いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

話題シリーズ18

2005年12月07日 23時40分40秒 | 社会全般
今日書いた記事が、全部消えた。泣いた。確認不足だった。もう一回書くのも、辛い。

1)談合と接待

空港談合事件ですが、代々手法を伝授していたんですと。

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <成田官製談合>旧公団元課長に接待攻勢


役人は接待にかなり弱いらしい。昔からあったと思うが、全くバカだね。役所の犯罪構造は非常に判り易い。

今から15年くらい前に見かけた接待現場について書いたんだけど、疲れてもう書けないから、いずれ書けそうな時に書いてみようと思う。今は気力が萎えた。


2)小泉さんの質問

昨日の諮問会議で奥田さんに「バブルの危惧」について意見を求めたらしい。その中では、デイトレーダーや女性投資家が増えてきて、世の中全体的に拝金主義的になってきているのが心配、というようなことを述べたようです。

確かに世の中の煽り傾向は増えてるかもしれないな。

(追記)
最初に書いた記事に入れてた内容を、チビチビ書いてみようと思います。

えーと、今日立ち読みしに本屋にちょっと立ち寄ったのですが、その時に20過ぎくらいの若い男性が株式投資のマニュアル本を手に取って見ていた。表紙には「10倍も狙える」みたいな過激見出しがあって、確かにそういうのにクラクラするのは理解できるね。「こうして儲けろ!」「稼げる戦術」みたいに出てたら、興味をそそられるという気分は理解できるしね。

今日の読売新聞の広告にも結構凄い見出しが出てた。それは、週刊ポストの広告でした。
『小泉官邸の「株価2万円計画」が動き出した!乗り遅れるな「OX理論」「超スピード投資法」でボーナスを倍増させよ』
こんなに書かれたら、私もやっぱり気になるね。煽りは過激な方がいいんでしょうね、やっぱり。本当に「2万円計画」なのか?って思いますね。まあ、本当ならば嬉しいですけど(笑)。「ボーナス倍増させよ」って、みんなは無理だろ?うまくいった一部の人だけが倍増でしょ?

これは奥田さんが、「最近の本や雑誌にも・・・」って言う気持ちは判るね。世の中全体に、そういう風潮はあるかもしれないな。「ヒルズ族」なんて言葉もそうだし。雑誌の見出しとかに「これであなたもセレブになれる必勝アイテム」みたいなのが出てたりするし。なれませんって。無理に決まってますって。でも「セレブ」って言葉に騙されるようなもんです。「セレブ」みたいな言葉が乱用されてるというのは、拝金主義的な傾向を表してるかもしれませんね。

昔口座があった某大手証券(ネット専業に全て移管して、そこの口座はかなり以前に廃止した)から、時々資産セミナーとか新商品とか個人向け国債とかの案内が来るんだけど、これも無駄なことだと思うけど。いい紙質で両面印刷になってるやつは、速攻でゴミ箱行きです。裏が白い紙はメモとかに使うから許すことにしてますが、勝手に送ってくるのは、ゴミが増えるし止めて欲しいと思っています。なんで、口座を廃止したのに、いろんなDMを送ってくるんだろう、って思いますね。経費の無駄だと思うけど。資産セミナーなんて平日の昼間にやってるから、仕事があるから参加できっこないのに。個人向け国債も、どんなに勧誘されても買いませんよ。利回りが低すぎで、私のような人間(元々資産を持たない、親の資産も全然ない)には意味がありませんから。国債を信用してない、とかってことではなく。

無駄なDMはいりませんから。昔の口座の個人情報って、利用されてしまうんだね。

以上、ちょっと追加でした。



今日の昼食会では福井総裁に量的緩和政策への意見を求めたようで、政府も日銀も気まずくならないように、お互い「腰を落ち着けてやっていきましょう」というシグナルを送ったということのようです。


Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <小泉首相>量的緩和解除をけん制 福井日銀総裁との会談で


まあ、大きな意味があるかどうかは不明ですね。牽制というような強いメッセージではないでしょう。「勇み足」をたしなめるという程度でしょうか。


3)失敗理由判明

消してしまった理由が判りました。gooの投稿形式が若干変更になっていて、記事のジャンルを選ぶことになっていて、選択を間違えて「報道/ニュース」を選んでたんですが、もっと細かい指定が必要だったみたい。で、記事を投稿したと思って画面を消したら、実は載ってなかったということだったようです。


ジャンルは決められない時もあるんだけど。どうなのかな?まあ、いいや。仕方がない。



国と地方の大断層7

2005年12月06日 20時48分06秒 | 社会全般
今後の地方経済はどうなっていくか、というのは、非常に暗い見通しであるようです。平ちゃんが「内閣府は地方財政のマクロ分析をやっとけよ」という要望を出していましたが、これに応えたのは何故か経済産業省でした(笑)。経済分析は「任せてくれ」ということでしょうか。それはいいんですけれども、無策で過ぎてしまう場合には、大都市圏だけが成長可能であるということですね。似たような地域経済に関する分析では、東京圏と中京圏のみが発展地域となり、他はダメみたいですね。

まあ、「首都圏」と「トヨタ圏」(笑)のみが生き延びて経済成長が可能、ということですな。以前に言ってたようなこと(国と地方の大断層1)が本当に現実に起こりえる、ということです。


Yahoo!ニュース - 共同通信 - 地方の9割が経済規模縮小 2030年、人口減が影響

この記事には『報告書は、2000年と比べると、30年に「東京都市雇用圏」(横浜、千葉などを含む)以外は人口が減少すると推計。域内総生産は東京都市圏が10・7%増、政令指定都市圏は6・9%増とみる。半面、それ以外の都市圏は軒並み減少し、人口10万人未満の都市圏は15・1%も縮小するなど落ち込みが目立つ。』と述べられている。経済産業省のHPにはネタ元の報告が出てますから、興味ある方は、読んでみるといいかもしれません。


で、もう一つ別な記事を。

Yahoo!ニュース - 共同通信 - 成長は東京、中京圏が軸 構造改革で人口移動加速

この記事中では、『日本の実質国内総生産(GDP)成長率は2015年度に向けて3%台前半が期待できるものの、地域間の人口移動が進むことで東京圏(東京都と神奈川、千葉、埼玉の各県)や中京圏(愛知、静岡、岐阜、三重の各県)を中心とした経済成長になるとの見通しを野村証券金融経済研究所が5日、まとめた。』と2つの地域の優位性が述べられていました。


都市機能というのは不思議なんですが、かつての栄華がその後も継続する訳ではないんですね。デトロイトはそれなりに栄えましたが、自動車産業が衰退していけば斜陽も訪れる、ということです。昔、門司や小樽は賑わいましたが、それも長くは続きませんでした。町とは、そういうものだろうと思います。でも、京や大坂というのは、それなりに長い歴史の中でも活性地域となっていますから、中心的な都市としての機能を維持することもある程度は可能なのでしょう。トヨタのお膝元である城下町も当面は安泰ですね、ということですか。どちらの予想でも東京圏は大丈夫、ということで、長い歴史の中で発展を維持してきた蓄積が大きいのかもしれない。

今後、更に地方との格差が開いていくだろうね。果たして地方には生き残り戦術というのが本当にあるのだろうか?


またしても、変なモデルを考えてみたいと思います(ウソかもしれないので要注意です)。
今、ある経済地域が3つあって、それぞれ甲・乙・丙とします。人口は全部同じで110人としますね。非常に強引ですが、これらの経済地域の産業は2つしか存在しないことにします。その産業とは、農業と自動車産業としましょう。農業は1人の人が生産する生産量を1単位(売上金額と同じような意味とします)、自動車の方は付加価値が高いので1人の人が5単位生産できるとします。そうすると、農業5人分で自動車1人分と同じ生産価値ですので、自動車の方は農業の5倍稼げるということになります。甲の農業従事者は100人、自動車10人とします。同じように乙はそれぞれ50人と60人、丙は10人と100人とします。すると、甲は生産量が農業で100単位、自動車で50単位の合計150単位の生産量(売上)です。得られるお金もこの生産量に見合うお金が手に入れられます。1人平均では1.36です。同様に乙では農業50単位、自動車300単位、合計350単位の生産量で、1人平均は3.18です。丙は、農業10単位、自動車500単位、合計510単位で、1人平均では4.64です。これら生産物は、ある共通のマーケットに同じように売り、どこかで消費されるとします。3地域内の産業は全て競合的で、生産量合計(農業160単位、自動車850単位)は一定に供給されるとします。


これら3地域で売上に比例した報酬を想定すると、丙の地域が一番リッチな気がします。一人当たり生産量というか売上の価値の高い仕事に多く従事した方が、地域全体では有利ですね。1人平均では、丙の地域が甲よりも3倍以上多いですからね。ここで、自動車産業の厳しい競争があって、生産性向上とか仕事の奪い合いとなるとしたらどうなるか考えてみたいと思います。生産性向上によって、丙の地域は一人当たり生産量が20%増量(従来の5単位から6単位へ)となりました。この影響はどうなるのか、というと、仮に甲・乙地域の競争力が弱くて丙に全敗した場合、丙では農業従事者10人も自動車に移った方が得ですね。なので、丙地域では110人全員が自動車産業に従事します(労働生産性の高い仕事にシフトする、と。ナントカ委員会の委員が言ってた通りにしてみるってこと)。すると丙での生産量は一人当たり6単位生産できますから、合計は660単位となります。前は510単位だったので、大幅成長を遂げましたね。一人平均も6.0となって収入もアップでしょうね、きっと。


そうなると、3地域合計の生産量は自動車産業が850単位でしたから、甲・乙地域の分を減らさざるを得ません。残り190単位を巡って競争となりますが、仮に甲地域が農業に特化したとすれば自動車産業はゼロとなり、丙地域の農業減少分(10単位)を補うことが出来ます。つまり、甲地域は農業従事者110人となり、合計生産量も110に減少(自動車産業があった頃は150単位)します。しかし、全員農業を行うことが出来ますね。では、乙地域はどうでしょうか。農業生産量は3地域合計で160単位でしたので、甲地域が110単位生産分を除いた残りは以前と同様に50単位(50人従事)です。自動車産業は190単位生産量を受け持つので、38人の従事で間に合います。よって、残り(110-(50+38))の22人は仕事が無くなってしまいます。乙地域の合計生産量は以前の350単位から240単位に大幅減少し、仕事に従事出来ない人も22人登場するということになります。勿論、農業分野での甲乙地域の競争力が問題となるでしょうが、両方合計で22人余ることには変わりないでしょう(その人数比率は判りませんが、甲乙で分配ということになるでしょう)。丙地域での自動車産業の競争力・生産力アップによって仕事を奪われることで、もしも競合地域内の合計供給量が一定であるならば、敗北地域が必ず生まれてしまう、ということですね。当然のことながら、消費される量が生産量の増加分と同じだけ必ず増大していけば、減少する地域はないはずですが、そんなことは現実には難しいように思います。


これに類する事態はトヨタとGMの関係にも見られます。世界的な自動車メーカーは「600万台クラブ」に生き残り戦略を賭けて、あちこちで合併・統合とか資本提携などが行われましたが、トヨタが800万台クラブ入りとなったのに対して、GMショックの如く危機的状況となる訳ですね。北米地域の新車販売台数が例年とさほど違いがない時、トヨタがより多く売れば、どこかがその分を減らすことになってしまうのですね。競争力が弱ければ、丙に自動車産業の多くの部分を奪われる、ということと似てます。その時に、代替的な仕事が存在していれば大きな問題はないかもしれませんが、実際にはかなり失業してしまうんじゃないでしょうか。甲乙丙のような仮定そのものが大きな誤りを含んでいるのかもしれませんが、何となく思い浮かぶ印象で言うとこんな感じになってしまうのではないか、と思いますね。


地方の問題でも、これと似たようなことはないでしょうか?大都市と地方の関係はどうですか?他の地域の分担していた生産量が奪われていないでしょうか?他地域に仕事を奪われなくとも、生産性向上によって仕事を失う人々も出てくるかもしれませんし(例えば、小売の店員配置を従来の半分に減らした店舗とか)。これを避けるには、単純な競合的関係とならないような(競争力に自信があれば当然競合して他地域を蹂躙します)、別な生産物を必要とします。これが何なのか、というのは判りませんが、観光とか環境ビジネスとか、そういう別な何かですかね。


地方の産業、主に農業とか漁業は安い海外との競争に多くの仕事を奪われてしまいました。いい例を思いつかないですが、ブラジルから鶏肉、オーストラリアから羊肉、中国からマツタケ、モロッコからタコ、チリやノルウェーからサーモン、インドネシアからエビ、という具合で、安い海外品が入ってくるので、国内消費量がドーンと増える訳でもないと思いますから、国内農家や漁師は苦境に陥るのだろうな、と。昔は町はずれにあったステレオのスピーカー部品工場も、東南アジアとか中国にどんどん出て行ってしまったかも。そもそもステレオスピーカーの国内需要自体が大幅に減少してしまったかもしれない。地方に存在して雇用を生んでいたものが、海外の競合地域に奪われていったかもしれない。


こういったものに替わって、何があるのか?ですね。経産省の報告にもあったように、ブロック圏内での循環を形成できるようにしなければならないでしょう。これがうまく回転するような仕組みが出来上がれば、地方といっても自立的な環境を整えられる可能性があります。


いっそ、甲地域のように全体として低い生産量でも良く、それに見合った生活をしていれば問題ないかもしれません。ですが、多くの人達がそういう状況を望んでいるとも思えないのですね。現状でも、「地方に予算をつけてくれ」ってことになっていて、この期に及んでも「道路を作れ」とかって言う訳ですね。誰もタダで作ってくれやしないのに、です。



人口規模だけで経済成長が決まるとも言えないですね。アイルランドは昔は失業が多くて、貧乏で、イギリスに出稼ぎに行くしかないような状況だったろうけど、今は随分と発展して生産性向上は著しいですね。炭鉱労働者達のような酷い時代もあったけど、IRAの過激な活動も下火になったというのも、経済的に満たされない環境が改善された、ということがあったかもしれない。そういう時代を潜り抜けてきて、成長軌道に乗れば、例え大都会ではなくとも成功できるんですね。人口は約400万人弱ですから、静岡県よりもちょっと多いくらいですね。国民一人当たりGDPは、Wikiによれば29800ドルだそうです(日本は29400ドル)。

教育問題で取り上げたフィンランドですが、こちらは人口が約520万人と福岡と兵庫県の中間くらいです。巨人ノキアの恩恵ということもあるのでしょうが、ここもうまく運営していると思いますね。国民一人当たり29000ドルと日本とほぼ同じです。人口密度は16人と日本の20分の1くらいです。国民一人当たりではルクセンブルクが世界第1位ですが、佐賀県くらいの広さに40数万人が暮らしているんですって(佐賀県はその倍くらいの人口)。まあ、大金持ちが相対的に多く住んでいれば、きっと平均も高くなるんだろうけど、58900ドルはダントツだね。


またアイスランドは人口がたった30万人くらいで、漁業中心の経済だそうです。雇用の8%を漁業で賄っているんだそうです。でも、うまくやればちゃんと出来るってことだろうと思いますね。一人当たりGDPは30900ドルだそうです。サイズが小さいことが有利に働いているのか、不便な遠く離れた離島だからいいのか(人の移動などが制限されやすいかな?と)、ちょっとよく判りませんけれども、人口が30万人くらいで漁業従事人口が一割弱、という地域は日本にも結構あるだろうと思いますね。


「規模が小さいからうまく行くんだよ」ということならば、そういうサイズに区切って、その中で似たようなモデルを形成していくとか、同じくらいの大きさの循環ブロックを形成出来れば、地方であっても成長を遂げることも可能なのだろうと思います。そういうモデルを日本全国の各ブロックで探すしかないと思いますね。日本でうまく行かない理由というのは、何だろう?純粋に、疑問に思えてくる。ベネルクスも、アイスランド、アイルランド、ノルウェー、デンマーク、スイス、などといった国は、大体小さくて効率的に運営されているということなんだろうと思いますね。国民一人当たりGDPが日本より上位の国々には、そうしたヒントがたくさん隠されていると思いますね。


今後はそういった小国の成功をよく研究して頂き、行政に生かしてもらいたいと思いますね。それが経産省の報告にあったような、多くの地方が陥る「ダメな、悪い未来」ということからの回避なんだろうな、と思います。



竹中大臣の要望

2005年12月05日 22時37分44秒 | 社会全般
「内閣府はマクロ分析くらいやっとけ」という平ちゃんの要望はどうやら本物だったらしい(笑、今日議事要旨が発表されたみたい)。29日の諮問会議でも、そのことが再度確認されていた。それと、国債買入消却12兆円も、財務省に「積んでる金を出せ」との平ちゃんのツッコミに反応したものだった(エコノミー・オブ・スコープ)。誰がどう見ても当然そうですよね、やっぱり。財務省の皆さんは、非常に分かり易いんですね、意外と(笑)。平ちゃんが谷垣くんに慇懃に御礼を述べていたのも、何となく面白い。


で、内閣府のマクロ分析についてですが、吉川先生が前回の「範囲の経済」での意見対立に続いて、今回もちょっと不満げだったようです。それは次のようなやり取りに見られます。


竹中「その上で、ぜひ民間議員には、マクロのチェックをしていただきたい。つまり、財政の論理は重要である。しかし、マクロ経済の反応が重要である。それを両方見るのが諮問会議の役割である。私が暫定的に積算すると、もしこれが1年で4.3兆円の解消を目指そうと思ったら、税収にもよるが、1年間で地方の一般歳出を約6兆円減らさなくてはいけない。つまり、これまでの4年間で地方は6.6兆円減らしてきたが、それと同じ額を1年間で減らさなければならない。これは、GDPの1.2%に相当するので、マクロ経済的には多分大変なことになる。谷垣議員や私も含め、そういうマクロ整合的な議論を行う役割を担っていると思うので、ぜひ、そういう議論を今後させていただきたい。」

吉川「竹中議員がおっしゃったことは、大変重要だと思っている。竹中議員も承知のとおり、その点は税収見積に当然依存する。この点は総務省と財務省で同じ税収見積でも随分数字が違うので困る。」

竹中「税収見積は財務省しか行っていない」

谷垣「十分議論させていただくが、実は16年度計画で財源不足分7.8兆円の削減を言った時、地方から大変叱られた。しかし、7.8兆円から17年度は4.3兆円まで来ており、3.5兆円を圧縮できた。(中略)この辺はこれから議論する。」

吉川「いずれにしても、竹中議員の意見は、我々、内閣府でマクロ経済に対する負荷をきちんとチェックしろということか。」

竹中「お願いする。地方についてもお願いする。」

この後、与謝野さんがまとめて、本間先生もちょっと気を遣って「竹中議員が言われた、経済と国・地方の財政の関係をきちんと整理していかなければならないこと、負荷がどの程度かを検討しなければならないこと、これはそのとおりだと思う。今後、議論したい。」と仰っていました。


最近の傾向としては、以前のように麻生親分がいつも出席してないので、かつては地方財政については麻生vs谷垣、郵政に関してはvs竹中であった訳ですが、今はその対戦相手がいない為に、みんな「誰か」を求めている訳です(笑、違うか。そんなことないですよね)。主に平ちゃんが民間議員達(特に本間・吉川先生)とか谷垣くんとか、同じく財政一派で内閣府に根城を置く与謝野さんとか、そこら辺との対立するという構図が見えるんですね。それで何がどう、ってこともないんですけれども。吉川先生は大抵「落ち着いた」議論をしていたので(他の人達―だいたいメインは麻生親分とか本間先生とか谷垣くんとか―が対立してても、まあまあって収める役割が多かったように思う)、こんな風に連続で平ちゃんに突っ込まれるのは、ハッキリ言えば「面白くない」と思うだろう。前回の「範囲の経済」論争に続いて、今回も「マクロ分析しとけ」ですからね。


なので、さすがの吉川先生も、「きちんとチェックしろということか」と聞き返した訳です。何故なら、つい数ヶ月前まで自分がずーっと内閣府にいて、何ら「マクロ経済分析」を政策ごとに行ってこなかったのが、誰あろう「平ちゃん」だからですね。谷垣くんが述べてた3兆円以上の圧縮に関して「かつては地方からお叱りを受けた」ということについても、常に麻生親分が「地方は既にこれだけ削ってきたんだ、更にこれ以上というのは急には困難だし、まず国がもっと削れるはずだ」と擁護していたんですけれども、これに対しても平ちゃんは常に涼しい顔をして、「財務大臣や民間議員から、尊重するべき非常に有意義なご意見が出された。地方にも更なる削減努力をお願いする(=担当大臣が指導力を発揮せよ。というより、抵抗するなよ。)」と決まり文句のように言っていたわけです。そんなこともあって、そういう地方財政についてのマクロ分析や評価というのは、平ちゃんが内閣府にいた時にはまともにやってこなかったんですね。

にも関わらず、急に「マクロのチェックをしろよ」とか言い出したので、吉川先生は「何で今までやってこなかったくせに、急にそんなこと言い出すんだ?総務大臣になった途端に地方の味方になったのか、それとも俺達に何か文句でもあるってのか?」とか思っても不思議ではない訳です(勿論、吉川先生がそんなことを思っているかどうかは判りませんよ。これは勝手な推測ですからね)。前回の本間先生のお怒りに続いて、吉川先生までもが、ブスっとしてしまった訳ですね。気まずい雰囲気が流れていた訳でございます(笑)。


で、先日お伝えした通り(内閣府の経済分析)、内閣府の報告では、「慌てて分析らしきもの」が載せられた訳ですが、「地方の財政」の話までは「聞いてなかった」ので(笑)、漏れてしまったのですね。「増税(税制変更)の影響」についてだけ記述された訳です(因みに、今年就任された高橋進氏が書いたんでしょうか?)。


無関係なことですが、小泉さんは政府資産圧縮に関して、「(特に土地の値段の高い)都心部にある公務員官舎を売却出来ない、ってのはどうしてなんだ?売れないって言うんだったら、その理由を聞かせてもらおうじゃねえか。」(本当は、こんな風には言ってません。諮問会議議事要旨をご自身でお読みの上、ご確認下さい)というようなことをおっしゃったのです。これはまあ、つまり「(批判の多い)公務員宿舎を売って借金返済の足しにするのが筋だろうよ、財務省。いや、理財局」ということですね(これも勝手な推測です)。理財局はちゃんと資料を全部出せ、と。他からも情報が入っているぞ、と。理財局はかなり抵抗してる、と(情報源は何処かは判りませんが。本当に抵抗してるかどうかも不明ですけど)。本庁舎を売ったりはせんでもいいと思うけど、官舎のうち豪奢なやつとか優遇され過ぎって非難を受けてる物件はダメなんじゃないか?やっぱり。


それから、重要な点がもう一つあります。それは安倍ちゃんですね。今まで、諮問会議の中での発言が全くないんですね。就任してから結構経つと思うし、特に「三位一体の改革」に関しては前任の細田さんが一生懸命やっていたはずですね。つまり「官房長官預かり」も結構あったはずなんですね。なので、もうちょっとそこら辺の部分に関しては、自分の意見表明をしてもいいのではないのかな、と。これに関しては、平ちゃんや与謝野さん、本間先生がメインで説明・議論してしまって、安倍ちゃんが発言していない。細田さんもそれ程多くは発言してなかったけれども、少し慣れてきてると思うし、安倍ちゃんにも発言のチャンスはあると思うので、出来れば議論に参加した方がいいと思うけど。「だれの仕事か」というような責任の所在も、あんまり見えないように思うけど。もしも官房長官のところでさばいていたのに、他人が全部議論では、意味がないようにも思うし。それとも、本当は安倍ちゃんが采配したんではなくて、操り人形だったってこと?まとめたのは中川政調会長とか?


普通、何かの論文でも発表でもそうだと思うけど、本当に自分が(苦しんで)調べたり研究したりしてないと、ちょっと内容とか書いてある中身のこととかの質問したりすると、答えに詰まったりするから、直ぐにバレるんじゃないのかな。それは多分、自分の言葉・理解として、頭に入っていないからだろうと思う。つまり議論・討論というふうに発展しないんですね。なので、何も発言しないと、本当に自分が責任を持って取り組んできたのかどうかがわかり難くなると思うので、自分が担当していたところについては、たとえ「饒舌に説明」出来なくとも、ご自身の言葉として自分の口から説明したり議論したりするべきだろうと思いますね。


変な例ですけれども、子供が遠足のお菓子を300円まで買ってよい、ってことになってて、子供に「どうしてこの組み合わせなの?」とか質問すると、自分で一生懸命悩んで買った子は「このチョコを入れたのはねえ・・・」とかって答えるんですね。でも、自分で悩んで考えたりしてないと、同じような質問にもスラッと答えられないんですね。大人がレシートだけ受け取って中身を知ったところで、同じくうまく答えられないようなもんです(詐欺師のようなウソが上手とかなら別かもしれないけど)。案外と下らない理由があったり、その子なりの考え方が窺えるものなんですね。大人が考えないような答えも出てくる。そういうようなもんです。子供自身が必死に考えたことで、その理由にはきちんとしたある道筋が出来ているんですね。それがその子自身の言葉・発言によって見えてくると思うのです。

なので、議論ということになれば、間違えたことを言う場合もありますが、それでも自分の言葉で発言することが大切だろうと思います。諮問会議の場で全く発言がないというのは、参加していないことと同じになりかねません。そういうことに気を配ることも、官房長官の役割と思います。

「社会保障のあり方会議」に関連しても、官房長官のところでの所掌?でしょうから、社会保障改革の問題についても大きな責任をお持ちのはずですね。



チャンスか、罠か?株式相場

2005年12月04日 20時31分34秒 | 俺のそれ
投資の方法とかについて正確に判る訳でもないですが、今後冬のボーナスを「株でも買ってみようかと思って」とか言う素人衆は、止めた方がいいかも。どうしてもやると言うなら、出来るだけ少ない金額で我慢しといた方がいいと思うけどな。また5年くらいチャンスがやって来ない可能性もあるということを考えておくべきかもな~って。06年度業績は株価に織り込まれてきているから、07年度の成長予測が減速ということになれば、06年度中ごろ辺りから株価下落が始まっていく可能性があるのかも。いかに停滞なき経済成長とかの強気推測があっても、ある時点では景気後退となるのですから、上昇相場がそれほど長く続くというのは・・・どうなのか不明ですけれども。


03年の7千円台から見れば、平均株価は約2倍になっており、現状は長い景気回復ということで「谷が深かったから」ということを除いて考えると、大体1万円程度から今の水準までで1.5倍となっていて、これでもかなりの上昇と言えるでしょうね。03年8月くらいから今年5月くらいまでの間では約10000~12000という落ち着いた水準でした。02年度途中からの景気回復(ちょっと信じられないけど、方向性としては後退じゃなく回復なんだろうけどね)はあんまり大したことがないとして、それ以後の上げ相場は、所謂「踊り場脱却」が明確になったこともありますが、約8ヶ月間上げてきたことになります。そして12月、1月頃に個人投資家の更なる資金流入となったとしても、次の資金流入がなければ買い資金が相対的に減って下げてくることも考えられるのです。前回のITバブル時は約1年くらいで大幅下落局面となってしまいました。


つまりは、来年春先頃には相場の転換点が訪れる可能性が有り得ます。その時にも外国人が積極的に買ってくれればいいですが、果たしてどうでしょうか。


昔からの私のミニ株取引記録(エクセルにただ数字を入れてあるだけなんですが)を調べてみたら、思ったより健闘してることが判りました。何だか嬉しい。98年からミニ株を始め(95年頃には普通の単位株を数銘柄売買してた。勿論一番最初の頃は1銘柄のみ。一点買いですな。生まれて始めての銘柄は・・・NECでした。20万円以上儲けてた。だって1年以上保有だもん)、投資資金はそれほど多くなかった。最初は京セラと三益半導体工業を買っていた(何故電気関係ばかり?笑)。その翌年からはいくつかに投資していって、丁度ITバブル期を迎えて上がったので、一部を残して(一部売却で利益が確保され、配当利回りが期待できそうな銘柄はちょっと残した)売ってしまいました。この時の平均保有月数は一年以上で、投資銘柄数は8銘柄、利益は40万円以上でした。投資金額が百万円でも、買い値さえ良ければそこそこの利益は期待出来るかも。

この間(98~00年)の日経平均は約16000円から約20000円の上げですから、約25%上昇ということで、ベンチマークよりも良かったということになります(ラッキー)。でも、もっとIT関連の銘柄に投資していた人達は、何倍か何十倍になった人もいたんだろうと思いますね。そういう人は、多分「私はこうして3億儲けた」とかの本を出してるだろうと思います(笑)。


その後、01年秋頃からまたミニ株を買い始めたのですが、これが結構塩漬けとなってしまったんですね。さすがにITバブル崩壊後でしたから、「そろそろ仕込みにはいいかな?」と思ったわけです。だって、それまでの安値圏だったし。この水準以下に下がってる相場というものを経験したことがなかったからですね。なので、仕込み始めてしまった訳です。これが甘かった。


当時の日経平均は大体13000円程度でしたので、95年以降の中ではかなり安値圏と思われたんですね。だから買っていった訳ですけれども、このあとさらに落ちていって8千円割れとなったんですね。単純に比率だけで言えば46%くらいは下落してるんですね。まあ、私が買った銘柄はそれほど強烈ではなく、3割くらいは下落したかな。中でも、大きく下げたのはCTCだな。でも買ったのが20株だけだったから被害は小さくて済んだ。この時の教訓は、「自分の判断の誤りを認めろ」でした。失敗したことが中々受け入れられず、損失を抱えて売ることに抵抗があるんですね。なので、売ることが出来ない。そうやって損失が増大していくんですね。ダメな時には、あっさり切れ、ということですかね。その内、嫌な銘柄は忘れることにしました(笑)。で、他にもブリヂストンとかも買っていて、半分まではいかなかったけど、結構下がった。残した銘柄も利益を失ってしまい、逆に含み損となってしまいました。長期投資があだとなったのか、と。


でも、耐えて待つといいこともやってくるんですね。十分マイナスを補って更に利益が出せました。待ってて良かった~と思いました。今年売った分では約35万円の利益が出ました。大幅マイナスの嫌な奴(CTC)も一緒に売って処分できたし。この損失がなければ、もっと利益が出てたはずなのに・・・と言っても仕方がないんですけど。割と良かったのはヒロセ電機(また電気かよ・・・と笑われるね)。8320円で20株買っていましたので、大幅アップだ。ラッキー!今年の売却した分は平均すると約3年以上の保有だった。昨年一部売却して入れ替えたのがあって、それも今年の上げで売ってしまいました。早く売りすぎたかもと思ったのは、去年4000円で買ったセコム。5400円くらいで売ってからも更に上げてるじゃねーか、と。今年の入れ替えで失敗したのは、ディフェンシブな薬品銘柄です。久光製薬は抜け出せず。悔しすぎ。待ってるんですけど。でも、他の銘柄の含み益が結構出てるから、まあいいか。金額も大したことないし。


因みに利益で増えた分は、ほとんどミニ株を買わないので、別な投資先に回してます。最大で大体100万円程度になるように調節してます(ある種の自制機能)。ミニ株は大和證券だけに置いてまして(取扱範囲が広く、他の証券にない銘柄も大体ある。単位株が1というのはダメだけど)、普通の単位株は売買してません。債券とか外貨とかはあります。投資銘柄数が多くなると、ミニ株の良さが失われてしまうような気もするし。コンパクトさがいいんですよ、やっぱり。投資金額もミニで、ということかな(笑)。たとえ「全損」でも百万円だし(そんなことはまず想定してないけど)。そういう気楽さが逆にいいのかもしれない。


普通の売買はネット専業の証券で取引してます。でもね、運用成績は利回りで言うと、ミニ株の方が実は良かったりする(普通の株は一度も売買してない期間が長いこともあるかな。例えば97年とか02、03年は一度も売買してなかった。ただ保有してただけですね)。勿論大きな収益は普通の単位株の方が利益率が大きいんだけど、損失もデカイのもあった。これもね、売る勇気がなくて、かえって損失が拡大してしまった、ってやつだね。こういうのは、非常に悪い見本だろうと思うね。なので、「ダメなものは、容赦なく売れ」です。気分も入れ替えて、新たにチャレンジですな。あとは投資する銘柄数の違いもあるかも。普通の株は基本的に保有銘柄数が少ない。2~3銘柄くらい。でも、ミニ株は分散されてるから、わりと無難なのかも。大体5年に一度くらいのチャンスが来るのを待つということでやれば、そこそこの成績は出せそうな気がする。もしも、インデックスと同じ程度の運用(投信みたいな)だったとすると、(01年の)13000円から16000円としても、約23%程度の上昇なので、これを上回れば御の字だと考えています。


98年から一度も売買せずに保有してたとしても、インデックス程度の運用成績であれば殆ど儲けられない。というか、現時点でも逆にまだマイナスの可能性もある(16000円→15400円くらいなので。ただ採用銘柄が入れ替わってるから正確ではないけど)。なので、待ってるだけでは増えないかもしれず、長期に保有すればいい、ということでもない。それは昔の話だろうな、と思うけど。長期的に見ながらも(保有することもあるが)、割安な水準に来たら買って、チャンス到来を待つ、ということでいいような気がします。その時点では、利益を確定せよ、ということも大事ですね。そういう意味では、今から買って上がるのに期待するというのは、どの位上昇余地があるか、ということも関係するので、慎重に考えた方がいいのではないかな、と思う所以です。相場観としては、ブルブル(かなり強気)の人々が多いんですかねえ、やっぱり。


自分のミニ株歴を通算で振り返ると、今の含み益も合わせれば平均利回りで見て、7年くらいで1.9倍ですから十分嬉しいですね。年9~10%くらいの成長ということです。変な投信買うよりも、はるかに得した気分です。手数料も取られないし。配当も貰えるし。どうも投信というのはあんまり信頼出来ないんだよね、日本株のアクティブタイプのやつ。本当に優秀なのは極々僅かでしょ?というか、極めて稀でしょ?なので、本当によく吟味して買わないと、後で泣きを見る人達が多いでしょうね。

冬のボーナスが、市場というか相場の闇に消えていくというのも悲しいので、注意した方がいいですよ、マジで。特に「にわか投資家」の方々は。


皇位継承のことなど

2005年12月03日 18時33分26秒 | 社会全般
皇位継承については、以前に少し触れましたけれども、心の問題でもあると思いますね。男系男子以外に認められないというような意見を強硬な保守派が述べたりしてるらしいのですが、何だか私の受け止め方とは違うと感じました。


これはあくまで私の感覚に過ぎませんが、もしも天皇陛下の純粋な臣下を自認するような人々(所謂タカ派的保守派?)が反対したりしているのであれば、元々臣下に過ぎない連中が天皇家に「意見する」などということは畏れ多いことなので、意見すること自体を止めたらよろしいかと。また、「法による規定」ということも、長きに渡る歴史的にはちょっと「違う」ということかな、と思ったりします(勿論現代社会の仕組みの上では止むを得ないことなのですけれども)。法による、というよりも、元々は自然発生的な「ことわり」(?、と言うべきなのか判りませんが。「道理」ということかもしれません)というようなものであって、それはひとえに「民(国民)が天皇に対して尊崇の念を持ち続ける」ということによって支持されてきたと思います。世俗的権力とか、実際的な執政といった部分に重点があるのではなく、「天皇という存在」とそれを尊敬する気持ち、という実体と思考が一体化したもの―ある種の現象ともいうべきもの―が継続されてきたように思えます。


それゆえ、時の権力者達が栄枯盛衰を色々繰り返し、歴史の中に消え去ろうとも、天皇は存在を保ち続けました。それは1人の「人間の存在」ということに対してではなく、「存在と民の気持ち」が一体化したという、実体を伴わないものが真の存在だからだろうと思っています。もしも、数多の権力者達のように、実体化した「人間の存在」としてその存在が維持されるとしたならば、他の権力者達と同様に途中で消え去ってしまったかもしれません。単なる「人間の存在や地位」というのは、多分時間の壁を乗り越えることは困難なのです。逆に実体化していない、知恵とか宗教とか伝承とか、そういったものは時間と歴史の壁を乗り越えて、残されていくものだろうと思います。天皇の存在もまた、そういう「民の気持ち」という目に見えないものに裏打ちされた存在でありますので、継続されてきたのだろうと思います。


大変申し上げ難いのですが、あれこれ文句を言う保守派というのは、「この方を天皇とするのは賛成だが、この方を天皇とするのは反対だ」というような、まことに見苦しい、畏れを知らぬかのような意見を言っているようなものです。純粋な臣下に選択の余地など有り得ません。そういうことではなくて、それぞれの国民に「気持ち」さえあれば、どなたが皇位を継承されたとて、敬い、お慕い申し上げるはずなのです。そういう気持ちが足りないから、平凡な民の分際で意見したりするのです。そもそも国民が天皇を選ぶのではありません。天皇をお慕いする気持ちが、存在を実体化させ、維持・継続させるのです。


「Y染色体の継承」という点も出されていましたが、本当にそういう「血の伝承」を長い歴史の中で考えているのかどうか判りません。


途中ですが、後で追加します。


復活です。笑

Y染色体の継承という論点ですけれども、これは多少の議論があるやもしれません。ヒトとその他の動物が同じかどうか、というのは何とも言えませんが、少し考えてみますね。


サラブレッドはスタッドブックとかの血統書によって血の継承が記録されており、父系は遡れば3系統に全て行き着くそうです。つまり現在のサラブレッドの先祖は、3頭の「お父さん」馬から生まれたということになるようです。系統図で18世紀あたり以降の全ての血統が明らかになっているのです。では、その3頭は何処から生まれてきたのか?この3頭のY染色体は何処から継承されてきたか?ナゾですね。これはよく分からないのですね。「記録に残っているところ」までが、「正統な血統」ということですね。それ以前というのは、どうなっているかは誰もよく知らないし判らないのです。大袈裟な言い方をすれば、「何処の馬の骨」とも知れないような(笑)牡馬からY染色体を受け継いできたかもしれないのです。でも「いい馬」ということで、記録が残っていさえすれば、それ以後の血統は「正統」と評価される、ということですね。


もう一点、Y染色体は永久不変の遺伝情報を持つのか?ということです。通常、常染色体は父系と母系の遺伝子の組み換えが起こり、染色体の交換が行われるということです。なので、色々な遺伝情報が父親からも母親からも子供に受け継がれる、ということになるのです。では性染色体はどうなのか?女性はX染色体が2つ、男性はXとY染色体の組み合わせとなりますので、男子と女子では考え方が多少異なるかもしれません。正確には知りませんが、常染色体とほぼ同じと考えると、X染色体同士では組み換えが起こってもよさそうです。もしそうであれば、女性の場合には次の世代に受け継がれる遺伝情報は、父系と母系の両方(父方の持っていたX染色体と母方が持っていたX染色体)が遺伝情報を(組み換えによって)交換する可能性がある、ということになります。ところが、Y染色体はX染色体とほとんど組み換えが起こらないということで、男子の場合にはY染色体がそのまま受け継がれているだろう、という推論に基づいていると考えられます。それはどういうことなのか?


ここで、ある仮定をしてみます。Y染色体は組み換えが一切起こらず、基本的に全てそのまま遺伝されるとします。ならば、男子が持つY染色体は常にその父系の染色体しか遺伝されず、その遺伝子は不変ということになります。これはどういう意味なのか?ただ1人の女性-イヴ-に行きつくミトコンドリアの遺伝子のように、あるいはスタッドブックの始めの牡馬のように、最初の父親に行き着くということになります。そして、「日本人」という民族が始めて誕生した時には、まさに「アダムとイヴ」のような日本で最初の(笑)男性と女性に行き着くはずなのです。その男性が持っていたY染色体は、その後の子孫全員に「そのまま遺伝」されていたはずであり、つまりは日本人全部が同じY染色体を有していても不思議ではないのです。その場合には、女性天皇が日本人の誰と結婚し子供を産んだとしても、全員同じY染色体なので、特別に「Y染色体の継承」に拘る必要性はなくなりますね。


この仮定の場合には、Y染色体が登場してからの人類の持つY染色体は全て同じはずである、ということになります。遺伝子組み換えによっては、新たな遺伝情報は登場し得ない、ということですね。中には突然変異型が登場しないとも言えませんが(可能性だけを考えれば)、そうした突然変異は数万~数十万年に一度とかの非常に稀な頻度しか生じないかもしれません(進化速度などの研究もありますから、そうしたものを調べて頂ければと思います)。生物種に雌雄が出来てからは、特に哺乳動物の場合には、ひょっとするとY染色体は「種」特有の同じ遺伝子しか有していないということなのかもしれません。それは、その種特有の一定の形質発現が起こる、ということです。例えば、国鳥であるキジのオスの羽(メスとは違った外見、派手ですね。ありゃ、キジは鳥だな、哺乳類じゃなく。ゴメン)とか、鹿の角みたいな違いとか、イルカのヒレの形とか、何かそういった違いがあるだけで、種内では違いがないのかもしれません。


別な仮定としては、同じ種ごとであっても異なるY染色体を幾つか有するということであれば、それ以前の祖先でどのように誕生していったのかが気になります。X染色体との組み換えがほとんど起こらないのに、別の遺伝型を持つY染色体が誕生しなければならないのです。初めてある種が登場するとしても、偶然似たような遺伝子の変化を獲得するということになる、ということですね。馬であれば、アフリカ大陸の中に、偶然ごく僅かに異なったY染色体を持つオスがそれぞれ別に誕生するということになります。でも、形質発現や遺伝子型はほとんど同じであって、生物学的にはあんまり区別がつかないということですね。ヒトであれば、「黒い髪、黒い瞳、切れ長の目」というような特徴を有する男性が存在しても、それぞれが違ったY染色体を有している、ということです。その先祖はそれぞれ別に存在しており、同じ先祖から分岐した訳ではない、ということです。これはかなり難しいかもしれませんね。生物学の専門家から見て、どうなんでしょうか。イヌであれば、同じ土佐犬であっても、別々のY染色体を有している、ということですね。


もしもX染色体との僅かな組み換えによって、Y染色体に変化を生ずる、ということであれば、そもそもY染色体の継承というのが重要な意味を持たなくなります。それは女性の持つX染色体によって影響されるということになり、結局「誰と結婚し子供ができるか」ということに依存することになってしまいます。


いずれにしても、染色体議論はちょっとよく判りませんが、そういうことが「最も大事なんだ」ということは、感覚的に理解出来ません。天皇家の「血継」を詮索するのも、一般庶民の考えるべきことでもないように思えます。そういう正統性よりも、心の中にある正統性の方がはるかに意義のあるものではないかと思えるからです。



内閣府の経済分析

2005年12月02日 21時58分28秒 | 社会全般
今までに幾つか記事に書いてきた勝手な推測や、いい加減な記述や、怪しげな疑問などへの答えが提示されていました。そうでしたか。と思って読みました。やっぱりプロの「仕事」というのは、素人ブログの適当な記事よりも立派ですね。きちんとしています。行政の方で色んな情報提供というか、公開が進められていますから、記者の方々もよく読んで研究したりするといいと思いますね。ほんの少しばかり味見した程度の、告知記事みたいなのを書くばかりでなく。

日本の経済2005-2006


全然無関係な話題ですが、この前、小泉さんに「(政府系金融機関の問題で)麻生大臣が国際融資分野についての抵抗のような発言をされたのですが、これについては「調子ハズレ」ということはありませんか?」とかって、質問してた記者がいたな。何処の社かは知らないけれども。チラッとテレビに映ってた。ハッキリ言うと、この記者は「バカか?」と思いました。何て浅はかな質問を首相にするんだろう?って。安倍官房長官の会見後の質問とかも、マンネリ化するからなのか知らないが、下らない質問が多いし、直接行政に無関係な質問が多すぎると思った。一体全体何を聞く気なのか、と思うね。記者諸氏は、担当が張り付いているんだろうと思うけど、もうちょっとマシな質問は出来ないんですかね?


大抵、ネタ不足で、「ヤンキースが優勝を逃したんですが・・・」「阪神が優勝したんですが・・・」「ロッテが・・・」「井口が・・・」以下略・・・とかのどうでもいい質問が多すぎなんですよ、本当に。そんなことばっかり首相に聞いてないで、普通に政治記者の質問をしろよ。近所のオヤジとの雑談みたいな質問がほとんど。「何か聞かなきゃいけない」でも「何聞けばいいか判らない」「質問事項の不足で間が持たない」ってな感じだろ?本当にアホかと思う。国の行政に関しての質問よりも、スポーツネタ、社会ネタ、珍現象ネタ、他人の不幸・事故ネタ、そういうのが多すぎなんだって。何人も記者達が集まっていて、何で誰からもそういう行政についての、国民に知らせるべき質問が出てこないのか、本当に疑問。何人も集まってて、あれだもの。


「自衛隊のイラク派遣延長の決定に際して、世論との整合性はどう考えているか」「拉致問題の進展についてはどうするか」「年金改革の合同会議が機能してないが、与野党含めて年金問題をどう解決していくつもりなのか」「医療制度改革で地方財政に与える影響とかインパクトはどう分析しているか」「基地問題はどう地方の理解を得るか」・・・よく判らんけど、そういう感じで幾つもあるでしょうが。たまに「量的緩和政策へのコメント」などを聞いてしまうと、滅多にないことだったから、発言がクローズアップされてたけど(笑)。こういう質問はまともな方です。でもね、「誰々は調子っぱずれですか?」ってアナタねえ、何が訊きたいの?って思いますね。そんなこと訊くより、「一機関に統合した場合、ODA実施等の外交分野でのマイナスは少ないとお考えですか?」「外務省主体よりも、官邸外交を重視していくお考えですか?」とか、普通に訊けるだろ?


安倍ちゃんにも、同じ。結構無駄な質問が多すぎるんですね。経済財政諮問会議後の会見での質疑も、変な質問とか無駄なのが多い。質問者(記者)自身が、何が言いたいのか・聞きたいのか、というのが全然判らないような質問とかもあったりする。以前に平ちゃんがわざわざ自分で解釈しなおして(質問の内容を判りやすく言い換え且つまとめて)、自分が質問を作ってそれに自分で答えるような時もあったような気がする。何だか生徒会の集会で、どうでもいい質問が出てるみたいな感じ。質問するなら、国民に成り代わってビシッと質問してくれ。でも福井総裁の記者会見での質疑は、結構きちんとした内容みたいだ。どうしてなんだろう?こんなに質問のレベルが違うってのは。政治担当と経済担当では大きく違う、とか?



方向が全然違う方に行ってしまいましたが、内閣府が発表した経済分析には、利息収入の話、GDPギャップの推計値、ULCの話などもあり、勉強になりましたよ。それに、金融政策に関することもね。そういえば、きっと発表ギリギリ直前で恐らく追加されたであろう、「限定的とみられる税制変更のマクロ経済に与える影響」は、ひょっとして平ちゃんの発言が原因ですか?(この前諮問会議で「増税インパクトを勘案したマクロ分析くらいやっとけ」、と突っ込まれたから)、それとも良く解釈をすれば、政府与党の合意(定率減税廃止とか所得・住民税の改変案)がとれてなくて、ギリギリとなってしまった?他と比べても、あんまり「内容がないよう」というような項目となってしまっているし(笑)。責めてる訳ではありませんよ。ただ、他の分析の「厚み」を見れば、誰がどう考えても「慌てて付け足し」ってな感じですから。まあ、しょうがないですから、今後ESRI あたりで詳しく調べておいてもらって、来年の白書にでも掲載すればいいんですよ。

これも、全くの推測なんで、悪気はないです。学生のレポート評価とかの経験がある訳でもないし、「慌てて追加」の項目を見抜ける程の眼力もありませんから(笑)。逆に、私が真にできの悪い学生だったので、どう見ても底の浅い追加記述を入れたりした(友人のを参考に見せてもらったり・・・すまぬ)という、しょうもない体験に基づいていますね(笑)。


また後で。
ちょっと、席を離れますので。


経済状況ですけれども、為替は120円を突破しましたね。超えてみればあっさりでした。ミスター円は何て言うのかな?「これがですね、ドカーンと弾けちゃう」って解説してくれればいいのに(爆)。何でニュースに登場せんのかねえ。今の円安はある意味「行き過ぎた円安」水準だよ?米国経済の強さとか、金利差拡大を織り込んだとしても、実効ベースの水準では98年以来の水準だと。さっきフェルドマンさんがそう言ってた(WBSで)。内閣府の分析にも実質実効為替レートが出てたね。


株式市場も「キター!」ですが、これが一体いつまで続くか、ちょっと気になり出してきました。ボーナスを株式に投入しようかというサラリーマンなどが登場してきて、新たな買い資金流入となれば一段高が期待されそうですが、小心者の私としてはある程度の利益で満足してしまいそうです。今の上昇ピッチがかなり早いので、来年始めころの調整局面(かな?)では、もつれそうかな、と思ったり。上げが強ければ調整が長くなりそう、って思いますが、他の皆さんは強気なのかな?


与謝野大臣が「インフレ期待は悪魔的手法」と言ったそうな。これに対しては、中川政調会長が反論ということだそうです。日銀擁護派の与謝野さんでもあり、財政一派ですので、自民党内の対立軸がいよいよ明らかになってきたようです。

Yahoo!ニュース - 時事通信 - インフレ頼みは「悪魔的手法」=財政再建で火花-与謝野経財相と中川政調会長


財政一派は谷垣・与謝野連合、一方対立側は竹中・中川連合、ということですね。インフレ誘導ということで言えば、日銀派はちょっと困るが、税制改正とか年金改革といった部分では、財政再建派の方に近いな、私は。こういう時には、どちらも応援出来ないので、困るね。中々困った状況が出てきたかもしれない。居並ぶ諸将の中で、武勲のあった者、手柄を立てた者、築城とか普請とかで功績があった者、色々あるからね。


最近中川農水大臣は姿を見せないね。前は日の当たる経産省だったけど、近頃は地味になってしまったかも。そう言えば、町村さんも見ないな。ニュースに出るってのは、結構大事なんだね。前原君も殆ど見かけないね。民主党は本格的に沈没してしまったのかな?



企業のダイバーシティ

2005年12月01日 22時27分04秒 | 社会全般
先日に書くとお約束した「ダイバーシティ」ネタを。いつだったか、例のWBSで雇用と就業形態についての「ダイバーシティ」という感じの特集があった。「ダイバーシティ」って、耳慣れない言葉だったので、田舎者の私は「台場シティ」かと勘違いしましたよ。何だかマンションのネーミングみたい。ですがね、違うんですよ、これが。


「diversity」ってことで、「相違点、多様性」(by goo辞書)なんだそうです。聞けば、ああそうか、と思いますが、普通に「雇用・就業の多様化」とか「他企業との差別化」とか言ってくれればいいのに。でもね、そういう表現だと、誰も興味を持ってくれないんですけれども、英語で言うと何だかカッコイイので説得力が増すんですよ。例えて言えば、「メトロセクシャルな男」みたいなもんですよ(笑)。


中身に戻りますが、企業における「ダイバーシティ」の原点は、雇用がどうのとか就業がどうの、ということではなくて、本来企業自体の多様性―つまりは多角化(多角経営)―ということであろうと思われます。であれば、「diversity」というよりも「diversify」(多角化する、資本を分散する)とか「diversification」ということだろうな、と。でも昨今は、「雇用環境の多様性」ということが主流で「diversity」が流行っているのかもしれませんが。きっとコンサルタントとかの入れ知恵だろうと思いますね。人事にまつわる問題などが多いですから、そういうときにはコンサルが「時代の先端を行く企業は、何処もダイバーシティに対応してますから」(何か変?うまく使えない・・・)とかってカッコよく説明してるんですよ、きっと。時代の先端を行ければいいけど、別な方向に「逝ってよし」(笑)だったらヤダな。


脇道に逸れすぎですが、要するに多角経営というのはひと昔前に流行った訳ですね。そして、ダイエーとか丸井みたいに多角化が失敗することも多くあって、いつも「diversification」という企業戦略が必ずしも正しいとは限らないのですね。多角化・多様化を求めるというのは、前の記事で触れた「エコノミー・オブ・スコープ」(economy of scope)=「範囲の経済」が働くという経済理論に基づいているはずなのです。実際には、範囲の経済が働くとしても、そこに至るまでに過大な投資が必要であったり、期待していたよりも「範囲の経済」によってもたらされる利益が少なかったり、そういうこともあって多角化失敗という憂き目を見ることになる訳です。多様性の獲得というのは案外と難しく、成功を収める企業の方がむしろ少ないのではないか、というのが印象です。

でも、金融分野では割と成功している企業が多く誕生してきており、それは異業種からの参入が成功することが多いかもしれません。例えばネット証券業(ライブドアとか楽天とか)、アイワイバンク(ヨーカドー=小売から参入、貸出のない専業銀行)、TFS(トヨタファイナンシャルサービス、自動車からリース・カード事業)などですね。ああ、代表的好例を忘れてた。「suica」もそうですね、鉄道事業から電子マネーですから、大転換ですね。これは立派な多様性獲得・多角化ですね。


この「diversification」が政府系金融機関の統合問題のところでもどういった意味があるか、「範囲の経済」が働くかどうか、というのが現実の問題となってくる訳です。国際融資業務とリテール部門や弱小企業向けの商業銀行業務が、本当に「範囲の経済」が働くんですかいな?ということですね。それで、具体的な資料を探してみました、一応。銀行の合併・統合などに関するものです。


これを見てみると、過去の研究の話も少し出てまして、総じて銀行の合併統合においては、コスト削減面では範囲の経済が働かなさそう(銀行規模によって多少違いがあるかもしれませんが)、商品の取り揃え増加による収益面でのシナジー効果は期待出来そう、というようなものと思いました。なので、銀行の合併統合の場合には、「範囲の経済」が働くということ(によってコストが大きく削減出来ること)がインセンティブとはなり得ず、異業種参入のようなメリットもさほど見当たらず、現実的な本音の部分では「頭数減らし」という面が大きいのかもしれません。単純に銀行が多すぎだった、ということです。

これは日本の銀行が、内向きの業務にばかり目を奪われていて、国際的業務には太刀打ち出来ない(海外銀行との競争力が全くない)ということでもあります。なので、うまみの大きい投資銀行業務などは外資系に持っていかれるということになっているのです。そればかりか、国内においてさえ、最近の企業再生についても、アリックス参入とか、GSを初めとする外資系の温泉旅館・地方ホテル買い漁り現象が見られ、いいように仕事を奪われることにも繋がっているのです。結局、自分達で何かをやって行こう、ということを日本の銀行は放棄してきたんですよ。で、仕事を奪われたのは、官業金融のせいにして、本当はオイシイ仕事がゴロゴロあるんだけれども、手出しすることなく捨ててきたのを、外資が拾って歩いてるんですね。ゴルフ場とかリゾートホテルなども外資が買い集めて、再生しとるんですね。でも、日本の銀行は何もやってこなかったんですよ。切り捨ててきただけ。放置してただけ。国内に引き篭もってきただけ。


国内市場が外資に荒らされるのは国内金融機関が弱すぎるからで、国内金融機関が海外にどんどん仕事を取りに行けばリストラだっていらないし、逆に銀行員だって足りなくなってしまうはずなんですよ、本当は。でもね、そういう競争力を養ってこなかった、人材も育ててこなかった、国内でさえ外資に仕事を奪われる、という有様。狭い範囲の仕事(主に預貯金と貸出)だけで官民で競争をして、尚且つ異業種参入組からも攻められる、ということになってるんですね。だから、メガバンク誕生ということで、とりあえず「頭数を減らす」しかなかった、ということでしょうね。


政府系金融機関の統合によって、新組織に「diversification」というようなことを期待するのは難しく、「範囲の経済」がどの程度働くか、というのも難しいかもしれんな。よっぽど工夫したり、トップに素晴らしい人材を据えたりして、新たな組織の将来像を作らないと、「儲けちゃいけない」(民業圧迫となるから)でも「大幅赤字もダメ」だから、どうすりゃいいかね?実際。大体儲かるならば民間がちゃんとやればいい訳だし、儲かんないから官業でやるんですけれども、何が本当に国民から求められてることなのか、整理しておくことも必要ですね。


コトリコフと年金改革

2005年12月01日 03時09分04秒 | 社会保障問題
ちょっとネタが古いですけれども、今までにも何度か取り上げてきた読売の「地球を読む」欄の論説に関連する話です。27日付朝刊には、伊藤元重東大教授が書いておりました。その中で、コトリコフ教授の著書『破産する未来―少子高齢化と米国経済』の引用をして、米国の将来債務水準(あれこれ計算するとGDPの4倍水準)を示し、「つまり国家は”技術的には破産状態”ということになる」という強いメッセージを紹介している。これと似たような状況が日本についても言えるのであり、米国よりもむしろ日本の方が危機がすぐ目前に迫っていることに憂慮を述べていました。昨今の増税論議についても、「重要な鍵」とも述べていました。


丁度時期を同じくして、この少し前の「本のよみうり堂」では清家篤慶応大教授が、このコトリコフの著書(『破産する未来』)と小塩隆士著『人口減少時代の社会保障』について書評を書いていました。偶然同じコトリコフの著書が取り上げられていて、機会があったら読んでみようかな、とも思いました。コトリコフについては、高橋洋一氏の論文の中で登場したので、その時少し触れました(社会保障改革の文献的考察)。


余談ですが、清家教授は政府の委員などをされていて、以前にもちょっと書いた(公示後の選挙違反行為って・・・(追記あり))経産省の産構審委員とか厚労省の社会保障審議会委員などにもメンバーとして入っておられます。伊藤先生については以前に何度かご登場頂いたので、もういいですね。両先生ともに政府内の仕事をされておられますから、是非とも頑張って頂いて、政治的にも良い方向に進めるようにご発言をしていって頂ければと思います。


で、伊藤先生のご意見としては、今の改革推進という政治を評価しながらも、「問題は、こうした手法を続けていくことで、日本が直面する財政問題が解決できるわけではないということだ」と述べており、財政再建の道筋としては増税というような「辛い政策」ということを将来的に選択していけるかどうかが重要なのだ、ということです。


清家先生は、「そのポイントは、〈1〉高齢者の中でも経済力のあるひとたちにはきちんと負担をしてもらう、〈2〉現役層から高齢層への所得移転は社会保険ではなく、税、とくに消費税で行う、〈3〉その所得移転は現役層の経済力に見合った範囲に抑える、ということである。」とまとめており、同時に「給付と負担のバランスは国民の選択によるというとき、選択権のない将来の国民に負担を押し付けるという誘惑に負けてはならない。」との戒めを示していました。それと、米国独立運動時代のスローガン、「代表なくして課税なし」という言葉と、結果的に将来世代への「ツケ回し」をしようとする今の状況を重ねています。


社会保障改革としては、「まず医療改革」ということで進められていますが、これでは現実的に解決されないでしょう。社会保障改革の要諦は、やはり「年金改革」なのです。しかも国民の多くの要望も「年金改革」であるのに(優先順位的にも第一です)、全く進められようとはしていません。それは「自分達の誤りを認める」ということが出来ないからです。「既にやったじゃないか」という下らないプライドがあるからです。将来世代へ負担を「先送り」していっているだけなのです。

部分的に改革は進んでいますが、本当に必要なはずの年金改革は捨てておかれたままであり、これで「国民との約束」を果たしていると考えているならば、反対表明出来ない将来世代に負担を押し付けるだけの政治、ということなのでしょう。コトリコフの警告も理解出来ない、ということなんだろうと思います。