★小人達が笑う部屋 11月15日の記事「WILL 作:本多孝好」より引用
我が社に居る35歳を過ぎても、未だベタベタと甘えた口調で話す女子達を見ているともそっと苦労を経験して、大人になれよ…とか思ってしまうのは私だけか?(笑)さすがに35歳を過ぎれば。大人年齢だよな…とは自分でも思っているらしいのだが「可愛い、可愛い」と育った子供の末路か? それが抜けないから、見ていて悲しくなる。
そんな彼女達の学生時代は「校内暴力」の盛んな時代でもあった。もちろん彼女達が校内暴力の主導者ではない。そんな根性があったとは思えない(笑)ただ傍観し流れに身を任せていたのだろう。自分たちで何かを変えようともせずただ可愛い子でいれば、誰にも怒られず、暴力も受けずに済むのは、親で実証済みだから。
以下コメント欄より
>校内暴力で、教師とタッグを組んで戦った世代だから…リアル金八先生世代。未だに、同窓会やってるよ!先生も来る、変な社会に大声あげる事を一緒に大声あげた同志だもん。
お利口さんで、傍観者世代は良く解らんです。
>彼女達を見ていると、何か嫌なことがあるとシャッターを下ろしてしまい、見ない聞かない状態になっているみたいです確かにそれが、自分が傷つかない最善の方法かもです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50~60代が司令(上司)で、30~40代が動く(部下)立ち居地になっていると、こんな風に見られているだと知りましたが、「よく判らん」と言われると、寂しいです。
私が見聞きしているお知り合いの中での司令官の皆さんは、とってもアグレッシブ。ご自身が母であり娘であり祖母でもあって、おしゃれとも病気ともうまく付き合っている、そんな方が多いです。そういう皆さんから見たら、命令は聞くけれどもそれ以上が無い世代は、歯がゆいのでしょうね。生意気に聞こえるとは思いますが、命令を聞いているんだから、それ以上を求めないで欲しいというのが本音です。このへんが「お利口さんで、傍観者世代」となるんでしょうねぇ。
私は43歳なんですが、まだ校内暴力の残り風が吹いていた学生時代を過ごしました。毎日のように教室で机が投げられたり、止めようとした子が殴られたり、ささいな言いがかりをつけられて髪の毛を掴まれてぶたれる子が居たり、間近な暴力を本当に「恐い」と思い、関わりたくないと強く思いました。
先生と一緒に戦う発想なんて無かったです。暴力をふるって暴れる人たちも意味不明。その子たちに向き合うのに忙しい先生たちも意味不明のままでした。
私の生まれた昭和42年以降の何年かは、とても子供の数が多い年代で、1クラス45人が12クラス(高校三年時)ということもありました。なので、同じ教室の中で、殴り合っている子達が居て、トランプをしている子達が居ても、子供たちの関係は破綻しなかったんです。大人数がクッション?になっていたんですね。司令官の皆さんからすると、それが良くなかった!となるんでしょうけれども。
これを今の少人数制の教室内で同じ事をしたら、相当異常な状態ですよね?幼稚園や保育園、小学校低学年の頃から、そうやって常に全員が当事者であり続けているいまのお子さん達は、果たしてどんな大人になるんでしょうか。
昭和ひとけた世代の両親は、自分が苦労したことを子供達にさせたくない、という気持ちが強いように私は思います。なのでリンク先で満天様が、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>彼女達は皆、同じ事を言う。「親に叱られたことがない」っと…。「親に殴られたことがない」っと…。
むやみに殴ったり叱ったりしない親の元で育ったのは良かったね。っと言っておこうしかし、叱られなかったからって、良い子だったとは限るまい(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と仰っておいでなのが、よく判ります。
私は、自分の未熟さ小心さはどうしてなんだろうと?十代後半をずっと悩んでいました。両親の愛情を疑ったことは一度もありませんが、だからといって両親の育て方が全部良かったとは思っていません。それは自分が親の立場になってみて初めて判ったことですが、やはりあそこでは叱らねばならなかったのにと、思い返す事柄が幾つもあります。
”良い子”の解釈、いっぱいありますね。「親思いの優しい良い子」。実兄は独立していましたが、祖母の介護が大変な両親をみかねて家に戻り、10年後に祖母が他界した後、ニートでひきこもりになっています。介護疲れ以外の理由もありますが、結果そうなった実兄を、今となっては”良い子”とは言わないでしょう。「枠からはみ出す元気な良い子」。義従兄弟は、中卒で就職し、その後友人たちと会社を興し独立しますが、友人が資金を使い込み頓挫、借金を作り、別会社に務めながら返済しています。奥さんはお子さんを連れて離婚、今は90歳となった耳の遠い義叔母が、家事一切を引き受け一緒に暮らしています。
願わくば、親兄弟を看取って後始末をするまでは、「お利口さんで、傍観者世代」なままに、自分を守って生きようと思ってます。主人と息子達は、うん、自分たちで何とかして下さい(笑)
満天様&コメント欄の人生の先輩gaogao様、考え深いお話をありがとうございました!
我が社に居る35歳を過ぎても、未だベタベタと甘えた口調で話す女子達を見ているともそっと苦労を経験して、大人になれよ…とか思ってしまうのは私だけか?(笑)さすがに35歳を過ぎれば。大人年齢だよな…とは自分でも思っているらしいのだが「可愛い、可愛い」と育った子供の末路か? それが抜けないから、見ていて悲しくなる。
そんな彼女達の学生時代は「校内暴力」の盛んな時代でもあった。もちろん彼女達が校内暴力の主導者ではない。そんな根性があったとは思えない(笑)ただ傍観し流れに身を任せていたのだろう。自分たちで何かを変えようともせずただ可愛い子でいれば、誰にも怒られず、暴力も受けずに済むのは、親で実証済みだから。
以下コメント欄より
>校内暴力で、教師とタッグを組んで戦った世代だから…リアル金八先生世代。未だに、同窓会やってるよ!先生も来る、変な社会に大声あげる事を一緒に大声あげた同志だもん。
お利口さんで、傍観者世代は良く解らんです。
>彼女達を見ていると、何か嫌なことがあるとシャッターを下ろしてしまい、見ない聞かない状態になっているみたいです確かにそれが、自分が傷つかない最善の方法かもです。
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50~60代が司令(上司)で、30~40代が動く(部下)立ち居地になっていると、こんな風に見られているだと知りましたが、「よく判らん」と言われると、寂しいです。
私が見聞きしているお知り合いの中での司令官の皆さんは、とってもアグレッシブ。ご自身が母であり娘であり祖母でもあって、おしゃれとも病気ともうまく付き合っている、そんな方が多いです。そういう皆さんから見たら、命令は聞くけれどもそれ以上が無い世代は、歯がゆいのでしょうね。生意気に聞こえるとは思いますが、命令を聞いているんだから、それ以上を求めないで欲しいというのが本音です。このへんが「お利口さんで、傍観者世代」となるんでしょうねぇ。
私は43歳なんですが、まだ校内暴力の残り風が吹いていた学生時代を過ごしました。毎日のように教室で机が投げられたり、止めようとした子が殴られたり、ささいな言いがかりをつけられて髪の毛を掴まれてぶたれる子が居たり、間近な暴力を本当に「恐い」と思い、関わりたくないと強く思いました。
先生と一緒に戦う発想なんて無かったです。暴力をふるって暴れる人たちも意味不明。その子たちに向き合うのに忙しい先生たちも意味不明のままでした。
私の生まれた昭和42年以降の何年かは、とても子供の数が多い年代で、1クラス45人が12クラス(高校三年時)ということもありました。なので、同じ教室の中で、殴り合っている子達が居て、トランプをしている子達が居ても、子供たちの関係は破綻しなかったんです。大人数がクッション?になっていたんですね。司令官の皆さんからすると、それが良くなかった!となるんでしょうけれども。
これを今の少人数制の教室内で同じ事をしたら、相当異常な状態ですよね?幼稚園や保育園、小学校低学年の頃から、そうやって常に全員が当事者であり続けているいまのお子さん達は、果たしてどんな大人になるんでしょうか。
昭和ひとけた世代の両親は、自分が苦労したことを子供達にさせたくない、という気持ちが強いように私は思います。なのでリンク先で満天様が、
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>彼女達は皆、同じ事を言う。「親に叱られたことがない」っと…。「親に殴られたことがない」っと…。
むやみに殴ったり叱ったりしない親の元で育ったのは良かったね。っと言っておこうしかし、叱られなかったからって、良い子だったとは限るまい(笑)
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と仰っておいでなのが、よく判ります。
私は、自分の未熟さ小心さはどうしてなんだろうと?十代後半をずっと悩んでいました。両親の愛情を疑ったことは一度もありませんが、だからといって両親の育て方が全部良かったとは思っていません。それは自分が親の立場になってみて初めて判ったことですが、やはりあそこでは叱らねばならなかったのにと、思い返す事柄が幾つもあります。
”良い子”の解釈、いっぱいありますね。「親思いの優しい良い子」。実兄は独立していましたが、祖母の介護が大変な両親をみかねて家に戻り、10年後に祖母が他界した後、ニートでひきこもりになっています。介護疲れ以外の理由もありますが、結果そうなった実兄を、今となっては”良い子”とは言わないでしょう。「枠からはみ出す元気な良い子」。義従兄弟は、中卒で就職し、その後友人たちと会社を興し独立しますが、友人が資金を使い込み頓挫、借金を作り、別会社に務めながら返済しています。奥さんはお子さんを連れて離婚、今は90歳となった耳の遠い義叔母が、家事一切を引き受け一緒に暮らしています。
願わくば、親兄弟を看取って後始末をするまでは、「お利口さんで、傍観者世代」なままに、自分を守って生きようと思ってます。主人と息子達は、うん、自分たちで何とかして下さい(笑)
満天様&コメント欄の人生の先輩gaogao様、考え深いお話をありがとうございました!