将棋連盟の女流棋士独立問題に関連した話題です。
macska dot org Blog Archive 「日本将棋連盟から女流棋士会が独立」報道を巡って
ここで、将棋の能力が性差にどの程度影響されているのか、ということが出てきます。これについてちょっと考えたいと思います。
あくまで素人談義ですので、ご了承下さい。
まず、脳科学者が言う「空間認識能力」云々という話ですが、これって将棋の能力と直接的に関係が深そうには思えないんですよね。「男性と女性の脳には、”生まれつき”性差があるのか?」という問いには、「ある」という答えにはなると思うが、「将棋の能力に性差があるか?」には、やはり「判らない」ということになるんじゃないでしょうか。「空間認識能力の性差がある」ということが、「将棋脳力」(笑、イマドキ風な感じで呼ぶと)の差を意味しないでしょうね。
もしも、「将棋の能力に違いがあるのは、性差の影響が出てるんでしょうか?」という問い方をした時に、「空間認識能力云々」という説明をしたのであれば、この学者さんは将棋自体をよく理解していないとか、考える道筋に誤解があるように思えるが、どうなんでしょうか。或いは、ひょっとすると漫画の『シュート!』の愛読者で(笑)、多大な影響を受けていた、とか(多分違うと思うけど)。
<この漫画の中で、主要な登場人物に平松というのがいるが、彼が父親と将棋をする場面があり、空間認識能力云々の解説も色々と出てきたように記憶しているが・・・・フラッシュパスの考案者でもあり医師でもある父親だったのが幸いしたのではなかったかな。昔読んだので詳細は忘れた>
将棋というのは、どちらかと言うと、答えから逆算していくようなイメージがあり、わかり易く言えば「王」を討ち取るという答えはハッキリしていて、そこに近づく為の可能なパターンを探す作業のようなものではないのかな、と。即詰みの局面なんかは、割と明確にそれが出てくるように思えます。それとも、「ウソをついている証言者が1人いる」という時の犯人探しのクイズみたいな、推論の問題に近いイメージです。単純なのは「捨て駒」ですよね。「ある状態」を実現できればよい、という条件が判っていれば、その状態を達成する為にワザと「捨て駒をする」ということですので。
そういえば、コンピュータソフトが強いのは詰みの局面で間違ったりしないことで、それは計算することで可能になるということでもあり、数学(?、計算?)に近いということだろうと思います。なので、将棋に必要なのは、空間認識能力というよりは、どちらかというとプログラムみたいな論理的思考ではなかろうか、と思います。サッカーをするのであれば、空間認識能力が求められるというのも理解できますけどね。
男性と女性の脳に生まれつきの違いが存在している、というのは日常生活の中でも感じることがあります。例えば、脳梗塞とか脳出血の後遺障害で「失語症」というのがあります。言語野は大脳の左脳に主に存在しており、こちら側の脳に損傷を受けて障害が残る(体では右半身マヒというような症状です)と、失語症(或いは言語障害)が見られることがあります。右半身マヒとなっている人に出会うと、男性であれば多くが言語障害を有しているのですが、女性になると重度の言語障害とか完全失語症はやはり少ないイメージですね。元々の脳機能に男女差があるからだろうと思いますね。
以前に女流の囲碁棋士の(話題を取り上げたことがありますが、囲碁では女流棋士であってもかなり強くて、男性棋士にも普通に勝ちますね(通算成績でどうなのかは知りませんが)。アマが相手であれば、それが最強アマのクラスであっても、女流棋士には殆ど勝てないでしょう(ハンディを勘案した、置き碁なら別と思いますけれども)。それ位プロとの差があるかと思います。単純に女性だから弱い、などということは言えないように思えます。将棋と囲碁というゲーム性の違いがあるのかもしれませんけれども。個人的印象では将棋よりは囲碁の方が、男女差がないように思えますね。
この理由は判りませんが、ひょっとすると将棋の方が序~中盤の定量的評価が難しいのかな、と思います。囲碁の場合だと、所謂「地」(=自分の獲得した陣地・領地の数というか面積)を数的に数えることがある程度可能ですので、定量的に評価しやすい面があるかもしれません。将棋だと、どちらが有利なのか、進行状況の選択で良かったかどうか、というのが数字のようには計れず分りにくい、ということかもしれません。それと、囲碁では「白・黒」の2種類ですので、「イメージング」の効果が大きいのかもしれないです。数手~数十手進んだ局面がパッと写真みたいにフラッシュでイメージしやすいのかも。今は置かれていない石が数個~数十個置いた局面が、瞬間的というか短時間で見えるということです(脳内ですけど)。そういう部分が将棋よりは大きいのかもしれません。
これと関連して、女性の場合、ちょっと出会った男性や女性の身なりとか持ち物なんかを一瞬のイメージで捉えたりすることができ、男性よりもその能力は大概高いと思います。でも、男はそういうのが不得意で、後から「女性の靴はどんなのだったか?」「ハンドバッグの色と形は?」「服装はどんなのだったか?」とか聞かれても、殆ど答えられないような有様ですからね(ほら、推理モノの証言なんかでもよく怪しまれるでしょ?)。そういう女性の能力が活かしやすい、という部分が多いのは、囲碁の方なのかな、と。
まあ、結論としては、将棋の能力に「性差」があるかは不明であるし、女性は向かない、とかっていうこともよく判らないでしょう。脳の機能のうち、「空間認識能力」と将棋の能力との関連は弱そうな気がします。
更に言えば、仮に将棋には性差が存在し、男性より女性は向かないとしても、女性は将棋をしない方がいい、とか、女流のプロ棋士は必要ない、とか、そういうことにはならないでしょうね。そんなことを言うのであれば、女性のマラソン選手とか、プロゴルファーとか、女性のサッカーもヤメレ、というのと同じようなものです。やりたい人たちがいればどんどんやった方がいいし、プロを作りたい、という人たちがいるなら作ればよいことであって、それを否定する方がオカシイでしょうね。もっと言えば、女流棋士に負ける男性は世の中の大半(というか圧倒的大多数)なのであり(つまり、将棋という種目においては劣っているということでしょうか?笑)、女流が男性プロ棋士には中々勝てない、ということが一般的な男女の脳における能力差を意味するものでも何でもない、ということは当然です。
女流棋士には女流棋士の良さがあるし、普及活動とかレッスンとか、色々な面で男性よりもずっと活躍できる場面もあると思います。朝日・毎日の契約問題とか、独立問題なんかで紛糾が続く将棋連盟ですが、体制立て直しをしっかりとやった方がいいと思いますね。女流の方々も独立となれば大変でしょうが、地道に頑張って欲しいと思います。
(*以前のユニセックストイレの記事の後、暫くして補足記事を拝見しました。こちらからTBしていなかったのですが、お気づき頂き有難うございました。特にパニックを起こしたわけではございませんので、どうぞご安心下さいませ。笑)
macska dot org Blog Archive 「日本将棋連盟から女流棋士会が独立」報道を巡って
ここで、将棋の能力が性差にどの程度影響されているのか、ということが出てきます。これについてちょっと考えたいと思います。
あくまで素人談義ですので、ご了承下さい。
まず、脳科学者が言う「空間認識能力」云々という話ですが、これって将棋の能力と直接的に関係が深そうには思えないんですよね。「男性と女性の脳には、”生まれつき”性差があるのか?」という問いには、「ある」という答えにはなると思うが、「将棋の能力に性差があるか?」には、やはり「判らない」ということになるんじゃないでしょうか。「空間認識能力の性差がある」ということが、「将棋脳力」(笑、イマドキ風な感じで呼ぶと)の差を意味しないでしょうね。
もしも、「将棋の能力に違いがあるのは、性差の影響が出てるんでしょうか?」という問い方をした時に、「空間認識能力云々」という説明をしたのであれば、この学者さんは将棋自体をよく理解していないとか、考える道筋に誤解があるように思えるが、どうなんでしょうか。或いは、ひょっとすると漫画の『シュート!』の愛読者で(笑)、多大な影響を受けていた、とか(多分違うと思うけど)。
<この漫画の中で、主要な登場人物に平松というのがいるが、彼が父親と将棋をする場面があり、空間認識能力云々の解説も色々と出てきたように記憶しているが・・・・フラッシュパスの考案者でもあり医師でもある父親だったのが幸いしたのではなかったかな。昔読んだので詳細は忘れた>
将棋というのは、どちらかと言うと、答えから逆算していくようなイメージがあり、わかり易く言えば「王」を討ち取るという答えはハッキリしていて、そこに近づく為の可能なパターンを探す作業のようなものではないのかな、と。即詰みの局面なんかは、割と明確にそれが出てくるように思えます。それとも、「ウソをついている証言者が1人いる」という時の犯人探しのクイズみたいな、推論の問題に近いイメージです。単純なのは「捨て駒」ですよね。「ある状態」を実現できればよい、という条件が判っていれば、その状態を達成する為にワザと「捨て駒をする」ということですので。
そういえば、コンピュータソフトが強いのは詰みの局面で間違ったりしないことで、それは計算することで可能になるということでもあり、数学(?、計算?)に近いということだろうと思います。なので、将棋に必要なのは、空間認識能力というよりは、どちらかというとプログラムみたいな論理的思考ではなかろうか、と思います。サッカーをするのであれば、空間認識能力が求められるというのも理解できますけどね。
男性と女性の脳に生まれつきの違いが存在している、というのは日常生活の中でも感じることがあります。例えば、脳梗塞とか脳出血の後遺障害で「失語症」というのがあります。言語野は大脳の左脳に主に存在しており、こちら側の脳に損傷を受けて障害が残る(体では右半身マヒというような症状です)と、失語症(或いは言語障害)が見られることがあります。右半身マヒとなっている人に出会うと、男性であれば多くが言語障害を有しているのですが、女性になると重度の言語障害とか完全失語症はやはり少ないイメージですね。元々の脳機能に男女差があるからだろうと思いますね。
以前に女流の囲碁棋士の(話題を取り上げたことがありますが、囲碁では女流棋士であってもかなり強くて、男性棋士にも普通に勝ちますね(通算成績でどうなのかは知りませんが)。アマが相手であれば、それが最強アマのクラスであっても、女流棋士には殆ど勝てないでしょう(ハンディを勘案した、置き碁なら別と思いますけれども)。それ位プロとの差があるかと思います。単純に女性だから弱い、などということは言えないように思えます。将棋と囲碁というゲーム性の違いがあるのかもしれませんけれども。個人的印象では将棋よりは囲碁の方が、男女差がないように思えますね。
この理由は判りませんが、ひょっとすると将棋の方が序~中盤の定量的評価が難しいのかな、と思います。囲碁の場合だと、所謂「地」(=自分の獲得した陣地・領地の数というか面積)を数的に数えることがある程度可能ですので、定量的に評価しやすい面があるかもしれません。将棋だと、どちらが有利なのか、進行状況の選択で良かったかどうか、というのが数字のようには計れず分りにくい、ということかもしれません。それと、囲碁では「白・黒」の2種類ですので、「イメージング」の効果が大きいのかもしれないです。数手~数十手進んだ局面がパッと写真みたいにフラッシュでイメージしやすいのかも。今は置かれていない石が数個~数十個置いた局面が、瞬間的というか短時間で見えるということです(脳内ですけど)。そういう部分が将棋よりは大きいのかもしれません。
これと関連して、女性の場合、ちょっと出会った男性や女性の身なりとか持ち物なんかを一瞬のイメージで捉えたりすることができ、男性よりもその能力は大概高いと思います。でも、男はそういうのが不得意で、後から「女性の靴はどんなのだったか?」「ハンドバッグの色と形は?」「服装はどんなのだったか?」とか聞かれても、殆ど答えられないような有様ですからね(ほら、推理モノの証言なんかでもよく怪しまれるでしょ?)。そういう女性の能力が活かしやすい、という部分が多いのは、囲碁の方なのかな、と。
まあ、結論としては、将棋の能力に「性差」があるかは不明であるし、女性は向かない、とかっていうこともよく判らないでしょう。脳の機能のうち、「空間認識能力」と将棋の能力との関連は弱そうな気がします。
更に言えば、仮に将棋には性差が存在し、男性より女性は向かないとしても、女性は将棋をしない方がいい、とか、女流のプロ棋士は必要ない、とか、そういうことにはならないでしょうね。そんなことを言うのであれば、女性のマラソン選手とか、プロゴルファーとか、女性のサッカーもヤメレ、というのと同じようなものです。やりたい人たちがいればどんどんやった方がいいし、プロを作りたい、という人たちがいるなら作ればよいことであって、それを否定する方がオカシイでしょうね。もっと言えば、女流棋士に負ける男性は世の中の大半(というか圧倒的大多数)なのであり(つまり、将棋という種目においては劣っているということでしょうか?笑)、女流が男性プロ棋士には中々勝てない、ということが一般的な男女の脳における能力差を意味するものでも何でもない、ということは当然です。
女流棋士には女流棋士の良さがあるし、普及活動とかレッスンとか、色々な面で男性よりもずっと活躍できる場面もあると思います。朝日・毎日の契約問題とか、独立問題なんかで紛糾が続く将棋連盟ですが、体制立て直しをしっかりとやった方がいいと思いますね。女流の方々も独立となれば大変でしょうが、地道に頑張って欲しいと思います。
(*以前のユニセックストイレの記事の後、暫くして補足記事を拝見しました。こちらからTBしていなかったのですが、お気づき頂き有難うございました。特にパニックを起こしたわけではございませんので、どうぞご安心下さいませ。笑)