この前チラッと触れたが、我が家では落語の人気がある。これは何故なのか全く理由が不明である。結婚する以前に、妻が「落語が好きだから今度行きましょう」などということは一度もなかった。私自身も「落語が好きだから」などとは言ったことはなかった。なのに、ウチの子どもも妻も、落語に行きたがる。不思議だ。
今から25年以上前に、NHKのラジオでは落語の時間があって、何故か時々聴いていた(今もやっているのだろうか?)。当時中学1~2年くらいだったから、丁度ウチの子と同じ位の年頃だった。その頃、ゲーム機もなければ、大した娯楽もなかったのでラジオを聴くくらいしかなかったからなのかもしれない。でも、歌謡曲の番組とか苦手だったし、深夜放送を聴いたことはなかった。眠くて、起きてられなかったからだ。そんな私でも、ラジオは好んで聴いていた。NHKが好きだったのかもしれない。ラジオドラマとか、落語とか、外国人の「青年の主張」みたいなやつとか、朗読とか、「朝の小鳥」みたいなのとか(笑)、今思えばユニークな番組は沢山あったな。現在のラジオ番組がどうなっているかは、全く知らない。民放FMはなかったし(その後暫くしてできたと思う)、あまり選択の幅がなかったことも影響していたかもしれない。
地方に住んでいたので、演芸関係をナマで見る機会というのは基本的になかったのだが、年に一度だけそういう機会が作られることになった。それは市内の小中学校の生徒全員に見てもらう、というようなものだった。生徒1人から300円とか500円程度を集めて、生徒を観客とし、市民会館で上演する、というものだった。毎年違ったものが選ばれた。演劇、狂言、クラシック演奏、落語、といったものだ。落語を初めてナマで聴いた時、とても良かった、と思ったものだ。テレビに出ているような人はごく僅かであったが、名も知れぬ若い落語家の落語であっても十分楽しかった。未だに覚えているもの(笑)。演奏はオーケストラだけではなく色々とあったと思う。割と著名な人たちが来たこともあったが、大学生の楽団のこともあった。それから、普通の劇の時があったのだけれど、当時は無名に近かった「劇団四季」が地方の営業回りの一環?で来たことがあった。小学生の時だったけれど、十分理解しやすい劇だったし、感動してちょっと泣いた。象のような、所謂「かぶりもの」が出てくると、子どもというのは凄く喜ぶんだよね(笑)。あれから随分経ったが、劇団四季はメジャーになった。地方の寂れた市民会館で劇をやっていたことを思えば、立派になったのだな、と感心しています。
当時、誰があのような制度を考えたのかは知らないが、とても良い仕組みであったと思う。私にとっては、一生の思い出になるような出来事であった。今でもそうした制度が残っているのかどうかは知らない。少なくともウチの子の時代には一切なかった。住んでいる地域にもよるのだろうけど。昔は、安い報酬で田舎にやって来てくれる人たちがいたからできたのかもしれない。今だと、呼ぶのに凄くお金がかかったりするのかも。それとも、一般の人たちが「そんなことは止めた方がいい」というような意見が多くなってるかもしれない。実際のところはどうなのか判らない。
田舎にいると、実際にああいう演芸を見る機会がほとんどないので、あればきっと楽しいのに、とは思う。都会に出かけていくほどお金がなくても、割と安い金額だし、親の経済力?によらずに観られるのですからね。
昔の学校というのは、確かに教師のストがあったりして、「今日は3時間目以降は自習するように」とか、たまにあった(勿論大ラッキー!ということで、生徒は大喜び)。でも、悪い思い出というのは、あんまりなかったな。学校は楽しい所、というイメージしかない。それが今では、教師も生徒も随分と苦しむようになってしまったのは何故なんだろう、と思う。教師は学校の傍にあるボロい教員住宅にしか住んでおらず(市営団地と似たようなやつだ)と、転勤族の宿命のようなものがあった。日曜日なんかに、校庭で遊んだ帰り道すがら担任の家に行くと、住宅と同じ位くたびれたチェリー(知ってるかな?)だったかシビックだったかを洗車したりしていて、到底裕福そうには見えなかった(今では生徒が休日に、担任の家に歩いていったりすることはないかもしれない)。教師の子どもたちも、特別にリッチな家庭ということはなく、むしろ庶民の子でしかなかった。今では教員が特権的な職業であるかのごとく思われているようだが、不思議ではある。
日教組の活動とかは、昔の方がはるかに活発であり、むしろ過激とも言えるかもしれないが、そういう時代であったのに、今のような問題というのが多々あったようにも思えないのですよね。何がどう、とか全然判らないんですけれども。かつては日教組関連の大会が開かれるとか、そういう会場の場所になると、機動隊が大挙して出動したり、ヘンな街宣車とか出現したり、それはもう大変な騒ぎであったような気がする。よくもまあ、大の大人がこれほどまでにワケのわからん争いを真剣にやっているな、という感じであった。そういう無駄なエネルギーが社会の中に充満していたのかもしれない。今では、そんな無駄のエネルギーさえもが大幅に失われて、社会全体の活性すら残っておらず、エネルギーを一緒に失ったかのような感じがします。無気力、諦め、脱力、不安、そういうのがピッタリくるような社会、ということですかね。一体何が変わっていったのでしょうか。
話が逸れましたが、昔の学校教育の中で行われた演芸関連の鑑賞機会は、とても良かったと思います。だからと言って、ウチの子が落語好きの理由は不明なことに変わりはないのですけれど(笑)。
今から25年以上前に、NHKのラジオでは落語の時間があって、何故か時々聴いていた(今もやっているのだろうか?)。当時中学1~2年くらいだったから、丁度ウチの子と同じ位の年頃だった。その頃、ゲーム機もなければ、大した娯楽もなかったのでラジオを聴くくらいしかなかったからなのかもしれない。でも、歌謡曲の番組とか苦手だったし、深夜放送を聴いたことはなかった。眠くて、起きてられなかったからだ。そんな私でも、ラジオは好んで聴いていた。NHKが好きだったのかもしれない。ラジオドラマとか、落語とか、外国人の「青年の主張」みたいなやつとか、朗読とか、「朝の小鳥」みたいなのとか(笑)、今思えばユニークな番組は沢山あったな。現在のラジオ番組がどうなっているかは、全く知らない。民放FMはなかったし(その後暫くしてできたと思う)、あまり選択の幅がなかったことも影響していたかもしれない。
地方に住んでいたので、演芸関係をナマで見る機会というのは基本的になかったのだが、年に一度だけそういう機会が作られることになった。それは市内の小中学校の生徒全員に見てもらう、というようなものだった。生徒1人から300円とか500円程度を集めて、生徒を観客とし、市民会館で上演する、というものだった。毎年違ったものが選ばれた。演劇、狂言、クラシック演奏、落語、といったものだ。落語を初めてナマで聴いた時、とても良かった、と思ったものだ。テレビに出ているような人はごく僅かであったが、名も知れぬ若い落語家の落語であっても十分楽しかった。未だに覚えているもの(笑)。演奏はオーケストラだけではなく色々とあったと思う。割と著名な人たちが来たこともあったが、大学生の楽団のこともあった。それから、普通の劇の時があったのだけれど、当時は無名に近かった「劇団四季」が地方の営業回りの一環?で来たことがあった。小学生の時だったけれど、十分理解しやすい劇だったし、感動してちょっと泣いた。象のような、所謂「かぶりもの」が出てくると、子どもというのは凄く喜ぶんだよね(笑)。あれから随分経ったが、劇団四季はメジャーになった。地方の寂れた市民会館で劇をやっていたことを思えば、立派になったのだな、と感心しています。
当時、誰があのような制度を考えたのかは知らないが、とても良い仕組みであったと思う。私にとっては、一生の思い出になるような出来事であった。今でもそうした制度が残っているのかどうかは知らない。少なくともウチの子の時代には一切なかった。住んでいる地域にもよるのだろうけど。昔は、安い報酬で田舎にやって来てくれる人たちがいたからできたのかもしれない。今だと、呼ぶのに凄くお金がかかったりするのかも。それとも、一般の人たちが「そんなことは止めた方がいい」というような意見が多くなってるかもしれない。実際のところはどうなのか判らない。
田舎にいると、実際にああいう演芸を見る機会がほとんどないので、あればきっと楽しいのに、とは思う。都会に出かけていくほどお金がなくても、割と安い金額だし、親の経済力?によらずに観られるのですからね。
昔の学校というのは、確かに教師のストがあったりして、「今日は3時間目以降は自習するように」とか、たまにあった(勿論大ラッキー!ということで、生徒は大喜び)。でも、悪い思い出というのは、あんまりなかったな。学校は楽しい所、というイメージしかない。それが今では、教師も生徒も随分と苦しむようになってしまったのは何故なんだろう、と思う。教師は学校の傍にあるボロい教員住宅にしか住んでおらず(市営団地と似たようなやつだ)と、転勤族の宿命のようなものがあった。日曜日なんかに、校庭で遊んだ帰り道すがら担任の家に行くと、住宅と同じ位くたびれたチェリー(知ってるかな?)だったかシビックだったかを洗車したりしていて、到底裕福そうには見えなかった(今では生徒が休日に、担任の家に歩いていったりすることはないかもしれない)。教師の子どもたちも、特別にリッチな家庭ということはなく、むしろ庶民の子でしかなかった。今では教員が特権的な職業であるかのごとく思われているようだが、不思議ではある。
日教組の活動とかは、昔の方がはるかに活発であり、むしろ過激とも言えるかもしれないが、そういう時代であったのに、今のような問題というのが多々あったようにも思えないのですよね。何がどう、とか全然判らないんですけれども。かつては日教組関連の大会が開かれるとか、そういう会場の場所になると、機動隊が大挙して出動したり、ヘンな街宣車とか出現したり、それはもう大変な騒ぎであったような気がする。よくもまあ、大の大人がこれほどまでにワケのわからん争いを真剣にやっているな、という感じであった。そういう無駄なエネルギーが社会の中に充満していたのかもしれない。今では、そんな無駄のエネルギーさえもが大幅に失われて、社会全体の活性すら残っておらず、エネルギーを一緒に失ったかのような感じがします。無気力、諦め、脱力、不安、そういうのがピッタリくるような社会、ということですかね。一体何が変わっていったのでしょうか。
話が逸れましたが、昔の学校教育の中で行われた演芸関連の鑑賞機会は、とても良かったと思います。だからと言って、ウチの子が落語好きの理由は不明なことに変わりはないのですけれど(笑)。