新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

ウクライナでは政府軍と準軍事組織「アゾフ連隊」が情報戦を繰り広げている

2022年03月26日 11時23分42秒 | 戦争と歴史

日本の警察は警察庁の下に全国の地道府県の警察が存在するのだが、その警察庁の元締めは内閣総理大臣所管の下に置かれている国家公安委員会である。
 
したがって地方の警察官のみなならず全国の警察官は時の総理大臣を守る立場であることは当然であろう。
 
しかしその守るべき人物が国家・国民のために誠実に働いているのならともかく、平気で法を破り私利私欲をむさぼっているのなら、一般国民から怒りの言葉を浴びせられても甘受すべきであろう。
 
ましてや街頭演説をしている最中に「安倍辞めろ」というヤジなどは安倍晋三にとっては痛くも痒くもないヤジだったのだろうが、地方の警察官は過剰な忖度をしたのかヤジを飛ばした市民を強制排除してしまった事件が3年前に起きていた。
 
そしてようやくその時の警察官の行為が断罪された。
 
政治的『表現の自由』尊重の判決 道警やじ訴訟、『歴史的』と原告
   

2019年に安倍晋三首相(当時)の街頭演説中にやじを飛ばした男女2人が北海道警に排除されたことの是非が問われた訴訟の判決で、札幌地裁は25日「安倍辞めろ」というやじの内容を「公共的、政治的事項に関する表現行為」と認め「特に重要な憲法上の権利」として尊重されるべきだと強調した。原告らは「警察による表現の自由の侵害を正面から認めた歴史的判決」と評価した。
 広瀬孝裁判長は、原告らが声を上げ始めてから「わずか10秒程度」で排除されたのは「表現行為そのものを制限しようとしたと推認せざるを得ない」として「警察官の行為は原告の表現の自由を制限した」と結論付けた。

 
この程度の訴訟で3年もかかったのだが、安倍晋三が首相の地位から去ったことで当たり前の判決となったのであろう。
 
街頭演説に対してヤジなどは飛ばさないが、テレビの様々な番組に出まくっている「2万パーセント」嘘つき男の橋下徹は、やはり現在も安倍晋三も驚くような二枚舌輩だった。
 
橋下徹氏、安倍元首相も驚く二枚舌。降伏論から一転しウクライナを称賛、掌返しの主張に批判殺到
 

さて、先日日本の衆参両院の国会議員に向けてオンラインで演説したゼレンスキーだったが、プロのスピーチライターが入念に下調べして作成した内容だとのもっぱらの評判だったが、内容よりもその後の「副反応」がおぞましかった。
 
山東昭子だけじゃない、ゼレンスキー大統領の演説を「国民の戦争動員」に利用する自民と維新の極右議員たち


 
★山東昭子・参院議長
閣下が先頭に立ち、また貴国の人びとが命をも顧みず、祖国のために戦っている姿を拝見して、その勇気に感動しております」 
 
★日本維新の会の青柳仁士
『国を護りたい』との想いが痛切に伝わってくる演説でした。振り返れば、私たちの平和で豊かな暮らしも、日本という国をつくり、命をかけて護り続けたご先祖のお陰です。有事に国を護る気持ちがないなら、平時にも国から恩恵を受けるべきではありません。国会議員は尚更です。
 
★自民党の山田宏
ウクライナのような事態に直面した時に(日本は)国を守れるのか。丸腰になれば攻める国はないという現実離れした主張も繰り返されてきた」と言い、「自分たちの国は自らが守る」ことを示すために自衛隊を憲法に明記すべきだと主張。 
 
この連中は「国を守る」と口では言っても自ら行動を起こすわけではなく、自衛隊を「軍隊」に格上げして若き自衛隊員の命と引き換えに自分たちを守ってくれ、とでも喚いているようである。
 
まさにこのコラム氏の指摘が図星であった。
 
紛争の当事者でもない者の興奮

第一次世界大戦から引き続く第二次世界大戦を経て77年を迎えた世界は、いよいよ第三次世界大戦の危機すら感じさせるような物騒な状態に陥っている。このなかで、紛争当事国の片側の政治リーダーを国会に招いて演説させたり、NATOの側に与しなければけしからんといった同調圧力もあるなかで、NATO加盟国でもない日本としてはどのような国際的立場で問題解決のために関わるのかが問われている。
 この場合、双方がプロパガンダ合戦をくり広げて“正義"を掲げているなかにおいて、片側だけに与してスタンディングオベーションすることがどのような意味を持つのか、国会議員たちはどれだけ真剣に考えているというのだろうか。まずはこれ以上民衆(いかなる国の民衆の生命も犠牲にしてはならない)が犠牲にならないために国際社会の一員として即時停戦を求める立場が求められるし、どちらにも与しない仲介者として客観的第三者の存在が必要であろう。そのためにはアメリカ万歳の盲目的で奴隷的な応援団になるのではなく、平和を希求する独自の日本外交を展開することが必要だと思うのである。
 こんなことを口にすると、「オマエはロシアの味方なのか!」とすっかりゼレンスキー応援団になってしまった自称平和運動の活動家とかいう方が文句をつけに来られるのだけど、何度もいうようにこの紛争の当事者ではないという立場を前提に「どっちでもねーよ!」なのである。何度も言わせるなよ! と少しばかり胸中はオコというか、なぜあっちかこっちかを迫ってくるのか意味が不明なのである。
 平和を思うなら、どう行動しなければならないのか。事態がエスカレートして第三次世界大戦に突入しかねないような物騒な情勢のなかで、片側のプロパガンダに乗せられて興奮の渦のなかに身を投げたり、どっちかに与して皆が胸ぐらをつかみあい、殴り合いを始めるというのであれば、「オマエら落ち着け!」と押しとどめる存在がいなければ悲劇であろう。その熱狂が場合によっては第三次世界大戦へとつながっているというならなおさらである。紛争の当事者でもない者としては、日本社会が巻き込まれ、事故に誘わないためにどのような態度を貫くことが大切か、いまこそ冷静に判断しなければならないと思う。片足を突っ込んで抜け出せない状態に引きずり込まれるのではなく、世界を平和的に落ち着かせる側で力を発揮することの方が責任重大である。
 あっちか、こっちかで片付けられるほど単純ではない矛盾に満ちた世界のなかで、作り出された熱狂のなかで悲憤慷慨(ひふんこうがい)したり、あるいは片側から石を投げつけて場外から乱闘の仲間に加わるのではなく、「ひとまず落ち着け」と呼びかける者がいないというのは悲劇的である。メディアがプロパガンダ一色に染まり、どのチャンネルも大本営発表のように同じ角度から扇情的に煽っている。国会はれいわ新選組以外はみなゼレンスキー演説に対して台本通りスタンディングオベーションをやり、右へ倣えで欧米側に与する有り様である。極端な話が、この先ロシア討伐なんて始まったら、興奮そのままに参戦するとでもいうのだろうか。シベリア出兵とか、英米にそそのかされて参戦した教訓などどこ吹く風で、またやるとでもいうのだろうか。
 生まれてこの方、当事者でもない喧嘩を仲裁したことはあれど、なぜ喧嘩が始まったのか事情も知らずに片側を一緒に殴ったりしたことなどない。それって、子どもの喧嘩で例えても「あたおか」(頭おかしい)である。あるいは「こんな武器もあるよ」とみずからは手を汚さずに煽ったり、他の学年やクラスで事情も知らないのに「○○君が暴力的だから悪い」と決めつけたりしたこともない。いかなる紛争も事情を知らぬ非当事者にできることは、さしあたり激昂した双方を停戦に持ち込むことぐらいで、その後の和平交渉については、また暴力沙汰にならないよう周囲として配慮はしつつ様子を見守るほかないのである。逆に外野席から争いを煽るヤツの方が卑劣である。みずからは何らの痛みもなく、面白がっているのだから――。
 ウクライナ危機で見ると、歴史的に深く関与してきたバイデン親子であるとか、火を放ってきたアメリカの為政者どもの関与についてまったくスルーするというのもまたイカサマであろう。なぜ今回のような武力侵攻にまで至ったのか、原因についても捉えることは、問題解決の落としどころを探るうえでも疎かにできない。それらをまるでかき消して、寄らば大樹の陰で熱狂を煽る者、片側に与せよと同調圧力を迫ってくる者については、リベラルを掲げる人士であろうとインチキの烙印が押されて然るべきだろう。

 
「西側情報」だけではないいくつかの情報を紹介しておく。
 

ウクライナには「正規軍」とウクライナ内務省管轄下の国家親衛隊隷下の準軍事組織「アゾフ連隊」という極右組織「ウクライナの愛国者」を率いていたアンドリー・ビレツキーが、2014年のドンバス戦争当時に創設した準軍事組織が存在する。
 
ロシアのプーチンが「ネオナチ」と指摘しているこの「アゾフ連隊」がウクライナ東部の親ロシア系住民を虐殺しているということを侵攻の理由に挙げており、あながちでたらめな内容ではないらしい、とオジサンは思う。
 

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