最近の若者(例えばZ世代)にはほとんど通じない「羹に懲りて膾を吹く」という言葉がある。
出典は中国戦国時代の楚地方に謡われた辞と呼ばれる形式の韻文、およびそれらを集めた詩集「楚辞」と言われている。
読み方は「あつものにこりてなますをふく)」であり、その意味は「ある失敗に懲りて、必要以上に用心深くなり無意味な心配をすること」であり、具体的には「羹(肉や野菜を煮た熱い汁物)を食べたら、とても熱くて懲りたので、冷たい食べ物である膾(生肉の刺身)を食べる時にまで息を吹きかけて冷ましてから食べようとしてしまう、ということである。
要するに、結果的には端から見れば「やり過ぎ」と批判されるような「滑稽さ」を戒めていると思われる。
こんな言葉を彷彿させる出来事が発生している。
「『生活できない』 埼玉県の“子供留守番禁止条例案”に批判相次ぐ」
埼玉県の自民党県議団が県議会に提出した虐待禁止条例改正案がSNS(ネット交流サービス)上などで波紋を呼んでいる。小学3年生以下の子供を自宅などに残して外出したり、公園などに放置したりすることを禁じた「留守番禁止」「放置禁止」の規定に対し、子育て世代とみられる人たちなどから「現実的ではない」などと疑問の声が噴出している。【デジタル報道グループ】 ◇働く親にとって深刻な問題 「保育園児がいるシングルマザーです。この条例が可決されたら、生活していけません」「一人親家庭には死ねと言っているも同然。子育て家庭は今すぐ埼玉から転居することをお勧めします」 改正案に罰則規定はないが、子供を預ける環境が身近になければ外に働きに行くことが難しくなることから、一人親家庭の人たちには極めて深刻な問題と映ったようだ。 しかし、この問題は何も一人親に限った話ではない。夫婦共働きの家庭にも影響が及ぶ。 「今でさえ子育てと仕事を何とかやりくりしているのに、働きながらこれは無理があります。専業主婦が少なくなっている昨今、時代錯誤です」。この投稿者は「可決されたら埼玉から引っ越したり、子供を産まない選択をしたりする人も出そうな予感がします」と続けた。 ◇「『きょうだい育児』もできない」 改正案では、養護者の義務として、小学3年生(9歳)以下の児童の放置禁止のほか、同6年生(12歳)以下の児童についても努力義務とした。養護者に当たるのは保護者や保育士、教職員など。自民県議団は、未成年のきょうだいと一緒に自宅にいても「放置」とする。 こうした規定に対し「放置はよくありませんが、生活の中での一般的な範囲でのお留守番や子供たちだけでの行動に制限をかけること自体が無謀すぎます」という声もあった。これは保護者が働いているかに関わらず、対象家庭に共通する懸念だ。 また、兄に弟の面倒を見させて働きに出ているとみられる人からは「こんな条例成立したら、『きょうだい育児』やっていられません」といった投稿もあった。 議会では改正案に反対の会派から「子育て家庭への負担が大きい」などと反論が相次いだ。しかし、10月6日の福祉保健医療委員会で賛成多数で可決されたことから、13日の本会議で成立する見通しだ。自民は「成立すれば全国初の条例」としているが、批判の矛先は議員にも向けられた。 「一生懸命子育てしている人たちの意見は聞いたのだろうか。車内の放置に対する規定は理解できますが、自宅の規定は非現実的」「こんなの発案した議員は子供いるの? 奥さんに聞いてみたら?」「この条例案を作った人にお子さんがいるとしたら全く育児に参加してこなかったんじゃないのかと思う」 ◇条例の前に「学童保育拡充を」 不満は「子供を見てくれる人や場所なんてすぐ見つからない」といった子供の受け入れ先が不足している実情にも及び、学童保育の拡充を求める声も目立った。 「共働きをしなければ生活できない世帯も多いこの時代、義務を押し付ける前に土台を整備することが先。手を挙げれば全員が家の近くの学童に公設並みの価格で必ず入れるように整備してから言うべきだ」 「まずは学童を希望する人が皆利用できるようにしてほしいです。仕事は続けたいけれど、もし学童に入れなかったら……。フルでリモートワークにするのか、夏休み中はどうなるのかなど悩みます」 虐待防止の趣旨には理解を示す投稿も多く見受けられるが、一方でこうした批判も相次ぐ虐待禁止条例改正案。13日の本会議の行方に注目が高まっている。 |
前述した「楚辞」の言葉に倣えば「幼稚園の通園バスに園児置き去り死亡事件」とか「パチンコに夢中になり駐車場の車に子供を放置した」といった事件などが「羹(あつもの)になり今後はそのような不幸な事故を無くすために、こんな極端な虐待禁止条例改正案が浮かんだのであろう。 ネット上ではこんな声があふれていた。 ◆学校目線でいえば
①休み時間に子供を教室において職員室に行けない ②低学年の子供の下校時に引率しなければならない(通学区域全部) ③放課後子供だけで校庭で遊んでいたら通報義務 ④体調が悪い日に子供だけで家にいることがわかったら通報義務 ⑤不登校の子が子供だけで家にいることがわかったら通報義務 ⑥修学旅行・林間学校での班別行動は禁止(高学年は努力義務) 狂った条例です。 学校の教育活動はすべて止まります。 ◆昭和に私達を育ててくださった両親や保育園、学校に本当感謝したい。 公園での危険性、遊び方のルール、もしこういう遊びをしたらこういう危険がある、こういう遊びの時にはまわりを見ながら遊び方を工夫し周りに迷惑をかけない遊び方を保育園や親に小さいうちにしこたま教えてもらい、親や兄の背中を見ながら、学んできたことを小学校あがってからは少しずつ親の手から離れながらも子供だけの時間を作ってくれたことで自信に繋がり、兄弟で助け合って親が帰ってくるまでに洗濯物取り入れるとか、お米といどくとか、ペットに餌をあげるとか、親がいない中でやるお手伝いって、任せてもらってる、信じてくれてるというものすごい自信につながってたなと思う。 これからは、学校の日の帰宅後は公園で子供達だけで遊ぶことすら、後ろめたさを感じなきゃいけない時代になるんですね。 昭和の子育てを完全否定されてる感じですね。 ◆埼玉県在住です。 シングルですが働いているため、学校帰宅してから私が帰宅するまでの2〜3時間程、小6と小3の子供はお留守番またはお友達と公園で遊ぶなど、子供だけにしている状況です。 防犯の観点から、オートロック、セコム付き、シャッター付きのマンションにしています。 子供もしっかりしているので大丈夫と思って今の生活を維持していますし、職場だって色々と、土日祝休み、仕事時間や年収などで決めてしっかりやれる範囲で環境も整え、児童扶養手当も貰えず働いているのに。 来年からということで、うちは中1と小4になるため努力義務になるからいいですが…普通にシングルじゃなくても兄弟いる人とか共働き世帯、旦那が非協力的な家庭は無理じゃん。 ◆いやいや、専業主婦ですらこの条例では厳しいですよ。 短時間の買い物、犬のお散歩、PTAの集まりも基本的に子供より後に帰ることがほとんどです。 小学校3年生ともなれば、短時間の買い物についてくるより家で宿題をしていた方が良いと言います。(早く終わらせて好きなことをしたいから) この条例では、子供の成長、自立が難しくなるのではないでしょうか? 本当に子育ての難しい世の中になってきましたね。 ◆この条例って、学校や放課後児童クラブなどに行っているとき以外は、常時親子が一緒に動くことを義務付ける条例になってますよね。これってかなり難しくないですか。
例えば、親が買い物や病院に行くときに、小3の子がテレビ見たいから一緒に行くのは絶対ヤダと納得しなければ、親は行動できなくなる。 逆に親が一緒に行けない場合に、外遊びに行けない子供も発生するよね。 あと、ひとり親で親が病気で寝込むと、自動的に子供は学校にも行けなくなるね。 こんな状況が子供にとって最善な状況なの?これで家族は幸せになれるの?結局、みんな不幸せな家庭になるんじゃないの。 子育てに疎すぎて問題点を想像すらできない議員さんが治める埼玉県の未来が心配です。 ◆海外では、13歳以下の子供を家に一人で過ごさせてはいけないと、法律で決まってる国もありますが、それらの国はいずれも祖父母の協力が得やすかったり、日本で言うところの学童保育が充実していたりと、一人にさせないための公的サービスが充実しています。 この条例を作るならば、同時に学童保育(官民両方)の充実や、見守りのシッターを雇った際の料金を全額補助するなど、子供一人で留守番させなくても過ごせる環境づくりを同時にしないといけないのでは? 「子供一人で留守番させないでね。責任は家庭で取ってね。行政は何もしないよ。」では反発しか出ないですよね。 条例作ったなら、守ってもらうための環境整備をするのは、行政の責任です。 ◆現実を考えずに何でも禁止すれば事足れりというのは、まさしく小学校の謎ルールの世界だよね。「放置」したらいけないのは子供より、むしろ議員連中じゃないのか。これ以上変なことをしないよう、有権者はしっかり監視しておかねばならない。 |
それにしても、「小学3年生(9歳)以下の児童の放置禁止」というのは罰則も考えているのだろうが、さすがに、「同6年生(12歳)以下の児童については努力義務らしいのだが、ほとんど実効性には乏しい。 こんな条例の発想は、「母親は家庭で子育てをしなければならない」という、どこかの教義からかもしれない。 少なくともこんな条例が成立すれば、最近漫画の「『翔んで埼玉』が映画化されたのだが、残念ながらやっぱり「ダさいたま」と再び言われるかもしれない。 さて、恒例の「10月1週の動き」から一部を引用する。 維新・鈴木宗男氏の訪露 秘書が出し忘れていた、というありきたりな嘘をついてまで、ロシアに行きたかった鈴木氏。超ニッコニコの映像も伝わりますが、露国がウクライナに侵攻したときも、露国を擁護していたように、彼は露国のスパイです。スパイ、というと語弊もありますが、要するに親露を越えた、愛露。もう露国を愛し、露国に尽くす人です。維新は『除名』などとしますが、党員資格の永久停止などでないと、維新がもたないでしょう。 露国営通信が発信した動画でも「ロシアの勝利。ロシアがウクライナに対して屈することがない。ここは何の懸念もなく、100%の確信をもって、私はロシアの未来、ロシアの明日を私は信じており、理解をしている」と述べており、動画は加工が当たり前の国ですが、国際問題にもなる他国の政治家の映像はしないでしょうから、間違いなくその発言をしている。とんでもない人物が維新の中にいる、というのが今回の顛末です。 その維新の吉村大阪府知事は、2日のジャニーズの会見を見て「前進した」とし、関ジャニ∞の広告塔の起用を継続、と訴えました。しかしそもそも関ジャニ∞も名称を変更する。あの記者会見も、NGリストなどが出てきて、まったく前進したと国民にはみられていない。結論ありきで、早々に答えをだす。吉村氏の悪い癖、イソジンと同じようにこうと決めたら邁進する、間違った結果であっても関わらず…です。 しかも万博に関して「国が主導すべき」と何様? 発言。残念で、ろくでもない人物であることが、ここ数日の発言からも露呈します。この共同代表にして、この議員あり。馬場共同代表も、相変わらず醜聞の説明から逃げ回り、党としてのガバナンスの低さも顕著です。こんな政党が日本の野党第一党を狙う、などという時点で、この国の不幸なのでしょう。万博が、反駁になればよいですが、未だに質の低い大阪人が、中央にモノを申した橋下氏かっこいい、の印象だけで維新を応援する形は変わらず、安泰というのが残念です。 ジャニーズ事務所の再会見
NGリストが取り沙汰されますが、PR会社では常識、という。逆にいえば、PR会社に仕切りを任せた時点で、ジャニーズ事務所の悪質ぶりがきわだちます。まず問題は、一社一問、という質問形式は追及される側にとって、極めて有利です。適当にはぐらかし、答えをしなければ次にいく。結果、その方式を選択した時点で、ジャニーズ事務所の底意地の悪さが浮かぶのです。そして井ノ原氏が「ルールを守ってください、子供たちもみているから」などといい、拍手が起こっていましたが、これが最悪の行為ともいえます。 理不尽な校則に悩む生徒が、周りがみているからルールに従え、と言われてどう思うのか? それとも井ノ原氏は、このルールが正当だと思っていたのか? 自分たちに有利なルールを押しつけ、それを守らせることに「子供」を出汁につかった。最悪です。出直しを図るなら、むしろジャニーズ事務所の圧力に屈せず、報道した文春、実話ナックルズなど、一部のメディアにのみ、質問を赦す。他のメディアが質問をする場合は、そうした媒体に事前に要請する、といった形でよいでしょう。そうすれば対話形式で、不明瞭な回答にはさらなる突っこんだ質問が可能です。そもそもグルだったメディアに質問させる時点で誤りです。 名称を変更する、などという話もでてきましたが、それが補償を請け負う、という。ただそこには収入がなく、まるで損切りのためのダミー企業のようです。新会社と所属タレントはエージェント契約を結ぶ、としますが、そもそもメディアへの圧力という話に回答はなく、辞めジャニの扱いさえよく分かりません。未だに元SMAPの三人がCMか、Eテレの出演にとどまるのはナゼか? 考えるまでもなく、自分たちが辞めジャニになった時のリスクを誰もが意識する。それを踏まえてのエージェント契約である点が悪質です。 タレントとして活躍していたときの生涯年収を考えれば、最低でも3億円以上を準備する必要があるでしょう。そうなると、軽く1000億円を超えます。それを収益のないSmile-up.なる企業で代替する。まずムリで、早々に倒産するでしょう。ジュリー藤島氏の嘘が、すでに多くで指摘されていますが、メリー藤島氏が亡くなった後も『ジャニーズのやり方』を引き継いでいたことは明白で、ジュリー氏も賠償の責任は免れません。ただ株主の座にとどまる、といっても株以外の個人資産への打撃はない形です。不正に蓄財したものは没収されて然るべき。むしろジャニー氏の相続問題をふくめ、ジュリー氏が私財を投げうつ形でないと、国民の納得は得られないでしょう。問題の切り分けがいつまでもできない、これも最悪といえます。 相変わらず「タレントに罪はない」という人もいますが、そんなことはありません。社長が性加害をする企業に、自分の子供をあずけたいと思うか? つまり新しく事務所に入る子供、親に対して、この事実を知っていた人はずっと加害者です。そして昔から活躍するタレント、俳優などが「知っていた」というように、本人たちが知らないはずもない。問題は、それが事務所の圧力があって、沈黙せざるをえない状況にあったかどうか? ですが、今のところそうした発言はありません。つまりずっとグレーなままです。 さらに、メディアがこの問題で検証を一切していない。なぜジャニタレをつかうか? なぜ隠ぺいに加担したか? 大審院判例がでた後も、です。そして辞めジャニを使わない、SMAPが解散したとき、三人のレギュラー番組が一斉に終了した。ナゼか? そうしたことに答えがでていません。つまりこの問題は、ジャニーズ事務所が会見を開くばかりでなく、メディアの検証がないと終わらないのです。政治の側からは、例えばTVには公共である電波をつかう価値なし、として電波を止めるなどの強硬な策が必要なのでしょう。未だにジャニタレを広告塔につかう省庁もありますが、国もグル? と思われたら、この問題はずっと尾をひき、終わらない問題となります。早期の幕引きをはかるためには、すべての膿をすべての組織、タレントまでふくめて出すべきで、この問題では「関係者全員が有罪である」となるのです。 |
【参考】
ところで、欧州や米国会議では「ウクライナ疲れ」が顕在化しているなかで、この「ロシアウクライナ戦争」を解決する手立てがなくなりつつある。
そんな中で一見突拍子もないような話が上がっている。
「札幌はやめてウクライナで冬季五輪を開催しませんか?五輪アナリストの提言
五輪汚職で信頼を失った日本が今できることは自国への招致ではない」
◎大会スポンサー企業から収賄を受け取った容疑で、東京地検特捜部に逮捕された東京オリンピック・パラリンピックで大会組織委員会理事を務めた高橋治之氏は、先月27日、初めて証人として東京地裁に出廷し「一切の証言を拒否する」と語った。日本人のオリンピック熱は冷や水を浴びせられた。
信頼を失った日本だからこそ、自国へのオリンピック招致に躍起になるのではなく、オリンピックの持つ平和の精神に立ち返り、今だからできる提案があるのではないか。五輪アナリストの春日良一氏に聞いた。(聞き手:玉木正之、スポーツ文化ジャーナリスト) 玉木正之氏(以下、玉木):春日さんは「2030年の冬季オリンピックをウクライナで開催したい」と国際オリンピック委員会(IOC)に提案されています。これは、「平和運動」というオリンピック本来の主旨に合致しており、私はとても感激しました。 2030年の冬季オリンピックについては、最初は札幌が開催地として有力視されていましたが、東京五輪の汚職があり、日本の中でもその声は高まっていません(※札幌は2030年の招致を断念して、2034年以降の招致を目指す考えを発表した)。そんな中で、ウクライナで冬季五輪というのはたいへん興味深いアイデアだと思います。 春日良一氏(以下、春日):「ウクライナで冬季五輪を開催したい」という思いについて、私は2つの観点を持っています。1つは、オリンピック本来の持つ意義です。 オリンピックには「スポーツで世界を平和にする」という理念がある。とりわけ、古代オリンピックが持っていた「休戦思想」が重要です。たとえ国家間に戦争状態があっても、4年に1度は武器を置いて、オリンピア(古代ギリシャの都市)に集まり、素手で競い合い、スポーツを通じて互いを理解し合う。こういった理念が、戦争を止めたり、終えたりしてきました。 ロシアのウクライナ侵攻は「オリンピック休戦」を破った暴挙。でも、だからこそ、本来のオリンピズムの視点からきちんと反論しなければならない。侵攻された戦争地帯のウクライナでスポーツすることで戦争を止める。このオリンピックの根源的な思想を実現することが、一番いいのではないかと考えています。 もう一つの観点ですが、札幌は2030年に冬季オリンピックを招致したいと考えており、有力な候補の1つでした。実際、2021年の東京オリンピックが成功し、その勢いを買って札幌でやりましょうという雰囲気になっていましたが、東京オリンピックの汚職事件が発覚したことで、この勢いはトーンダウンしてしまいました。オリンピックに対する日本人のネガティブな感情も強くなっています。 この状況の中で、日本オリンピック委員会(JOC)が何をしているのかというと、ひたすら「国民感情が沈静化するのを待つ」という印象です。 山下泰裕会長は「オリンピック運動を理解していただかなければならない」とおっしゃっていますが、理解してもらうためにただ待っている状況です。 同時に国際的な視点においては、「オリンピックには戦争を止める力があるのか」「平和を作る力があるのか」ということが問われている。 もし、日本がこういったオリンピックの価値や存在意義を真剣に考えるならば、2030年はウクライナにオリンピックの開催地を譲って、オリンピックとはどういうものなのかを日本人がちゃんと理解する。そのことが禊(みそぎ)になると思うのです。 そのくらいの動きがなければ「もう二度と日本にはオリンピックは来ない」という危機感が私にはあります。だから、今回ウクライナオリンピックを提案しています。 ■ウクライナで五輪を開催する意義 玉木:近代オリンピックは、古代オリンピックの掲げる「休戦の思想」の上に存在しています。 近代オリンピックの基礎を築いたクーベルタン男爵(1863〜1937年)がオリンピックを始めた時も、普仏戦争(1870~1871)に敗れたフランスが、プロシアに復讐戦をするのではなく、根本的に「世界を平和にしたい」という考えに基づいていました。 だからこそ、「今回はウクライナでやりたい」と発想することが本当に素晴らしいと思うのですが、一方では「本当に実現できるのだろうか」と疑問もわきます。 春日:実は、ウクライナは過去にも何度もオリンピック招致に挑戦してきました。最近でいうと、2021年9月に、ゼレンスキー大統領がIOCのトーマス・バッハ会長に会い、その意向を伝えています。 それでは、戦争が行われている中でどうアプローチしていくのかという点ですが、「戦争が行われている場所だからこそオリンピックをやりましょう」というアンチテーゼを出すことで、その意志を世界に伝えることができるのではないでしょうか。 そして、その声に世界が反応することで、オリンピックが本来持つ思想的な柱が明確になる。今、声を上げることが大事なのです。 玉木:IOCが最近は商業主義に走り過ぎている。金儲け主義になっている。こういう批判は世界中から聞こえてきます。 春日:IOCが稼いだ収益の90%はスポーツ界に還元しています。国際競技連盟、国内オリンピック委員会、選手やコーチへの支援などに使い、お金のない国や地域にはIOCオリンピックソリダリティからお金を配分している。IOCは本来、少しもお金を稼ぐ必要のない非営利団体ですから、こういったことができる。 動いているお金をすべてウクライナ冬季五輪に使うという図式にすれば、実現は可能だと思います。夏のオリンピックとともに、資金調達プログラムを作っていくわけですが、ウクライナの方が巨額になる可能性もあります。 玉木:政治的な課題もあると思います。ロシアとベラルーシの参加はどうなりますか? ■ウクライナ五輪でロシアはどうなる? 春日:休戦を破ったロシア、そこに味方したベラルーシには、2024年のパリオリンピックの招待状は送られませんでした。オリンピック休戦の約束を破ったからです。 でも、2030年冬季オリンピックをウクライナで開催する目的は分断の解消。当然、ロシアもベラルーシも呼ぶということになると思います。ただ、その条件は「武器を置く」ことですから、この時に戦争状態であってはなりません。 2019年から、オリンピックの開催都市を決めるシステムが変わりました。それ以前は、オリンピックを招致したい都市が立候補して、競い合い、最終的に開催の年の7年前にIOCの委員の投票で決めるというやり方でした。 現在は、将来のオリンピックの開催地を決める委員会をIOCの中に作り、オリンピック開催に興味のある都市と、この委員会が綿密に話し合い、委員が調査を行い、最も望ましい開催地や、その都市がオリンピックを開催するのに最適なタイミングはいつなのかを決めていくという形式になりました。 ウクライナは手を挙げて開催地に選ばれたいという意向を出していますから、将来の開催地委員会が綿密に話し合えば、IOCも真剣に検討すると思います。この委員会を2030ウクライナ冬季五輪開催のためのプロジェクトチームにすることができます。 玉木:スウェーデンやフランスも、2030年の冬季オリンピックを招致したい考えだと聞いていますので、その場合はウクライナもここに並んで、議論を進めることになると思います。 一方で夏季オリンピックに話題を移すと、2028年がロサンゼルスで、2032年はブリスベン(オーストラリア)が開催候補地となっており、2036年には、韓国のソウルが手を挙げていると聞いています。ここには、北朝鮮を含む、南北共催といった構想も視野に入ってきます。 IOCはどんな見通しを持っているのでしょうか。オリンピックが平和運動という観点に立てば、これも非常に興味深い提案になってくると思いますが……。 ■五輪の意義を問う南北共同開催 春日:南北共同開催は、オリンピックの意義を問うものだと思います。実現できたら素晴らしい。実は、1988年にも南北共催は検討されました。また、2018年の平昌オリンピックのときも南北統一コリアで選手団が入場しました。同大会では、女子のアイスホッケーでは南北合同チーム「コリア」が実現しています。 2024年のユースオリンピックは江原道(カンウォンド)という場所で開催されます。江原道は南北の境にあり、もともとは共同開催を本気で考え、実現に向けて努力をしていました。しかし、政治的な事情で共同開催は実現しませんでした。 「2032年の夏のオリンピックをソウルでやりたい」という考えは、前ソウル市長が表明しており、この時も共同開催を前提としたビジョンを語りました。今の市長も同じ気持ちを持っている。 昨年10月に、ソウルでスポーツ国際会議(ANOC総会)が開かれました。スポーツ界の国連のようなものです。この会議の席で、現在のソウルの市長がバッハ会長に「2036年の夏季オリンピックはぜひソウルでやりたい」という意向を伝え、その後も、2回バッハ会長に会いに行って、その意志を伝えたそうです。 表面的にはソウルで開催するということで話を進めている。しかし、胸の内には共同開催という見果てぬ夢がある。IOCからしても共同開催というビジョンがあるほうが、ソウルを選ぶ根拠が強くなる。「オリンピックは世界平和のためのイベントなのだ」ということをまさに証明する機会になるのです。 ■IOCが始めたSDGsの中身 玉木:春日さんは現在のIOCをどう見ていますか。IOCによるオリンピック大会の運営はうまくいっていると思いますか? 春日:日本のマスメディアではIOCやオリンピックに対する否定的な見方が強いという印象があります。ただ、グローバルな視点で見ると、IOCはSDGsといった概念に重きを置いて様々な取り組みを始めています。 地球環境問題でいえば「オリンピック・フォレスト」と言って、アフリカで植林活動を始めました。2030年のオリンピックからはCO2の排出量をマイナスにしなければなりません。 また、10月20日に国連人間居住計画(UN-Habitat)という、社会的にいい都市を作る取り組みにもバッハ会長がサインしました。スポーツをいい街づくりに使っていくことを表明したのです。 スポーツで世の中をよくしていくことは、個々の選手や競技が独自に進めるのではなく、それをまとめるオリンピックが先導していくべきです。だからこそ、原点に戻り、スポーツで世界平和を作っていくことが大切です。 私がウクライナでの開催や南北の共同開催などが実現することを願っているのは、そう考えているからです。 |
オジサンはすでに商業化しすぎてしまった「五輪」はもはや時代遅れでやめるべきだという考えでいたのだが、「近代オリンピックは、古代オリンピックの掲げる「休戦の思想」の上に存在」しており、クーベルタン男爵の根本的に「世界を平和にしたい」という考えに基づけば、中途半端な「和平交渉」や自国の軍需産業の繁栄のための武器供与という無駄な行為よりは、「スポーツで世界平和を作っていく」という原点に戻ろうという運動は決して絵空事ではないかもしれない、とオジサンは思う。