いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

続・アマチュアらしさ?

2006年12月07日 20時45分24秒 | 俺のそれ
正式版が出た模様。
変わっている部分もたくさんあるね。

OhmyNews佐々木俊尚さん、本当にそれでいいんですか?

『だいたいにして、佐々木さんのエントリを支持する声が、まず「オーマイニュースなんて始めからみてないけど」と前置きするような人たちから多く出ていることを佐々木さんはどう考えているのか。オーマイニュースをよく知る人々からではなく、あまり興味を持っていない人が主に佐々木さんのエントリを支持していることに。』

と音羽氏はリンク先の記事に書いている(校正前の記事はなかったと思う)のですけれど、前置きしてるのは私もですが、何か?(笑)
(参考までに、上記引用部分の『始めから』というのは『初めから』の誤変換と思う)

「私には全く無縁であったオーマイニュースであるが、ふとした記事を発見したので、感想を書いておこう。」
って、書いちゃったので。

まあ単なる偶然だろうと思うけど。ウチは所詮「寂れブログ」ですので。
読まれてはいないと思うし、きっと他のたくさんの人々が「前置き」していたのでしょう。


アマチュアらしさ?


一応言っておきますと、私は佐々木氏のエントリの支持なんて表明していないし、前の記事の何処にも「佐々木氏が正しい」みたいなことは言ってない(佐々木氏の記事も同じく興味の対象というほどのものでない。そういうことがあったのか、くらいにしか読んでいなかった)。音羽氏の「書いた内容」だけで判断しているし、「腐った内輪」の人々のことの評価もあまり関係がない。純粋に書き手(=音羽氏)の訴えている中身について、疑問を述べたまでである。音羽氏が有名かどうか、どこの「腐った内輪」とバトルを繰り広げてきたのか、そういったことは一切関係なく、書かれている中身について私自身の評価というか、感じたことを率直に書いたに過ぎない。


音羽氏は「オーマイニュース」を読むのが「初めて」という読者なんかがやってくるかもしれない、とか、全く想定していないのですね。それまでの細かい「バトル」の経緯を全部熟知していて、誰が何て言ったとか、書いたとか、いちいち正確に経過を辿ってバトルの核心に迫ったりするものである、という思い込みか、勘違いをしているのではなかろうか。彼にとっての「対戦相手」は「腐った内輪」とか「佐々木氏」とかなのかもしれないが、彼が守ろうとしているのは何だろうか?彼は何処に向かって記事を書いているのであろうか?それは、いつ訪れるか分らない、普通の読者ではないのか?


熱烈な音羽信者ばかりがやってくるとか、「腐った内輪」の手先の「匿名工作員たち」ばかりとか、そういうのをメインにしてニュースを展開したければ、そうすればいいだけの話であって、通りすがりの私があれこれ口出しするようなことでもないですから、ご自由にどうぞ、とは思う。

別に誰が悪いとか正しいとか、間違ってるとか、そういうことではなくて、普通に考えれば「ニュース記者」という役割をやっていこうというのであれば、「それなりの心構え・態度」というのは求められて然るべきではないですか、その為には「質を高めること」「意図を正確に伝える努力」というのが最重要課題ではないですか、と書いただけである。


批判という段階にさえも行かないとは思うが、「アマの同好会」というのは、読者を見ていない、ということなんですよ。相手を見ていない。自分(たち)の為に、或いは自分たちが「属する組織=オーマイニュース」の為に記事を書いているのですよ。それが、アマらしいって言ってるのです。プロは違うと思いますよ。相手の為に、良い仕事をしようとする。顧客の為に仕事をする。書き手であれば、読者に向かって書くのではないか。

そういう部分に「違和感」を感じるからこそ、記事にしたまで。


もう一度前の記事に書いたことを再掲する。



ただ単に「基地反対というのは間違っている!反対のシュプレヒコールは不快だ、そういう腐った活動グループは排除され、消えればいい」と言うだけでは、あまり理解は得られないのではないでしょうか。説明しない、ということを選択するのは自由ですので、それでもいいでしょうが、双方ともに前進はなく、紛争はただ続いていくだけのような気がします。

この様子を黙って見ている人たちは、どのような評価をして、どのように考えるでしょうか。




まずは、自分たちの記事をわざわざ読みに来て下さる大勢の読者の方々に、「自分たちが何ができるか」「今まで何をしてきたか」、よく考えてみた方がいいと思うよ。考え方や精神をプロに近づけるように、「真似」から入ってみるのも一つかもしれないし、泥沼の中で這いずり回りながら独自のものを築いてもいいけど、時間が間に合わなければ「独自で会得」する前に消滅するのみだろうね。どの選択をするのも、オーマイ記者さんたちの自由です。



やっぱり美味いビールが飲みたいのさ

2006年12月07日 19時18分35秒 | 社会全般
本当はビール好きが多いんだよ、やっぱり。
古くからご愛読頂いている皆様ならば、私がビール好きであることも、告白した通り「エビス」が好きであることもご存知かと思います(笑)。

参考:暑くて・・・


ですが、飲めるのであれば、他のビールでもOKですよ、勿論。発泡酒や第三のビールはご法度ですけど。
私にプレゼントしてくれる場合には、即座に申し出て下さいね。
特に、>ビールメーカーの方々どの(本気で超期待!)


Yahooニュース - 毎日新聞 - <高級ビール>なぜ今「プレミアム」?お歳暮商戦の目玉に

記事より一部抜粋。

「プレミアム」の冠が付いた高級ビールが売れている。国内の大手ビール会社が相次いで新製品を投入し、お歳暮商戦の目玉に。なぜ今、プレミアムビールが注目を集めるのだろうか。【野島康祐、高橋昌紀】

 ◆大手4社出そろい
 先月22日、キリンの「ブラウマイスター」とサッポロの「琥珀(こはく)ヱビス」が同時に発売された。大手4社の新プレミアムビールが出そろった。
 プレミアムとは、英語で「高級な、高価な」の意。従来のビールより値段が1、2割高く、小売価格で240~250円台(350ミリリットル)。第3のビールの2倍近い。原料の麦芽、ホップはドイツ、チェコなどから最高級品を厳選。各社各様に味わい深く、缶入りでも「高級感」が味わえる。
 人気の先駆けとなったのはサントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」(01年発売)。世界的な酒類コンテストの「モンドセレクション」ビール部門で昨年、日本初の最高金賞を受賞した。生産が追いつかず、今月から生産工場を1カ所増やし、4工場体制とした。
 続いたのがアサヒビールの「プライムタイム」(今年6月発売)。同社は「ゆとりのある極上の時間を提供したい」。キリンの「ブラウマイスター」は、ドイツに留学経験のある醸造職人7人が手がける。13年前から業務用と一部の缶でも限定販売していたが、「いつでも自宅で飲みたい」との要望に応えた。
 「琥珀ヱビス」は来年初めまでの限定販売(40万ケース)で、赤みがかった色とこくが特徴。そもそも金色の缶の従来型ヱビス自体が国産高級ビールの代表格。担当者は「ヱビスというブランドで、新しいビール文化を発信したい」と話す。

 ◆なぜプレミアムか
 少子高齢化や焼酎ブームの影響で従来型ビールや発泡酒の売れ行きが鈍る一方、景気回復もあってプレミアムは年々伸びている。市場調査会社、富士経済の調べでは、今年の従来型ビールの予想出荷額は前年比0.6ポイント減の1兆4134億円なのに対し、プレミアムは同23.5ポイント増の783億円。総売り上げは従来型に及ばないが、同社は「平日は安いビールや発泡酒ですますが、週末は少しリッチな気分でプレミアムを飲む人が徐々に増えている」と分析する。
 サントリーのテレビCMがきっかけで誕生したプロ野球OB球団を率いる大沢啓二さん(元日本ハムファイターズ監督)は義理堅く、チーム名にもなった「ザ・プレミアム・モルツ」一筋。「現役時代ほど飲めなくなったけどね。だからこそ高品質のビール。少量でも、うまいビールが飲みたいんだよ」と語る。
 百貨店の日本橋タカシマヤ(東京都中央区)のお歳暮売り場でも、プレミアムの箱詰めセット(3000~5000円)が好調で、お中元商戦と比べても5割増という。




ほらね、ほらね、プレミアムビールは好調だってさ。

これは誰のお陰だと思っているの?
過去2年以上に渡って、こんだけ「ビールを飲もう広報」活動したのに、何の恩恵にもあやかれないとは・・・・トホホ(嘘です)


まあ、冗談はさておき、各人好みというものがございますので、お好きなものを飲むのが一番かと存じます。でも、時にはちょっとお高目のビールなども試してみるといいかもしれません。ワインなどの高級品と比べますと、僅かな出費でちょっぴり贅沢な気分に浸れますよ、きっと。

参考までに、私はワインの味については、全くの音痴でございます。何を飲んでも全く判りません。白、赤くらいの区別なつきますけど(笑)。


安酒は翌日が辛いので、大抵わかります。種類に関係なく。ワインも日本酒もウイスキーも。残る。所謂「宿酔い」の感じになるね。頭痛というか、頭が重いのね。脳ミソの「芯」の辺りが、ズーンと重たくなったみたいな。


でも、いい日本酒だとあたかも水を飲むようで、スイスイ入っていくし、結構飲んでも翌日まで残ることはほぼありません。頭痛などが全くないのですよね。これは不思議なんですが。まあ単なる経験から見た、個人的印象なのですけどね。

元々酒が好きという程でもないので、利き酒もできないし、のんべえ(注意!:似たような人名と見間違えなきようにお願い致します)ではないのですけどね。家ではビール以外殆ど飲まないし。そうは言っても、季節的に飲み会の機会が増加している為、あれこれと飲んではいるのですが(笑)。



道路で未来は拓けるのか

2006年12月07日 13時51分20秒 | 政治って?
道路特定財源問題の目鼻はついたようだが、依然として反対派の強硬姿勢は残っている。
道路、道路、道路・・・・前と同じだな。

「地方切り捨てだー!」
「道路がなければ物流が云々~だー!」

未だにバカバカしいことしか言わない連中がいることが不思議だ。

安倍総理の指示はまともだぞ。


日本自動車工業会等の「正論」をぶつけてくるのは分るが、そういうことを数十年続けてきて、まだ目が覚めないのか?そうやって、談合なんかの温床やら、あれこれと利権を温存してきたのではなかったか。そういうシステムを子孫に残しておきたいと本当に心の底から願っているのか。もしもそうだとすれば、そういう年長者の方々たちが残した大きな負債で、日本の未来を潰しかねない、ということを肝に銘じるべきだろう。自動車会社のお偉いさんたちが総出で「反対」運動をやっていれば、そりゃ、「反対派」も勢いづくわな。

社会の為にどのように考えていくべきなのか、経済界のお偉いさんたちこそ、よく意見交換なんかをやった方がいいよ。御手洗さんとか、関連業界団体の方々と、一般財源化への論客なんかを集めて、徹底的にディベートなんかをやってみたら?まず、政治抜きで、「本当にどうしていったらいいか」ってことを考えてみるべきだ。公開討論会を開催せよ。国民にそれを見せるべきだ。誰が「道路があれば、皆さんの生活がこんなに良くなる」とか言っているのか、それはどこの会社の人か、ハッキリと示した方がいいよ。


地方で生活していると、都市のような便利な公共交通が発達していない。なので、自然と自家用車の依存度は高くなる。それはそうだろう。一家に一台どころか、複数所有者もいることもあるし。なので、道路網というのは「必要」だ。これはそうだろう。

だが、郵便配達の人たちが到達できないとか、宅配便も届かないとか、陸運が途絶えているような地域はどれくらいあるのか?離島等の特殊な場所は除いて、陸続きになっているのに、「陸の孤島」みたいな場所はどれくらいあるのか?まず、そういう所をきちんとピックアップしてみた方がいいよ。そんな場所が本当に日本全国に多数あるのか?私の個人的推測ですが、そういう場所は殆どないと思う。

続いて、国道・県道程度の幹線道路のうち、未舗装区間は何kmくらいあるでしょうか?砂利道で年間に度々通行止めになり、通過障害となっているような地域はどれくらいありますか?これも、そんなには多くないと思う。人口数千人規模の村落があるような場所へ通じる道路で、そこが閉鎖されると交通路が遮断されてしまうような地域はどれほどあるでしょうか?これも、無いとは言えないかもしれないが、滅多に存在しないと思う。


道路が悪くて、生活や経済活動に大きな支障を来たすような状況であれば、「優先的に整備」するというのは考え方として有り得ると思う。拡幅工事にしても、車がすれ違えないような「1車線」であれば意味はあるかもしれないが(ただその交通量がどの程度なのか、ということもある、1日に一回すれ違うかどうか、という道路もあるだろう)、上下1車線あるのを「片側2車線」にすることの重要性というのはあまり多くはないだろう。それを「中央分離帯付きで、立派な街灯も付けて、両脇には花壇なんかの植え込みや街路樹も付けて、両側2車線にしてくれ」というのをどんどんやっていく、ということは難しいだろう。混雑や渋滞緩和というのを考える必要がある場所もあるかもしれないが、優先度はどの程度あるか考えものであろう。

もしも道路の整備を行うことで渋滞が大幅に緩和されて、投資効果が極めて高いのであれば、やる意味はある。だが、田舎に立派な道路を作ることで、「輸送時間短縮」とかが達成できたとして、その投資効果がどれ程期待できるであろうか。制限速度はあるのだから、それで走行可能なのであれば、「道路が拡幅されたお陰で、従来1時間かかってたのが57分になった」という程度の改善で終わるかもしれず、そうであれば、あまり意味のあることとは思えない。道路の拡幅を行ったからといって、人々の往来が増えたり産業活動が活発になったりして、通行量が数倍に増えたりする訳でもないので、「道路整備すれば地方が豊かになる」なんてことはないのだ。


道路という公共投資を広く行うことで、国民生活はどの程度改善され豊かになるのか。そういう部分をよく考えた方がいいと思う。過去には土建屋だとか建設関連で潤う面もあったし、雇用面でも意味はあったろう。だが、これを長く続けると、より生産性の高い仕事へのシフトは起こりにくくなっていくのではなかろうか。昔の炭鉱みたいなものだ。炭鉱を維持せよ、というのは無意味ではないが、それを長くやり続ければ、いずれは行き詰まるだろう。そういうようなものだ。需要が多くないのに、土木・建設部門に多くの人員や資源などが投入されてしまう。それを無理にでも維持しようと思えば、談合みたいな分配システムが生まれ、優先順位の低いようなものであっても公共事業が必要だ、みたいなことになってしまう。所謂「ハコモノ」とか「道路」なんかに予算が集まってしまう。いつまでそういう体質を維持するのか、ということが問題にされているのである。


これといった産業のない地方だと、産業や雇用を新たに生み出そう、ということのハードルが高いことは確かだ。だが、斜陽産業に多数の人々がしがみついて、少ない利益を多数で分配するよりも、数は減っていくことを覚悟して、もっと別な分野に移行していく方が望ましいであろう。田舎に立派な橋や道路を作ってもらえば、そのいっときは「工事関連」で金が入ってくるが、長くは続かないだろう。いずれまた同じように行き詰まるのだ。そうであるなら、もっと「継続的に」金を生み出し、利益が入ってくるような仕組みを真剣に考え、作っていくしかないだろう。もっとソフト分野に目を向けるべきだ。


いつものことなのだが、また変な喩えで申し訳ないが、「道路、道路」といい続けることのオカシサを表現してみよう。

今、カブトムシを飼うことにしたとする。まず「立派な飼育箱」を用意する。できるだけ数をたくさん飼えるようなヤツがいい、ってことで、予算をしっかりかける。次に、一等品のオガクズみたいなのとか、止まり木もカブトムシの一番好きな天然木で一流の彫刻師に用意させ、蜜も最上級品を大量に買い、1年分は用意する。「さあ、カブトムシを飼って下さいな」ということで、「出来上がり」なのです。

◎じゃあ、カブトムシは何処に?・・・・

と、なってしまうのですよ。
初めから、カブトムシなんて何処にもいなかったのですよ。想像の中にしか存在しないカブトムシを飼う為に、ゴージャスな飼育箱一式を整備してるようなもんですね。その飼育箱一式を与えられた地方の人々は、費用の一部の請求書なんかがコッソリ回されたりしているかもしれない(妄想だけど)。

◎誰もカブトムシの飼い方を知らない・・・・

運良くカブトムシを手に入れたとしても、誰も飼い方を知らないのです。立派な飼育箱一式とかはある。蜜もある。でも、「どうやってそれを使ったらよいか」「どうすれば継続的にカブトムシを飼育できるか」ということを知らないんですよ。それなのに、「まず飼育箱一式を用意しないと」と信じ込んでいるようなものです。


頭を切り替えて、同じ費用をかけるのであれば、昔コオロギを飼うのに使った「ボロい」飼育箱で代用してみるとか、蜜も高級品は飼えないので、食べ残したスイカの皮の部分を与えるとか、止まり木は雑木林に行って拾ってくるとか、いくらでも可能なのですよ。で、カブトムシの飼育方法を知らないのであれば、「飼育・観察法」の本を買って「知恵を付ける」ことに一番お金を使った方がいいのです。本命の「カブトムシ」は、何処で獲れるか調査したり、実際に「カブトムシ捕獲」に出かけたりして獲ってきたりすることにお金をかけた方がいいのですよ。もしも捕獲できないのであれば、「ツガイ」で購入するかもしれないが、カブトムシ本体にお金を使う方がいいのです。ところが、「立派な飼育箱を購入しなければカブトムシを飼育できないんだー!」と強硬に主張するのは、本末転倒なのです。


いつまで経っても「カブトムシの飼育方法」というソフトの方向に目を向けられないのです。飼育箱購入に関連する予算割当てを期待してしまって、目先の利益の囚われているのです。飼育箱からは「大した利益は生み出されない」のですよ。それよりも、カブトムシのツガイを上手く育てて、数を増やしたりすれば、もっと利益を生み出すかもしれない。大事なのは、カブトムシや飼育方法なのです。入れ物とか、飼育キットではない。飼育する為に絶対必要なものであれば、確かに「いいオガクズ」とかあった方がよいが、それはまずカブトムシがいることが先決だ。なのに、カブトムシは何処にもいないにも関わらず、入れ物だの蜜だのに、大金をかけるのですよ。そんなものに金をたくさん使うくらいなら、「どうやったらカブトムシをうまく飼育でき、数を増やせるか」ということを「教える」ことにお金を使った方がいいのです。人的資源に投資した方がいいと思うのですよ。それには「未来」や「可能性」があるのだから。


更に言えば、人間が最低限(ひょっとしてそれ以下?とか)の生活を強いられているというのに、カブトムシの飼育箱にお金をかけるという感覚がそもそも外れていると思うのですよ。まず人間の最低水準はきっちり確保するべきで、その財源すら困っているのに、なんでカブトムシに「最上級の蜜」なのか、ということですよ。


インフラ整備は必要だし、(賃金水準や工事費が)安くできる時期にやっておくことに意味はあるかもしれないが、それをいつまでも当てにしていてはどこかで行き詰まるだろう。公共投資は必要だが、過剰に行うのが問題なのだ。利用可能で、既にあるものについては、投資の優先順位は下がっていくハズである。


真に困っている人々は、アスファルトよりも、まず米や電気や医療を求めているのである。