新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

大本営のウソから戦争は始まったという歴史に学べ

2023年11月13日 11時55分57秒 | 戦争と歴史

 岸田文雄政権の「敵基地攻撃能力」があれば、「敵」から攻撃されることはない、と本当にの善良な国民は思っているのか?
  
 現実的には、「敵基地を攻撃」するということは、攻撃される前に攻撃しなければ意味がなく、攻撃されてからでは手遅れであることは、 
 だれでもわかっているはずである。
  
 しかし日本の憲法では「先制攻撃」は許されてはいないし、それにより戦争状態になれば「先に仕掛けた方が悪い」と一般的には国際社会から批判されるであろう。
 
したがって、「万が一」にも近隣の敵国(政府の思惑では近い順に北朝鮮であり、次に中国か)からミサイルなどが国内にめがけて発射されれば、「座して死を待つ」ことはできないので、どこかへ避難しなければならない。
 
先週の月曜日の午後のニュースで、相変わらず意味のないと思われるJアラートが発せられた場合を想定した避難訓練模様が報じられていた。
 
ミサイル避難訓練は「竹槍」と同レベルなのか Jアラートが鳴ったら逃げ込むべき意外な場所
 

11月6日、都営地下鉄練馬駅周辺で、弾道ミサイルの飛来を想定した避難訓練が行われた。しかし、駅前では市民団体が「戦争をあおる訓練をやめろ!」などと抗議の声をあげ、SNSでは「ミサイル攻撃に備え頭を抱えて座り込むなんて、竹槍で戦えと同レベルで意味がない」「訓練は茶番だ」といった冷笑的なコメントが相次いだ。軍事の専門家は、この訓練をどう見るのか。陸上自衛隊の陸将や、東京都危機管理監の経歴を持つ田邉揮司良(きしろう)氏に、見解を聞いた。
政府は今年度、海外からの武力攻撃などを想定した「国民保護訓練」を、過去最多の計67回予定している。今回の練馬駅周辺での訓練もその一つだ。
 練馬駅舎は、ミサイル攻撃による爆風など、直接的な被害を軽減するための「緊急一時避難施設」に指定されている。都内で同施設を使った訓練が行われるのは初めてといい、その背景について、田邉氏はこう説明する。
「東京を火の海にするぞ」
「近年、北朝鮮の弾道ミサイル発射が相次いでおり、昨年は中国が発射した弾道ミサイルが日本の排他的経済水域(EEZ)内に落ちる事例も発生している。東京にいると現実的な危機感は持ちにくいかもしれませんが、北海道や沖縄ではJアラートが実際に鳴り、避難を指示されています。また、北朝鮮は過去に、『東京を火の海にするぞ』という脅迫をしている。ウクライナ戦争を見ても首都が狙われやすいことは明らかで、今後、都内での訓練は増えていくと思います」
 田邉氏は2018年、文京区の東京ドームシティ周辺で行われたミサイルを想定した避難訓練に、東京都危機管理監として携わった。当時も現場近くでは、「戦争をあおるな!」と、訓練への反対運動があり、警察が警備にあたっていたという。
「何事も、すべての人が賛成してくれることなどあり得ない」。田邉氏は、そう批判を受け止めつつも、「あおっているのではなく、万一に備えているんです」と、訓練の意義を強調する。
いざミサイルが飛んで来たとき、訓練の経験がなければ、パニックを起こすばかりで冷静に対応できません。『想定外でした』などという言い訳は、許されない。実際、台湾や韓国では、隣国からの攻撃を想定した避難訓練が定期的に行われています。日本でも、地震に対しては市民がその場でいっせいに身をかがめて頭を守る“シェイクアウト訓練”が行われますが、避難行動を含め、それが全国一斉に行われるイメージです」
■頭を守り体の表面積を小さく
「ミサイル攻撃に対して頭を抱えて座り込むなんて意味があるのか?」といぶかしむ声もあるが、「地下施設に逃げて体を小さく丸めることは、自分の身を自分で守る最高レベルの行動であり、訓練していないとできない」と、田邉氏は言う。
「国は、既存の施設を避難所にする方針のため、堅牢な避難施設を作る動きはありません。核シェルターの普及率を見ると、スイスとイスラエルは国民の100%、アメリカは82%を収容できるのに対し、日本はわずか0.02%。そうなると、地下鉄の駅というのが、現状最も有効な避難先の一つになります。避難したら、上からがれきが落ちてくる場合に備えて、地震の時と同じように一番の急所である頭を守りつつ、手足を挟まれないようとにかく体の表面積を小さくしてください」
■ノドンなら地下を目指せ
北朝鮮が日本に向けて発射するとしたら、「ノドン」と呼ばれる準中距離弾道ミサイルの可能性が高い。ノドンは地表付近で爆発し、地中への貫徹力は小さいので、地下にいれば高確率で助かるという。また、核弾頭が載せられた最悪のパターンでも、汚染された空気がある程度遮断される地下に1~2日とどまっていれば、その間に地上の放射線量は大幅に下がる。核シェルターがなくても、地下空間をうまく活用できれば、生き残る可能性を高められるのだ。
 とはいえ、日本の地下鉄の駅は、旧ソ連諸国のように避難所機能を念頭に設計されたものではないため、逃げこむ場合にはいくつか注意点がある。
まず、爆風や熱、放射線などを避けるため、駅の出入口から離れた入り組んだ場所に退避すること。地上から続く階段にいてはほとんど意味がなく、人が押し寄せてきた際には群衆雪崩を引き起こしかねない。とにかく、構内の奥へ奥へと逃げるのが鉄則だ。
 また、路線や駅によっても、安全性は異なる。地下鉄を通す場合、地面に大きな溝を掘ってトンネルを埋める「開削工法」と、もぐらのように地下を掘り進んでいく「シールド工法」がある。東京の場合、南北線や副都心線などは主にシールド工法が使われているが、開削工法で作られた路線や駅の場合、地表から十分な深さがなかったり、周囲の地盤がゆるかったりと、ミサイル爆発の衝撃に耐えられないケースも考えられるという。
自宅にいたら浴槽へ
 では、田邉氏は自宅にいるときにJアラートが鳴ったら、どこに逃げるのだろう? 気になって尋ねてみると、「まあ、風呂桶の中ですかね」と、驚きの答えが返ってきた。
「だって、限られた時間の中で、避難施設までたどり着けるとは思えませんから。ミサイルは発射後10分以内に日本に到達する可能性があり、Jアラートが鳴るのは発射の4分後くらい。しかも人間の心理を考えると、アラートが鳴っても『本当に避難するべき?』とスマホを開いて情報収集する人がほとんどで、その間に2、3分経ってしまう。アラートが鳴ったら、まずは目に見える範囲内で一番頑丈そうな建物に入り、地下がなければ柱の陰など爆風を防げる場所に隠れてください。私の自宅の場合は、一番外壁から遠く、窓もないお風呂場が現実的な避難先になります」
 要するに、地下鉄の駅をはじめとした避難施設に逃げられるのは、たまたま近くにいた人だけということだ。国際情勢が緊迫の一途をたどるなか、私たち日本人の命は、“時の運”という、極めて心もとないものに委ねられている。

 
上記の記事中の「元陸将の田邉揮司良」は4月にも、「Jアラートが鳴ったとき どう行動? 専門家に聞く」という記事中に出ていた人物なのだが、Jアラートが鳴った時にはほとんどが北朝鮮の発射したミにサイルはすでに海に着水しており、日本の国内めがけた場合は、ほとんど意味がない。
 
やはり根本的な対応は政府の外交力で戦争回避をすることであろう。
 
そんな運動を長く続けている人がいる。
 


 
「新しい戦前」という言葉が今年の流行語大賞にノミネートされたらしいのだが、まさに「戦中」になったら手遅れであることは言うまでもない。
オジサンより5年ほど早く生まれたこの御仁が、「戦争は「ウソ」をつく(鈴木耕)」というタイトルで世相をいみじくも的確に表していた。
 
「殺させていただきたい」
 もう、たまらんね。
 このごろ、なんだか言葉がひどすぎる。
 ぼくは長い間、雑誌や書籍の編集を仕事にしてきたから、友人たちからは「少し言葉にこだわり過ぎる」と言われることもある。だから気になっても、なるべく黙っているようにしているけれど、それでも最近のメチャクチャさにはいささか腹が立つ。
 それはなにも、若者言葉がどうとか、女子高生の隠語じみた言い回しがどうの、などということではない。もう根本的に言葉の使い方がおかしいと感じてしまうことが多すぎるのだ。
 テレビニュースを見ていて頭を抱えた。ある外来種の有毒の害虫が校庭で繁殖し、その駆除をするという話なのだが、その学校の教師(だと思う)が、「早く全部殺させていただきたいです」と言ったのだ。
 えっ、殺させていただきたい? さすがに「びっくりしたなあ、もう」(三波伸介さん、古い)である。「殺す」という言葉と「いただきたい」がくっつくか?
 この「…して(させて)いただきたい」が妙に流行り出したのはいつごろからだろう。なんでもへりくだればいいってもんじゃないのだが、とりあえず、相手を立てておけば波風は立つまいという言葉遣い。相手とぶつかることを極力避けたいという、なんとも情けない言葉の使い方だと思う。
 これもあるニュースで勤め人が、マイクを向けられて、「はい、この会社で働かせていただいております」
 バッカじゃなかろうかと、ぼくのような老人は思ったのだ。「働いてやっています」が本来でしょ! 労働者と雇用主は対等なんですよ! でも、この“労働者”は、なんの屈託もなくそう言ったのだ。
 買い物客がデパートの初売りかなんかで「買わせていただきました」は、もう当たり前になっている。客が「買わせていただく」とは何事か。それじゃあ店側は「売ってやる」ということになるのか。
 いずれ、警察が「逮捕させていただきます」と言い出すだろう。
国会での言葉遣い
 同じように、過度なへりくだりが、実は相手をバカにしているんじゃないか、と思わせる言い回しがある。国会で政府委員として答弁に立つ官僚たちの言い回しだ。
 「~してございます」だ。こんな風に使う。「その件につきましては、早急に実現できるように努力してございます」
 なんじゃ、これ? なんで「努力しております」じゃいけないのか? これがもっとひどくなると「~させていただくことにしてございます」。まあ、「お前なんかにゃ分かるまいが、こちらのやることに口出すんじゃねえよ」と、内心でペロリと舌を出している感じがして、聞いていると妙に腹が立ってくる。
 こんな言い方は、少し前までは聞かなかったと思う。多分、安倍首相時代に、言葉尻を捉えられないように、質問相手の野党議員をごまかすために使い始めた言い回しじゃないかと、ぼくは邪推しているのだが。
 だが、官僚たちよりもっとひどいのは、やはり首相も含めた閣僚たちだ。
 何かと言えば口に出すセリフ「それは個別の問題ですので、ここでのお答えは差し控えさせていただきます」。
 なんでもかんでも控えさせていただいちゃうのだ。これでは予算委員会だろうが他の委員会だろうが、深い議論などできっこない。
 このパターンがとくに多いのは、松野博一官房長官の記者会見での受け答えだ。例えば木原誠二前首相補佐官の妻の疑惑についての質問にも、得意の「個人のプライバシーに関するご質問にはお答えを差し控えさせていただきます」である。ほとんどすべてがこの答弁で、それ以外は官僚からのペーパーの流し読み。
 同じことは、国会の予算委員会などでも頻発する。最近のひどい例は、武見敬三厚労相の場合だ。彼は質問を聞いていなかったのか、まるで関係のないペーパーを読み始めた。質問者が呆れて質疑を止めた。さすがに議場は騒然、野党質問者と自民党議員が苦笑し合う、という不思議な光景さえ現出した。
 もはやこれは「言葉の軽さ」以前の問題だ。しかも武見大臣の場合、同じことが1度ではなく2度も繰り返されたのだから、大臣としての資質を問われても仕方がない。
 だが、こういうのは「コイツ、アホじゃねえの」と呆れてしまうけれど、人間の命にはとりあえず関わりはない。しかし、戦争となるとそうはいかない。
イスラエルの詭弁
 ハマスの奇襲攻撃に端を発した戦闘は、とうとう「戦争」と言わなければならない段階に達した。11月2日、イスラエル軍はガザ北部の中心都市の「ガザ市」を完全包囲したと発表。さらに5日には、ガザのちょうど中間線にあたる「ガザ渓谷」を完全封鎖した。南北に細長いガザは、北と南に完全に分断されてしまった。その上で、イスラエルは「北部の住民は南部へ避難せよ」と言う。道を閉ざしておきながら「移動せよ」とは、土台無理な話ではないか。
 むろん、ハマス側は徹底抗戦の構え、ガザ地区に張り巡らした500キロメートルにも及ぶという地下道に身を潜め、ゲリラ戦に打って出ている。あのベトナム戦争で、圧倒的な兵力の米軍に抵抗するベトコン(南べトナム解放民族戦線)が採った戦法だ。
 そんな中、イスラエル軍は、負傷者を運ぶパレスチナの医療救急車の車列を砲撃、15人の死者が出たという。これに対し各国から強い非難の声があがったが、イスラエル側は「救急車がハマスの戦闘員を運んでいたから砲撃したのだ」と弁明。
 また病院や学校にも情け容赦のない空爆を加えて、たくさんの子どもや病人が犠牲になった。ガザの保健当局は4日、「いまだ2千人の行方不明者の報告があり、破壊された建物のがれきの下敷きになっているとみられる。そのうち子どもが1200人以上」と発表した(東京新聞11月5日)。さすがにグテレス国連事務総長は「ガザは子どもたちの墓場と化した」と、怒りで顔面を歪めながら発言した。
 この事態にもイスラエル側は「病院地下には地下道があり、そこがハマスの拠点になっているから空爆した」と説明している。だが、約500キロにも及ぶ地下道があるというのなら、狭いガザ地区なのだから、病院や学校の地下にもそれが掘られているのは当然だろう。イスラエルの言い訳はほとんどリクツになっていない。どこを標的にしても、同じリクツが成り立ってしまう。つまり、「我々はガザのどの地点であろうとも、自由勝手に空爆するのだ」とイスラエルが言っているのと同じだ。
 イスラエルのやっていることは、「無差別爆撃」なのだ。
 かつて小泉純一郎首相が国会審議で、苦し紛れに「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と強弁して失笑を買ったことがあるけれど、イスラエル側が述べているのは「我々が空爆するところは、どこでもハマスの拠点なのだ」ということに等しい。そんなデタラメなリクツがあるものか!
戦争を煽るもの
 戦争はウソをつく。
 それは日本の歴史を顧みてもすぐに分かる。「東洋平和のための戦い」というのが、太平洋戦争のスローガンのひとつだった。「勝ってくるぞと勇ましく 誓って故郷(くに)を出たからは 手柄立てずに死なれよか~」で有名な軍歌『露営の歌』の歌詞にも「東洋平和のためならば なんで命が惜しかろう」とある。
 他国へ侵略に出かけておいて「東洋平和のためならば」もないものだと思うけれど、それが戦争の正体なのだ。
 「ABCD包囲網」というのもあった。アメリカ(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)の4カ国に日本は包囲され資源封鎖されたのだから、それを打ち破らなければならない、と政府は国民の敵意を煽って戦争へと駆り立てた。日本が列強に伍して植民地争奪を目指したという事実を糊塗するための宣伝だった。
 要するに「我が日本は他国からの攻撃を受けている。それに反撃しなければならない。団結せよ」である。むりやり仮想の敵をこしらえて、反撃せよと煽る。戦争を仕掛けたのはこちらなのだけれど、国民は熱に浮かされる。やられる前にやれ。
 満州事変、盧溝橋事件、張作霖爆殺事件など日本軍の謀略も、すべては中国軍の仕業とされ、戦端が開かれていく。謀略とは、すなわち「戦争のウソ」のことである。
 今回のイスラム組織ハマスのイスラエルの奇襲攻撃と、それによって開始されたイスラエル軍の凄惨な報復攻撃。これは対テロという名の戦争である。
 先週のこのコラムにも書いたけれど、ハマスとイスラエルの軍事力には圧倒的な差がある。まともに正面からぶつかったら、ハマスなどひとたまりもないだろう。だからこそ、イスラエルは抑制的でなければならない。ここまで来たら、どこで矛を収めるか、検討しなければならない。だが、ネタニヤフ極右政権には停戦の意思など皆無だ。
 それどころか、前述したように「戦闘員を運ぶ救急車を爆撃」「病院や学校の地下にあるハマス拠点を空爆」などと、信じられないような言い訳をする。国連が運営する学校ですら爆撃を受け、多くの子どもたちが死んだ。
 「ハマスのせい」が子どもを殺す理由になるとは、ぼくは思わない。
 ウソはウソを呼ぶ。
 次には、イスラエルは「なぜ子どもを殺すのか」と批判されても、「彼らは小さいけれど、戦闘員ではないと言い切れない」などと言い出すかもしれない。
 ウソにウソを積み重ねて、戦争は遂行される。
 イスラエルの死者は当初の1400人のまま、増えてはいない。一方、パレスチナ側の死者数はついに1万人を超えたという。その7割が女性と子どもたちだという。
 こんな言い方はしたくないが、イスラエルよ、もういいだろう。報復は十分以上にしたではないか。なんとか戦争を停止してくれ。もうこれ以上、血だらけの子どもたちの映像を、ぼくらに見せないでくれ。
 ぼくはささやかな「ガザの子どもたちへのカンパ」をした。
 「即時停戦」を訴えるデモにも出かけている。
 これ以上、ぼくにできることはない。
 殺すな、とそれでも声をあげる。

 
浅慮でボキャ貧と言われていた故安倍晋三は、しばしば国会で野党側の質問にいら立ちブチ切れる場面がしばしばあった。
 
それはある意味では「人間性」がよく出ているわけであり、「憎めない」輩であった。
 
その点では岸田文雄の答弁には血が通っておらず、上げ足を取られないように、安倍晋三を反面教師としての不愉快な答弁が多い。 
 
そんな風潮が最近の国会での「それは個別の問題ですので、ここでのお答えは差し控えさせていただきます」とまさに木を鼻括った」答弁がまかり通るほど国民はバカにされているのだろ。
 

この程度でだまされている間は日本はまだ平和なのかもしれないが、そんな国民の心の油断が知らず知らず「戦中」になったらもう遅い、とオジサンは思う。

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