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No1070) 『認知症』
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■ かなり進行していました。
悲しくなってしまいました。
やはり、嫌なものです。
「どなたさんですか?」
これは、まだ良かったです。
今回は、
『無視』でした。
これが、キツイです。
嫌なものです!!
■ 以前は、親兄弟のことは分りました。
兄弟の名前を言うと、反応していましたが、
今は、自分の名前だけがやっとわかるだけです。
もう、一緒に外出も不可能です。
連れて出れる自信がありません。
「悲しい」です。
■ 母と言いながらも実の母親ではないのです、
実母の姉にあたります。
まあ、子供の頃から、
「おばちゃん!」
と、呼んでなついていた私です。
というか、私も兄も伯母夫婦の家で育てられました。
親が共働きだったので、
幼稚園、小学校、中学、高校も、
すべて伯母の学区の学校に行きました。
その関係で、本当に家以上に、
伯母の家で育てられました。
育ての親なわけです。
■ 料理上手、掃除もキチンとして、
しかも、計算が得意だったので、
婦人会の会計をされていました。
非常に、奥さまらしい奥さまでした。
それに対してお袋は、掃除も料理もダメな人でした。
特に片づけが苦手でした。
台所は、ゴミの山にすぐになる人で、
だらしない側面がありました。
電電公社に勤めていたので、
結構稼いでいました。
ただ、家事は苦手な人だったので、
私たち兄弟は、子供の頃から、
お袋の料理より、おばちゃんの料理が好きでした。
特に、正月のおせち料理は、雲泥の差があり、
おばちゃんの家に居たかったことを覚えています。
■ そのキチンとしていた伯母に痴呆の症状が出始めたのは、
65歳を越えてからだと思います。
最初は、同じ話を何度もするようになり、
徐々に曜日などを間違えるので、
自分でも、メモを取るなど気をつけていたようです。
一度、病院に連れて行こうと思いましたが、
絶対に行こうとしなくて、ダメでした。
プライドが許さなかったようです。
■ ひどくなってきたのは、75歳を越えてからだったように記憶しています。
料理をしなくなってきました。
化粧も徐々にしなくなり、風呂に入りたがらなくなりました。
まあ、まだ伯父が元気だったので、
あまり気にしないで、任せていました。
母の葬儀の時は、79歳でしたが、
まだ、兄弟が亡くなったことがわかっていました。
悲しむことも出来ていました。
悲劇が起きたのは、その4年後の年末でした。
前年の年末に帰省して、2冊目の本の執筆を
していました。
伯父も元気で、一緒にビールを飲んだりし、
孫の相手もしてくれていました。
伯母はあまり料理はしませんでしたが、朝食は作っていました。
ただ、風呂には入ろうとしませんでした。
私や、伯父、孫のことはなんとなくわかっていました。
気になっていたので、毎月、電話をするようにしていました。
一応、確認していたので、安心していたのですが、
それが、まずかったです。
11月末に伯父と話した時、少し様子がおかしかったですが、
まあ、大丈夫だろうと、軽く考えていました。
なんか、TVを購入したようで、その設置の電話と
私の電話を間違えたようでした。
まあ、TVを買えるということは大丈夫と判断し、
年末に帰ればイイかな~と思っていました。
12月に入って年末に帰る話をしました。
その時は、問題無かったです。
そして、家に戻る一週間前に、車の件で電話をしました。
すると、電話の受話器が外れている状況でした。
伯母は、分らないとしても、伯父は分るはずなので、
NTTに連絡して、警報を鳴らして貰いました。
それでも、受話器が直らないままでした。
すぐに親戚に電話して、見に行ってもらうと、
伯父が倒れ、伯母はこたつポカンとしていたようです。
伯母に、伯父はどうしたかと尋ねると、
「寝ている」と返事をしたようです。
かなり、弱っていたので、すぐに救急車を呼んで、
緊急入院させました。
危篤状態でした。
すぐに帰省すると、ミイラのようになっていました。
たぶん、心臓かなんかで倒れ、そのまま放置され、
一週間程度経過したようでした。
「失敗した!」
伯父が倒れることは考えていなかったので、
伯母が多少痴呆症でも大丈夫と勝手に思っていました。
まさか、伯父が倒れると、それを放置するというのは、
考えると、痴呆なので仕方ないことですが、考えが及びませんでした。
■ それから、はじめて市役所の担当者や、
介護関係の方たちと話しをしました。
話を聞いて、もっと早く、ヘルパーを頼んだり、
食事を頼めばよかったと後悔しました。
そうすれば、まだ、伯父も健在だったかもしれません。
まあ、後悔というのは、後になってからするものです。
その時には、分らないものです。
あれから、3年半経過して、
介護施設で暮らしている母は、
自分の名前だけがどうにかわかるまで、
進行してしまいました。
後になって、病院で確認すると、
70歳を過ぎたころから、
認知症の薬を処方してくれていたようです。
それでも、進んでいくんですね、…・
綺麗好きで、料理上手な、伯母はもういません。
顔かたちは一緒ですが、別の人です。
なんか、本当に悲しくなります。
特に、今回の表情は嫌でした!
怒ったような表情で、ずっと遠くを見ている感じで、
どんなに話しかけても、表情が和らぐことは
無かったです。
認知症、… 怖い病気です。
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【売れる営業マン育成実践会 主宰 島田安浩 】
***************************************************
アクト株式会社 代表取締役 島田 安浩
電話049-256-9421 FAX049-256-9431
URL:http://act-no1.com(会社)
http://www.act-no1.com/fc/(FC)
http://www.cotucotu.com(コンサル)
http://www.renta525.com/(レンタ525)
メールマガジン http://www.mag2.com/m/0000246022.html
【 売れる営業マンの常識非常識 】
No1070) 『認知症』
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■ かなり進行していました。
悲しくなってしまいました。
やはり、嫌なものです。
「どなたさんですか?」
これは、まだ良かったです。
今回は、
『無視』でした。
これが、キツイです。
嫌なものです!!
■ 以前は、親兄弟のことは分りました。
兄弟の名前を言うと、反応していましたが、
今は、自分の名前だけがやっとわかるだけです。
もう、一緒に外出も不可能です。
連れて出れる自信がありません。
「悲しい」です。
■ 母と言いながらも実の母親ではないのです、
実母の姉にあたります。
まあ、子供の頃から、
「おばちゃん!」
と、呼んでなついていた私です。
というか、私も兄も伯母夫婦の家で育てられました。
親が共働きだったので、
幼稚園、小学校、中学、高校も、
すべて伯母の学区の学校に行きました。
その関係で、本当に家以上に、
伯母の家で育てられました。
育ての親なわけです。
■ 料理上手、掃除もキチンとして、
しかも、計算が得意だったので、
婦人会の会計をされていました。
非常に、奥さまらしい奥さまでした。
それに対してお袋は、掃除も料理もダメな人でした。
特に片づけが苦手でした。
台所は、ゴミの山にすぐになる人で、
だらしない側面がありました。
電電公社に勤めていたので、
結構稼いでいました。
ただ、家事は苦手な人だったので、
私たち兄弟は、子供の頃から、
お袋の料理より、おばちゃんの料理が好きでした。
特に、正月のおせち料理は、雲泥の差があり、
おばちゃんの家に居たかったことを覚えています。
■ そのキチンとしていた伯母に痴呆の症状が出始めたのは、
65歳を越えてからだと思います。
最初は、同じ話を何度もするようになり、
徐々に曜日などを間違えるので、
自分でも、メモを取るなど気をつけていたようです。
一度、病院に連れて行こうと思いましたが、
絶対に行こうとしなくて、ダメでした。
プライドが許さなかったようです。
■ ひどくなってきたのは、75歳を越えてからだったように記憶しています。
料理をしなくなってきました。
化粧も徐々にしなくなり、風呂に入りたがらなくなりました。
まあ、まだ伯父が元気だったので、
あまり気にしないで、任せていました。
母の葬儀の時は、79歳でしたが、
まだ、兄弟が亡くなったことがわかっていました。
悲しむことも出来ていました。
悲劇が起きたのは、その4年後の年末でした。
前年の年末に帰省して、2冊目の本の執筆を
していました。
伯父も元気で、一緒にビールを飲んだりし、
孫の相手もしてくれていました。
伯母はあまり料理はしませんでしたが、朝食は作っていました。
ただ、風呂には入ろうとしませんでした。
私や、伯父、孫のことはなんとなくわかっていました。
気になっていたので、毎月、電話をするようにしていました。
一応、確認していたので、安心していたのですが、
それが、まずかったです。
11月末に伯父と話した時、少し様子がおかしかったですが、
まあ、大丈夫だろうと、軽く考えていました。
なんか、TVを購入したようで、その設置の電話と
私の電話を間違えたようでした。
まあ、TVを買えるということは大丈夫と判断し、
年末に帰ればイイかな~と思っていました。
12月に入って年末に帰る話をしました。
その時は、問題無かったです。
そして、家に戻る一週間前に、車の件で電話をしました。
すると、電話の受話器が外れている状況でした。
伯母は、分らないとしても、伯父は分るはずなので、
NTTに連絡して、警報を鳴らして貰いました。
それでも、受話器が直らないままでした。
すぐに親戚に電話して、見に行ってもらうと、
伯父が倒れ、伯母はこたつポカンとしていたようです。
伯母に、伯父はどうしたかと尋ねると、
「寝ている」と返事をしたようです。
かなり、弱っていたので、すぐに救急車を呼んで、
緊急入院させました。
危篤状態でした。
すぐに帰省すると、ミイラのようになっていました。
たぶん、心臓かなんかで倒れ、そのまま放置され、
一週間程度経過したようでした。
「失敗した!」
伯父が倒れることは考えていなかったので、
伯母が多少痴呆症でも大丈夫と勝手に思っていました。
まさか、伯父が倒れると、それを放置するというのは、
考えると、痴呆なので仕方ないことですが、考えが及びませんでした。
■ それから、はじめて市役所の担当者や、
介護関係の方たちと話しをしました。
話を聞いて、もっと早く、ヘルパーを頼んだり、
食事を頼めばよかったと後悔しました。
そうすれば、まだ、伯父も健在だったかもしれません。
まあ、後悔というのは、後になってからするものです。
その時には、分らないものです。
あれから、3年半経過して、
介護施設で暮らしている母は、
自分の名前だけがどうにかわかるまで、
進行してしまいました。
後になって、病院で確認すると、
70歳を過ぎたころから、
認知症の薬を処方してくれていたようです。
それでも、進んでいくんですね、…・
綺麗好きで、料理上手な、伯母はもういません。
顔かたちは一緒ですが、別の人です。
なんか、本当に悲しくなります。
特に、今回の表情は嫌でした!
怒ったような表情で、ずっと遠くを見ている感じで、
どんなに話しかけても、表情が和らぐことは
無かったです。
認知症、… 怖い病気です。
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