環境問題の話はとても難しい部分がある。それは、普通の生活をしている人間にとってはあまりなじみがない分野であることと、信憑性を確かめるよい術を持たないということにある。あたかも経済理論の正しさを争うのと同じようなものなのである(笑)。「果たして、このモデルは正しいのだろうか?」という問題を考えるのと、とてもよく似ている。しかもこの問題が政治的・政策的な、或いは時としてイデオロギー的な闘争を巻き起こすという点においても、共通しているように思われる。
環境問題に対する考え方は、書いたことがある>環境問題というのは判り難いね
きっと多くの人たちに笑われるかもしれないが、現時点でも地球温暖化問題というのはイマイチ信じきれないでいる。懐疑派ということになるかと思うが、どちらかと言えば消極的懐疑派とでもいう立場であろうか。にわかには信じ難い部分があって、その疑念は払拭されないでいるからだろうと思う。更に疑念に拍車をかけるのは、ここ数年でやたらと環境ビジネスや危機感を煽るようなムードが高まったことがある。陰謀論が好きだから、という個人的資質の問題もあるのかもしれないが(笑)、どことなく胡散臭さが漂うのである。今の原油高にしてもそうなのだが、結構都合よくできている。言い方を変えると、素晴らしいアシストになっている、ということだ。まあ、陰謀論はどうでもいい。
まず、懐疑論のまとめはコレが判りやすい>地球温暖化に対する懐疑論 - Wikipedia
あと、先日話題になったコレ>ややこしくも面白い環境問題の世界をあなたに
おまけ:毎度御馴染みの叩かれキャラ>はてなブックマーク - 地球温暖化詐欺 - 池田信夫 blog
IPCCの報告が出されているのだから、科学的な検討を経た結果であるということは判る。だが信頼性については何ともいえない。事実を集積したものであろうと思われるが、解釈や意味づけという点においては懐疑論を退けられるほどに正確であるとは思われない。温度の上昇が観察される、という事実と、この原因が温室ガス効果でありその主因がCO2であるということの因果関係というか、説明としては説得力に欠けるように思われるのである。以下、論点を分けて述べる。
①二酸化炭素はどの程度海水に溶解するか
地球の大半は海である。川や湖を含めると、水分が非常に多い。CO2が増加したのが事実であるとして、それが人為的原因であると考える理由というのが、あまりはっきりしない。CO2は酸素や窒素などに比べると数十倍も「水に溶けやすい」。この性質は、中学くらいの理科実験で習ったと思う。化石燃料の燃焼等で人為的に増加した部分があるとして、それは海洋に吸収されてしまう程度かそれ以下の増加量でしかないのであれば、排出量の削減はあまり意味がない。むしろ海水温度上昇の方を心配するべきであろう。そちらの方が圧倒的に多量のCO2のin-outに影響するからである。
人体においてもCO2の運搬は血液中への溶解によって行われており、緩衝系のHCO3-と密接に関連してpH調節にも役立っている。調節能の不調になれば、呼吸性アシドーシスなどが生じてしまうことがある。地球のCO2循環が人体とは異なるに決まっていることは当たり前であるが、最も重要な調節能を持つのは恐らく「海」であろうことは容易に想像できる。人為的原因によるCO2量が海水への溶解による調節量に比べて余りに小さいのであれば、それは「海水がしょっぱいのは、海水浴に行った子どもたちがうっかり海でオシッコをしてしまったせいだ」というのと同じくらい大袈裟な意見のように思える。
②地球の歴史の一コマではないのか
昔読んだ原始地球の大気の話があったが、あれを思えば今のCO2量は無視できるようなレベルであるように思え、地球環境が本当にどうにかなってしまうのか疑問は残る。
地球史年表 - Wikipedia
海水面が今よりも数m高かった時代もあったし、温暖期も氷河期もあった。色々と理由があるのかもしれないが、長期変動の一部に過ぎないのはないか、という意見を覆せるだけの十分な根拠は見出せない。
>地球の大気 - Wikipedia
昔の地球の大気は今の100倍も高濃度であり、CO2が大半だった時期があったのではないかと考えられている。もしも本当に温室効果が酷いものであるなら、海は沸騰してしまい蒸発したであろう。それとも、水蒸気が気体のまま残ってしまい、海ができなかったとしても不思議ではないだろう。しかし、地球は温度が下がったので海ができたし、CO2濃度が高濃度であったにも関わらず海は沸騰せず、蒸発したりすることもなかった。
金星の大気は地球に近いものであったのではないかと考えられているが、海はできずCO2の大気だけが残っている。
>金星の大気 - Wikipedia
温室効果に影響することはあるとしても、それ以上に大きな要因として海や水蒸気ということがあるのであれば、CO2の削減という対策はあまり意味を持つものとは思われない。過去の温暖期は太陽活動の影響ではないか、とする意見に対しても有効な反論というものはなさそうである。ミランコビッチ・サイクルへの評価も定かではないだろう。
>完新世の気候最温暖期 - Wikipedia
③環境対策はCO2削減以外でも可能である
環境対策が悪いということではない。無意味であるとも言わないが、それは「環境負荷を小さくする努力」ということであって、ある特定の指標―今だとCO2だが―に囚われ過ぎるのは望ましくない。平たく言えば、資源を大切に使いましょう、何でも粗末にせず大事にしましょう、汚さないようにしましょう、自然を大切にしましょう、みたいなことである。それは昔から言われてきたことであり、何も「二酸化炭素削減至上主義」とか「環境イデオロギー」とかに染まれということではないだろう。まさに、「もったいない」の精神で考えてやっていけばいいだけの話で、洋モノ主導の特定思想みたいなものを掲げる必要性はないだろう。極端な例でいうと、昔の日本の公害問題とか、今の中国の環境破壊的生産活動とか、そういう有様を「人類は望んでいない」ということは誰でも判る。要するに、そういうことだ。そういうことへの対策ときちんとやって行きましょう、自然を守りましょう、ということを実践できればよいのである。
個人的な雑感を書いてみる。
またいつもの喩え話で申し訳ないが、豪邸住まいの金持ち連中と、貧民街の連中との争い、みたいな感じかも。
欧州を中心とする先進国が金持ちで、新興国が貧民街の長屋住人、ということ。金持ち連中はメイドさん(そっちのじゃなく、普通の)を雇ってゴミ分別をしたり、邸宅周りを汚さないように掃除したりして、金を注ぎ込んでまできちんとやっている、と。しかし、貧民街の長屋住人たちは、どこででもゴミを燃やしたり、バケツの水やトイレの水なんかを好き勝手に流したり、ゴミ分別のルールも全く守らない、と。そうすると、金持ち邸宅の方まで臭いとか汚水が流れてくる、ゴミ収集の負担を増やされる、という迷惑を蒙るということだ。それが金持ち連中にしてみれば「面白くない」、と。こっちが頑張ってきれいにしているのに、お前ら貧乏人が汚すので折角の努力が水の泡だろ、どうしてくれる、ということかな。
なので、ゴミ分別ルールをもっと厳しくしよう、汚水処理も厳しくルールを決めよう、庭先でゴミを焼却するのは煤煙やススが飛んでくるので禁止しよう、という感じで、要求水準を高くして厳しくしたい、ということだろう。そうすると、貧民街の長屋でもゴミ分別や各種処理の為のコスト負担をせざるを得なくなり、そこにはビジネスチャンスがあるよ、ということなのではないだろうか。特に旧大陸では、「旧大陸的なもの」の価値観が需要なので、それを守りたいということもあるのかもしれない。CO2の排出量を制限するということは、外見上は「中国・米国・インド」の狙い撃ちといってもいいように思えるのだ。この3ヶ国で全世界の半分くらいのウェイトだからだ。旧大陸国家群から見れば、この3カ国が将来的に経済規模が増大することそのものが脅威である、ということなのかもしれない。
なぜ米国が欧州諸国と足並みを揃えようとしないのか、というのはよく判らない。陰謀論なのかもしれないけど、石油メジャー関係とかの(笑)。でも、何らかの理由というのはあるのだろう、多分。上の例で言えば、米国は長屋住民でもなく、まあちょっと町外れにあるいつもガチャガチャとうるさい自動車修理工場みたいなものかな。日本はといえば、貧民街長屋と高級住宅街の中間くらいにある、質素な一軒家―恐らくウサギ小屋と揶揄されるような家―の住人かな。米国はすんなりとは欧州の言い分にはハイと言えませんよ、という内部的な事情を抱えているのだろうと思う。日本は「安全、安心」だとかで、やたらとウルサイ。エコだの健康だのにも、やたらと関心があって、中身よりも「スタイル」に共感してしまいやすい国民性かもしれない。それをまんまと利用されている、という側面はあるかもしれない。例の「ロハス」とかにかぶれるのは、いい例だ。
地球温暖化問題というのは、欧州的な価値観に割と適合しやすいのだろうと思う。重農主義を思い浮かべれば、結構近い感じがあるからね。
>重農主義に学ぶ
そして何よりも厄介なのは、環境問題というのは「いいことをしている」という思い込みみたいなものが出来やすいことなのだ。正義はどちらにあるかというと、「地球を守ろう」「環境を守りましょう」と言っている側に圧倒的に分があるのであって、「CO2削減には懐疑的だよ」とか表明するだけで「環境破壊者」のレッテルを貼られてしまうことを覚悟する必要があるから。一般大衆からみた場合に、悪者がどちらなのかというと、どう考えても「懐疑派」に決まっていますよね。これがなんと言っても最大の障壁でしょう。私自身も、ついうっかり「CO2削減の為にハイブリッドカーを買いました」とか言いそうになるもん(笑)。反対しているのは「悪いヤツラだ」ということにしやすい構図ではあるからね。
例えば、
・バイオエタノールは止めろ
・牛肉消費を減らして飼料消費に回す分を人間に回せ
とは思うけれども、そうすると今度は米国のCO2削減反対派から「それはイヤだ」という話が出てくる。農業政策の話が絡んでくるから、環境問題の賛成反対の区分けとは異なる勢力分布になってしまうのだ。
「原油価格はもっと下がるべきだ」ということについても、簡単には頷けない、という勢力があるのだ。エコ推進派は原油が安すぎて「安易に大量消費に繋がっている=だから良くない」、「原油産出国の国内補助金も良くない=大量消費に繋がるから」、ということがあるし、別な環境対策とのコスト競争で「原油価格が安すぎると負ける」という側面もある。かといって、CO2削減反対派が原油価格下落に賛成するかというとそうでもなくて、原油価格が高いことで「産油国や石油関連企業の収入が大幅に増加した」という恩恵を簡単には手放したくはない、ということがあるのである。なので、エコ推進派にとっても、反対派にとっても、今の「原油高」の状況や「食糧価格高騰」という状況は、「儲かる」という点だけでは一致しているのだろうと思う。なので、「ヤメラレナイ」ということだろう。その割を食うのは、産油国でもなければ大きなCO2排出国でもなく新興国でもない、ただの貧乏な国である。最も貧しい側から、順次被害を蒙っているのである。
原油高を実現することというのは、儲かることもあるのだが、それ以外の色々な意味で有効な点があるということだ。
・短期的には儲かる連中が当然いる=産油国、石油関連企業
・新興国は高い石油を買うのが大変になる
・新興国の成長が鈍化すれば先進国は優位を維持できるかも
・石油以外のエネルギーに先にシフトしていると原油価格が高い方が競争に有利
・環境投資関連ビジネスで儲けられるチャンスが広がる
・排出権取引市場を大きくして商品先物市場同様に儲けるチャンスを拡大できる
・原子力関連事業の拡大が見込まれる
結局のところ、CO2排出量の大きい国は「同意しなければ済む」というだけだからね。強制力が働くわけじゃないし。日本はあまりに頑張り過ぎて、自縄自縛となりそうな予感。国内でもそうだもの。再生紙偽装の問題の時とか見たでしょ?あんな感じになっちゃうわけよ。1億総査察官状態、みたいな(笑)。確かに表示を100%とか書くのは悪いことですよ、そりゃ。でも、誰かが死んだわけでもなく、酷い被害を蒙ったわけでもなく、誰も「大変困りました」とか文句を言っていたわけじゃないんですよ。一切ない。何もない。100%再生紙じゃないからといって、品質に関するクレームが頻発したわけでもないんですよ。けど、かなり厳しく糾弾されるんです。業者は出入り禁止だ、くらいまで追及されちゃうわけです。
そういう気質で「CO2削減『義務』」なんかをやってごらんなさいな。削減偽装とかの嵐になりそうで怖い。それを追及する人たちが大勢出てきそうで怖い。
しまいには、オマエの吐く息は濃度がオーバーしている、とか、体重が重いので排出量制限を超えている、とか、そういう次元まで行きそうかも(参考:アメリカ凋落の日)。なので日本人は数値目標とか、やめた方がいいと思うよ。もうちょっと大雑把にしておくのが無難。
この前のサミットでおだてられて、うっかり「数値目標」を確約したりせずに済んで良かったかもしれないね。リーダーシップを示せ、とかうまいことを言われたり、してたけど、危なかったかも。
地球環境が云々とか吹き込まれている連中が、金儲け軍団のお先棒を担いでいるだけだったりするから、用心した方がいいと思う。それとも偽善だの、自己満足を満たしたいだけの人たちかもしれないし。
環境問題に対する考え方は、書いたことがある>環境問題というのは判り難いね
きっと多くの人たちに笑われるかもしれないが、現時点でも地球温暖化問題というのはイマイチ信じきれないでいる。懐疑派ということになるかと思うが、どちらかと言えば消極的懐疑派とでもいう立場であろうか。にわかには信じ難い部分があって、その疑念は払拭されないでいるからだろうと思う。更に疑念に拍車をかけるのは、ここ数年でやたらと環境ビジネスや危機感を煽るようなムードが高まったことがある。陰謀論が好きだから、という個人的資質の問題もあるのかもしれないが(笑)、どことなく胡散臭さが漂うのである。今の原油高にしてもそうなのだが、結構都合よくできている。言い方を変えると、素晴らしいアシストになっている、ということだ。まあ、陰謀論はどうでもいい。
まず、懐疑論のまとめはコレが判りやすい>地球温暖化に対する懐疑論 - Wikipedia
あと、先日話題になったコレ>ややこしくも面白い環境問題の世界をあなたに
おまけ:毎度御馴染みの叩かれキャラ>はてなブックマーク - 地球温暖化詐欺 - 池田信夫 blog
IPCCの報告が出されているのだから、科学的な検討を経た結果であるということは判る。だが信頼性については何ともいえない。事実を集積したものであろうと思われるが、解釈や意味づけという点においては懐疑論を退けられるほどに正確であるとは思われない。温度の上昇が観察される、という事実と、この原因が温室ガス効果でありその主因がCO2であるということの因果関係というか、説明としては説得力に欠けるように思われるのである。以下、論点を分けて述べる。
①二酸化炭素はどの程度海水に溶解するか
地球の大半は海である。川や湖を含めると、水分が非常に多い。CO2が増加したのが事実であるとして、それが人為的原因であると考える理由というのが、あまりはっきりしない。CO2は酸素や窒素などに比べると数十倍も「水に溶けやすい」。この性質は、中学くらいの理科実験で習ったと思う。化石燃料の燃焼等で人為的に増加した部分があるとして、それは海洋に吸収されてしまう程度かそれ以下の増加量でしかないのであれば、排出量の削減はあまり意味がない。むしろ海水温度上昇の方を心配するべきであろう。そちらの方が圧倒的に多量のCO2のin-outに影響するからである。
人体においてもCO2の運搬は血液中への溶解によって行われており、緩衝系のHCO3-と密接に関連してpH調節にも役立っている。調節能の不調になれば、呼吸性アシドーシスなどが生じてしまうことがある。地球のCO2循環が人体とは異なるに決まっていることは当たり前であるが、最も重要な調節能を持つのは恐らく「海」であろうことは容易に想像できる。人為的原因によるCO2量が海水への溶解による調節量に比べて余りに小さいのであれば、それは「海水がしょっぱいのは、海水浴に行った子どもたちがうっかり海でオシッコをしてしまったせいだ」というのと同じくらい大袈裟な意見のように思える。
②地球の歴史の一コマではないのか
昔読んだ原始地球の大気の話があったが、あれを思えば今のCO2量は無視できるようなレベルであるように思え、地球環境が本当にどうにかなってしまうのか疑問は残る。
地球史年表 - Wikipedia
海水面が今よりも数m高かった時代もあったし、温暖期も氷河期もあった。色々と理由があるのかもしれないが、長期変動の一部に過ぎないのはないか、という意見を覆せるだけの十分な根拠は見出せない。
>地球の大気 - Wikipedia
昔の地球の大気は今の100倍も高濃度であり、CO2が大半だった時期があったのではないかと考えられている。もしも本当に温室効果が酷いものであるなら、海は沸騰してしまい蒸発したであろう。それとも、水蒸気が気体のまま残ってしまい、海ができなかったとしても不思議ではないだろう。しかし、地球は温度が下がったので海ができたし、CO2濃度が高濃度であったにも関わらず海は沸騰せず、蒸発したりすることもなかった。
金星の大気は地球に近いものであったのではないかと考えられているが、海はできずCO2の大気だけが残っている。
>金星の大気 - Wikipedia
温室効果に影響することはあるとしても、それ以上に大きな要因として海や水蒸気ということがあるのであれば、CO2の削減という対策はあまり意味を持つものとは思われない。過去の温暖期は太陽活動の影響ではないか、とする意見に対しても有効な反論というものはなさそうである。ミランコビッチ・サイクルへの評価も定かではないだろう。
>完新世の気候最温暖期 - Wikipedia
③環境対策はCO2削減以外でも可能である
環境対策が悪いということではない。無意味であるとも言わないが、それは「環境負荷を小さくする努力」ということであって、ある特定の指標―今だとCO2だが―に囚われ過ぎるのは望ましくない。平たく言えば、資源を大切に使いましょう、何でも粗末にせず大事にしましょう、汚さないようにしましょう、自然を大切にしましょう、みたいなことである。それは昔から言われてきたことであり、何も「二酸化炭素削減至上主義」とか「環境イデオロギー」とかに染まれということではないだろう。まさに、「もったいない」の精神で考えてやっていけばいいだけの話で、洋モノ主導の特定思想みたいなものを掲げる必要性はないだろう。極端な例でいうと、昔の日本の公害問題とか、今の中国の環境破壊的生産活動とか、そういう有様を「人類は望んでいない」ということは誰でも判る。要するに、そういうことだ。そういうことへの対策ときちんとやって行きましょう、自然を守りましょう、ということを実践できればよいのである。
個人的な雑感を書いてみる。
またいつもの喩え話で申し訳ないが、豪邸住まいの金持ち連中と、貧民街の連中との争い、みたいな感じかも。
欧州を中心とする先進国が金持ちで、新興国が貧民街の長屋住人、ということ。金持ち連中はメイドさん(そっちのじゃなく、普通の)を雇ってゴミ分別をしたり、邸宅周りを汚さないように掃除したりして、金を注ぎ込んでまできちんとやっている、と。しかし、貧民街の長屋住人たちは、どこででもゴミを燃やしたり、バケツの水やトイレの水なんかを好き勝手に流したり、ゴミ分別のルールも全く守らない、と。そうすると、金持ち邸宅の方まで臭いとか汚水が流れてくる、ゴミ収集の負担を増やされる、という迷惑を蒙るということだ。それが金持ち連中にしてみれば「面白くない」、と。こっちが頑張ってきれいにしているのに、お前ら貧乏人が汚すので折角の努力が水の泡だろ、どうしてくれる、ということかな。
なので、ゴミ分別ルールをもっと厳しくしよう、汚水処理も厳しくルールを決めよう、庭先でゴミを焼却するのは煤煙やススが飛んでくるので禁止しよう、という感じで、要求水準を高くして厳しくしたい、ということだろう。そうすると、貧民街の長屋でもゴミ分別や各種処理の為のコスト負担をせざるを得なくなり、そこにはビジネスチャンスがあるよ、ということなのではないだろうか。特に旧大陸では、「旧大陸的なもの」の価値観が需要なので、それを守りたいということもあるのかもしれない。CO2の排出量を制限するということは、外見上は「中国・米国・インド」の狙い撃ちといってもいいように思えるのだ。この3ヶ国で全世界の半分くらいのウェイトだからだ。旧大陸国家群から見れば、この3カ国が将来的に経済規模が増大することそのものが脅威である、ということなのかもしれない。
なぜ米国が欧州諸国と足並みを揃えようとしないのか、というのはよく判らない。陰謀論なのかもしれないけど、石油メジャー関係とかの(笑)。でも、何らかの理由というのはあるのだろう、多分。上の例で言えば、米国は長屋住民でもなく、まあちょっと町外れにあるいつもガチャガチャとうるさい自動車修理工場みたいなものかな。日本はといえば、貧民街長屋と高級住宅街の中間くらいにある、質素な一軒家―恐らくウサギ小屋と揶揄されるような家―の住人かな。米国はすんなりとは欧州の言い分にはハイと言えませんよ、という内部的な事情を抱えているのだろうと思う。日本は「安全、安心」だとかで、やたらとウルサイ。エコだの健康だのにも、やたらと関心があって、中身よりも「スタイル」に共感してしまいやすい国民性かもしれない。それをまんまと利用されている、という側面はあるかもしれない。例の「ロハス」とかにかぶれるのは、いい例だ。
地球温暖化問題というのは、欧州的な価値観に割と適合しやすいのだろうと思う。重農主義を思い浮かべれば、結構近い感じがあるからね。
>重農主義に学ぶ
そして何よりも厄介なのは、環境問題というのは「いいことをしている」という思い込みみたいなものが出来やすいことなのだ。正義はどちらにあるかというと、「地球を守ろう」「環境を守りましょう」と言っている側に圧倒的に分があるのであって、「CO2削減には懐疑的だよ」とか表明するだけで「環境破壊者」のレッテルを貼られてしまうことを覚悟する必要があるから。一般大衆からみた場合に、悪者がどちらなのかというと、どう考えても「懐疑派」に決まっていますよね。これがなんと言っても最大の障壁でしょう。私自身も、ついうっかり「CO2削減の為にハイブリッドカーを買いました」とか言いそうになるもん(笑)。反対しているのは「悪いヤツラだ」ということにしやすい構図ではあるからね。
例えば、
・バイオエタノールは止めろ
・牛肉消費を減らして飼料消費に回す分を人間に回せ
とは思うけれども、そうすると今度は米国のCO2削減反対派から「それはイヤだ」という話が出てくる。農業政策の話が絡んでくるから、環境問題の賛成反対の区分けとは異なる勢力分布になってしまうのだ。
「原油価格はもっと下がるべきだ」ということについても、簡単には頷けない、という勢力があるのだ。エコ推進派は原油が安すぎて「安易に大量消費に繋がっている=だから良くない」、「原油産出国の国内補助金も良くない=大量消費に繋がるから」、ということがあるし、別な環境対策とのコスト競争で「原油価格が安すぎると負ける」という側面もある。かといって、CO2削減反対派が原油価格下落に賛成するかというとそうでもなくて、原油価格が高いことで「産油国や石油関連企業の収入が大幅に増加した」という恩恵を簡単には手放したくはない、ということがあるのである。なので、エコ推進派にとっても、反対派にとっても、今の「原油高」の状況や「食糧価格高騰」という状況は、「儲かる」という点だけでは一致しているのだろうと思う。なので、「ヤメラレナイ」ということだろう。その割を食うのは、産油国でもなければ大きなCO2排出国でもなく新興国でもない、ただの貧乏な国である。最も貧しい側から、順次被害を蒙っているのである。
原油高を実現することというのは、儲かることもあるのだが、それ以外の色々な意味で有効な点があるということだ。
・短期的には儲かる連中が当然いる=産油国、石油関連企業
・新興国は高い石油を買うのが大変になる
・新興国の成長が鈍化すれば先進国は優位を維持できるかも
・石油以外のエネルギーに先にシフトしていると原油価格が高い方が競争に有利
・環境投資関連ビジネスで儲けられるチャンスが広がる
・排出権取引市場を大きくして商品先物市場同様に儲けるチャンスを拡大できる
・原子力関連事業の拡大が見込まれる
結局のところ、CO2排出量の大きい国は「同意しなければ済む」というだけだからね。強制力が働くわけじゃないし。日本はあまりに頑張り過ぎて、自縄自縛となりそうな予感。国内でもそうだもの。再生紙偽装の問題の時とか見たでしょ?あんな感じになっちゃうわけよ。1億総査察官状態、みたいな(笑)。確かに表示を100%とか書くのは悪いことですよ、そりゃ。でも、誰かが死んだわけでもなく、酷い被害を蒙ったわけでもなく、誰も「大変困りました」とか文句を言っていたわけじゃないんですよ。一切ない。何もない。100%再生紙じゃないからといって、品質に関するクレームが頻発したわけでもないんですよ。けど、かなり厳しく糾弾されるんです。業者は出入り禁止だ、くらいまで追及されちゃうわけです。
そういう気質で「CO2削減『義務』」なんかをやってごらんなさいな。削減偽装とかの嵐になりそうで怖い。それを追及する人たちが大勢出てきそうで怖い。
しまいには、オマエの吐く息は濃度がオーバーしている、とか、体重が重いので排出量制限を超えている、とか、そういう次元まで行きそうかも(参考:アメリカ凋落の日)。なので日本人は数値目標とか、やめた方がいいと思うよ。もうちょっと大雑把にしておくのが無難。
この前のサミットでおだてられて、うっかり「数値目標」を確約したりせずに済んで良かったかもしれないね。リーダーシップを示せ、とかうまいことを言われたり、してたけど、危なかったかも。
地球環境が云々とか吹き込まれている連中が、金儲け軍団のお先棒を担いでいるだけだったりするから、用心した方がいいと思う。それとも偽善だの、自己満足を満たしたいだけの人たちかもしれないし。