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「かんぽの宿」疑惑の波紋~5

2009年02月19日 15時30分42秒 | おかしいぞ
はいはい、おめでとうーー。
簿価至上主義者ならば、きっと「ラフレさいたま」は15億ちょっとが正しい、とか御託をぬかすんだろうね。

「かんぽの宿」税評価額79施設で856億円、簿価の7倍 経済ニュース マネー・経済 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

(以下に引用)

 日本郵政の保養宿泊施設「かんぽの宿」のオリックスへの一括売却が白紙撤回された問題で、売却対象となっていた79施設の固定資産税評価額(2008年)の合計が、856億7600万円と、簿価(08年9月末で計123億7200万円)の約7倍となっていることが明らかになった。鳩山総務相は19日の衆院予算委員会の答弁で「私も驚いている。実勢価格の方が固定資産税評価額より高いというのが常識であるとすれば、極めて大きな疑問がある」と述べた。

 日本郵政が、民主党の松野頼久衆院議員に提出した資料によると、売却対象の固定資産税評価額は土地が計253億6500万円、建物が計603億1100万円だった。売却対象のうち固定資産税評価額が最も高かったのは「ラフレさいたま」(さいたま市)の85億3700万円で、簿価の15億5800万円の5倍超だった。日本郵政は、簿価は、地価下落や建物の老朽化に加え、赤字施設が多いことを考慮して、収益性の低下を反映させる減損処理を行ったもので、「政府の評価委員会の承認を得ているので、適正だ」と説明している。

=====


けど、言ったろ?
「ぼかあねえ、簿価なんか鵜呑みにはしない」んだって(笑)。

「かんぽの宿」疑惑の波紋~2

この時には、要するに「簿価が正しいんだ」「簿価と大幅には違っていないのだから、入札価格は適正」ということをこじつけたような意見になっていたんじゃないですか?
「ラフレさいたま」なんて、簿価がたったの15億5800万円じゃないか、と。

しかも、「郵政民営化承継財産評価委員会」のお墨付きを得ているんだ、というのを錦の御旗にしていましたね?

「かんぽの宿」疑惑の波紋~3

そうなんですよ、記事に書きましたが、PwCの人、新日本監査法人の人、公認会計士、不動産鑑定士(例の奥田氏だな)というふうに、それぞれの専門家が入っているわけです。

・減損損失が妥当
・不動産評価額が妥当
・回収可能価額や算定根拠も妥当

みたいなことになっているということですわな。
本当にそうなんですかね?鑑定書が全物件について付けられているはずでしょうから、鑑定士の鑑定結果について個別に詳しく検討したらいいですよ。減損損失として処理するのが妥当なのかどうかもわかりますし。まあ得意の「見解の相違」といういい争い余地はあるでしょうけど、本当に承継財産評価委員会の委員が全員「妥当だ」という意見を述べられますかね?
実際のところ、どうなんでしょ?

で、「簡易生命保険加入者福祉施設等の譲渡等を予定しているもの」(=「かんぽの宿」関連や「ラフレさいたま」)については、他とは異なった評価を適用し、それは「20年9月末日時点での簿価」という但書をつけたわけですよ、意図的に。

他とは異なる評価というのは、他が「相続税評価額(路線価)」の適用なのに対し、何故か譲渡予定施設等だけは「末日の簿価」ということになっているわけですわ。こんな但書つきなんて、どうも妙だな、と感じるのは当たり前だから。
承継財産評価委員会で個別物件について評価額を検討した結果、それを認めたということであるなら、国会に参考人として来てもらい、そう証言してもらいなさい。理財局や郵政行政局の局長クラスが委員にいたんだし。算定根拠についても、個別の物件ごとに提示及び説明ができることでしょう(笑)。

<ちょっと寄り道:
財務諸表がオリジナルと差し替えられていたということを記事に書いたら、その後で戻しましたね?(という風に見えました)自分の目が(頭が?)おかしくなったのかな、とか思ったりしましたが、これも陰謀論好きな私の性質によるのかもしれません。笑>


まあ行政が主催する、外部の人間を入れた審議会や委員会というものが、どういったものなのか、というのは、色々とあるわけです。資料や議事録が公開されているか否かということがいかに重要か、ということを、多くの人々が学ぶことでしょう。内輪で、何かとやろうとするような「有識者会議」ってのは、大義名分や形式的なお墨付きを得るとか、意図的に誘導しようとする場合にも利用されるとか、隠れ蓑的に使われるとか、事情なんて色んなことがあるのでしょう、きっと。


ところで、竹中慶大教授は「赤字額が年間50億円」って、産経記事に書く時点でどうやって知ったの?
「かんぽの宿」の財務諸表は公開されていないから、宿泊事業の赤字額とか判るはずがないじゃないですか。知ったかぶりでもしたわけですかね?それとも、独自の情報源を得ていたんですかね?日本郵政や旧郵政公社の公開情報の中には、直近の「かんぽの宿」の帳簿なんて載ってないんですよ。19年度の帳簿さえ出てないんですから。

50億円の赤字というのは、どこから掴んだ情報ですか?
さっさと明らかにして欲しいもんですな。
それとも、デマですか?
「風説の流布」と何が違うのでしょう?
根拠があるなら、出せるはずですな。そんな帳簿は公開されてないと思いますけど(爆)。



総理総裁を選んだ人間は誰か?

2009年02月19日 11時59分05秒 | 政治って?
自民党議員に告ぐ。

どうしようもない愚か者が多いようですが、自らの愚かさをまず呪うべき。愚かな判断をしたのは一体誰なのか、それを決めたのは誰なのか、もう一度よく考えることだ。


①安倍総理、福田総理が誕生したのは何故なのか

どちらも総裁選挙をやった結果である。全国の自民党員の投票とか、地方組織の票も勿論入っているわけである。そういう総理総裁しか選べなかった己の未熟さを、まず呪うべし。己の愚かさ、判断力のなさ、人物評定能力のなさ、そういった「無能さ」の結晶が安倍総理や福田総理を生んだのだ、ということ。途中で投げ出すような総理を選ぶ、最も大きな原動力とは何かといえば、国会議員たちである。そういうバカな国会議員たちばかりが大勢揃っているということを、まず自覚し反省すべき。


②麻生総理では戦えない?

ならば、聞こう。そういうことを言う、お前がやれるのか。
そういう「戦えないような人物」を総裁に選抜したのは、一体誰ですか?国民のせいですか?一般大衆が愚かだからですか?
総裁選をやっても形式だけで、本当は多くの国会議員には関係ない、とか言いますか?

要するに、自民党の国会議員たちは、「何も考えてない」ということ。自らが選んだ結果であるのに、「後になってから」長々と文句を言うのは明らかにおかしい。だったら、はじめから、そういう人間を総裁になんか選ぶんじゃない。自分が出ろ。それができないなら、決まったことに文句を並べてもしょうがない。正しい人物を選べなかった、あなた方のような無能国会議員に責任があるのだ。そういう低レベルの国会議員を選んでいるのは誰かといえば、選挙民ということになる。

つまり、無能国会議員から無能総理総裁が誕生する、無能国会議員は思慮分別の足りない選挙民から誕生する、ということになり、結局はそういう国会議員を選んではいけない、という国民が賢くなれ、ということだ。

では、今の国会議員たちはどのようにして選ばれたかといえば、衆院は「小泉政権下」での選挙によって選ばれたのであり、当時の判断が間違っていた、即ち「ロクでもない国会議員を選んでしまった」ということが、今になって判明したということなのではないのか。更には、参院は半数は安倍政権下での選挙だが、半数は前の小泉政権下での04年選挙で選出されたのではなかったか。つまりは、ごくごく一部の議員たちが安倍政権下で選択されたのであり、残りは全部「小泉政権下」で選ばれた「ダメな議員」たちということになる。

そういうダメ議員が揃っているからこそ、ダメ総裁を何度も選んでしまうのであろう?(笑)
そのような、己のダメさ加減、無能さを呪うべき。ダメ総裁しか選べないような議員の集団なのであれば、政権を自主返還して下野するとか、議席も自主返還して「もっと優秀な人たちに総理を選んでもらおう」ということにすべきだ。それくらいの覚悟があって当然なのではないのか?2度あることは3度ある、ということで、安倍、福田、麻生、と3回連続で「総裁選びに失敗しました、私たちの目は節穴でした」ということではないか。

批判ばかりしている議員は、まず、自らの議席を即座に明け渡せ。
満足に総裁も選べないような議員は、国民の代表である資格などないのでは。


③それを言っちゃあ、おしめえよ

小泉チルドレン系の議員に多いのだと思うが、小泉さんを尊敬するのは悪くないし、持ち上げても勿論結構。好きにすればいい。だが彼は、既に「引退表明」し、議席の後釜に「息子」を指名した「禅譲・世襲」議員の典型ではありませんか。いい加減に親離れした方がいいのではないか?次の選挙以降には、もう頼れる先ではないのだぞ?いつまで「小泉改革」に浸り、頼っていくつもりなのだ?いつまでチルドレンのままなの?小泉神通力に頼るしかないのなら、小泉さんと一緒に議員を辞めたらいい。

小泉政権の功罪については、歴史が裁くことだ。現時点で小泉さん個人をいくら非難しても意味がないが、やったことについては歴史の審判が待っているのは確かだ。「満足に総理総裁さえ選抜できないような、マヌケ議員たちを大量に当選させたことは誤りであった」ということだって出てくるかもしれない。

それと、安倍総理を誕生させた最大の原動力は誰だったか覚えていないのですか?
小泉さんが後ろ盾に付いたからでしょう?違いますか?

参考までに、私は、小泉さんの後の安倍総理誕生には反対していたわけですよ。

※追加(17時頃):
06年7月>やっぱり書くか・・・総裁選

つなぎ登板になる、という状況が見えていたから。短期登板になるなら、安倍ちゃんはまだ若かったし、大臣経験が少なすぎるということもあって、もうちょっと実務経験を積んでからの方が良いのではないかということを言ってあげたわけですよ。しかし、小泉総理が退任前に、事実上安倍ちゃんを応援する、ということを表明して、そういう方向に傾いていったわけでしょう?選んだ議員たちに責任があるのだよ、というのは、そういうことですよ。

自分たちで選んでおきながら、「麻生では戦えない」なんてことを事後的に言い出すような連中というのは、結局は誰が総理になっても誰が選ばれても、必ず文句を言うんです。

「オレは麻生には投票しなかった、小池を担いだんだ」という人たちは、そりゃ、いたでしょうね。けれども、民主主義というのは投票で自分が反対に入れたとて、決まってしまったら従うものなのだ、というルールなわけですよ。どうしても麻生総裁を認められないんだ、という人は、渡辺議員のように外に出ればよかったじゃありませんか。田中真紀子議員だって、出たじゃありませんか。法案にしても、党内手続で党議拘束がかかれば、いくらそれまで反対していたとしても、多くは賛成票を投じるでしょう?

これじゃダメだった、良くなかった、と反省することは、時々はあるでしょうけど、ならばもっと事前に慎重に討議するとか検討するとかやっておけばいい、ということですよ。これが毎回毎回「ダメだった、今回も間違った」というのは、決定能力に著しく欠けるとか資質として問題がある、ということの裏返しなのではありませんかね。そういう連中に、何度総裁を選ばせても結果は見えている。
それはバクチみたいなもんじゃありませんか。「ハズレ、ハズレ、ハズレ」と来たら、次くらいには「当たり」になるよね?みたいなものと何が違うのでしょうか。


④カミさんを変えると、解決するのか

この前『花より男子 ファイナル』のDVDを家族で鑑賞したんですが、麻生総理に限らず、財閥御曹司の男(道明寺)もよく漢字や慣用句を言い間違えてるのですよ。あれって、金持ち坊ちゃんには共通する傾向なのでしょうか(笑)。冗談ですけど。でも、映画中では道明寺の面白いキャラクターとして、あの「言い間違い」というのは憎めないキャラに役立っているわけなんですよ。それは物語中だから、ということはあるとは思いますがね。

話の筋としては、若い二人が本当に結婚しても共にやっていけるのか、というのを互いに確かめるということなんですね。相手に不満があるとして、じゃあ「カミさんを変えるのか」ということなんですよ。ダンナを取り替えると問題が解決できるのか、ということなんですよ。総裁選びという問題とも、似ている部分はあると思うのですよ。

総理総裁に、文句ばかり言ってる人間たちの多くは、何が大事なのかと言えば「自分の当選」だけ。別に、政治が大事なんだ、とか、国民生活に最も必要なことが大事なんだ、とか、そういうことではないんですよ。ひたすら、「自分の議席」ということだけ。民主党ならば、「政権奪取」ということだけ。

自分がダメ亭主なのに、たとえカミさんに不満があるからといって、別れて違う女にするともっと良くなるはずだ、オレは成功できるはずだ、とか考えている亭主って、どうなんですか?

私はそういう男をあまり信用しない。中には酷い女というのもいるかもしれないよ、そりゃ。でも、そういうカミさんを選んでしまうというのは、自分のせいですから。見抜ける眼力がなかったのだ、という、自分の未熟さを思い知ればいいだけなのです。違う女にすれば解決する、という場面がないわけではないとは思いますけれど、それは数少ないのではないかな、ということは思いますね。

亭主をとっかえひっかえして、1年ごとに替えていけば、いい男に巡り会えるはずだ、理想の亭主にきっと当たるはずだ、みたいに考えている女房だとしたら、どう思いますか?
自民党議員たちの「安倍ちゃんのお友だち内閣じゃダメだ」「福田さんのやる気なしじゃダメだ」「麻生総理の”失言レストラン”(*)もやっぱりダメ」って、とっかえひっかえの女と何が違うと思いますか?

(*):昔の歌で「失恋レストラン」というタイトルだったと思う。誰の歌か忘れた。

要するに、自分の女房を選ぶのも、亭主を選ぶのも、大体似たようなものなんですよ。不平不満を言い募ればいくらでもキリがないわけですよ、そんなもんは。理想の相手なんて、滅多に出会わないんですよ。そんなもんは、マンガか御伽噺の中でしかない。でも、完璧ではなくても、ちゃんといい女房や亭主に巡り会っている人たちは多くいるんです。玉に瑕はあれども、それでいいじゃありませんか。
ダメ亭主なのに、カミさんがしっかりしていて立派だなあ、とか、そういうことはザラにあるわけですよ(ひょっとして我が家とか?笑)。ちょっと抜けた男には、しっかり者の女房が付いていて、立派に男を立ててくれるということはよくあることなんです。逆もあるかもしれないですよね。女房殿には勿体無いくらいの、いいダンナ(笑)ということですよ。

世の中には「亭主がこんなだから、私がこんなに苦労させられるんだ、私が不幸なんだ」と不満を言う女房殿もいるかもしれない。だけど、そういう女房殿は評価が高いとは思われない。男の評価を高めることで女房殿が引き立つのだ。亭主を貶せば貶す程、己の評価を下げていってるということを知らない女は、所詮その程度なのである。女を替えれば成功できると信じる男も、やはりそういうレベルの人間なのだ、ということ。



中川(酒)は人柱か

2009年02月18日 14時30分07秒 | 政治って?
辞任した中川大臣の酒問題なんて、小泉政権下のころから「みんな知ってた」んでしょ?


それを今更になって、「大臣に任命した麻生総理が悪い」みたいに言い出すマスコミの厚顔無知さ加減はどうよ?

例えば、かんべえ殿だって、以前から笑って「中川(酒)」という表記を用いるくらい、内輪ではよく知られた事実でしょう?

今回の一件にしても、同行記者たちと一緒に飲んでて、中川大臣の外遊時には半ば「慣例化」していた、ということもよく知られていたんじゃないの。
今朝の読売新聞には、次のように記載されていた。

『…記者会見の前には、中川氏は会場のホテル内のレストランで財務省幹部らと昼食を取った。中川氏は、その際、ワインに少し口をつけたと説明している。その席には、読売新聞の同行記者も同席していたが、中川氏が飲酒しているところは確認していない。』

要するに、一緒に飲んでいたんじゃないの。
おんなじテーブルに座っていて、グラスに何を入れているか見ないわけがないでしょ。当然見てたし、飲む席というのは慣例化していて、早い話が共犯関係みたいなもんでしょう?

前にも書いたけれど、記者や評論家の連中なんて、政治家と一緒に飲み食いしていることなんてよくある話しで、ご相伴に預かってるというのは慣行でしょ?
麻生総理のバーのはしごの時と、おんなじようなもんさ。記者どもは一緒にくっついて、飲み食いしていながら、今度はそれを逆用して飲み食いしていたことを非難のネタに使うという、汚いやり口さ。


大笑い。
マスコミ連中は叩きに回る時には変わり身が早いわけだよ。


追い落とせるなら、どんな材料でも情報操作でもやってくるってこと。
ま、中川(酒)が失態をやらかした、というのは確かだけれども、それは周りに付いてる人間にもかなりの責任があるわけでしょう?ま、ハメられたみたいなもんですわ。

昔から、ありがちな手口ですから。

落とすには、金、女、酒、みたいなのが典型でしょう?
こういうのは、水戸黄門を観ているだけで学べますからね(笑)。


みんな知ってて、グルみたいなものであるのに、それを殊更大々的に取り上げて、センセーショナルに見せることで操作するというのも、まあ普通ですわな。


あたかも、今はじめて知りました、って顔で、「なっとらん!」みたいな。


いやいや、参りましたわ。
内輪の汚さも、報じる側の「利用しようとする態度」も。


いいですか、日本のジャーナリズムなんてものは、とっくの昔に消えてなくなっているのですよ。



英仏の原潜が衝突!

2009年02月17日 15時18分36秒 | 俺のそれ
まるでマーフィーの法則みたい(笑)。

あんなに広い海で、原潜同士が互いに気付かず、ぶつかるなんて殆ど不可能に近いような確率なのに、「ぶつかるヤツが必ず現れる」ということかと(笑)。

麻雀で、2局連続で役満を上がってしまうようなものか。

それとも、シーガイアにランダムに浮かべた2本の爪楊枝が、偶然にも出会ってぶつかる、みたいなものか。この実験を毎日やったとしても、爪楊枝同士が衝突することって滅多にないような気がする。


なのに!
英仏の原潜は共に「ソナー」という文明の利器を装備し、攻撃型原潜などに攻撃されないかビクビクしながら海に潜んでいるというのに、何故かぶつかる。

これは凄いぞ!

今後、攻撃型の潜水艦は、隠密体当たり方式にでもするか(笑)。
だって、現実に相手の艦に激突するまで接近できたわけだし。双方、見つけられなかったんでしょ?

笑っちゃう。
こんなことって、現実に起こるんだな、と。

何重もの壁をクリアしていかなければ「起こり得ない」という出来事なのに、それが起こってしまう、ということなのだ。



起死回生の選挙戦を挑め

2009年02月17日 14時03分09秒 | 政治って?
「麻生降ろし」を演出しようとしている勢力は、一体どこなのだろうか?
この傾向は、昨年からそうであった。
まず第一に、「バーのはしご」。
次が「漢字読めない」とか新KYといったバッシング。
で、今年に入って「郵政発言」。

ここ最近目立つのは、どこだと思いますか?
多分、日テレ。

支持率が一ケタに落ちた、という数字をセンセーショナルに出すことによって、大衆を誘導しようとする効果が生まれる。読売新聞もやはり同じく麻生政権を降ろす方向に焚きつけている感じ。
どうやら、麻生さんだけは「総理にしたくない」という思惑みたいなものや、腹に一物ということなのかもしれないが、あれを根に持っているのかもしれない。

07年9月
一夜城
福田新総裁誕生

07年11月>自民大連立とフジサンケイグループの攻防戦

例えば小沢との間で、何かの密約とかそういうのが固まっているのだろうか?ちょっと構図がよく判らない。
多分、マスメディア業界にとっては、これまでの「欧米系資本」からの資金というのが殆どが止まってしまって、言うなれば真綿で首を絞められる状態―今後長期に続く兵糧攻め―みたいなものなのかもしれない。それで何か焦るような印象がある。

横槍がどこから来ているものなのか、それが判らない。
今は安倍-森-町村清和会の筋では、麻生を支えているし。上げ潮&構造改革派がくすぶっているくらいだろう。
安倍降ろしの時にも、安倍―麻生ラインを排除しようとした勢力はあったわけだから。福田担ぎはそうして実現した。麻生封じは、あの時にも行われたわけだから。選挙の応援演説では、麻生さんが一番人気があって、引く手あまただったはずでしょう?
ところが、唐突な「不人気」策を推進しようとする勢力が色々と画策している、という感じなのですね。微妙なYKKKとか、ミッチーとか、いくつか仕掛けをしてはきたものの、全て立ち消えというか不発に終わった。今回の小泉発言ネタにだって、マスコミがやたらと一斉に飛びつき、「終わった人だ」というのに何であんなに大袈裟に取り上げるのかが判らん。


去年には麻生総理が漢字が読めないとか間違いがあるとか、そういった問題を取り上げてきたのだけれど、どんな人間にだって欠点はあるのだし、ブッシュ大統領だって「イラクの場所が判らない」だったか、そういう話題は珍しくも何ともなかったわけですよ。
昨年11月の麻生総理の漢字が読めない問題の頃って、例の水村氏の『日本語が亡びるとき』が話題になった時期なんですよね。11月7日に読売新聞にも書評記事が出て、私自身も11日には記事に書いたくらいです。だからどうだ、ということではないんですがね。単なる偶然でしょうから。

一方、麻生総理の漢字が読み間違っているという話題が出てきたのって、9日のJANJANで白坂和彦氏が記事に書いているのが最初ではないだろうか。
麻生首相の「KY」は「漢字が読めない」の略-JanJanニュース
この後くらいから、ニュースなどで盛んに取り上げるようになっていったわけです。

漢字の少し前までは、バーの高い酒を飲んでるだのという、どうでもよい非難があったが、これに飽きたら別な矛先ということですな。ネガティブ・キャンペーンを続けるマスコミの意図がまるで判らん。
今回の中川大臣にしても、待ってましたとばかりに責められてしまって、恰好の餌食ですな。



まあ、今のまま普通に選挙をやっても負けは負けでしょうから、麻生さんも腹を決めて覚悟を示すことに全力注ぐべき。僅かな可能性でも勝利を得ることに賭けた方がいいと思いますよ。


で、選挙に打って出る為の策を授けましょう(笑)。

現状の最大の問題は昨年から幾度も言ってきたように「経済」です。景気です。これ以外の争点なんて、現時点では重要ではありません。だから、これに全てを賭ける。

さて、どうするか?

本当に政府紙幣発行を公約にするんですよ。日銀が現状の態度を変えないのは明白ですから、残された道は政府が自ら動くこと以外にはありません。
まず、高橋洋一教授を内閣府特命担当大臣として据えることを確約し、政府紙幣発行の担当大臣にするのです。この補佐役には、高橋氏の自ら選抜した数名を充てればよい。そのチームで「政府紙幣発行」スキームを作らせ、選挙公約とするのです。公約は「○四半期以内にプラス成長に反転させること」とか、「09年度は0%以上の成長率を達成すること」とか、数字を出すことです(挙げたのはあくまで例示です)。民間予測との対比で厳しい数字が並んでいるなら、例えば「-2.8%」という予測を「-1%以内」とするといった、いかにも達成が難しそうな困難な目標を掲げるべきです。そうじゃないと、国民が全力で応援しよう、というふうには思うようになりませんよ。

実際に資金投入を行っていくとして、仮に初回投与量25兆円、以後インフレ率が2~3%を超えてくるまで毎月2兆円ないし3兆円投入、といったことを継続するしかないでしょうね。名目成長率だけでもプラスになれば、かなり明るさが戻るでしょう。更に、円は減価となる可能性が高くなるでしょう。そうなれば輸出企業はかなり助かりますよ。
こういう政策を取ることを確約し、これをもって経済界に支援の約束を取り付けるのです。これは先に言わないとダメなので、先手必勝ということです。

これが成功する為の最大の難関は、「論客」力です。
兎にも角にも、強力な論客が選挙前にあらゆる反対論者を撃破し続けなければなりません。これに成功しないと、十分国民に信じてもらえないからです。あまりに専門的になりすぎても、多くの国民には理解し難くなりますので、適度に口の立つ人間を用意できないとダメなのです。この論客部隊が高橋氏以外に、数名は欲しいところです。

どん底に落ちてゆくのがいいか?
それとも、政府紙幣を発行し経済浮揚に賭けるか?

これを問えば、国民のかなりの部分に訴えが通じる可能性はある。特に、麻生さんの場合には若年層に支持があるので、若者に一大ムーブメントを巻き起こしてもらうことは不可能ではない。今、失業したり、派遣切りに遭っている、本当に困っている若者たちに、きちんとメシを食えるようにしてやらなきゃ、ダメなんだよ。そういう人たちに、生きる活力を取り戻してやれなきゃ、日本の再生なんてないんだよ。

若者が絶対に勝つんだ、と思って戦えば、勝てるかもしれない。奇跡を起こせるかもしれない。それに賭けるのだ。
後は、決して後ろを振り返ったりしてはいけない。決心したら、信念を絶対に曲げないこと。党内や閣内から、どんなことを言われようとも、不撓不屈の精神で貫き通すこと。自分が迷ったり疑ったりすれば、国民だって迷うに決まっていますよ。

これに踏み切れるか。
後は、胆力の問題です。


それから、過半数を取れれば、参院で野党が上回っているといっても、民主党だって反対はしにくくなりますから。「民意はどちらにあったか」というのを言えばいいわけですからね。郵政民営化の時にも、参院で否決されたのを郵政選挙後にはひっくり返せなくなったじゃありませんか。参院のメンバーは誰一人変わっていなかったのに、賛成多数になったのですよ。だから、ダメもとでも選挙に賭けるしかないんですよ。



NHKの「沸騰都市」シリーズは良かった

2009年02月17日 11時08分17秒 | 俺のそれ
先日、宮迫のナレーションが意外に良いという話を書いたが、このシリーズは中々良く仕上がっていた。

シンガポールと東京の回が、この2夜連続で放映された。
東京の回には、何とアニメまで入っていて、ああ「IGさんだから、か」と納得。


特に印象に残ったのはシンガポール。
バイオ都市みたいなのは、NHK特集か何かで以前にもやっていたと思うが、改めて国家戦略としての「タレント収集」という姿勢に驚かされた。逆に、「役に立たない人間に居場所はない」という、大変シビアな場所でもある。ローテーが3年なので、この期間に結果を出せなければ去らねばならない、というまさしく「個人ベンチャー」なビジネスとなっているのである。研究者といえども、こうした「タレントビジネス」からは逃れられないのである。成功を収めるのは、個人の能力が高いことを実証できた時だけ。能力の実証は、ペーパーで決まる。『Science』『Nature』『Cell』の掲載が最低条件。トップジャーナルに載せてナンボ、ということ。


その後を追うというシリーズが3月にあるそうなので、また期待したいと思います。



偉人はやっぱりエライ

2009年02月16日 18時28分00秒 | 俺のそれ
だから何、ということでもないんですが。

やはり、フィッシャー先生は偉かった!
竹森俊平著・『経済論戦は蘇る』(日経ビジネス人文庫版)

そうなんですよ。歴史に名を残すような昔のエライ学者さんたちというのは、普通ではないのですよ。凡人とはワケが違うのです。考えや発想の水準が高いので、思考の道筋を現代のようにメモ代わりのブログなんかで示すといったことができないから、凡人などには中々読み解けない部分というものがあったりするのかもしれません。限られた資料から、当時の学者の考えた中身を読み取っていかねばなりませんからね。
それが現代になってしまうと、理論として通用しなくなるかというと、必ずしもそういうことばかりではないかもしれません。過去の研究の中にだって、発見はあるものなのだ、ということです。

高度な機能を有する携帯電話が登場する時代になったとて、ベルさんが偉大であったことに変わりはないのです。



「法学が経済学を笑う」の図

この中で、次のように書きました。

『私から見れば、ワルラスもケインズもジェヴォンズも、或いはケネーさえも、大変頭の良い優秀な研究者であったろうと思いますね。全員、自分なんかよりも百万倍優れていると思いますね。そういう人たちが一生懸命考えたんですから、少なくとも私のショボイ脳みそより賢く考えることができたはずなのですよ。違うのは、持っている情報の質と量(当然人類の経験の量というのもある)が、後世に生まれた分だけ「私の方に分があるだろう」ということくらいです。なので、仮に彼らの考え方や理論なんかに間違いがあったり、現在の先端理論とは合わない部分が含まれているとしても、彼らの功績が揺らぐこともなければ能力に疑問を抱かせるようなことは決してありません。あくまで、「私にとっては」、なんですけどね。優れた立派な研究者たちだったんだな、と思うだけです。』


また、こんなことも書きました。

マクロとミクロは両輪

『「~学は死んだ」というのはよくある話かと思いますが、何かの定説みたいなものが否定されたからといって、その分析手法とか道具とか全てが否定されるわけではないと思うのですよ。何かの考え方や理論なんかが元々間違っているかどうかではなくて、それらへの理解が間違っているとか適用の仕方が間違っていることが大部分なのではなかろうか、と。つまり、受け手側の問題ですわな。』

『これらは先人が現代に通用しない知識を残したのが悪いのでもなく、先人の知識に欠陥があったからでも、間違っていたからでもありません。受け継いだ私たちの理解が不十分であり、意図や解釈を誤解しているだけなのではないでしょうか。』

『知識が役立たないのではありません。役立てられない自分が悪いのです。
答えは既にそこにあります。現象はすでに起こっているのですから、自分が見落としている条件や症状や要因みたいなものがあるのだ、ということです。着眼点が間違っているのか、見えてない要因があるのか、調べていない項目があるのか、それが何なのかは判りませんけれども、「何か」が多分あるのでしょう。』


先人たちは、愚かだから間違った知識ばかり残してきた、ということでは決してありません。
要するに、「受けて側の問題」というところに行き着くのではないでしょうか。過去の偉人たちの知識や知恵というものが活かせないのは自分に原因があるのだ、ということだと思います。
先人たちの偉大さに気付けないのは、自分のせいなのだ、ということです。



「予測の専門家たち」は日本にいるのか~2

2009年02月16日 16時20分15秒 | 経済関連
先日の記事(「予測の専門家たち」は日本にいるのか)の続報です。


GDP統計は、大方の予想通り、惨憺たる結果だったみたいですね。
GDP年率12・7%減、35年ぶり大幅ダウン 経済ニュース マネー・経済 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

第一次オイルショック以来の落ち込み、ということのようです。
4半期だけで、「3.3%減」ですが、なにか?
2%のギャップだの、予測の専門家の見解を覆せだの、というような寝惚けた言い分は、あっさりとひっくり返っていると思いますが。

これだって、既に想定範囲内でしかないのですよ。
みんな揃って「愚か者」の例?

だから、言った通りだったじゃないですか。
日銀も、38人のトップエコノミストたちも、財政学者も、審議会委員たちも、大体が同じようなコンセンサスだったのでしょう?
「予測の専門家たち」が揃って、専門知識を駆使して考えた結果が、この有様なのでしょう?

この典型的な見本として、財政審は定額給付金についての見解を見てみますか?

【経済深層】大迷走の末、「定額給付金」“爆弾”破裂  15ページ - MSN産経ニュースによれば、

『今月15日、財政審の会合後の記者会見で、西室会長はこう言い放った。
「ほとんど効果はない」「他の経済活性化策に振り向けるべきだ」「同じような施策が次々に出てきたら国家財政は破綻(はたん)する」』

ということでした。

私の言ってる「看板を降ろせ」って意味が判りますか?
専門家なら専門家らしく、「よく考える」ということができそうなものでしょう?違いますか?
ところがドッコイ、役立たずの無能が雁首揃えて、「外しました」「間違えました」「気づきませんでした」「手遅れでした」って、明らかにオカシイんじゃないか?

定率減税廃止に反対していた野党議員たちからさえ、「バラマキだ」って、それはおかしいわけでしょう?
国会議員だけならいざ知らず、専門家たちが揃いも揃って、修正、修正、また修正、で、それは多少は仕方がないとしても、「今、どうしなければならないか」ということを実践的に考えている人間が、「専門家たち」の中にどれ程いましたか?、ということなのですよ。

だから、全焼した後になって「ああ、やっぱり燃えましたね、火事でした」ということで、消防車が出動したのでは遅いでしょ、ってことを言ってるんじゃないですか。「完全に燃え広がる前に、消火活動に入って下さい」と百万遍お願いしているにも関わらず、全員聞く耳を持たず「予測の専門家たちの見解は違う」といって否定してきたんじゃないの。

こういのを愚か者と言うんじゃありませんか?

被害をダイレクトに受けてしまい、それぞれが直撃弾を食らったんですよ。特に低所得者層とか、円高で被害を受けやすい輸出企業とか、そういう部分にダメージが集中したんじゃないですか。こういうのを若干でも緩和するには、素早い行動ということ以外にはないわけなんですよ。

西室みたいな「国家財政が破綻する」という意見を言うヤツに限って、前の記事で指摘したように、「三拍子揃ったバカ」の一角なわけですよ。たった2兆円の減税で国家財政が破綻する、なんていう妄言を吐いている連中が、無駄な財政支出の本家本元だったりする。財務省よ、まず真っ先にできるのは、霞ヶ関の緊縮財政(笑)なんじゃないのか。即座に関連法人等の一般会計からの繰入を止めればいいだけ。天下り先に資金を流し込んでいる張本人は官僚じゃないか。ワタリを止めさせればいいだけ。違いますか?


日本の経済財政運営が、三拍子揃ったバカに委ねられてきたからこそ債務が積みあがっているのであり、返済負担も重いということなわけだ。国家財政の破綻原因を作ったのは一般国民ではなく、無能な政治家や大蔵省のバカ官僚や財政審みたいな御用聞き諮問機関が、全部揃って無能で運営能力に欠け間違い続けてきたから、だ。西室のような年配の連中がそういうのを担ってきたのであり、若人がやる気が失せてニートやフリーターになって働かなくなったから、とか、そういうのが原因なのではない。

こういう連中が間違い続けた結果が、今なのだ、ということを言ってるの。

本当に賢い連中が運営してきたなら、こうはなってないでしょ、っていうことだよ。まずそこに気づけ。



Murphy's Law in Public Finance

2009年02月15日 17時56分41秒 | 経済関連
「無駄な支出に税金を使ってしまう」―― by 財政タカ派

本当にこうした法則(*)があるかどうかは知らない。
が、これまでのところ、多くの場合に政府がバカ(笑)らしいので、無駄な分野に税金等を大量投入してしまい、必ず非難されるという法則は成り立ってきたかもしれない。判りやすいのは年金問題とか、「かんぽの宿」(笑)とか、「ワタリ」の給料や退職金とか、そういうモロモロの「バカの見本市」のような例だろう。

(*):昔、流行ったマーフィーの法則だが、最近はあまり聞かなくなったな。一世を風靡していたのにね、便乗商法とか


財政学者をはじめとする財政タカ派の人々は、政府は無駄な支出をするな、財政規律を守れ、財政黒字にせよ、といった主張を持つものと思うが、どこまで政府がバカなのかは国民からは判定が難しいという面がある。無駄な道路、無駄な空港、無駄な港湾、無駄なダム、無駄なハコモノ、いずれも政府が愚かであったが故に資金投入をされてしまったというもののように見える。こうした支出に国民が怒り、多くの場合に「いい加減にしろよ」という意見が多くなるわけである。財政学者に限らず一般人から見ても、政府はバカ、というふうにしか見えない、ということであろう。

さて、タイトルは岩本氏の記事に影響を受けたものである。
3話完結まで待っていた甲斐がなかった、というのが私の感想である。

財政政策のマーフィー式採点法(その3,公的資金の限界費用) - 岩本康志のブログ - Yahooブログ

マーフィー教授の試案である財政支出のルールですが、詳しくは岩本先生の記事でご確認いただきたい。


この中で紹介されているのは、

f(1-λ)>α+d  …①

というものです。

dというのは「支出の財源を調達するときの税が効率を阻害する損失」ということで、徴税するお金の1単位あたりの損失額。政府が邪魔をする、というような存在なのであれば、効率阻害となるのでdの値(0≦d≦1)が増えるし、阻害しないということなら0となる。岩本氏の見解は0ということらしい。

d=0という場合、①式は

f(1-λ)>α  …②

となり、0≦λ≦1 という条件から、1-λ≧0、かつ、定義より f ≧0 であるので、常に

f(1-λ)≧0  

が成立する。よって、αの値が負になる条件だけを考えればよい話である。
これは f やλの値の大きさにはよらない。岩本氏見解の、ケインズ効果が経験的に均衡予算乗数の0.5であるとか、家事効果が0.5より大きいかどうかということは、殆ど関係がないのである。

では、αの大きさが負となるのは、どのような場合かということになるが、ガルブレイス効果と名付けられた「政府支出が産み出す非効率」が「費用よりも高い便益を持つ事業」だけに投資すれば済むということだ。この場合、αは常に負の値を取る。

結局のところ、ある事業についてB/Cを事前に評価し、これが1より大きいという事業にのみ資金投入を行う場合、全事業の合計は必ず便益の方が大きい、すなわちαは負の値を取る、ということになるのである。よって、「f やλの大きさによらず、便益が上回る事業にのみ選別して資金投入すればよい」という、ごくありふれた、当たり前のド真ん中の結論を得るというわけである。

このルールは景気対策や経済政策としての役割などには無関係な政策ルールであるので、「景気悪化時に財政支出を拡張するべきか」という疑問への答えなど、一切得られない(笑)。学者というのは、簡単なことを、さも論理的であるかのように、小難しく言うのが仕事である、ということなのかもしれないが、あまり効率的とは思われない作業に無駄な時間を投入しているように見えなくもない。


αが負の値であったとしても、岩本氏の見解の如くd=0が成立していない、ということは考えられるだろう。実際、マーフィー先生は0.8というかなり高目の値を取っている。②式のように簡単にはできない、ということになるかもしれない。

では、dの値が1に近づいてゆくという場合はどういうことかといえば、早い話が「官から民へ」ということだ。政府がやるのは阻害が大きすぎてやるべきでない、ということ。つまり究極的には、そんなに徴税すべきでない、ということ。政府はほぼいらない、に近い。1万円徴税すると、5000円の損失、8000円の損失、といった状態になるなら、そんな政府はいらない、徴税するな、ということになる。政府が無能でバカであるなら、そうだろうね。民間がやった方がマシ、ということだから。

では、政府が無能でバカ、というのはどういうことかといえば、政治家が無能、官僚が無能、ということだ。つまりは、財務省の官僚がバカで無能ならば、d の値を増大させることになる。内閣も議会も、どちらも同じくバカで無能ということになる。結局はそこに行き着くわけだ。

αの値が正になる場合もやはり同じで、どうしてそんなバカな予算執行をしてしまうかといえば、議会が予算案を通すからだ。国会議員が無能ならそうなる。で、その議案がどこから来るかと言えば、行政府であり、元を辿れば財務省主計局の官僚がそんな「バカな予算」を認めなければ済む話なのである。主計局官僚が無能であれば、無駄な支出が通ってしまうので、議案になってしまいそれが執行されるという寸法だな。だから、主計局官僚がバカで無能、ということであるなら、αの値が負ではなくなる。族議員たちが跋扈する余地がある場合にも、非効率な予算貼り付けとなってしまえば、やはり負ではなくなるかもしれない。そういうのを阻止する立場にある、学者や財界人を入れてる財政審のような諮問機関の連中も同じく無能、ということだ。


まとめると、マーフィー式のルール上では、

・政府(政治家、官僚)や諮問機関の人間たちが、揃って無能であるなら、「効率阻害の徴税が行われる」か「αがゼロを超える事業」の予算執行が行われてしまう、ということになる。無能な政治家、官僚、学者(諮問機関委員等)等の存在がそれを可能にする。

・d=0であるなら、αが負の値をとる限り、財政支出は正当化される。すなわちB/Cが1より大きければよい、という結論になる。

・これを選別しているのは、現実には主計局官僚である。官僚が有能ならば、α<0の事業を選別できる。無能なら無駄な支出を認めてしまう。


要するに、政治家がバカ、官僚もバカ、財政審などの諮問機関もバカ、という三拍子揃った事態が、「財政支出は無駄」という状況を生み出す、という極々当たり前の結論に行き着く。そういう政府には「徴税権を与えるべきでない」ということは当然で、ならば、例えば今の半分といった規模に縮小すべきである、ということになるだろう。財務省の役人も半分くらいに減らせばいいんじゃないか(笑)。
過去の経験則からは、どうやら「政府はバカ」らしい、つまりは三拍子揃ったバカだったが故の、「無駄な財政支出」ということが現実に起こったということなのであろう。そういうバカな連中に徴税権や予算決定権限が与えられるということに、大いなる矛盾を感じるわけである。



「予測の専門家たち」は日本にいるのか

2009年02月14日 19時58分24秒 | 経済関連
岩本先生の見解です>5兆円財政出動すると何が起こるか - 岩本康志のブログ - Yahooブログ

この中で、次のように述べている。

財政出動の考えは人によって違うが,私は,
(1)財政による経済安定化政策の役割はまずは自動安定化装置にまかせる
(2)ギャップが小さい場合には効果が弱まり,弊害が生じることも考慮して,裁量的財政出動には最低でも2%以上の幅のギャップが確認されることを前提とするべき
と考える。ただし,2%という数字は科学よりも芸術の領域である。
 GDPギャップの水準を理論的な均衡所得からの乖離とみなせるかどうかは注意しなければいけないが,日本の場合はほぼ問題ないと思われる。OECDの推計では,2008年中に約2%の幅でギャップが拡大したが,景気の山(2007年末)では潜在GDP水準を超えていたと考えるのが妥当であり,OECDのGDPギャップ推計値がほぼゼロとなる2008年末を均衡水準に近い時期と考えても悪くはないだろう。
(中略)
大規模な財政出動が必要だと主張する人は,予測の専門家たちの見解を覆す根拠を示すことが必要だ。

=====


率直に、今すぐ「看板を降ろせ」と言ってあげたい。
「専門家たち」というその言葉こそが、大笑いなのではないだろうか。恥を知らない専門家たちは大勢いる。そして、多くの場合に「分析ごっこ」をやっているだけで、それは「戦艦大和の主砲を何インチにすべきか」みたいなことを研究するのとあまり違いがないように見えることもある。流行りの言葉で言えば、「ただ呆れて笑っちゃう」というヤツだ。

第3Qよりも状況が酷いのではないか、ということはおおよそ推測できるのだから、ギャップが拡大したであろうことも当然推測可能なのだ。


08年9月25日時点での見解>財政赤字を心配する前に

この中で、次のように指摘した。
『今の状況を考えてみると、これまでよりも今期は景気が良くないので、①消費が減少する、②投資が減少する、更には円高の影響や世界経済不振などで③輸出が減少する、原油高などの資源価格上昇で④輸入が増加する、ということが考えられるであろう。そうなると、()式において、消費、投資、純輸出は全て減少し、政府支出が不変の場合には「所得は減る」ことになる。すなわち、マイナス成長は避けられない、ということだ。』

あと、こちら>今週の指標 No907

ざっとですが、08年第3Q時点でも、GDPギャップがかなりの落ち込みになっていることが推定されている。


自分自身、ここまで輸出企業の猛烈な落ち込みがあるとは思ってなかったが、これは円高ばかりのせいではなく世界需要の急減が起こった為であろう。企業の損失も、為替損の域をはるかに超えているものだ。
岩本氏の提示している「2%」という水準が科学ではなく芸術だ、と言ってはいるのだが、個人的な基準のようなものがきっとあるはずであり、その根拠というのが一体何なのか気になるところである。

スタビライザーの話は、異常な経済運営が続く国~ニッポン・2の中で書いたように、OECD平均の半分くらいでしかないので、あまり期待できないだろうと思うが。


大体、学者自身が「財政出動が必要と主張をする人は、専門家たちの見解を覆す根拠が必要」と要求しておきながら、「ギャップが2%」という水準を出すのには「芸術」ってのも奇妙な話ではある。ギャップ幅が2%を超過していることを確認する必要がある、と主張している人間がその根拠の提示を求められたら「芸術」と答えているのと同じではないか(笑)。こんなのが学者と呼ばれる人間の見解なのである。「財政出動が必要な根拠とは何か?」と問われれば、「科学ではなく芸術」という答えで事足りてしまうのである。

だが、「専門家たちの見解」を覆す必要性もなく、簡単に覆ってしまったみたいだが。どうやら自分勝手にひっくり返ってしまったみたいですが。後日、ギャップ幅の推計がなされるであろうから、その時になってからおもむろに「財政出動をしましょうか」ということを言うのかもしれないね、財政学者というのは。

これでは、火事で全焼してから消防が出動するようなものではないか。
火事で燃えているから出動せよ、と要求しているのに、「いやいや、燃えてる根拠を十分確認してからだ」と言って手遅れにしているのと変わりない。こうした机上で理屈を弄ぶだけの人たちの見解というのは、聞くだけ時間の無駄である、と思わずにはいられない。



経済政策についての一考察

2009年02月14日 15時00分44秒 | 経済関連
物事を考える時、多くの場合には「効果大」と「効果小」とか、それとも無効とか、そういった考え方はあると思う。これは、例えば高く飛ぶということがある時、自分の足、ホッピー、トランポリン、という風に、どれを用いるかで飛べる高さが異なるのと似ている。わざわざお金を出してホッピーを用意した挙句に、柿の木の柿を取ろうとしても届きませんでした、というのでは、マヌケだね、という話である。それなら、自力の垂直跳びでもいいじゃないか、そちらの方が最高到達点が高いよね、という比較ができる。トランポリンがあればもっと高く飛べるよね、ということであるとして、トランポリンをその場にどのように用意できるか、という実行可能性とか容易さの問題はある。効果を判定するというのは、そういう部分も見なければならない、ということだ。今すぐ、目の前にある柿をジャンプして取りたいのなら、トランポリンが最大効果を得られると判っていても、スポーツ店までわざわざ車をとばして買いに行き運んでくる人というのは、滅多にいないものだ。

財政政策などもこれと似ており、同じ1円を使うなら効果が最大限得られたらいいよね、という発想が多いのだろうと思うが、その判定には慎重さが必要であろうと思うのである。よく言われる政策について、個人的見解に基づいて整理すると、次のようなイメージである(長、短というのは時間経過の長期と短期という傾向のことである。相互に重なる部分があるので、順序は歴史の年号の如く絶対というわけではない)。




 ①構造改革
 ②公共事業
 ③政策金利の変更
 ④政府消費・投資
 ⑤減税・消費クーポン
 ⑥為替介入




以下、個別に若干の説明を加えると次の通りである。


①構造改革

定義により人によって用いられ方が違っていたりするが、一応、産業構造などの変革といった長期的変化をもたらすもの、ということで話をする。昔で言えば、農業の衰退、炭鉱の閉鎖、繊維産業の衰退、といったようなものである。かつて日本の経済にかなりのウェイトを占めていた産業ではあっても、社会的或いは構造的変化により資源配分のシフトが起こる、というものである。規制緩和やルールの変更などによって、そうした変化を促す可能性はあるものの、それが奏功するかどうかは不確かなことが多いのではないかと思われる。喩えて言えば、銀行業を許認可廃止にして免許不要でできるという規制緩和を行った場合に、どういった障害を生ずるかというような問題である。

長期的には構造改革などと呼ぶような手を打たなくても、変化はもたらされることがないわけではない。中東戦争で原油高となり不景気となったのに、「炭鉱の生産性が低いからダメなんだ、炭鉱を潰す政策が正しい」みたいにいくら言ってみても不景気のままで変わりはなく、これは経済対策でも何でもない。ただの妄言みたいなものでしかない。「炭鉱を潰して生産性の高い製造業にするのが正しい」といくら言ってみたところで、目の前の失業者たちを働かせられる工場がないからこそ、不景気なわけですからね。

炭鉱閉山が相次いで第二次産業に労働力がシフトしたとしても、やはり「生産性の低下している製造業が主力だから日本の経済はダメなんだ、これからは構造改革で金融だ」ということで、90年代を通じて海外に工場を移転し就業者数の削減を図ってきたのに、やっぱりそういう第二次産業の就業人口の多い構造がダメだ、もっと金融や保険といった第三次産業に構造転換を図らねばならないんだ、構造改革だ、ということで、長期的には大きな誤りであった、というような意見を言い出す人がいるかもしれない。

こういう発想は共産主義経済に近いように思われ、政府が計画して産業構造を規定し、それに向かって社会全体の構造を政策的に変えようというものである。そう簡単にいくのだろうか、という疑問があるわけである。ならば、大昔に炭鉱を閉山して銀行や保険業をやれと60年代や70年代から取り組めば良かったのであり、工場をあれこれ建設したりしたのは全て無駄な投資であったということになるだろう。当時にどれほど雇用を支えたとしても、構造の誤りだ、ということなのであろう。こういうのは、ほぼ後付けの理屈であり、そんなもんはあと20年くらいもするとどうなっているかは判らない。

こうしてみた方がいいんじゃないか、ということはあるとしても、それは株を買う時、「どの企業に投資してみようか」と考える程度のものであって、それを確実に割り出せるような理論は未だかつて存在していないのではないか。理論的に判定できる、という人がいるなら、是非提示してもらいたい。政府がどの分野に投資をするか(産業政策?みたいなもの)というのも、株と同じようなものなのだ、ということ。

更には、急を要するような場面では全くの無効である。
言うなれば、今飛行機が墜落しそうです(ハドソン川の奇跡の時みたいな)という時に、

「機体の構造改革が必要だ」

みたいに言うのと同じようなものです。
「機体設計を変えよう」「材料を変えて強度を増そう」「エンジン推力を増やそう」「エンジンを単発から双発にしよう」「安全設計を増やそう」といった、今墜落しそうです、という場面では何の役にも立たないものばかりを言うようなものであり、どれも「(飛行機の)構造を変えよう」的ではあるのですよね。


◎構造改革は、景気悪化を改善するものではない
◎構造改革は変化が遅く、かなり長期的な変化しか期待できない
◎構造改革は緊急時には役に立たない、最も遅効性


②公共事業

小さなものであれば短時間でも発動可能な場合がある。判りやすい例でいうと、道路。補修工事のような小さい工事を増やすことができるから。
(けれども、過去にこうした「あまり意味のない工事」を繰り返してきて、無駄に交通渋滞を招いてきたという非難もあるかもしれない。だから、公共事業と名の付くものであればいいかというと、そうではない。英米なんかに比べて、日本は特にそうだ。
長期工事で完成までに20年を要するといったことは、これまでにも多数あった。いったん予算を付けてしまうと、そこに吸い付いて離れないという悪しき部分があるのだ。なので、従来型の公共事業を増やすことには個人的には反対である。)

既に決まっている事業などについては前倒しで進めることも可能なので、短期的な対応能力がないわけではない。しかし、これは予算規模が限られてしまうだろう。大型の公共事業ということにはならない場合が多いのではないか。

そうなると、ある程度中期的な事業を選別、設定し、優先順位の高い事業から実施されてゆくであろうが、目の前で景気悪化が起こっている時には、効果が発現してくるまでラグがあるであろう。仮に10兆円の公共事業を決めたとしても、この予算が消化され経済効果として波及してくるまでには、数年単位でかかってしまうだろう、ということだ。必ずしも単年度で全ての効果が発現してくるわけではないし、必要になる雇用量も急激には増やせない。年末の「派遣切り」騒動のような場面では、やはり多くが無力であろう。公共事業は予算規模が大きくなればなるほど小回りも、速効性も期待できなくなってゆくだろう。幾度か書いたけれども、3年後の工賃で今夜のメシは食えない、という意味はそういうことだ。
それと、予算の取り合いが必ず起こるので、政治的困難さが増す可能性は高くなるだろう。つまりは、「どこに予算を貼り付けるか」ということによって、利害関係者たちの分捕り合戦が激しくなり、そうなれば発動が遅れるということを招き易いだろう。恣意性が問題になる可能性というのが高くなる。これは90年代の公共事業で懲りたのではないか(日本と欧米は違うと思うので、これは日本に多い問題なのかもしれない)。

◎公共事業は選別、設定が難しい
◎利害関係者の衝突や恣意性が問題になる可能性
◎巨額になれば短時間で発動するのは難しい
◎効果発現はやや遅い
◎乗数効果は他の政策よりも期待されうる


③政策金利の変更

これは最も一般的な経済政策である。不景気になれば金利を下げ、引き締めが必要になれば引き上げる、という基本的な説明が与えられる。株式市場、債券市場や為替市場などは比較的早期に、広範な影響を受ける。実体経済に効果が波及してゆくには、もう少しラグがあると考えられており、半年~1年という程度で効果が発現したとしても、ラグが小さいとまでは言えないかもしれない。

政策としては、過去の実績が多い、知見も多く得られている、他の政策に比べれば(どちらかというと)安定性がある、予知性もそれなりにある、政策発動のハードルが他よりも低い(実施可能性では最も容易)、といった多くの利点を備えている。変化自体も、多くの場合にはマイルドな印象、調節性も悪くはないので、ファースト・チョイスとしては望ましい。「over dose」的問題は残されている。つまりは、効き過ぎについての判定が難しい、というようなことだ。引き締め過ぎ、緩和し過ぎ、といったことによる「副作用」を重大と考える人々はそれなりにいる(逆に、あまり重大と考えない人たちもいる)。

◎ファースト・チョイス的政策
◎効果発現までラグはある
◎投資市場では早期に効果発現
◎他の政策に比べて利点は多い
◎緊急時には効果が十分とも言えないが投資市場ではそれなりに効く
◎「やり過ぎ」問題


④政府消費・投資

公共事業とあまり違いがないじゃないか、という意見はあるかもしれない。とりあえず分けてみました、ということでご了承を。
例えば、政府が「政府専用車としてエコカーを千台購入します」とか、「パソコンを1人1台支給します」とか、決定できるので、無理矢理にでも需要を生み出せる、というもの。他には、一般的な政府補助金、優先的低利融資や利子補給、研究開発援助、債務保証、等があるのかな。

公共事業の選別と似ていて、どの分野に投資(資金投入)するか、というのは、やってみなければ判らない、という程度のものであり、ここでの利害関係者の衝突は起こりえるだろう。早い話が、分捕り合戦ということかな。公益に資するもの、という大義名分が立てば、大方の事業は含まれてくるだろう。仮に、バイオ関連、環境ビジネス関連、新エネルギー関連、といったものに資金配分を行うとして、それが妥当な政策なのかどうか、というのは、その時には正確には判りようがないだろう。後で振り返ってみれば、産業政策的に「うまくいったのかもしれない」というようなことはあるかもしれない。
それとも、もっと「基礎研究に資金投入すべし」とか「旧国立大学授業料を半額にした方が良かった」とか「成績優秀者全員に奨学金を与え学費を無料」とか、そういうのと比べると現実にどうなのかというと、中々効果判定は難しいかもしれない。

公共事業に比べると、政府消費や政府投資は短時間で実施できる範囲は多いと思われ、効果発現はやや早いと考えられる。が、研究開発投資や教育投資などであれば、成果として判定するのが難しい場合や長期的にしか期待できない面はあると思われる。日本の経済構造からすると、これまでよりも増やした方がよい分野ではあると思う。

◎効果発現は早めのものが多い
◎利害関係者の衝突や恣意性が問題になる可能性
◎日本はもっと増やす方が望ましいのでは


⑤減税・消費クーポン

「バラマキだ」批判の集中している減税モノですが、どうしてこれほどまでに責められねばならないのか、理解できない。こんなに文句を言ってる国は、恐らく日本だけではないかと思う。減税と似たものに小切手とか商品券のようなものがあり、乗数効果が低いとか言われるが、公共事業などよりも速効性に優れ、利害衝突のような障害が少ないので、実現可能性というのは割りと容易なものである。

金利引下げや公共事業が間に合わないというような場合には、短時間で効果発現という速効性(ただし効果の持続時間も短い)の長所を活かして投入することは問題とも思われず、急を要する時にこそ有効となるだろう。一般国民のマインドを変える、という点においても、効果はそれなりに期待されるかもしれない。

◎効果発現までの時間が短く速効性
◎公共事業のような利害衝突がなく実施が比較的容易
◎乗数効果が公共事業に比べると劣る可能性
◎消費マインドに影響がある可能性


⑥為替介入

ヘタをすると米国に為替操作国認定をされる可能性がある政策(笑)。
市場の調節機能を重視する立場ならば、操作が不適切であると考えるであろう。自動車の価格が下がり過ぎたからと言って、政府介入で自動車を買い続けるということは行われないのだから。しかし、投機的通貨攻撃への防衛ということは、有り得ないわけではないだろう。インフレ抑制といった「深刻な国内経済の事情」という場面がないわけでもないだろう。なので、必ずしも否定されるべき手段とは思わないが、「為替介入によって自国通貨安を招来し、輸出産業を支える」という構図は、望ましいものではないだろう。

人為的に介入することによって、目に見えて効果は直ぐに現れる。
目標とする為替水準まで介入することは可能である場合は多い(特に日本では)。円の減価により、企業業績や株価には短期間で効果が反映される。実体経済へはプラスに働き、経常利益は増加し獲得外貨は増える。ただし、介入が途切れると為替水準が戻ってしまうといった問題はある。外貨準備高が高水準で積みあがったままになってしまう、という問題もある。いずれ為替損が現実損になってしまうことも十分考えられ、その場合には政府債務が増大する。

もし、日本経済にとって円の減価は「経済成長率を上げる」「優良輸出企業の多い日本の産業構造にとって有利」ということであるとして、そうであるなら毎年「円は減価」が継続することが望ましいということになってしまう。10年連続で10%減価を達成した場合、約3分の1まで通貨安が進むが、この時の日本経済というのはどうなるのだろうか?モデル上では成長率がプラスのまま続いていくのかもしれないが、本当にそんなことが可能なのだろうか?個人的にはそれが正しいとは考えていない。

◎超短時間型の効果発現
◎副作用がそれなりにあるかもしれない
◎短期的には株式市場や輸出企業にプラスに作用
◎効果が持続できれば成長率にも好影響
◎しかし長期持続可能な政策ではない
◎為替損など政府債務増加要因となりえる

通貨安をもたらせる手段としては、為替介入だけではなく、最近話題の「政府通貨」という方法も取りえるので、できれば国内的に減価を来たすような政策を選択する方が望ましいのではないかと考えている。円金利が下がる、通貨供給を増加させる、というような方法が取れるのであれば、それを実施することの意味はあると思う。




佐藤竜一・著 『宮沢賢治 あるサラリーマンの生と死』

2009年02月13日 16時04分55秒 | 俺のそれ
本屋で何気なく手に取る。
宮沢賢治の生き様について、何も知らなかったから、ということはあるかも。


で、驚いたことに、宮沢賢治が原稿料として手にできたお金というのは、1回しかなかった。今でこそ多くの人々に名前を知られているのに、物書きとしては成功できたわけではなかったのだな、と思うと、少し可哀想に思えてきた。死後に評価が高まったとしても、これはこれで哀しいな、と。生前にその評価を当人が知らなかったのだから、失意の中にあっただけなのではないだろうか、と。

サラリーマン生活がそれなりにあって、現実社会の荒波に揉まれて、理想だけでは生きていけないということを知ることと引き換えに、物書きとしては書けなくなっていったのではないかと思うと、これもまた残念という感じはする。


今の時代だと、パナソニックやトヨタが幹部に自社製品を買えとか、富士通も出来れば買ってくれとか、そういう甘いことを言っているのだが、宮沢賢治の場合には「現物支給」だった、ということに驚いた。いくら高額な報酬とか言っても、「じゃあ、君には車2台で年俸を払いますから」とか言われたら、これはかなり困るんだろうな、とか思うけど、案外その方がたくさん売れるような気がする。

パナソニックをはじめ、その他電機メーカーも自社製品を現物支給でボーナスとし、「できるだけたくさん、高く」売れた社員はそれだけ多くの報酬を手にできる、ということにしたらいいんじゃないか?ソニー社員だって、自社製品を使い込んでいるという感じじゃないでしょ。そもそも、自社製品と他社製品を使い比べてみたりとか、そういうことをやってる社員なんて、殆どいないでしょうね。自分の会社の製品を信じることができないのに、消費者に買って下さい、なんてのは、超甘いんじゃないかと思ったりするけど。自分が「嫌だな」と思うような、或いは信頼できないような商品を消費者に買えって求めるのって、かなり違和感があるもの。

つまりは、そういう時代ではなくなってしまった、ということなのでは。
だからこそ、売れない、買ってもらえない、ということなんでは。逆の言い方をすると、「社員すら買いたくない」からこそ、売れないんじゃないですか?もし売れるというのなら、自社製品を現物支給し、副業OKにしてたくさん売った人には多くのボーナスにすればいい(笑)。


話がそれたが、意外な発見のある1冊。



「メルパルク」の譲渡は事業譲渡でした

2009年02月13日 15時13分11秒 | おかしいぞ
さっき書いてて気づいたのですが、譲渡というのが全部売り払ってしまうというような完全な譲渡ではなくて、事業譲渡ということで、土地建物等の不動産が売却されたわけではない、ということのようです。


メルパルクの譲渡価額は『0円


このプレスリリースをよく読むと、「定期建物賃貸借基本協定」はそのまま生きており、土地建物の所有が日本郵政から移されたということではない、ということです。

で、この後、事業譲渡がゼロ円で行われたのですが、これは昔で言う営業権の譲渡みたいなもので、不動産所有権はそのままですが、メルパルクで行われる事業全部の営業権利みたいなものが、ゼロ円だった、ということでした。

なので、不動産価値には関係がなくて、これまでの「ゆうちょ財団」(旧郵便貯金振興会)という財団法人の運営から、単にワタベウェディングに事業の運営主体が移された、というようなことです。


これを勘違いして、日本郵政の所有から全て移ったものと考えてしまいましたが、間違いでした。ごめんなさい。


お詫びして、訂正を致します。

日本郵政が旧郵便貯金会館等11施設の土地建物を売却したということではありません。
ワタベウェディング(4696)に事業譲渡を行い、定期建物賃貸借契約を締結している、ということだけです。


申し訳ありませんでした。



ちょっと追加ですけど、

言い訳になってしまいますが、書いて消した記事で、赤字で処分が決まっていた施設については、

・メルパルク札幌+沖縄→47億円回収

・広島郵便貯金ホール→10億円程度(9~13億円?)回収

・ぱるるプラザ千葉→20.3億円回収

となっているのは確かです。
「かんぽの宿」とは違う、といったことはあるかもしれませんが、本当に回収額が少なすぎるということはないのか、よく検討すべきだと思います。



「理論バカ」の敗北

2009年02月12日 19時40分52秒 | 経済関連
机上の空論をやたらと弄しては、効果を減じるような「経済学かぶれ」の学者モドキとは大違いだね。

特需呼ぶ台湾版「給付金」…百貨店売り上げは1割以上増 経済ニュース マネー・経済 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

羨ましいね、台湾が。

「効果がない」と大ボケの理屈を並べていたような学者モドキは、とっとと看板を降ろせっての(笑)。よくもまあ恥ずかしくもなく、「理論で明らか」みたいに言えるもんだ。これは今にはじまったことではないのだけれどもね。

要するに、工夫次第、ということなんじゃないの?(笑)

パッと配って、気分良く使わせていれば、それで良かったんじゃないの。
それで何がダメだっての。
ところが、日本の有識者、評論家、或いは自称専門家とかいう経済学者と書いてあるだけの肩書きを持つ連中とか、こぞってマヌケ論理を展開するわけだよ。それでいて、経済急減速に襲われると途端に、大変だ大変だ急激に落ち込んでしまいました、と騒ぎ立てる。歴史的落ち込みです、ってバカか?
こんなヤツラはいらない。


だからさっさと行動してくれ、と何度もお願いし、とっとと配れと言ってるのに、無能な理論家気取りの連中がこぞって阻止するわけだ。
一体何なんだ、この国は。

初めから何遍も言ってるけど、「定率減税廃止」に野党をはじめ大方の連中が反対しとったじゃないか。反対していた連中は、定額給付金に反対できないだろ、ボケが。

頭が悪すぎて、もっと易しく書かないと判らんの?

①定率減税のあった時:

  所得税 100
  このうち定率減税で2割還付→20返還
  納税額は80

②定率減税廃止後:

  所得税 100
  納税額は100

③定額給付金がある場合:

  所得税 100
  定額給付金 15
  納税額は85


20も還付されないかもしれないけれど、それなりに戻されるだろが。
定額給付金は減税の還付を受けたのと同じような効果だろ。これが「バラマキは許せない」って、頭がオカシイんじゃないの?
だったら、定率減税廃止の時には、「よくぞバラマキを止めてくれました」と言うのが当然だろ。
税を還付して80にするよりも、100にして「有意義な分野に使った方がよい」という意見になるのは、定率減税廃止前でも同じだろ。財源の大きさが定率減税よりも定額給付金の方が少ないということで、これはずるいよ、と政府を非難するのならまだ判る。だけど、定率減税がざっと2兆5千億円規模だったのを、今度は2兆円というのなら少ないでしょ。

①→②になることを猛反対していたなら、②から①に戻すのが「定率減税廃止反対派」の言い分に決まってるだろ。
還付された20は、使い道についていちいち説教されたりせねばならんのか?(笑)
戻された20はバラマキか?チマチマ戻さず、もっと有意義に使えってか?だったら、20は「減税するのはバラマキだ、もっと有意義に使え」が正しい主張ということではないか。減税廃止は許せません、なんて言い分は明らかにオカシイじゃないの。

結局は、その時に合わせて何とでも言えるってことだろ。

 ◇◇  ◇◇

ただの理論バカは、机にしがみついて、本でも読んでりゃいいんだよ。その役に立たない脳みそと、同じくらい役に立たない理屈とで、永遠に言葉遊びでも何でも自分たちの巣窟で好き勝手にやってりゃいいんだよ。世間に出てくるな。誤った方向に大衆を煽動する為に登場してくるな。こういうヤツラが蔓延り続ける限り、常に間違う。

ヤツラが用いているのは、理論ではない。学問でもない。
タダの「机上の空論」と呼ばれる、知識もどきの役立たずな説教の一種に過ぎない。しかも、かなり強力な宗教の類と見分けがつかないのだ。悪いことに、そういうのに感化されている学者気取り(or 知識人気取り)が、あまりに大勢のである。

理論バカは、もういらない。



「メルパルク」11施設がゼロの怪

2009年02月12日 14時12分36秒 | おかしいぞ
ワタベウェディング(4696)がどういった経緯で選出されたのか、極めて不透明である。何故、譲渡価額が「0円」でなければならなかったのか?

前の記事には、メルパルク取得に伴う不可解さを書いた。


民営化に移行する前に黒字化が見込めなくて、閉鎖された施設も多数ある。売却がずっと以前に決まっていたものについては、既に入札が実施されたケースはあるわけだ。

例えばメルパルク沖縄は5億円で落札された。落札した業者は今年倒産になってしまったようだが。新たなホテル等の建設を目論んでいたが、建設途中で資金が止まってしまったということなのかもしれない。が、譲渡価額がゼロではなかった、ということだ。

また、メルパルク札幌の場合も赤字施設であることから閉鎖され、入札にかけられたわけだが、これは三菱地所が約42億円で落札し、今年春には新施設オープンというところまで漕ぎ着けたようである。
三菱地所|人を、想う力。街を、想う力。

こちらの2月2日のプレスリリースに詳細がある。

要するに、
①赤字施設は早期に閉鎖され売却された(入札)
②地方の「単体」施設であっても、数十億円以上の回収額があった
ということなのだ。

07年3月期時点で閉鎖や処分が決められていた施設については、簿価と大幅にかけ離れていたとしても、そうではあっても回収された額は「ゼロではかった」ということを言っているのだ。札幌単独でさえ、42億円ですよ?
似たようなケースでは、例えば「千葉郵便貯金地域文化活動支援施設」が千葉市に売却され千葉市文化交流プラザとなっていたり、「広島貯金ホール」が広島県立文化芸術ホールとなっていたりすることはある。売却が個別に行われても、買い手がそれなりにお金を払っている例はある、ということだ。


郵政公社時代の資料では、10箇所の郵便貯金会館と京都の「ぱ・る・るプラザ」の運営収支状況は、次のようになっていた。

平成17年度 24.74億円
平成18年度 31.10億円

減価償却費等の負担が平成17年度には約60億円、18年度には45億円あったことから損益はマイナスとなってしまうのだが、土地建物等の償却額がゼロになってしまえば、黒字経営ということなのだから。これに減損損失がカブせられたら、大幅な赤字になるというのは、ごく当たり前だろうね。そもそも、赤字の(黒字化の見込めない)施設というのはもっと以前に閉鎖されているわけだから、残った施設だと黒字運営が可能なところだろうね、ということは推測できるのだ。

ところが、ワタベウェディングに譲渡された11施設というのは、負債超過の為、譲渡価額がゼロとなり、入札が行われた形跡があるのかさえ不明なのである。譲渡直前に減損損失やら何やらで債務超過としたわけではない、ということであるなら、全ての帳簿を開示できるはずだろうね。総務省はこれを検査できるはずだ。

赤字で売却した方がいいよね、ということで数十億円が入ってきたのに、今度は現金収益がプラスの施設を売る時には「譲渡価額がゼロ」ということに早がわりですか?

これはあまりにおかしいですね。
本当にそんなに損失が大きかったのであれば、一緒に処分されてしまったのではありませんか?

東京の芝公園とか、横浜の中区とか、名古屋市東区とか、大坂市淀川区とか、京都市下京区とか、都会なのか辺鄙で不便な場所なのかは知りませんが、譲渡価格がゼロってことなんですかね?これはおかしくないですか?

札幌+沖縄のわずか2箇所で47億円回収。なのに、他11箇所は「ゼロ円」。
これはあまりに不可解としか言いようがありませんね。物件の処分先というのは、どういった選定過程を経たんですかね?

過去にはこんな記事もあったようですな。
livedoor ニュース - 郵政民営化バーゲンセール「かんぽの宿」一括売却へ!


社長になったばかりらしい渡部秀敏氏は、まだお若いのに大変優秀な方なんですね。羨ましいかぎりですな。


ふと思い出したんですが、総務省の管轄って、郵政もありましたけど、通信もありましたね、そういえば。


それと、奥田かつ枝氏については、このような記事があったようです。

livedoor ニュース - 怪しい資産査定の裏に美人不動産鑑定士

「アカデミーヒルズ」って、どこにあるのか知らないけど、世間って狭いんだね。
竹中と関係のある団体だって?
へえ~、そうなんだ。

消えたリーマンのあった「六本木ヒルズ」と。