「二つの文化の融合」
という名のプロジェクトが、今回ついにオーケストラと出会い、1回目のリハが始まりました。
タイトルには、私たちそれぞれの出自である「カリブ」と「日本」という表面上の特性と同時に、
このプロジェクトに関わるパリ10区/19区合同音楽院オーケストラの生徒たちは(高校生から大学生)、記譜音楽を解釈することに特化した、いわゆるクラシック教育を受けている。
2人の指揮者たちも、同じくクラシック出身。
マックス・シラはカリブ音楽(口伝音楽)の独学の作曲家/即興家である。楽譜による教育を受けていない。
伝統口伝音楽の分野では「即興」が自然に発生して学習のメインを占める対し、今日の音楽院教育では、即興はオプション扱い。大抵の人はやったこともない。
私はというと、フランスほどパッキリとジャンルが分かれてもいなく、多ジャンルを混ぜることに関するタブー意識みたいのがない日本という国で、19歳まで過ごした。逆に外来文化に大らかな分、色んなジャンルのルーツへの理解が曖昧、という弱みもある。__きっと民族間の亀裂を目前に見る機会があまりないからだろう__あと、すべからく社会が縦割りの権威主義で、アーチストは上の意見に牛耳られがち。
そういう権威主義が何より嫌だったので、私はパリ国立高等音楽院のクラシックフルート科に20歳で入学して、今度はフランス最高峰のエリート権威主義を、嫌というほど見せつけられることになった。で、これもやっぱりおかしいんじゃないか?と思って、またしても方向転換する。
で、今度はそういうモヤモヤを突破するキーワードとなった「即興」に特化して勉強を続ける中で、口伝音楽に出会い、インド音楽、ジャズ、ブルガリア音楽やラテン音楽、アフリカ音楽といったものを勉強し、50歳の今まで25年間演奏してきた。
だから私は日本20年とフランス30年のバイリンガルであると同時に、記譜音楽25年と口伝音楽25年のバイリンガルでもあるわけで、自分の立ち位置を誰かに説明するのは非常に面倒くさく、サッパリといかないから、あんまり説明しないことにしている。
話が長くなってしまった、、、
元に戻すと、
そんな私が、マックス・シラと共にこのプロジェクトをひょんなことから任され、互いに共鳴し、実現のためには、水と油である口伝音楽と記譜音楽をミックスすることが、大きな課題となった。
その二つの真ん中に立っているのは、どうやら私だけだった。
私「この曲の楽譜はあります?」
マックス「ないじゃよー。口伝的(オーラル)作曲なので、頭の中に全部あるだよー(仙人風に)。」
私「えー!こんな長い曲が全部頭に!ではこの録音の素晴らしいアレンジは一体誰が?」
マックス「こん時に皆んなでやった即興じゃよ。」
私「ぐぇーー!!まるで細かくアレンジ書いてあったように完璧じゃないですか!」
おいおい。もう殆どトンチに思えたが、こういう瞬間的に耳に聞こえているものを紙に移し替えられること、それこそ記譜音楽の極意なんであろう。
で、この夏はマックスの3曲、自曲3曲のオーケストレーションに挑戦した。
下拵えとして、自分のこれまでの知識を総動員させ、あの手この手を使って、何とか口伝音楽を楽譜の中にどっぷり漬け込む。
そして新学期には、古くからの親友である作曲家/ピアニストのTさんに、それらの楽譜を元に、入念にオーケストレーションのレッスンをしてもらった。
それで。記譜音楽の本当の深さ、面白さに、50歳にして開眼してしまったのですね。
プロジェクトは全曲協奏曲形態とし、私たち2人のソロイストがオケと一緒に演奏し、また即興する。
指揮者のひとり、新進指揮者として華々しくキャリアを開始したジャンヌ・ラトロンは若干25歳。でも私が記譜世界に新たに目覚めた誕生日が50歳なので、彼女の若々しい感性と全く一緒の年齢なのだと、おこがましくも思っている。
なので、私も25歳として新しくスタートすることにしました!(我ながら調子のいい奴だ)
対してマックス・シラは75歳。でもフルートを吹き始めると止まらない、即興が3度の飯よりも好き!これはもう、うちの娘と同い年の10歳だな。
実年齢なんて外側の蓑に過ぎない。この世界に生きているなら、同じ時代に生きられることに感謝して、一緒にやりたいことやればいい。
私たちの願いは3人とも同じ。元は同じ音楽な筈なのに割れてしまった異なる世界を、どのように再溶解するのか??
私が記譜方面に歩み寄った分、今度はオーケストラが口伝音楽に歩み寄る番なのです。
目の前にクリアーな道のないほど(イバラの道だな😅) 楽しみなことってありません😆
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