパイラルセッションで、ある小学校教師からこのように言われた。


「即興している場面で、手を挙げてもらえますか?そうすると、ここからが即興って、分かるから。」


この人にもはっきり言ったけど、私が伝えようとしているのは、「即興演奏」という概念ではない。


しかし、何とか境界線を引きたいこの先生が間違ってる、って言っている訳じゃなくて、福岡伸一さんの言うところの「ピュシスとロゴス」という人間の持つ矛盾の表出なんだろう。


ピュシスはこの自然の生命の原始であるのに対し、ロゴスとは人間の発明した論理性。


ロゴスなしには人間は人間たるを得ず動物になってしまう、しかしピュシスを忘れれば自然の真理から遠ざかって、命の源泉と切り離されてしまう。


論理付けは須く後からくるものであって、どのような音にも、原初は境界線はないんだけどなあ。


こっからが書かれた音で、こっからが即興ですよー、これはジャズで、これは現代音楽ですよー、なーんて。


分けて考えるのでなく、その音をその時に自分がどう感じるか、その時にそれをどのような音にできるのか、それだけ。


世界は分けても分からない。音も、分けても分からない。


だから原始に戻って音楽しよう、っていうことを、音を通して、子供にも大人にも、全力で伝えられればなあ、と思っている。



「今」という瞬間の儚さ

2023-11-19 18:58:00 | Essay-コラム

私が17年前に19区音楽院で教え始めたころの、第一期即興アトリエの生徒だったフルートのDちゃんは、今では立派な大人になって、私の音楽院のクラスで教育実習をし、プロのフルーティストとしてついに教授になった。


先日は日本に行っている間、彼女にクラスの代行を頼んだばかりだったのだけれど、この度、彼女がついにパリ郊外の音楽院の教授の地位をもらえた、という嬉しいニュースを聞いた。彼女のほうも、即興の教え方について色々質問があると言うので、お昼を一緒に食べつつ、ささやかなお祝いをすることにした。


本当に久しぶりに話せて思ったのは、彼女もまだ小さい子供だったころにパリ市立19区音楽院を出て、パリ地方国立音楽院に入ってからと言うもの、本当に大変な思いをしながら、紆余曲折を経て荒波を乗り越え、何とかここに辿り着いたんだな、ということだ。


パリでフルートを勉強してプロになるということは生半可でなく、そこは著名フルーチストの過密地帯であり、熾烈な有名教授同士の駆け引きがあり、生徒たちはそういう奔流のボートに乗っかって、時にはいい成績を貰ったり、失敗したり、先生の言葉に傷つけられたり、また逆に先生を傷つけたり、(この辺って音楽は熾烈なのだ。音楽って人の心に入り込むものだから、特に若く前途多望な時は傍若無人で、人を傷つけているっていう認識を持たない、私もそうだった、すみません先生方🙏)、才能があるばっかりに中学の音楽科では周囲から妬まれ中傷されたり、また逆に才能もないのに巧く立ち回ったものを妬んでしまったり。 


彼女の通って来た道の話を聞いているだけで、自分のパリ国立高等音楽院時代の「のだめちゃん」のような酷い思い出が沸々と蘇ってきて、あー同じだよなぁ、暗黒な時代だったなぁー、て思う。


でも、そういう厳しい体験があったこそ私やDちゃんの今があるのだから、そういった体験こそ必要なのだ、と言ってしまえばそうだし、出来ればそんなイヤな経験なんてしないでもっと楽しく音楽を学べないものか?と自分の子供や生徒たちの為に思ってしまう、これも自然な親心というもの。



話は変わるが、日本滞在中、母が最近読んだ本の中でイチオシという「思いがけず利他」(中島岳志著、ミシマ社)という本をくれたので、飛行機の帰り道読んでいたのだけれど、大変興味深い考察があった。


それは「今」という時間に関する考察。


「今」ってよく考えると、とても儚く、実際にはそれは直ぐ過去に成り変わってしまう。


「今」って未来から事後的な意味でしか価値を見出されない。だからって合理的に未来を見越して打算的に「今」を過ごそうとすると、「今」の持つ本来の力は枯渇してしまう。


何故なら「今」に開かれた偶然性こそが、不可能性が可能性へ接する切点だから。


Dちゃんとの話に戻すと、今を最大限の直感を開いて生きていてこそ、未来になってからその経験の価値として判断できるのであって、こういう経験をしたらこういう結果が出る、とか、ノウハウ本にして押し並べることは不可能なのだ。


この「今」という言葉を「即興」という言葉に置き換えるとどうだろう。


今という儚く危うい瞬間に、色んな偶然性、可能性が折り重なっている中で直感によって即興的に選ばれたその音こそ、全ての未来の可能性に開かれている。


それこそ、私が即興に憑かれ続ける理由なんだ。


それは絶対に、押し並べたり、もっとらしく論理付けたりなんてできない。何故なら「今」とは嘘をつけない瞬間だから。


Dちゃんは私のクラスを先月代行して、何か特別な感慨に包まれたようで、何度も何度も、興奮気味のメッセージを日本にいる私に送ってきた。


私の生徒たちがとてもアクティブで、自分から何かを求め、音を探そうとするのにとても驚き、かつ当時の自分を思い出し、自分の根っこはここにあったんだ、と気づいたそうなんである。


それで、地位を得た今、即興を自分の生徒たちに伝えていきたいのだが、どうしたら良いだろうかと。


フルートという楽器をいかに操るかを学ぶ、優れたフルーチストという「製品」の製造課程、それを学んでちゃんとフルートの吹ける一人前のプロになったとして、(それだって大事だし、相当に難しいことだが)、もっと大事なのは、ではその素晴らしい技術から何が産まれるのか?あなたの根っこはなんだ?ってこと。


Dちゃんが紆余曲折を経て一人前のフルーチストとなり、かつ私の生徒たちを通して「自分の根っこはここにあったのだ、これこそ発展させるべきものだ」と今、感じてくれた。


当時の私とDちゃんが出会い、即興を通して教えていた過去の「今」が17年経った「今」という未来になって、初めて価値となって現れてきた。


まるで17光年離れた恒星の光が、今まさに届けられたような感じ、これこそ中島さんの言うところの「思いがけない利他」、かも知れない。


感謝!!日本の皆さまへ。

2023-11-07 19:12:00 | Concert Memories-コンサート旅行記

高知は桂浜にて。高知公演リハ後、雨上がりに虹がかかった。


生まれ故郷の多度津の海の見えるレストランにて、セロニアス・モンクの「セロニアス・ヒムセルフ」がかかっていたのだけれど、(それは私が初めて買ったジャズのCDだった)あの時のこの音への憧憬がありありと蘇ってきた。



中学生の頃、テレビなんかでかかっているアイドルの大量消費音楽を周りの友達がハマっていてあんまり勧めるから、色々聴いてみたけど、気に入ったものは殆ど皆無で、深夜のラジオ番組を聴いているうちにジャズに目覚めて、初めて買ったアルバムがモンク。


深夜に、宇宙の中心にひとり向きあっていくようなモンクのピアノは、みんなが聴いて熱狂している音楽に馴染めなかったひとりぼっちの私に、深く浸透していったんだな、と多度津の海を5年ぶりに眺めながら、感慨深い思いだった。



多度津の夜の路地



今回日本での最終コンサート、岸和田こなから音楽祭に聴きに来てくれていた、私の衣装をいつも創って下さっている服飾デザイナー安藤福子さんの言ってくれたところの「雑味のない音」という感想、きっとそれは、個人の感性から宇宙に繋がっている、深いピュアな音のことではないかな。


そんな音は、小さな音であっても、この世界の儲け主義や権威主義に飼い慣らされたハリボテ音楽や、思考停止を呼びかけ、多数派に迎合させる日本のテレビの甲高い叫び声に掻き消されない強い力を持っている、そう信じたい。



岸和田こなから音楽祭は、大阪最古の杉江能楽堂にて

99パーセントの混沌の中で1パーセントの光を見つけることが出来る、と福子さんは言いました。


だからこの行き場を失った世界で、そういう思いで追求してきた音を放てるということは、とても貴重で重要なのだと。


私の体力気力の限界により、自主主催ツアーはもうやりませんが、企画を誰かに一手に任せられるのであれば、日本での活動も今後も出来ることがあれば続けても良いのではないか、何故かと言うと、このような音を待ち望んでくれている人が本当に実際に日本にいるんだ、という実感を今回、初めて心から感じたからでした。



パリで学んだ生徒たちに支えられた埼玉県入間市の武蔵ホールにて。高知、多度津、高松公演は佐藤洋嗣のコントラバスとのトリオ

各地で聴きに来てくださった多くの方から「こんな次元の違うものは初めて聴いた」、「こんなに色んな音をフルートが出せるとは知らなかった」、「こんな凄いものが聴けるとは思ってもいなかった」という嬉しい感想を頂いた。


そして、パリで教えている即興アトリエの日本初上陸!四国高松で初めての試みの「即興ワークショップ」でも、子供からプロを目指す学生、大人まで、地元の先生方との協力により、世界の音とリズムを体感しながら即興入門に扉を開けました。




一から十まで決められた通りに演じ、上手く演奏するため、また人から評価されるための演奏ではなく、自分が本当に感じていることを音にできること。それこそが音楽の真髄で、その為に楽器のテクニックや音楽のスタイル、基本を徹底的に理解しなければならないのだ、ということを、私は即興という言語を通じて伝えられると思っています。


混沌として根っこを無くした現代社会では、すぐ自分の近くにそういう音を分け合える人がいるとは限らないが、これからはワールドワイドに、欲しい音を求めるもの同士が繋がって、そういう音を伝えていく時代ではないのか。



渋谷の佐藤紀雄プロデュースシリーズでは、日本在住のブルガリア人ガドゥルカ奏者のヨルダン・マルコフを迎えて。



その思いとは逆に、コロナや戦争で世界は分断、信じられないほどのインフレでますます日本への行き来は難しくなっているから、もうこれ以上無理なのではないか、と半ば腕を下ろしかけていた。でも、これまでの方法つく返して、なんとか本物の音を伝えようとしている人たちが、日本でもがいているのを目の当たりにして、私の考えも変わりました。


自分で何とかしようと躍起になるのでなく、分業って大事で、人にはそれぞれに見合った場所があり、本当の芸術の振興のためにはそれぞれが自分のやるべきことを分かって、与えられた場所で信頼し助け合うべきなのだと。


集客やチケットのシステムなども、従来の方法ではもう芸術は生き残れない局面に来ている。


だから私たちはチームになって本当の意味でインテリジェントになり、各人が知恵を絞り、現在の世界の成りたちを理解し、一方からの見方に拘るのでなく、多角的に柔軟に考えなければならない。





現代と過去の対比の美しい東京


パリでずっと考え温めてていたことが、今回日本での経験でよりクリアーになったと思います。


そのような大切なことを私に分からせて下さったのは、日本で超多忙にも関わらず、この難しい状況を打破しようと走り回って下さって、心から私たちの音楽をより多くの人たちに届けたいと、助けて下さった人たちなのです。



屋島から望む高松



現在パリに向かう飛行機の中でこれを書いています。この場を借りて、日本各地(東京渋谷の佐藤紀雄さんチーム、東京江東の金庸太さんチーム、埼玉武蔵ホールの高城いずみさんチーム、高知の佐伯北斗さんチーム、多度津の小倉英子チーム、高松の岸上美保さん、並びに大山まゆみ先生と佐柄晴代先生チーム、岸和田の吉川真澄さんチーム)での7回のコンサート企画、広報に真摯に関わって下さった方々、またご来場下さった方々に、心よりお礼申し上げたいと思います!本当にありがとうございました!!