【 売れる営業 】実務営業コンサルタント 島田安浩 アクト株式会社代表

「営業紙芝居×顧客LTV最大化」実践講座 
営業実務コンサルタント島田安浩が「営業で悩む人を無くす」ために情報発信

指導編 『 部下? 』

2008年01月28日 15時29分07秒 | Weblog
◆伝説の営業マン“島田安浩”が明かす、売れる道程!

No53 )指導編 『 部下? 』


土日無しで、営業して徐々に会社も軌道に乗って来ました。

ただ、悲しいかな~私の下には、部下が居ませんでした。

Tさんの下には、1人部下が居ましたが、私は一人っきりで東京2課の課長兼営業マンをしていました。

その当時は、「仕事を好きに成る、愛せるぐらいに!」って書いて机に張っていました。

そうです!仕事が嫌いだったな~!!!

でも、一応、取締役の俺が仕事を嫌々やっているのは良くないと、好きになろ~と結構無理して、書いて貼ってました。

営業をするのもそんなに好きでは無く、ただ、契約は取れるので、金を稼ぐためと言うよりも会社のために契約を取っていました。

契約が取れても、嬉しい~!と言うよりは、「これで後○○万だ~、後少しだ~」みたいな、何と無く義務感で営業していたような気がします。

そうこうしているうちに、一人、元自衛隊ってKと言う新人が、俺の課に入って来ました!ず~と一人だったので、結構嬉しかったです。

「よ~し、こいつを売れるようにするぞ!」

そんな感じで、営業指導を始めました。

丁度、築地を営業して歩き始めた頃だったので、一緒に長靴を履いて、営業したのを思い出します。

午前中に、2件契約を取って、1時半頃にチョット遅めの昼食を築地の周りのお店で取るのですが、大体、契約が午前中に決まっていたので、昼からビールを飲みながら飯を食べていました。

まあ、午後はそのまま仕事はしないで、終わり~!みたいな感じでやってました。
ん~ん!今だから言える!!って感じですね。

Tさんの東京1課は、朝から晩まで一生懸命直販していましたが、うちの課は午前中で終わっていました!

「ん~ん、御免なさい!でも、契約取ってたんでまあ良いでしょう?」

Kに対しては、以前のS社に居た時の感じで、接して育てようとしていました。

2ヶ月か3ヵ月でKは辞めて行きました。

この時は、「仕方ないな~」と言う気持ちでしたが、実は非常にショックでした!

確かに、営業向きでも無く、S社の時なら、「お前、営業向きじゃ無いから辞めろ!」って言っていたような人でした。

でも、独立して、小さな会社を立ち上げて、募集をして初めて分かるのが、そんなに簡単に良い人間は採用できないという現実でした。

S社は、急成長していましたし、TVコマーシャルもしていました。募集も毎週見開き判で出していました。しかも、株式上場までするほどの会社です。

その会社に居たので、人は簡単に入って来るって勘違いしていましたし、部下と奴隷が同類語のような感じでした。

売れない奴には、社内いじめは当たり前の気風が有りました。

でも、それが出来たのは、S社の看板が有ったから出来た事であって、今のI社では募集に来てくれるだけでもありがたい!って感じに変わっていました。

I社長が東京にいる時は、なるべく直接、面接をしていましたが、面接者が帰る時は、必ずエレベーターの前まで見送り、深々と頭を下げて見送っていました。

「何で、そこまでするんですか?」ってI社長に聞いたことが有りました。

「だって、ワザワザ来社してくれた人なので、悪い印象を持って帰って貰うより、良い印象を持って帰って貰った方が良いでしょう。その人にも、友達や親兄弟が居るので、どこで、どのようにつながっているか分からないので、来て頂いた人には失礼の無いようにしないといけないでしょう。」

と言ってました。

「確かにな~」って考えさせられました。この習慣は、今でもI社では続いています。どのお客様が帰られる時も、エレベーター前までお見送りしています。

非常に良い習慣ですが、どうせなら、来社頂いた時にも、全員で立ち上がってお迎えするようにした方がもっと良いのにな~と在社中は感じていました。(私の拠点だけは強制的にそうしていましたが、・・・社員が増えると、創業者の気持ちが徐々に伝わらなくなって行くのでしょうか・・・)

話を戻しますが、このKの退社でまた一人に成った俺ですが、一人に成ったこと以上に、Kが辞めてしまったことがショックでした!

そして、珍しく、考え込みました。

何で、俺は取締役としてI社で働いているんだろう?

何で、俺は営業しているんだろう?

そもそも、俺は何に成りたかったんだろう?

考え始めると、トコトン考えないと気が済まないたちなので、本当に考えました。

そして、小学校の時に、「俺は画家に成る!」って決めた時にまで遡りました。

「何で、画家に成りたかったの?」→「歴史に残りたかった」

「歴史に残るってどうゆうこと?」→「人々の記憶に残こること」

「記憶に残るって?」→「その人の人生を変えるような良い事をしてあげれば、その人の記憶に残る筈。」

「じゃあ、どうすれば良いの?」→「自分の為では無く、周りの人達のために貢献する。」

「と言うことは?」→「自分が売ることよりも、部下に売らせることを中心に考える!」

パラダイムシフトが起きました!

実は、俺は、部下が売っても嬉しくなかったのです。

もっと言うと、部下が売るとチョット嫉妬していました。

俺の方が、もっと良い契約が取れたはず、俺が行けば良かった!などと、表に出さないまでも心の底でそのように感じていたのでした。

つまり、俺は上司をするような人間では無く、一匹狼で、営業マンだけをするタイプで、群れのリーダーをするのが好きでもなければしない方が良いタイプだったのです!!

無理をして、今まで上司役をやって来たんだな~と感じました。

実は、このパラダイムシフトは、自転車に乗って駅に向かって走っているほんの10分程度で起きました。

でも、このパラダイムシフトのお陰で、次に入って来た部下から接し方が変わったようでした。

教え方も変わっていませんし、話し方も変わっていません!(自分では変えたつもりはないです。)

変わったのは、心の奥の気持ちだけです。

「こいつの、記憶に残れるように!」

そう思っているだけでした。

不思議なのは、それまでは、部下が契約取っても全然嬉しくなかったのが、自分の契約以上にうれしく感じるように成り、部下が昇進する時には、自然と涙が流れるようになっていました。

本当に、立っている位置が変わったんだな~と自分でも感じます。

そして、不思議なことに、社員が辞めなくなり、急速に営業マンの人数が増えて行きました!

本当に、Kには感謝してます。

若しあの時、Kが退社しなかったら、俺はそのままの気持ちで、上司のフリだけを続けたのかも知れません。

「ありがとう!」

今は心の底からそう言えます。

指導するには、まず第一に、自分ではなく、相手のことだけを考えれる心に成らないといけないと教わりました。

ただし、甘くすると言うことでは無く、その人の人生を良い方向に向かうように「気付き」を与えて行く。指導とは導くことであって、その人を変えることでは無い。

と言うか、人を変えることなんて出来ないと理解していないと間違った教育をしてしまいます。

人は、変わることはできます。

でも、それは、自分で変わるのであって、他人がその人を変えることはできません。

親でも、兄弟でも、恋人でも、夫婦でも同じです!

影響を与えることはできます。

キッカケを与えることはできます。

でも、最後はその人自身が、判断して行動するかどうかで、決まるのです。

私は、このパラダイムシフトが出来たことで、今の商売をしています。

そう考えると、Kとの出会いは私の人生を大きく変えてくれたことに成りますね~!


さて、2月も講習会を実施いたします!

22日東京で、29日大阪で開催予定です。

今回も、相談会を実施致します。(各会場、先着4名様のみ)

皆さん、お誘い合わせの上、参加下さいね。

詳しくは、こちらにアクセス下さい。(http://www.cotucotu.com/kousyukai.html)

以上、よろしくお願い致します。


ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう

が  アクト株式会社 代表取締役 島 田 安 浩
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